第2話
精霊さんを自認するやばいやつが大洪水を起こしてから、さらに一か月。
突如として特大の異変が死の大地を覆い、それを観察していた周囲の街はこれは何事かと大混乱に陥っていた。
というのも、現在の人類が歴史と文明を持ちはじめた世界創世初期の頃から、雨などという大地の恵みを齎す現象は一度たりとも死の大地に降り注いだことなどなかったからだ。
それこそ神話の時代、前時代文明とも言える歴史にも残らぬ大昔には死の大地などなく、雨の恵みは相応に降り注いでいたであろうが、しかしここは今を生きる人類にとっては現代。
今まで観測されなかった大雨が一か月も降り注げば、当然その周りに生きる者達は集まり会議を開くことになる。
それが、今のこの状況を物語っていた。
「ルドガン辺境伯。招待に応じた各ギルドマスター及び傘下の子爵男爵。そして死の大地周辺の調査依頼にも耐えうるA級冒険者パーティー、【青蘭の剣】の皆様が到着いたしました」
「招集をかけてから約一か月半、ようやくか……。して、王都からの反応は?」
この死の大地周辺を任された辺境伯という、高位の貴族にしては鍛えられた体躯と佇まいの初老の男が大きく息を吐く。
いや、むしろこの物騒な土地周辺を任されているからこそ、高位貴族という身分にもかかわらず彼には武力が必要だったのだろう。
もともと作物は実りにくく、それどころか山々に囲まれた死の大地の中心部には生命どころか草一本すら生えていない。
普通に考えれば領主にとって何の旨味もない貧乏くじのような土地だし、その上山脈の魔物は大きく強靭。
死の大地へと続く山々の頂に至っては荒々しい魔力がパワースポットになっており、中級から上級にかけた竜種の生息地であるため、常に襲撃の警戒をしておかなければならないほどだ。
つまり実りは少なく敵は強い、ふんだりけったりな土地である。
それでもなお腐ることなくこの辺境伯領を治め続けてきた、脈々と続く歴代のルドガンの血統はこの事態への妥協を許さず、彼に考え得る最善の手を打ち続けさせていた。
彼こそは戦鬼グレイシード・ルドガン。
パステア王国の東部を治める対大型魔物の防波堤だ。
その影響力は中央貴族の間でも強く、世間を知らぬ身分だけの若造が辺境の田舎者などと蔑んだ日には、周囲の大貴族や国の重鎮から手を切られるまで秒読みである。
パステア王国の貴族は知っているのだ。
ルドガンの血族は時に竜を狩り、時に北から侵略にやってくる帝国への牽制ともなる、パステア王国における切り札の一つであるということを。
「はい。王都に問い合わせは出していますが、何分一か月での返答は難しく。同じ理由で王都の教会からも返事は来ておりません」
「まあ、そちらは致し方がないな。よし、それでは至急会議を行う。全員ここへ通せ。今すぐにだ」
「はっ!」
だが、中央の王侯貴族に強い影響力を持つパステアの英傑グレイシード・ルドガンであっても、往復だけで一か月はかかる王都からの返事には期待していない。
ことは急を要するが、それでも多忙極まる各ギルドマスターと傘下の貴族、なにより人類の中ではほぼ最高到達点とも言えるA級の冒険者が集まったのなら、成果は上々といったところであった。
欲を出していいのなら、これだけの事態にはS級冒険者が必要になる。
だがS級というのは金を積めばそうやすやすと動く存在ではないし、そもそもがパステア王国に滞在していないことも多い。
たとえばS級と呼ばれる階位には今代の勇者、帝国の剣聖、ハイエルフの賢者、教会の聖女、獣王の拳聖などが有名人としてあげられるが、そのどれもこれもが一人で小国なら蹂躙できてしまう規格外達だ。
パーティー単位での評価とはいえ、そんな次元の化け物と同列に比べられるのがS級冒険者と呼ばれる英雄達である。
その強さ故に彼らには依頼の拒否権があるし、性格も自由人。
現在どこを拠点にしているのかすらも冒険者ギルドが秘匿しており、だからこそ金を積めば駆けつけてくれるような存在ではないのであった。
それでも人類最強クラスの精鋭というだけで価値があるが、今回依頼という形で招集に応じてくれたのはその一つ下のランクである、準最強の集団。
A級冒険者パーティーであったことは不幸中の幸いである。
そうしてルドガン辺境伯のもと彼らは集まり、死の大地の異変という、かつてない異常事態に対処するべく会議を躍らせた。
「んで、結局のところ直近の問題となるのは上級から中級のドラゴンの襲撃ってことでいいのか? それなら俺ら【青蘭の剣】の得意分野だぜ。籠城しながらってのは初めてだが、うちには対飛行魔物に特化した弓術士がいる。翼に風穴をあけるくらい、なんてことないぜ」
そう語るのはA級冒険者パーティーの代表として会議に参加している、リーダーのフランである。
それこそ青蘭のような淡い青髪を短く切りそろえた男で、特注の鎧にも青系統が目立っていた。
しかし彼の言う上級から中級のドラゴンから街を守れる、というのはいささか言い過ぎで、正しくはグレイシード・ルドガン率いる騎士団と兵士団の戦力、そして町に残る冒険者と共同してなんとかなる、という話だ。
そもそも上級の竜ともなれば単体でS級にすら届き得る。
より正確にはS級とA級の間、A+からS-といったあたりだが、そんな化け物が襲ってきてタダで済むはずがないのだ。
だが上級に近ければ近い程、強い竜というのは集団では狩りをせず単独行動が目立つ。
いくら異常事態といえども、そう何匹もの竜が徒党を組んで襲ってくるとは考えづらかった。
だからこそ彼は多くても中級と上級の二匹、少なければ一匹を相手取る算段で戦力を計算している。
そしてそれは、この世界の常識として何も間違ってはいなかった。
「いや、それも間違いではないが、今回依頼するのは街の防衛ではない。他にもっと頼みたいことがあるのだ」
「おっと? そうだったか。……となると、もしかして調査の方か?」
「正解だ」
一度ルドガンに否定されたフランは残った可能性を脳内で拾い上げ、討伐や防衛でないなら調査だろうかとあたりを付ける。
というのも、異常現象で竜や魔物が浮足立っているとはいえ、彼らに対応しているだけでは対症療法にしかならないのだ。
原因の根本的解決を図るためには死の大地へ調査に赴くのは必須事項であり、最悪は解決そのものができなくとも、調査によって何が原因かを知ることは最低の条件でありそこがスタートライン。
これについてはルドガン辺境伯だけでなく各ギルドマスターもそう考えており、事前に手紙などで連携して会議の結論に根回しをしていた。
また、この会議が終わればすぐにでも冒険者パーティーのサポートができるよう指示を終えており、彼ら【青蘭の剣】の準備ができ次第、物資や道中の露払い含め、腕の立つ上位騎士が複数名彼らの護衛につく。
ルドガン辺境伯としては、これだけの準備をしても問題解決の成功率が高いとは考えておらず、未曽有の事態だからこそ楽観的にはなれない。
ただし、根回しの当初は運が悪ければB級冒険者あたりが関の山だと考えていたため、今回のようにA級冒険者が来るならばサポートできる範囲にもかなり余裕ができる。
それそのものは素直に助かったなと、彼は深いため息を吐きつつも希望を抱いて【青蘭の剣】を送り出したのであった。
……そうしてさらに一か月後。
パステア王国の英傑グレイシード・ルドガンは頭を抱えることになる。
なんとか無事に帰還した【青蘭の剣】と護衛の騎士達からの報告には、「かわいい精霊さんに助けられた」だの、「死の大地には超巨大な湖と、中央に氷の宮殿が聳え立っていた」だの、「精霊さんはアダムと雪の女王ごっこだと言っていた」だのと、意味不明な報告が相次いでいたからだ。
「なんだ、この……。なんなんだ」
「心中お察しいたします、ルドガン閣下」
「儂も辺境伯夏の休暇ごっこがしたい……」
「心中お察しいたします、ルドガン閣下……」
街へと帰還してからも、御伽噺のような内容を興奮気味に語り続ける騎士達の姿に、辺境伯はちょっと疲れていたのであった。