第五十二話 姉妹の盃
第五十二話 姉妹の盃
「何の芽だか知らないが、何が咲くのだろう?」 護は独り言を言いながら植木鉢に水を与えている。
「……」 護がオリガミの衣装ケースを見る。 しかし記憶は消され、誰の衣装だか分からないままでも部屋に置いていた。
出社の時間、駅に向かうと後ろにアメノウズメが隠れながら見守っている。 護は気づかないまま改札口を通っていく。
「あっ……」 アメノウズメも早足で護の後を追うが、
“ピンポーン” 切符やICカードを持っていないで入ろうとした為、ゲートが閉まる。
「??」 アメノウズメはパニックになっていた。
結局、入れないまま護を乗せた電車は行ってしまう。
アメノウズメは尊神社に戻り、テマリに報告をすると
「そりゃ、無賃乗車はダメよ~」 と、ダメ出しをされる。
「ムチンジョウシャ?」 アメノウズメには初めて聞いた言葉だった。 アメノウズメが降臨したのは古代、電車はおろか人間も存在していない頃である。
知らなくて当然だ。
「アメ子、護に断られたんでしょ? 諦めたら?」 テマリが言うと
「うん…… でもね~」 煮え切らない返事をする。
「おーい、アメ子……テマリは知らんか?」 宮下がやってくると、
「テマリ? お爺ちゃんと一緒かと思った……いないの?」 アメノウズメは不思議そうな顔をする。
「朝から見ないんじゃ…… それに、何か頭から抜け落ちているようなんじゃ……」
宮下も記憶を消されている。 しかし、オリガミと深く関わっていた為に、丸々とは消えておらず抜け落ちていく感覚になっていた。
「あらあら……まだ呆けてしまうには早いですよ。 しっかりなさってくださいね」 アメノウズメは宮下を労っているが、今回のテマリの強引なやり方には納得していなかった。
テマリは夕方になると護のアパート下から部屋を見守っている。
(ちゃんと真っ直ぐに帰っているのね……)
「随分と抜け駆けみたいな真似をしているじゃない……」
テマリの背後から声が聞こえると
「―っ? って、アメ子か……」
「何しているのよ? テマリが護の記憶を奪ったのに、後から気になるの?」
「そんなこと……ただ通りかかっただけよ」 テマリは苦しい言い訳をする。
「だったら、こんな事をしなくても良かったんじゃない?」 アメノウズメは、強引に記憶を消した事を話すと、
「そうでもしなかったら、護が苦しむもの……」 テマリは下を向いている。
「それで苦しんでいるのがテマリに見えるのは何故?」
アメノウズメも神族であり、心の中を見通すことが出来る。 テマリが苦しんでいることくらいは分かっていた。
それから一ヶ月後、
「これ、何か見たことがある実だな……」 護は自室で育てている苗を見ている。
その膨らんだ実は大きくなり、今にも開きそうになっていた。
翌朝、護は苗をベランダに出していた。
「よっ…… しかし重いな……」 季節も秋になり、日中はベランダで日差しを与えようとしていた。
護は仕事に向かい、夕方に帰ってきたが鉢はそのままベランダにあった。
夜中、テマリが落ち着かずにいた。
(なんか眠れない……ちっと散歩するか) テマリは境内を散歩をしていると、
「何? テマリも眠れないの?」 アメノウズメも敷地をウロウロしていた。
「せっかくだから、護のアパートまで行こうか?」 アメノウズメが言うと、一緒に散歩を始める。
「こんな夜中だから護は寝てるよね……」
アメノウズメが言うと、
「そりゃ深夜の1時だからね……って、護のアパートのベランダに誰かいない?」 テマリがベランダを指さす。
アメノウズメが目を凝らしていると
「ま、まさか……?」
護のアパートのベランダには女性が立っていた。
「しかも裸じゃない?」 テマリが驚く。 女性は裸のまま護の部屋の方を向いていた。
「夜這い?」 アメノウズメが言葉を漏らすと、
「夜這いというより、ヤバい……と言った方が」 テマリは息を飲む。
すると女性はベランダの柵をまたぎ、柱を使いスルスルと降りてくる。
「うわっ― 裸で降りたわよ……」 アメノウズメは怯えてしまう。
下に降りてきた女性は、周りをキョロキョロし始めていると
(裸で何してんのよ……アホじゃない) テマリが思った瞬間だった。
(アホ……まさか、あのアホって?) テマリはダッシュする。
「テマリ?」 アメノウズメが驚く。
「そこまでだ!」 テマリが裸の女性に声を掛けると、
“ビクッ―” 女性の動きが止まる。
深夜の1時過ぎ、護のアパートの下でテマリと裸の女性が向かい合っていた。
「誰でしゅか?」 女性が話し出すと、
「アンタこそ誰よ? 裸で何してんのよ」
「私……あの……」 女性がシドロモドロになっていると、
「オリガミでしょ?」 テマリが聞くと、女性は怯えながら頷く。
「えーっ? この変態が姫―っ?」 アメノウズメ驚いていると、
「しょ、しょうです……貴女は誰でしゅか?」 帰ってきたオリガミは、また人見知りになっていた。
「変わらないな……」 テマリはクスッと笑う。
テマリは、オリガミを尊神社まで連れていこうとするが……
「裸のままもね……」 アメノウズメが困った顔をすると、
「アメちゃん、上着貸して」 テマリがパーカーを脱ぎ、アメノウズメの着ているパーカーも受け取りオリガミに着せる。
「……」
流石に上下とも上着のパーカーを着せるのは無理があった。
(なんか、裸の方がマシな気がする……)
そう思いながらも、オリガミを連れて尊神社に向かった。
境内に入り、テマリとアメノウズメは大きく息を吐く。 とにかく警察に見つからなかったことが良かったと思っていた。
(こんなオリガミを見て、職務質問しない警察はいないわよね……)
「さて、オリガミ……どうやって、こっちの世界にやってきたの?」
テマリが最後に見たのは枯れた植木鉢だったからだ。
「あの……私は貴女と知り合い?」 オリガミがテマリを不思議そうに見る。
「知り合いというか、姉ですが?」 テマリは毅然とした態度で説明をする。
アメノウズメは黙って見守っている。 そこにオッキーが顔を出してくると、
「えっ?」 オッキーは、オリガミを見て声をあげてしまい
そして二人の目が合うと、お互いに「あ、ども」 と言ってしまう。
アメノウズメが手を広げると、天上から式神の鏡が降りてくる。
オッキーは供えてあった盃を外に出し、新しい水を入れてきた。
「オリガミ……この水を飲みなさい」 テマリが、水の入った盃を差し出して種を入れようとした瞬間
「ゴクゴクッ―」 オリガミは種を入れる瞬間に水を飲み干してしまった。
「なんで、生まれ変わってもアホなのよーっ!」 テマリは渾身の力でオリガミの頭を叩くと、
「いったーっ! 何すんのよ?」 オリガミがテマリを睨む。
「何よ? アンタ、姉に向かって反抗的じゃない」 テマリが立ち上がると、
「いきなり頭を叩いて、何すんのよ!」 オリガミも立ち上がると、上下とも上着のパーカーだった。
テマリ、アメノウズメ、そしてオッキーまでもがひっくり返って笑い出す。
オリガミが立ち上がり、下に履いていた上着のパーカーのフードが床に付いていて笑いを加速させてしまったのだ。
慌てて水を入れ直しに向かったオッキーが戻ってくると、オリガミを見て笑い出す。 その度に水がこぼれ、またオッキーは水を入れにいく。
そして4回目、ようやく盃に入った水をテマリに渡せた。
そこから盃の中に種を入れる。
「さぁ 姉妹の盃です。 飲みな」 テマリが盃を出すが、オリガミは飲まない。
「どうしたの?」 テマリが聞くと、
「いいわよ。 さっきのでお腹いっぱいだから……」 オリガミは遠慮気味に断ってきた。
(コイツ、儀式とか関係ないんだな……) 早くもマイペースなオリガミに振り回されるテマリであった。
しばらく時間が経ち、夜明けを迎えようとした時
「ゴクゴク……」 オリガミが盃の水を飲む。
「私……ここで何を? そういえば護……」 オリガミは護の名前を口にする。
テマリは記憶を詰めた種をオリガミに飲ませたのだ。 やはり、以前のような暮らしをテマリも望んでいたようだ。
「早く帰らないと―」 オリガミは立ち上がり、護のアパートへ走って行く。
(いや、あの服はマズイ―)
テマリとアメノウズメは、走ってオリガミを追いかける。
変な服装のオリガミは直ぐに捕まった。
「まだ、護の前に顔を出すな……」 テマリが話すと、オリガミは頬を膨らませ、
「なんでよ?」 突っかかると、
「その格好で行ったら逃げられるぞ……」 オリガミは自身の格好悪さに気づいた。
そして、護や宮下の記憶を奪った事を話すと、
「そう……」 オリガミは肩を落とす。 しばらくの間、オリガミは社でオッキーと留守番をしていた。
「じいじ、ご飯だよ」 テマリが社務所で宮下の朝食を用意する。
「おはよう。 いただきます……」 宮下が手を合わせ、朝食を口にする。
その後、境内の掃除を始めると
“じいいぃぃぃ……” オリガミが宮下を見る。
(なんじゃ? ワシをずっと見ておるな…… なんかテマリに似ていないか?) 記憶を消された宮下は、オリガミを気にしていた。
(なんか見たことあるのよね……) オリガミも宮下が気になっていたが、護ほどのインパクトには欠けていたらしく、思い出せないオリガミであった。
しかし、気になったオリガミが宮下に近づくと
「えと……」 宮下が視線を逸らして距離を取ろうとする。
一歩オリガミが近づくと、一歩宮下が距離を開ける。
(なんか嫌われているな……) オリガミが一気に間を詰めると、
「うわ~っ!」 宮下が大声を上げた。
その声に気づいたテマリが慌てて来て「じいじ、どうしたの?」 と、言うと宮下の手が震えてオリガミを指さす。
宮下は、上着のパーカーを上下に着ていたオリガミが怖かったらしい……
テマリは宮下に種を飲ませ、説明をすると
“ポカンッ―” オリガミとテマリの頭を叩いた。
「あんな格好していたら笑いたいけど怖いし……で、距離を取ってしまったわい」 宮下は怒っていた。
「テマリ……なんで着替えさせてくれないの?」 オリガミが泣きそうになっていると、
(そんな格好で泣きそうにならないで……笑いを堪えるのも大変なんだから……) テマリは肩を震わせている。
「オリガミ、こっち……」 オリガミに着替えを渡す。
久しぶりに着た巫女の衣装は懐かしさを覚える。
アメノウズメは、護のアパートに来ていた。
“ピンポーン” インターホンから護の声がする。
「来たよ~ アメ子です」
護が玄関を開けると、アメノウズメは笑顔で挨拶をする。
「あの……」 護は困った顔をすると、
「護、ご飯食べた?」 アメノウズメはモジモジして聞くと、
「大八洲さん……ありがとうございます」 護は、部屋の中に通す。
部屋の中は変わらず、オリガミの服なども残っていた。
そして飾ったままの二人の写真を見る。
「この娘、彼女?」 アメノウズメが護に聞くと、
「彼女……だったのでしょうか? 思い出そうとすると頭が痛くなるんです」
(護……まさか薬の効果を気力で突破しようとしている?)
「あ……仕事に行く時間ね。 この人の服、一式借りていくね」 アメノウズメは衣装ケースからオリガミの服を取り出す。
それを黙って見ている護であった。




