第13話
国王達に盛大な勘違いを齎した人類にとっての劇物が、楽しそうに王都パステアの夜空を彷徨う。
そのうちの一人は、人の目には映らない浮遊霊のような少女レイであり、もう一人は漆黒の闇を少年の形に固めたような闇精霊のヤミであった。
ただし、漆黒の闇といってもその姿を人前に晒すかどうかは闇精霊次第。
自然界の闇や影そのものとも言えるヤミにとって、自然と同化し「可視光に反応しない」状態になるなど朝飯前である。
それに関しては他の精霊も同様で、火精霊であれば熱そのものになり、水精霊であれば湿度そのもの、風精霊も土精霊も同じように世界へ擬態することなど朝飯前だ。
そんな便利能力を駆使し、王城から飛び出た劇物の二人は時に荒くれ者の集う賑やかな酒場を、時に商売繁盛がモットーの服飾店を冷やかしながら人々を観察し、面白おかしく愉快な王都見学を楽しんでいた。
ただ一人、夜の王都で凍える小さな少女が死にかけているのを見るまでは……。
「レイ……。どうしたのそんな怖い顔をして。人が死ぬなんて、自然の摂理みたいなものじゃないか」
「そうだね」
「先に言っておくけど、こんなことで感傷に浸っちゃダメだよ。そんなことでは、この先の長い寿命に耐えられない」
「そうだと思うよ」
二人の視界に飛び込んだ瀕死の少女。
そんな少女に友人であるレイが同情するのは分かるが、これもまた自然の摂理であるとヤミは知っている。
曲がりなりにも自然を司る闇精霊であるヤミの観察眼では、そんなことは一々レイに告げなくとも分かっていると思っていたことだ。
だからこそ、ヤミが声をかけても微動だにしないレイに、少しだけ違和感を覚える。
その違和感がなんなのか理解するために、ヤミは質問を重ねることにした。
「はぁ……。こういってはなんだけど、君はもう、ちょっと頭がおかしいボクの友達だ。だから……」
「ううん。待って。まだもうちょっと待って。まだなんだ。まだあの、善良な心を持つ彼女は死んでいない。だから邪魔しちゃダメ。私はいま、ニンゲンにとっても期待しているんだよねぇ~」
「善良な、心……?」
自分の友達はいったい何を言っているのだろうか。
かつてパステア王国を興した初代国王の契約精霊、ネーロ・シュヴァルツ・メランマテリア・グランネクロは自らの真名に意識を集中しながら、その少女を観察して考える。
すると死にかけでありながらも、少女の善性を理解した。
確かにあの少女は善良だ。
小難しい善悪の理屈を抜きにして、魔力や資源といった自然界の力を司る精霊だからこそ直感的に理解できる。
なぜなら悪性を持つ生物の精神はとても臭く、歪んでいて、本人の持つ魔力にびっしりとその腐臭と歪みがこびりつくからだ。
その点あの少女の魔力はとても澄んでいて、それに新鮮な果物のように良い香りがする。
しかしこれは資源の面で自然界のバランスを保つ本来の精霊だからこそ可能な感覚であり、いくら頭のおかしい劇ヤバ自称精霊の友人とはいえ、同じ感覚は共有できないはずであった。
そんな精霊にとっての当り前が、他の存在の当り前であるはずがない。
自然界の武力を司る竜でさえ、精霊のこの感覚には遠く及ばないのだから。
「もしかして、あの少女の心が読めるの?」
「ううん。そんなの分からないよ。でも、私の感知したエネルギーは嘘をつかない。リーダーのエネルギーは青空のようにとても気持ちがよくて、デスゲームの参加者達はドブのように歪んでいたから」
それはまさしく、存在の善悪を見抜く精霊の感覚と、全く同じものであった。
少しの間驚愕に目を見開くヤミであったが、まあちょっと普通じゃない友人だし、そんなこともあるのかなと考え、この時は深く追求しなかった。
だが、不思議なのは何も善悪の基準だけではない。
友人であるレイは言っていた。
私はいま、ニンゲンに期待していると。
それが何を意味するのか少しの間考えてみるが、結局結論は出なかった。
だが、凍え死にそうになっていた少女に、氷属性の異常な力を持つ剣を携えた、とある冒険者とそのパーティーメンバーが通りかかったことで状況が変わる。
「これは……」
「おいおいおい……。どうするよ、リーダー。さっきまで王様や貴族様にあんだけ歓待されて、最高の気分だったってのによ。胸糞の悪いモン見ちまったぜ」
最初に声を上げたのは異常な氷剣を持った精悍な男。
彼は少女が倒れているこの状況に驚き、戸惑いつつもこの状況をどうしようか高速で思案し、なんらかの作戦を練り上げているようだった。
そして精悍な男が考えている間、次に声をあげたのはとてもすばしっこく身軽そうな、少し軽薄そうな雰囲気を持つ短剣使いの男だ。
軽薄そうな男は眉間にシワを寄せ、さっきまで最高の気分だったとは思えないほど、これでもかと嫌悪感を露わにしていた。
「何よジーク。あんた気取ってないでフランへ素直に言いなさいよ。同じようにスラム街で育ったような惨めな孤児が、こんなところで死にそうになっているのを見ていたら、感情に任せて今にもキレ散らかしそうだって。A級冒険者としてではなく、スラム街の英雄【幻影】として捨て置けないってね」
「あー、うっせうっせ。そんなこと言わなくてもお前らなら分かってんだろうがよ、エリー」
「そりゃ分かるわよ。あんたの手、さっきからずっと震えてるじゃない。口はスカしてるけど、目も血走ってるわよ」
次に声をかけたのは、エリーと呼ばれた強い魔力を内包する弓使いの女だ。
勝気そうなその瞳からは冒険者としての自信と強気な姿勢が見て取れ、ジークと呼ばれた軽薄そうな男にちょっかいを入れている。
しかし同時に彼女の言葉は暖かく、ジークも本気で邪険にするつもりはないらしい。
「お前ら、遊びはその辺にしておかないか。まずはこの少女をどうにかして救助するのが先決だ。ジークはフランの決定を待っているんだろうが、フランの心はもう決まっているぞ。あいつはただ、この状況で少女を救うためにはどうすればいいのか、必要な条件を考えているだけだ」
「ああ? ……そうかよ。リーダーと一番付き合いの長いローダンがそういうなら、間違いねぇな。んじゃ、とりあえず俺達の宿まで運びますか。っとな」
最後に声をあげたのは巨大なタワーシールドを二枚背負う巨漢の男。
ローダンと呼ばれた彼は、居てもたってもいられなさそうなジークの肩に少女を担がせ、その上から暖かい野営用の毛布をかぶせた。
彼らはリーダーと呼ばれる氷剣の男、フランを中心として行動する冒険者一行らしく、ようやく考えがまとまり少女救助の目途が立ったフランの指示のもと、作戦通りにそれぞれ活動を開始していく。
装備の質や立ち振る舞いから高位であろう彼ら冒険者のリーダー、フランの指示は的確で迷いがない。
そして、そんな彼らの様子を夜の闇の中見守っていた浮幽霊少女レイは、ニッコリと笑ってしきりに頷いていた。
「うん。うん。うん……! うんうん! そうだよね、そうじゃなきゃ面白くないよね! やっぱり私の見込んだ通りのニンゲンさん達だよ、リーダーさん達は! よくぞ期待に応えてくれました。精霊さんが花丸をあげます!」
「ええっと……? レイ、あれでよかったの? あの少女が助かるかどうかは、あの人間達の尽力があっても五分五分といったところだ。とても確実とはいえない」
さきほどの表情の抜け落ちた凍て付くような真顔とはうってかわり、急に元気になった友人にヤミは質問する。
あの善性を持つ少女が救われるかどうかだけならば、それこそ闇精霊である己や友人であるレイが手助けして、十割の確率で救うことができると確信していたからだ。
だが友人はその選択肢を取らず、わざわざ通りかかった人間達に任せる形で放置した。
リーダーさんと言っていたことから少なくとも知り合いなのだろうが、それはあまりにも筋の通らない不思議な行動である。
「もちろんだよ。私はね、ヤミくんの言う通り、別にあの少女を救いたかったわけじゃないんだ。ただ、ニンゲンさん達の持つ愛と勇気と希望の心を信じたかっただけなんだよね! いわゆる、ニンゲン達への期待っていうやつ? ま、そんなところ。えへへっ」
でも、ニンゲンさん達が花丸で気分が良いから、ちょっと手伝っちゃおうかな~と言いつつ、レイはリーダー達を追いかける。
その姿は少女特有の愛嬌に溢れているが、ヤミにはそれだけには思えなかった。
それはニンゲン達への、期待。
そう軽く言った友人の言葉には、どこか底知れぬ何かが込められているように感じたからだ。
それこそ闇精霊が司る闇より深く、濃く、底なしのような虚無。
……そう。
何かは分からないが、この見た目は少女の姿を持つ友人の背後にいる、この世界とは別の世界に基づく異界のルールのような、別の何かの基準を感じたのだ。
この世界のモノではない、ナニカ。
その存在を僅かにでも感じ取ったヤミはゾクリと背筋が震え、歯がかみ合わないほどの恐怖を感じた。
「……ダメだよ、ヤミくん? それ以上は考えない方がいいよ。どうせこれは私の基準なんだ。今回はきっと、私の中の大和魂が以前の私の想いと期待に引っ張られて、ちょっと真剣になっちゃっただけ。……ほら、意味わからないでしょ? だから気にしない、気にしないっ」
「え、あ、……ああ。うん。そうするよ。レイは不思議な価値観を持つんだね」
「そうかな? ……そうかも!」
ただ、得体のしれない恐怖に震えながらも、ヤミは一つだけ納得できたことがあった。
きっとこの、ちょっと頭のおかしく優しい友人が期待を捨てない限り、この友人はずっと友人のままでいられるのだろうと。
……逆に言えば。
世界やニンゲン達への期待が消えた、その時には……。
「い、いや。……これ以上考えるのはよそう」
しかしそういうことならば。
少なくともこれから先、友人がずっと期待して見守っていられるよう、闇精霊として友人として協力してあげればいい。
そう考えるくらい、ヤミはレイを気に入ってしまったのだ。
この楽しくもおかしな友人の力になってあげてもいいかなと、それなりに肩入れするのを自覚しつつも、ヤミは自由になった新たな人生に想いを馳せ思考を切り替えていくのであった。