少女M
「あの、えっと、初めまして。私は、ごーわいるど所属の楠木美兎と申します。楠木でも美兎でも自由にお呼びください」
「あ、ああ……じゃあ、楠木さんと」
「いえ、呼び捨てで……」
「……わかった。楠木」
「ほ、本当なら名前でも良いんですが」
思ったよりも主張が強い。
「……というかごーわいるどって……うわ、大手じゃねえか」
ごーわいるど事務所。探索者系配信者が多く所属しているライバー事務所。
まったく知識のない人間でも知っているレベルの事務所だ。
そんな事務所の人間がなぜ、と訝しむように見つめると、居心地悪そうに目を逸らした楠木が、自分のコーヒーカップにシュガースティックを1本入れた。
「あの、事務所の名前出しておいてアレなんですが、別に事務所とかは関係なくて。あ、さっきのも本名です。配信するときはユーザー名を他に作ってくれるらしいので。それでえっと、実は私、まだ配信者としてデビューしていなくて。もともとはただのリスナー側っていうか……あの、えっと、今日は事務所で気にかけてくれてる先輩が協会に呼び出しを受けて、それであの、先輩から連絡を受けてここまできたって言うか」
「ちょ、ちょ、待った。待ってくれ」
あまりの勢いに、思わずストップをかける。すると楠木が、慌てたように顔を青くした。
「す、すみません……私、喋り始めると混乱しちゃって……」
それは配信者に向いてるのか?……いや、俺が言えたことじゃないか。
「えーとそれで……あそこでなんで俺を待っていたんだ?」
「あ、えと、先輩に連絡を受けて……あっ、連絡を受けたって言うのはあの、その……」
「OK、ゆっくりでいい」
「は、はい……」
楠木はもう1本シュガースティックを入れる。自分を落ち着かせているのか、くるくるとスプーンでかき混ぜながら、ゆっくり息を吐いていた。
「……あの日の配信、私も見ていました」
「あの日っていうと……10thの?」
「はい……朝からずっと」
なるほど、朝からずっと。
「……朝からずっと!?」
思わず大きい声が出る。朝から? あのクソつまらない配信を? ずっと?
「……まさかとは思うが、君はその……俺の、ファンなのか?」
「……はい」
かあ、と顔を赤らめる楠木に、俺はぽかんと口を開ける。
「まさか、俺のファンに会えるとは……つまり、あの12人のうちの……」
「あ、はい! あの、スナイプお……鐵本さんのファンのみんなで、オフ会みたいなこともしたことがあって。私たちはその、一番最初っていうか……古参っていうか。そういうメンバーなんです。あ、グルチャもありますよ、それ専用の。生配信のたびにここで話してて」
トーク画面は見せれませんけど、と苦笑しながら言う楠木。どうも気恥ずかしい。家族以外の登録者である12人に、そこまで好かれているとは思わなかった。
なんというか……恥ずかしい。だけど嬉しい、みたいなむず痒い感情だ。
「じゃあ、今日はファンだから声をかけてくれたのか」
「あ、いえ、そういうわけじゃなくて」
……違かった。羞恥。
「あ! あの、すみません、ファンなのはもちろんなんです! 抜け駆けにならないように今日はグルチャの方でおじに会ってくるって言いましたし!」
「いや、別にそれは疑ってないから大丈夫だ……」
ただ居た堪れないだけであって……。
だってファンっていう話をしたんだから会いにきたのかと思うじゃないか……。物凄い勘違い野郎だった……。
「あの、それで……なんですけど。あ、えと、まず私って、5期生なんです」
「へえ」
「……あ、わかってます、私たちのスナイプおじがそんなこと知ってるわけもなかった……ハハ……」
なんかショック受けてる。というか、俺のこと若干ディスってないか? これが配信上でやってた古参とのやりとり……リアルでやるとは、感慨深いものがあるな。
「ごーわいるどって今、7期生までがデビューしていて」
「ああ……そういうことか。君はデビューがかなり遅れているってわけだな」
「はい……」
7期生……どこからどこまでの括りで“期生”となるのかは知らないが、まあとにかく遅れているのは確かなんだろう。
「うーん……しかし、それを俺に話す意味がイマイチわからないな。配信者としては俺は底辺もいいところだってことはわかっているだろうに」
「それはもちろん理解してます!」
即答されると心がちくちくする。
「……私、そろそろデビューするんです」
「いいことだな」
「はい。……でも、その、怖くて」
「……怖い?」
俯きながらボソリとつぶやかれた言葉に、首をひねる。
「何が怖いんだ? モンスター?」
「……配信が」
「……なるほど」
……致命的じゃないか?
俺の心の声が聞こえたのか、楠木がバッと顔をあげる。光の加減なのか、心なしか涙目になっているようだった。
「でもっ……でも、配信者に、なりたくて……!」
「!」
――気圧される。
ぎゅうっと胸元を握りしめながら、彼女は必死に叫びを搾り出しているようだった。
「――……なんで、配信者になりたいんだ?」
「……乗り越えたいものがあるからです。けどそれは……1人じゃ、乗り越えられないかもしれないから……」
「乗り越えたいもの……」
その感覚は、少しわかる気がした。
配信を始めた俺と、配信をしていなかったころの俺。
俺には、乗り越えたい壁があった。
ひとつの分岐点だった。探索者になりたてのころを思い出す。
「……俺は、何をすればいい?」
気づくと、そう声に出していた。
楠木が驚いたように立ち上がる。
「いいんですか?」
「……さすがに無茶なことはできないけどな」
そう笑いかけると、今まで強張っていた彼女の表情が緩んだのがわかった。