第17話
パステア城でフラン・ローズハートが事件の詳細を報告をしていた、その頃。
時を同じくして現場に立ち会った神官から報告を受けていた大聖堂は、突然前触れも無く現れた奇跡の少女、精霊の寵児パティの話題に騒めき慄いていた。
報告を知ったある一人の神官は言う。
これは行き倒れた少女を救い、賢王と呼ばれ親しまれる現王バンフレイム・メガロ・パステアの権威をさらに高めるための、いわゆる人気取り、過剰演出なのではないかと。
しかしその意見をまた別の神官が否定し、そのまた次の意見がと、意見や推論が幾度も飛び交い相手の足を引っ張り合いながら不毛な議論が紛糾していた。
そうして彼らが一通り騒ぎ終えると、その慌てぶりを見守っていた胡散臭い糸目の男が静かに発言する。
彼こそは王都の大聖堂を任された枢機卿の持つ、この国における懐刀。
同じ立場の者は数人いれど、枢機卿から唯一絶対の信頼を置かれた才気あふれる特殊な大司教だ。
その名を、ニクス・エバーロッシュと言う。
「おや。みなさんお喋りはもういいのですか? それでは件の精霊の寵児と思わしき少女について、本格的に会議を始めたいと思いますが」
「え? あ、ああ……」
「なにか?」
「い、いや。なんでもない……」
今までのは会議ではなかったのかと、同じく大司教の立場の男が意見しようとするも、ニコリと胡散臭い笑みを向けられ黙り込む。
周りの者も息をのんで席へと座りなおし、まるでニクスのご機嫌窺いでもするかのように姿勢を正した。
というのも、彼がここまで恐れられるにはそれ相応の理由がある。
見かけは本当に胡散臭い細身の優男といった風貌だが、その実、不正や腐敗といったものの裁きにはめっぽう苛烈で厳格。
いままで目敏い彼の嗅覚に不正を暴かれ、その地位や立場を追われた教会関係者は数多い。
また、それだけではなく、大司教の中でも頭一つ二つは抜きんでた権力を枢機卿から与えられており、その影響力がその辺の教会関係者にとっては馬鹿にならないほどの威圧になるのだ。
もともとこの世界の教会というのは年功序列の風潮も強く、教会へと属する前にあった伝手やコネ、政治力が必要なのはもちろんのことだったが、ニクスだけは例外。
齢二十という若さで異例の大出世を遂げ大司教へと就任し、四年後の現在まで目立った失態もなく完全無欠。
そうして数々の障害や政敵に立場を妬まれ疎まれながらも、逆に返り討ちにして自らの功績へと変換しのし上がってきたのだ。
そんな彼の手腕とサクセスストーリーはもはや芸術の域に達しており、教会関係者では既にニクスを侮る者など一人も居なかった。
なにせニクスはただ嗅覚が優れるだけの教会関係者ではなく、それこそ教会が擁する聖女に次ぐ回復魔法の使い手。
それも回復魔法を除いた武力的な面では、かなりの不安が残る聖女と比べ彼の立ち振る舞いには隙が見当たらない。
それはもっともな話で、なんとニクスは魔法無しでもその辺の冒険者や軍人を一方的に暗殺できるほどの、壮絶な暗器の使い手であるからだ。
「いえ、私もね? 本当は戦いに身を置きたくなどないのですよ。ましてやあなた方同志を威圧するなどもってのほか。しかし、教会内部は何かと物騒でしてねぇ……。まあ、不可抗力というやつですよ」
どこからが本音で、どこまでが冗談なのか。
まったく内心を悟らせないニクスの胡乱な態度に、周囲の者は冷や汗を垂らしながら頷くことしかできなかった。
「しかし氷の精霊でしたっけ? 私も資料には一通り目を通しましたが、驚きですよ。自然を司るはずの精霊が少女に加護を与え、冒険者を守り、……なによりあの男に精霊剣を与えた……。ふぅむ」
「あの男でございますか? しかしニクス大司教、あんなもの所詮はただの荒くれ。一介の冒険者ですよ。王家からは勇者だのなんだのと目されているようですが、あなた程の傑物が気にするほどとは────」
────ゴトリ。
傍に控えていた神官の一人がそう言った瞬間、どこからともなく神官の首に細い糸が巻き付きその首を落とした。
その事実に一瞬周囲からは悲鳴が上がりそうになるが、しかしいくら恐れられているとはいえ、ニクスが何の意図もなくこのような殺戮をするはずがないと、普段の厳格さから逆に行動が信頼され一気に周囲は落ち着く。
何より、首を落とされた男の額には、生きていた頃は巧妙に隠されていた角のようなものが生えていたのだ。
おそらく生前は幻影を見せる魔法を纏って誤魔化していたのだろう。
この角はまさに魔族の証とも言える証拠、特徴であり、この時点でニクスの起こした行動の無実、無罪が証明されていた。
「おっと。我が学園時代の親友を侮辱する愚か者の首を落としたと思ったら、なんと彼は魔族だったようですね。みなさんもお気を付けくださいね」
「は、はい! この魔族がこのまま暗躍していたら、大聖堂どころか王都全体の危機であったでしょう。ありがとうございます、ニクス大司教。し、しかしなぜこんなところに魔族が……」
落ち着いて会話をしているように思えるが、ニクスに礼を言う神官の心臓はバクバクだ。
今にも呼吸困難に陥りそうなほどの動揺を必死に落ち着かせ、ギリギリのところで冷静さを保って対応していた。
周囲のシスターには魔族が潜んでいたという衝撃の事実に、精神的負荷から倒れた者もいる。
そう考えれば、ニクスほどではないものの冷静な彼はとても実力のある神官といえよう。
「なぜ、ですか……。おそらく今回大聖堂へ潜り込んでいたのはコレだけでしょうが、こうなった以上は我が学園の同期にして親友、フラン・ローズハートが勇者に選ばれたというのも、あながち嘘でもないのでしょう」
「というと、氷精霊が予言した魔王の出現は、確度の高い情報であると?」
「ええ。私はそう考えていますよ」
魔王が封印されてから凡そ三百年。
その間、人類へ向けた魔族の暗躍はある程度鳴りを潜めていたが、ようやく本格的に動き出したところを鑑みるに、本当に魔王の復活が近いのだろうと周囲は考える。
だがニクスだけは予想のさらに先を見据え、もはや既に魔王が復活していたかどうかすら、直近の問題ではないと考えていた。
「しかし、この状況は危ういですね……」
「危うい、ですか?」
「ええ。魔王の狙いが何かは分かりませんが、こうしてわざわざ直接的な手段で精霊が助力するのです。これはまさに異例。他国には広まっていませんが、事実上の勇者が二人現れていることからも、三百年前の魔王災害とは比べものにならない何かが、起ころうとしている……?」
確証はない。
だが、確かに勇者は二人生まれ、こうして魔族が無謀にも大聖堂へと潜り込んできた。
本来大聖堂の神官は補助的な魔法が得意であり、魔族や魔物と人類を見分ける方法も多分に存在する。
にも拘わらず、このような直接的な手段に打って出ているのだ。
それもまた異常事態の一つであり、本当に魔王が指揮しているのならこのような戦略は取らないはずであった。
「魔族は何を焦っているのでしょうか……? いや、しかし……」
この王都の大聖堂は、教会における本部ではない。
本部は宗教国家であるマリナス聖国の首都にあり、おそらく今回の精霊の話も秘密裏に伝わっているはずだ。
そこまで考えてニクスは、はっと伏せていた顔をあげた。
「帝国、聖国、この王国、情報の拡散……。ああ、なるほど。第一手目は人類の混乱そのものが目的ですか……」
この国の民が賢王と讃えるバンフレイム・メガロ・パステアの行った、しばらくは国内に情報を留め置くという判断は正しい。
というのも、勇者であるフランの存在が帝国に伝われば、おそらく魔王災害の最中であろうとフランと精霊剣の所有権を帝国は主張するだろう。
そうなれば仮に現在聖剣の勇者が帝国を見限り、一時的に離れていようとも、第二の勇者を帝国に取られるわけにはいかないと聖国も他の国も大きく反発するだろう。
なぜなら、それはあまりに戦力が集中しすぎるからだ。
仮にも帝国は大国家。
聖剣の勇者に無敗の剣聖に、他にも多くの超越者が所属している。
「おそらく勇者フランの情報を得た魔族はそこを突き、内部から人類を混乱させるつもりなのでしょうね」
「な、それは……!」
「ええ、ご想像の通りです。もしその謀略が成れば人類は大きくアドバンテージを失いますよ」
本来人類が一致団結しなければ対抗できないほどの大災厄である魔王。
そんなものを前にして、帝国や聖国がパステア王国と三つ巴の戦争にでももつれ込んでみると想像すると、それは地獄以上の脅威に他ならなかった。
もし人類側が荒れれば、第二の勇者という超戦力を手に入れた人類への確実なカウンターになるだろう。
「氷精霊はおそらくこの状況を読み切っています。だからこそ勇者フランを守り導く監視役も兼ねて、精霊の寵児パティを遣わしたのでしょうね」
まあ、もっと言えば精霊の思惑はそれだけではないでしょうが。
その言葉を心の内に秘めつつ、ニクスは周囲に精霊の寵児の有用性を説明した。
ニクスは内心思う、もし混乱を避けるためだけならば、そもそも勇者などという存在を生まなければ良かったのだ。
だが、実際に精霊は学園時代の親友であるフランに助力し、力を与えた。
これが意味するところは……。
「ともかく。そろそろ私も大聖堂の内部でゆっくりしている場合では無くなったようです」
「どこかへ行かれるのですか?」
「なに、ちょっとした野暮用ですよ。少し王都の外でも見てこようと思いましてね」
ニクスは確信する。
かの氷精霊と魔王以外にも暗躍する、他の何者かがいることを。
「(御伽噺の類いだと思っていましたが、王家には闇精霊の伝承が残っていましたね。……確かに、今回大聖堂に潜んでいたのは魔族でした。ですが、かの親友フランの旅に現れたという魔の手は、本当に魔王によるものだったのでしょうか?)」
きっとそれは、魔王の手によるものではないとニクスは考える。
もっとも、何が愚か者達に手を下したかは分からない。
しかし再び【青蘭の剣】を死の大地の調査に赴かせようとする賢王の判断の速さは、あまりにも不自然だった。
「(賢王も何らかの被害に遭い、早期に決断せざるを得なかった。では、その被害とは? ……それこそ、魔王の出現を感知した王家の伝承が、再び目覚めたとしてもおかしくはない)」
王家の伝承である闇精霊。
親友に力を与えた氷精霊。
今回現れた魔王の手先。
それらが全て偶然バラバラに行動を起こしたとは、とても考えにくいとニクスは思うのであった。
ニクスは確信する。
おそらく、この一連の流れはなんらかの超常的な力を持つ者によって繋がっているはずだと。
そしてそれは、ちょっとヤバめな精霊さんを知る者であれば、意外にも的を射た推測であったのだった。
「では、私はこれにて失礼しますよ。ああ、楽しみですねぇ。フランと冒険するのはいつ以来でしょうか? ……学園時代を思い出します。ははははは!」
最後には大聖堂に木霊するニクスの笑い声だけが響き渡り、彼の推測を聞いていた周囲の神官達は、この緊急事態に再び騒然となるのであった。