第三十一話:彼だからこそ
「アイナ。どうでしたか?」
「三階の病棟をくまなく見回しましたが、何処にも」
「え~!? 一階にいなかったよ!?」
「二階にもおらへんですわ」
「……屋上も、いない」
「まったくあいつ! 何やってるのよ!」
「結衣。お主があまりに怒鳴るから、嫌気が差したのではないかのう?」
「曉! あんた何言い出すの!」
「まあ一理ありそうですけどね」
「良子!? あんたまで!?」
「まあまあ。今はそれ所やありまへんやろ?」
霧華達が病院に到着し、雅騎の病室の前にやって来たのだが。
そこで見たものは、騒がしきメイド達の姿だった。
「何かあったの?」
霧華の言葉に気づき、メイド達が一様に彼女達を見ると、息を合わせたかのように会釈する。
「申し訳ございません。雅騎様の行方がわからないのです」
「「え!?」」
静の申し訳なさげな言葉に、佳穂と光里が声をあげ、互いに顔を見合わす。
『何時からなのですか?』
静かに問いかけるエルフィに、ナターシャが少し首を捻る。
「私と莉緒先輩が朝食運んだ時には逢ってるけど、何時通りな感じだったよ。ね? 先輩?」
「ナターシャの言う通りどす。……あ」
と。相槌を返していた莉緒が何かを思い出し、佳穂達と共にあった秀衡に視線を向ける。
「秀衡はん。確かわてらと入れ替わりで雅騎はんと会うておりまっしゃろ?」
その言葉に皆の視線が彼に集まると。彼は平然とした顔のまま、短く「ええ」と返事をする。
「秀衡。何か変わった様子はなかった?」
振り返った霧華がそう尋ねると。
「いえ。普段通りの雅騎様でしたが」
そう自然に言葉を返した。
「まだ痛みが引いたわけでもありませんし、体力も戻っておりません。それ程遠くには行ってはいないと思いますが……」
「一体、どちらに……」
「速水君……」
静の不安げな言葉に釣られるように、光里と佳穂も心配そうな顔をし。
「全く! あいつは何をしておるのだ!」
苛立った様子で、御影が拳と掌を胸の前でパンっと合わせる。
そんな中。霧華だけは、じっと秀衡を見つめ続け。彼もまた、じっと視線を返す。
揺らがぬ互いの視線。そして。
「……秀衡。彼の元に案内なさい」
霧華が、静かに命じた。
「え? どういう事?」
思わず佳穂が問いかけると、霧華はため息を吐く。
「普段通りの彼、なのよね?」
「はい」
「つまり。普段と違い弱っているはずの彼が、普段通りの事をしているのでしょう?」
その答えに皆が唖然とすると。彼だけはひとり、にっこりと微笑むと。
「流石はお嬢様。勘が良いですな」
満足そうに微笑む。
「どういう事だ?」
「……雅騎様は、強き御仁だという事にございます」
御影の言葉にそんな例えをした秀衡は。
「できれば彼の邪魔をせぬよう、お願いいたします」
そう言って、廊下を歩き出した。
*****
秀衡に案内され、皆が辿り着いた場所。
それは病院を出たMPPCの施設の一角にある、古びた倉庫だった。
周囲は補強をされているものの。壁や柱の黒ずんだ色や凹み、傷ついた建物は間違いなく、既にそこは倉庫として機能していないと物語っている。
「ここは?」
そのボロボロの倉庫を見て、佳穂が茫然としたまま声をあげると。
「……十年程前に、磁幻獣が現れた場所よ」
それに答えたのは霧華だった。
だが。皆が彼女を見た時、皆は思わず言葉を失う。
霧華は顔を青くし、強い怯えと共に身を震わせていたのだから。
「……ここで、何があったのだ?」
御影は、絞り出すように問いかける。
聞いてはいけないかも知れないと、思いながら。
霧華は、心を落ち着けるように深呼吸をすると。
「私を助けて、雅騎が、死にかけたの」
少し震えた声で、そう口にした。
本来、被害を被ったような倉庫を残す必要はない。
しかし、その理由が磁幻獣の襲来だった事から、ここは調査、研究のために未だそのままの形で残されていた。
霧華の中に蘇る心的外傷。
己を護るため命を削り、護ってくれた雅騎が血塗れになっていく姿。
ただ泣き叫ぶ事しかできなかった自分。
幼き日の恐怖に、思わず両腕で自らの身を抱え、顔面蒼白となり、震える。
と。
御影が。佳穂が。両隣に立ち、肩を叩いた。
「案ずるな。過去は過去だ」
「そうだよ。速水君は、生きてるんだから」
強く励ます御影。
優しく声を掛ける佳穂。
そんな二人の手と声に。霧華の心が少し軽くなると、何とか気丈に、弱々しい笑い返す。
「……そうね。ごめんなさい。行きましょう」
二人と笑みを交わした彼女は、気を取り直すと、倉庫横の空いた扉から、ゆっくりと中に入って行った。
建物の破損した切れ目から入る光だけが、
不可思議な程神秘的に中をうっすら照らし出す中。残骸を避け。奥に踏み入り。その先に広がる空間に目をやった時。皆は思わず唖然とした。
確かにそこに、パジャマ姿のまま雅騎は存在していた。
だが。それは一人ではなく、二人。
そこでは、本物の雅騎と、彼が幻想なる隣人にて生み出した分身の雅騎が、激しい戦いを繰り広げていた。
分身の雅騎は拳で突き、脚を振りながら炎の刃を繰り出し。
本物の雅騎は、それを凍氷る冷槍にて召喚した氷槍で受け、往なし、避ける。
氷槍の雅騎が反撃をすれば。それを炎を使う雅騎もまた、時に魔壁の盾で止め、時に体術にて避ける。
繰り広げられし戦いは、決して組手とは違う、実戦さながらの鋭さを持っていた。
だが。双方の雅騎は、動く度に顔を顰める。
御影は気づく。
二人の雅騎の気配はひりつくほど本気。
だが、動きに本気を見せた時程のキレがない。
それが、未だ怪我を引き摺っている証拠だと。
佳穂も気づく。
互いに技を避け、受けていないはずなのに。
既に何度も転げたと思われる汚れや擦り傷が、顔や服にある。
それが、ここでひとり、ずっとこの戦いを繰り返している証拠だと。
息を呑む暇すら与えない、眼を奪う鋭き攻防。
だがそれは、突然終演を告げる。
一方の雅騎が氷槍を突き出そうとした時。今まで以上に顔を歪め、動きを止めた。
その隙を突くように、踏み込んだもう一方の雅騎の回し蹴りから放たれた炎の刃が彼を襲う。
咄嗟に氷槍で受けるも、勢いを殺しきれなかった雅騎は、砕かれし氷槍と共に吹き飛ばされると、そのまま大地に叩きつけられ、仰向けに倒れた。
それが合図となったのか。
炎を操りし立っていた雅騎の姿が消え、彼はその場で独りとなった。
はぁはぁと苦しげに大きく息を吸い、吐いた雅騎は。
「くそっ」
天を向いたままそう吐き捨てると、思った以上に自由の利かない身体に、悔しげな顔をする。
「速水君!」
『雅騎!』
「雅騎!」
「雅騎様!」
疲弊し倒れている彼に、思わず佳穂が。エルフィが。御影が。光里が。彼に向け駆け出す。
その声にはっとすると、雅騎は痛みを堪え、上半身を起こした。
「皆……。来たのか……」
フェルミナの忠告を聞かなかった皆を見て、無理矢理呆れ笑いを見せようとするも。未だ身体を蝕む痛みは堪えられなかったのか。またも顔を歪め、思わず腹を抑える。
「馬鹿者! 何を無茶しておる!」
三人が彼の前に立った矢先。叫んだのは御影だった。
『本当です。佳穂も皆様も、本当に心配したのですよ』
戒めるように、エルフィもそう言葉を続けたのだが。雅騎は、少しだけ真剣な顔をし、胸の前で握った己の拳を見つめると、こんな事を口にした。
「でも、強くならないと、いけないから」
瞬間。そこにいた者達は、またも唖然とした。
今までに彼から、強さを欲するような言葉など聞いた事がなかったのだから。
雅騎は、静かに語る。
「如月さんが拐われたのも、助けるのに俺が傷だらけになったのも。破天の厄災を倒すのに死にかけて心配かけたのだって、俺が弱かったから。だから皆に心配懸けないように、もっと強くならないといけないって、思ってさ」
目を細め。ふっと優しげな顔をする雅騎。
それは、本音だった。
深空の言う未来が来るのだとしたら。
彼女達を戦いに巻き込んでしまうかもしれないのであれば。
彼女達を護り抜き、生きる運命に導く為に。
彼女達を苦しめず、哀しませない為に。
強くなりたい。
そう思っていた。
──貴方は……。
そんな彼を見て、霧華の胸が熱くなる。
きっと。ずっと。こうだったのだろう。
彼はただ、誰かを護り。誰かの為に強くなろうとしてきたのだろう。
きっと彼は、この先も誰にも心配をかけまいと。その癖、皆を護ると必死になるのだろう。
だが。
それこそが雅騎。
己が愛した雅騎。
だからこそ。
「それにしたって無茶よ。痛みも引いていないし、身体だってまだ弱ったままじゃない」
敢えて苦言を呈しながら、彼女は彼等に歩み寄る。
そこにある矛盾を咎めるように。
「まったく。こういう無茶も皆が心配すると覚えておきなさい」
「……ごめん」
きつい言葉に苦笑しながら謝った雅騎だったが、それで腹の虫が収まらない者がいた。
「謝って済む問題ではない!」
叫んだのは御影だった。
今の戦いを見て、彼女はやっと答えを知った。
母、銀杏と闘った彼が、正しく神名寺流胡舞術を極めし動きだった理由を。
──きっとお前は、こうやってずっと独り、強くなろうとしたのだな。
痛いほど分かる。
強さなき者の苦しみを。
強くなろうとした彼の決意を。
だが。だからといって、それは無茶をして良い理由にはできない。
惚れた男だからこそ。彼を心配するからこそ。
彼女は強く叫んだ。
「お前は大馬鹿だから、はっきり言ってやる! お前はいつも一人で抱え込み過ぎだ! 確かに私は頼りなかったかもしれん! だが、それでも頼れ! もう独りではないと思うなら尚更だ!」
「そうです! 姉様の言い方はどうかと思いますが、私達は皆、雅騎様と未来を歩みたいのです! 私達もこれからもっと強くなり、頼られるように努力します。ですから、独りだと思うのはお止めください。私も、皆様も心配します」
強い言葉を続けた光里は思う。
──きっと、まだまだ私達が頼りないのですよね。ですがきっと、どんな時でも貴方様の期待に応えられるようになりますから。
自身の力不足を強く感じたからこその決意。
皆が雅騎を好きだと知ったからこその決意。
両腕を組み見下ろしてくる御影と、真剣な瞳を向けてくる光里に、彼は困ったように頭を掻くと。
「本当だよ。さっきだって病室に速水君がいないって、メイドさん達も必死になってたんだから。皆に心配懸けちゃダメ。今は大人しく休もう?」
佳穂も珍しく苦言を呈しながら。しかし、雅騎に優しく微笑んでいた。
──きっと速水君だから、皆心配するんだよね。
時に優しく笑顔を見せ。時に必死に護ってくれる。
自分がそんな彼に心惹かれたように、皆が雅騎に惹かれる。
それはきっと、仕方ないこと。
そして。同じ想いを共感できるからこそ、皆が心配する気持ちも分かる。
だからこそ。
この初恋が叶うかなんてわからないけれど。
今は皆と。雅騎と。一緒にいたい。
彼と共にありたいと、改めて思う。
「今戦うことになっても大丈夫だよ。私とエルフィも一緒だから。ね?」
『勿論ですよ』
「私や姉上だっております!」
「無論だ! だからこそ無理ばかりするな!」
「御影と意見が合うのは癪だけど、同感ね」
「霧華。お前は相変わらず一言多いぞ」
急に騒がしくなる彼女達を、胡座をかいたまま困ったように見上げる雅騎。
それを遠間に見ながら。
「本当に、雅騎様は皆に慕われておりますな」
「そうですね」
秀衡と静が嬉しそうに微笑んでいると。
「ほんま雅騎はん、かっこええわ~」
「ま、まあ確かに。かっこいいわよね」
「……間違いなく、同意」
「しかし、スピカまでもがここまで食いつくのも珍しいのう」
「そういう曉さんだってそうですよ。ね? アイナさん」
「確かに」
「つまり。皆ご主人様が大好きって事だよね~」
雅騎に見惚れていた後ろのメイド達もまた、一気に盛り上がりだした。
普段以上に騒がしい背後に、秀衡と静は顔を見合わせるとくすくすと笑い出す。
こうして。
運命を変え、変えられた者達は。互いに笑顔を見せ、今ここにある安寧を、改めて噛みしめるのだった。




