あの静寂に夢をみて
シュッ
「…ゲームです」
淡々と行われたコールに、呆然としていた私は我に帰った。相手がコートに中心に集まるのを見て、慌ててエンドライン付近に落ちているシャトルを拾う。
(…終わり、か)
急がなければいけないのに、さっきのスマッシュの衝撃で羽が折れてしまったシャトルから、なぜか目が離せなかった。
「瑠璃?」
「ん、ごめん。今行く」
無表情の主審は教えられた通りの、お手本のようなコールで試合を締めくくる。
「……21ー19で春川中の勝ちです。ありがとうございました」
「「「「ありがとうございました」」」」
「あと一点でデュースだったのにぃ」
「いけると思ったんだけどね…最後のサーブ、ロングのがよかったかな」
ダブルスのペアであるこころが悔しそうに頭を掻く。実際、結構惜しかったのだ。最後の14−20からの巻き返し。序盤のミスを取り返すように、5点連続で点を取り続けた。けれどあと1点でデュース、と言うところで負けてしまった。ようやく見えてきた勝ち筋を否定するように、私たちの真ん中に打ち込まれた綺麗なスマッシュ。もっと点差がついていたなら諦められただろう。だって自分たちの練習不足、実力不足なんて分かりきっていたのだから。けれど、一瞬勝てそうになった。だから、余計悔しい。
「お疲れ様」
後ろで見ていたコーチが労りの言葉をかけてくれる。いつもニコニコと微笑みを浮かべていて、結構辛辣だけれど、基本的には優しい人だ。
「あとちょっとだった…」
「そうだよね。私もいけると思ったんだけど……取り敢えず、瑠璃はドライブね。面がきれちゃってる」
「はぁい」
コーチのもっともな指摘に、私は水筒の蓋を捻りながら返事をする。試合になると固まって思うように打てない、だなんて言い訳だろうか。今日は…いやいつもか、とにかくオーバーヘッドとドライブが壊滅的だった。まともに面に当たらない、空振る。ここまで点が取れたのだってこころのおかげだ。サーブで点を取ったりはできたけれど、今日も今日とて使えないペアだっただろう。
(なんで、こころは私とペアがいいんだろうね)
ここ最近ずっと疑問に思っていることだ。私は下手くそだ。そのくせして、イラついたり緊張したりすると、力が入って空振りをしまくる。どうしてこんなのとペアを組みたがるのか。私だったら上手な人と組みたい。
「まぁ、反省は後にするとして、まずは主審だね。いってらっしゃい」
「…一応聞くけどどっちがいい?」
「線審」
「だよね…じゃあもらってくるわ」
荷物をこころに預けて、私は次の試合の主審をするために、本部へスコアシートを取りに向かったのだった。
☆☆☆
「珍しいね」
「華先輩、調子悪いのかな」
とうの昔に主審を終え、私達はギャラリーから、先輩たちの試合を見ていた。今回、先輩たちは全員ダブルスの希望。ダブルス各校四枠中三枠は先輩たちだ。その先輩も残っているのはあと一ペア。この間の大会で優勝していた二人だ。しかし、1ゲームずつとって、ファイナルゲームも、相手にリードされてしまっていた。
「あ」
こころが小さく声を上げる。コールへ意識を戻すと、相手のおそらくショートサーブとして放たれたあろうシャトルは、ネットに阻まれた。サーブミスだ。
「うぇ」
「…アウトかぁ」
「偉そうに言えたことじゃないけど…なんか今日やばくない?」
2点ぶりに回ってきた先輩のサーブも、ショートサービスラインには届かずに落ちてしまった。ミスは誰だってするけれど、いかんせん今日はサーブミスが二人とも多い。一回戦と二回戦も合わせて、10点弱くらい落としている。
「だよねぇ……お!」
気怠そうに柵に顎を乗せていたこころが、びっくりしたように跳ねた。さらに開いてしまった点差を詰めたのは、真里先輩の綺麗なドロップだった。コートのネット際中央に落ちるそのシャトルを取ろうと、伸ばした2本のラケットが相手の手から離れ、交差するようにネットの下まで滑私たちは規定通り応援のための拍手をする。
(…静かだなぁ)
ラリーが終わり、次のサーブとの隙間に生じる、束の間の静寂。隣のコートの試合も終わり、全員がこのコートの試合を見ているはずなのに、誰一人口を開かない。自分がコートに立っているのではと錯覚してしまいそうなほどの緊張感だった。
パンッ
小気味よい音と共に放たれたロングサーブ。綺麗な弧を描いて相手の頭上を通るそれ、ひどく美しくて、惚れ惚れしてしまいそうなものだった。でも、相手もここまで勝ち上がって来た強者だ。即座に反応し、華先輩のバック側に高く打ち返す。
(よく取れるよ…)
そう感心しながらも、声には出さない。数十人いる狭い体育館に響くのは、シャトルを打ち合う澄んだ音だけ。この数秒が、私は大好きだった。自分にはこんな美しい音でシャトルは打てない。余計なものがない、綺麗な空気だった。
「シャア!!」
その静寂を破ったのは、お返しとばかりにドロップを決めた、相手の片割れだった。相手校側の歓声と拍手の音が体育館を支配する。一気に試合の雰囲気に戻ってしまった。
「あと、一点」
「がんばれ〜、がんばれ〜」
気が付けば、相手のマッチポイント。これで負けてしまえば、先輩たちは引退だ。祈るように手を組んでこころとコートを見つめる。
「…ゲーム」
現実は無常だ。ダブルスのサイドラインギリギリに打ち込まれた、ストレートのスマッシュ。遠目から見たらアウトかと錯覚しそうなそれは、見事なものだった。
「負けちゃった…」
「私、先輩が負けるの初めて見たかも」
階下には、悔しそうに目元を覆う真里先輩と、励ますように肩を叩く華先輩がいた。あまり仲良くないし、とブロック大会を見に行ったことがない私たちは、真里先輩が公式戦で負けているのを見たことがない。いつも区では優勝だったから。
「なんて言えばいいかな?」
「わかんないよぉ」
どう声をかけていいのかわからない。でも、いつも負けたら「お疲れ」と言ってくれる先輩たちに、何も言わないわけにはいかなかった。
「お、お疲れ様、です」
そう、頭を下げながら言う。これで合っているのだろうか。不安になりながら先輩たちの横を通る。
「ありがとう」
そう微笑む華先輩に、安堵の息を漏らしながら、私はもう一度頭を下げた。
「まさか負けちゃうとは」
「あんなに頑張ってたのにね」
先輩たちは、小学生の頃からバドミントンをやっていて、今でも部活以外にも体育館とかを借りて打っているらしい。私なんかと比べるものではないけれど、彼女たちの努力と熱情を私は尊敬していた。
私にとって部活は、あくまでも『楽しいもの』であって、勝つに越したことはないけれど、先輩たちほどの熱意を持ってやっていたわけでもない。ご飯を好きなだけ食べたくて、運動不足にならないように、と入ったのだから。誘い文句とは全く違う厳しめの練習に不満はいくらでもある。
「綺麗だったよなぁ」
「そうだねぇ」
でも、さっきの試合を見て、先輩の姿を見て、切実に思ったのだ。私も、あんな風にシャトルを打ってみたい、と。あの静寂が起こる、ベスト4以上の試合をやってみたい、と。
「こころ」
「うん」
「頑張ろうね」
「もちろん!」
頼もしい親友の声に、嬉しさを感じながら、私は、私たちは、これからどうしたらいいかを話始めたのだった。