第十九話:疑いの眼差し
開いた扉に、近くの者達が思わず視線を向ける。
そして、そこに立つ華やかな少女と青年に、羨望のため息を漏らした。
赤きドレスをしっかりと着こなす霧華は、しっかりと人々の視線を奪う。
だが、その脇に立つ雅騎もまた、学校のブレザーという地味で質素な出で立ちにも関わらず、皆の視線をしっかりと集めた。
確かに服装は違えど。霧華の大人びた凛とした表情と、そんな彼女に輝きある笑みを浮かべる雅騎は、どちらも共に、華がある。
それは華やかさを当たり前とする客人達も。
給仕を任されていた如月家のメイド達も、思わず目を奪われ動きを止めるほどだった。
「おお、やっと来たか!」
と。
そんな娘とその婚約者の到着に、嬉しそうに歩み寄ってきたのは圭吾だった。
白い上下のタキシードが似合う彼は、霧華と雅騎を交互に見る。
「霧華。彼がそうなのか?」
品定めをするように雅騎をじっくりと見つめる彼の問いに。
「ええ。速水雅騎。私の恋人であり、婚約者ですわ」
そう、当たり前のように返した。
*****
「ま、まさか……本当に、本当なのか!?」
それを聞いた瞬間。
絶望的な顔をする者達が、別室にいた。
その部屋で、監視カメラの鮮明な映像と音声を聴いていた者達。
それは、雅騎と同じ学校のブレザー姿の御影、光里、佳穂。そしてローブ姿のエルフィと、メイドの静。
何故、彼女達がこんな所にいるのか。
その発端は御影だった。
一度ははっきりと否定した雅騎。
だがその翌日に彼は、同日霧華共々学校を休んだ。それはより学校での噂を加速させたのだが、同じく御影も二人を信じきれなくなり、不安を露呈していたのだ。
晩御飯を半分残すほどの気落ちを見せていた御影。そこまでではないにしろ、同じく酷く落ち込んでいる光里。
それを見かねた母、銀杏が、裏で秀衡に事情を確認すべく連絡をとったのだが。
「真相を知りたいのでしたら、こちらにいらしてはいかがでしょう?」
と誘いを受けたのが、今回のパーティーだった。
とはいえ、彼女がホールに入るわけにはいかないため、彼は別室でのモニタリングを提案し、銀杏を介し、御影と光里もその話を受けた。
だが。彼女達も二人きりではどうにも不安。
そこで白羽の矢がたったのは佳穂とエルフィだった。
その誘いは、不安な心を同じく持っていた佳穂にも朗報だった。
もやもやとしたままならば、真実を知ってしまいたい。
真実を知ってしまえば、割り切る事だってできる。
そんな気持ちが彼女の心を動かし、御影達に付いてこさせたのだが。雅騎達が登場した矢先の霧華の一言は、四人を震撼させた。
はっきりと絶望する御影に、姉を心配する事も忘れ、本人も強いショックを受ける光里。
そして。嫌な予感が当たったと落ち込む佳穂に、それを心配するエルフィ。
モニタリングをする四人は、まるでお通夜のように黙り込む。
が。
「……うふふ」
それを見て思わず、静が笑いを堪えきれず、小さく笑った。
四人の視線が力なく彼女に向くと。
「失礼しました。あまりに皆様が大げさな反応をなされたので、つい」
そう返した静に。
「……大袈裟なものか」
目に見えた落胆と共に俯いた御影は、視線を床に落とす。
「二人はあれ程関係を否定していたのに。我々は騙されたのだぞ」
信頼を口にした彼女だが、内心は失恋した少女そのもの。
そしてその心の内がはっきりと態度に出てしまっているのを、大人である静は見逃さない。
彼女は表情を普段の落ち着いたものに変えると。
「つまりこういう事でしょうか。『今まで御影様が、お嬢様や雅騎様を信じてきた心も、嘘だった』、と」
突然の言葉が、御影を。光里を。佳穂をはっとさせ、思わず彼女の顔に視線を向けさせる。皆の視線を集めた彼女は、まるで動じることもなく、落ち着いた様子でこう口にする。
「その程度の信頼でお嬢様や雅騎様を信じてきたというなら、そこまでの御仁だったという事。早々にお引き取りください」
「確かに、速水君も、霧華も信じたいけど……。でも、霧華が──」
「あの言葉で、お嬢様が雅騎様に心を痛めていないとでも?」
自信なさげな言葉を口にした佳穂の言葉を、静は遮る。
彼女が何かを知っているからこそ、そう告げたのは明白。
だが。
「ですが、私達は言葉でしか真実を知れません!」
光里が思わず、強くそう返した。
それは最もな話だ。
言葉にされたことの何処から、それを嘘と感じればよいのか。
そんな気持ちが強い抵抗を生む。
『……真実を知りたくば最後まで見届けるべき。静はそう仰るのですね』
そんな中。
ひとり、エルフィだけは静かにそう言葉にすと、彼女は皆に向けにっこりと笑みを浮かべた。
「急いては事を仕損じる。そんな諺もございます。お二人を信じるのであれば、もう少しだけお時間をいただきたく」
その言葉に、御影、光里、佳穂の三人が顔を見合わせた。
互いに自信は持ちきれない。そんな不安さは未だにある。だが、誰も真実について答えを持っていない。
だからであろうか。
三人は誰からでもなく、何かを見定めるべく、再びモニターに視線を向けるのだった。
*****
「おお! 今日霧華が婚約者を連れてくると聞いてはいたが。中々の好青年じゃないか。私は如月圭吾。どうぞよろしく」
近くの給仕に、手にしていた赤ワインの入ったグラスを渡すと、心底嬉しそうな顔で圭吾が笑顔で手を差し出すと。
「お初にお目に掛かります。速水雅騎です。霧華さんとお付き合いさせてもらっています」
雅騎は多少緊張した面持ちで、握手を交わす。
その心情を察したのだろうか。圭吾は握手したままもう一方の手で彼の背を軽く叩く。
「そんなに緊張しないでくれ。これからも霧華を頼むぞ」
笑顔を絶やさない圭吾に、雅騎も笑みを向ける。
と。
圭吾は彼の手を離すと、そのまま二人の背後に立つと。
「皆聞いてくれ!」
そう大きく周囲に声を掛けた。
瞬間。圭吾達に集まる視線。普段こういった視線は浴び慣れているはずの霧華だが。そこにある嘘を見抜かれるのではないかと、心が思わず緊張する。
「紹介しておこう。こっちが我が娘、霧華。そして彼が彼氏であり、婚約者の速水雅騎君だ」
自慢気に娘とその彼氏を紹介すると、
「如月霧華にございます。皆様、お見知りおきを」
そう言って霧華は、合わせて左右の手でワンピースの袖をちょんっとつまみ上げると、片足を前に出し膝を少し曲げ、身をかがめるような姿勢でお辞儀をする。
慣れぬ世界に戸惑ったのか。雅騎は一瞬彼女を僅かに困ったように見た後。
「あ、えっと。速水雅騎です。よろしくお願いします」
何処か初々しさを残しながら、背筋を伸ばした後、深々と頭を下げた。
社交場にあれば、そういった者を嘲笑する者も少なくないが。流石に圭吾の存在感の大きさ。そして如月家の財閥としての地位もあるのか。
皆が微笑ましく、温かな目を向けながら拍手で出迎えた。
たった一人を除いては。
「おやおや。如月家の令嬢の婚約者にしては、随分酷い相手を選んだじゃないか?」
突然、彼女達を貶すような、嫌味を強く感じる男の声がして、床を見ていた霧華と雅騎の表情が固くなる。
突然の言葉に周囲がざわつく中。
集まりし客人の合間を縫って現れたのは、銀髪にグレーのタキシードを着込んだ御曹司、十六夜将暉。その後ろからは困り顔ながらその無礼を止められずおどおどする、年配の夫婦が一緒に付いてくる。
御影と雅騎は同時に頭を上げると、その相手を真剣な瞳でじっと見つめる。
彼女達の空気の変化を感じたのか。圭吾も目の前に立った将暉に少しむっとした表情を見せた。
「我が娘の彼に、随分無礼な一言だが」
釘を刺すようにやや厳しめに言葉を口にする圭吾。
だが、彼は二人を見下すような表情を変えはしない。
「申し訳ございません。誰かと思えば学校で見慣れたみすぼらしい相手だったもので。交際を噂された時にはっきり否定していたので、てっきり違うと思っていたのですが……」
言葉により棘が強くなる。
そこにあるのは、自分の思い通りになっていない事への苛立ちか。はたまた、あからさまな嫌悪か。
表情は変えず、一歩前に出そうになる雅騎だったが、それを制するかのように、先に一歩前に出たのは霧華だった。
「彼は一般人ですもの。下手に公にして迷惑を掛ける訳にいかなかっただけですわ」
「ほう、そうか。で? 富も権力もなさそうなその男は、君に一体何をしてやれるんだね?」
更に馬鹿にするかのような問いに、霧華は思わず表情を険しくする。
──貴方は……彼の事を何も知らない癖に……。
雅騎はとても優しく、心を癒やしてくれる相手。
貴方のような卑しい人とは違う。
強く抵抗する言葉の数々が浮かぶ。
だが、それを口にすることは、父親の。何より如月家の心象を悪くする挑発である事も理解していた。
思わず作った握り拳を僅かに震わせ、何とか堪らえ冷静になろうとした矢先。
「何かできないと、いけませんか?」
まるでそんな彼女を庇うように、雅騎は凛とした表情で彼女より一歩前に出る。
「確かに自分は普通の家庭に生まれ、富も権力もありません。ですが、共に道を歩むのに、一緒にいたいと思う強い気持ちはあります。それ以上に、何か必要ですか?」
「当たり前だ。彼女を幸せにするんだろう? より華やかで優雅な生活を送れなくて、何が幸せなんだ?」
雅騎は淡々と。将暉は皮肉と怒りを込めた言葉で、相反する意見を交わす二人。思わず周囲の客人達の視線もそこに集まる。
「……幸せですわ」
と。
そんな中。霧華がぽつりとそう呟くと。二人のマサキと、皆の視線が霧華に移る。
彼女は、真剣な瞳で将暉を見た。
「十六夜様には分かりませんわ。私が彼と一緒にいられる時に感じた幸せを。華やかな世界とは違う、それこそ庶民の日常。ですがそこにある、地位も名誉も。権力すらも忘れさせてくれたささやかな幸せ。それを経験させ、感じさせてくれた方だからこそ、私は彼を選んだのですもの」
綺麗事にも聞こえる本音に、将暉は心底反吐がでる、といった露骨な嫌悪を顔に浮かべ。雅騎はこれまでの一週間の日常の事を思い返し、ふっと優しい笑みになる。
北風と太陽にも見えるそんな二人の異なる表情に、集まりし客人達も、圭吾も。はっきりと感じる。
雅騎という男と、霧華という女がここに共にいるであろう、本気の絆を。
「と、いうわけだ。将暉君には悪いことをしたが、娘が婚約者を選んだというのであれば、娘の意見を尊重するつもりだ。ここは引いていただきたい」
圭吾が場を収めようと、そう声を掛ける。
だが、将暉の腹の虫は収まることはない。
「そんなものは詭弁だ!」
そう言葉で一蹴すると、彼は大きく腕を広げ、声高らかに叫んだ。
「富、権力があってこそ、彼女を幸せにできるに決まっている! 大体こんな貧素な男が、彼女を守れるのか? 何もない男が? どうやって? それこそ今ここで彼女を狙う男が挑みかかったらどうする?」
まるで演説を聴かせるような言い振る舞い。
それは、権力者らしい傲慢さを強く感じさせる。
だが。
その言葉に、この男が答えぬ訳がない。
「止めて、護るだけです」
未だ己の上に立つと示さんとする相手に、相変わらず淡々と返す雅騎。
その凛とした表情は、彼に改めて強い苛立ちを呼び起こす。
「ならば!」
瞬間。
将暉はすっと前に流れるように踏み込んだかと思うと、瞬間雅騎の頭にハイキックを繰り出し、当たる寸での所で止めた。
風圧で僅かに雅騎の髪が揺れる。が、彼の視線はまるで、その蹴りに気づかなかったかのように、じっと将暉を見つめている。
突然のことに、周囲の客人達が騒々しくなる中。
「私を止めてみろ! 止められぬなら、霧華さんを諦めろ。お前ごときの力で何ができるのか。はっきりと知らしめてやる」
雅騎を睨みつけたまま強くそう口にすると、将暉は蹴り足を戻すと距離を開ける。
宣戦布告。
とはいえ、ここは他の客人もいるパーティーであり、その主賓の娘が選びし男性への冒涜。
「ま、将暉、止めるのだ。客人として伺っているのに無礼な──」
「父さんは黙っててくれ!」
何とか事を収めようとした彼の父親らしき男の静止の声を、一喝する将暉。
声に怯え、おどおどと戸惑う夫婦を見て、霧華は改めて確信する。
──やはり、十六夜先輩は……。
恩人ではない、と。
彼女が覚えているマサキの両親とはかけ離れた容姿の夫婦。
勿論。紆余曲折あり、養子として出された可能性もあるだろう。だが、あの優しかった篠宮家の両親が、彼を手放すことは想像できない。
「将暉君。それ以上の侮辱は、私と十六夜家の関係にも水を差すが……」
「これは家の問題じゃない。男の問題だ!」
まるで言うことを聞こうとしない将暉に、圭吾は大きなため息を吐くと、彼の一歩後ろに立つ秀衡に目配せする。
瞬間、秀衡の。給仕をしていたメイド達の空気が変わろうとした、その時。
「霧華さん。圭吾さん」
と。
その空気は振り返った一人の青年によって、一変した。
「折角のパーティーなのに、気分を害する事になって申し訳ありません」
周囲の者が、彼の言葉に思わず視線を向ける。
当の雅騎はそれを気にすることなく、二人を交互に見る。
「貴方が謝ることなんてないわ」
「いえ。俺は、謝らないとダメなんです」
「どういう事だ?」
真剣な表情で首を振った雅騎に、圭吾は思わず問いかけると。彼は表情を変えず、頭を下げた。
「俺を、先輩と闘わせてください」
「えっ!?」
突然の申し出に、思わず霧華が声を上げ。周囲の客人達のどよめきが大きくなる。
「俺が侮辱されるのは構いません。でも、俺を選んでくれた霧華さんが侮辱されるのを、俺は許せないんです」
そう言って顔を上げた雅騎は、真剣な表情で霧華を見つめる。
「霧華さんが賭けの対象みたいになっちゃうのは、本当は嫌だけど……」
誠実さを感じる言葉に思わず霧華が惚け、互いがじっと見つめ合う。
それは傍から見れば、完全なる恋仲同士にしか見えない。
そんな雰囲気の二人に、将暉の表情はより、苦虫を噛み潰したように変わる。
──結局、貴方はそうするのね……。
危険は承知。
それは自分のためではなく、私のため。
はっきりと感じる意思に、霧華は小さく頷くと父の方を向いた。
「お父様。彼の願い、聞き入れてはいただけませんこと?」
彼女もまた、真剣な表情を見せている。
そこにある言葉は、本気。
──おいおい、大丈夫なのか!?
圭吾は正直、内心気が気でなかった。
彼の策は成り、偽りかも知れずとも、二人がより親しい関係にできたというのに。闘いに負ければ、その策もふいになり、娘は望まぬ相手と付き合わねばならぬかもしれない。
そんな親心はあったのだが。
霧華も。同じく顔を向ける雅騎も。そこに迷いを感じさせることはない。
だからこそ。
父は諦めたように大きくため息を吐くと、霧華と雅騎の脇を抜け、二人のマサキの間に立ち、周囲の客人達を見回し声を掛けた。
「皆様。申し訳ないのですが、少しこの辺りの場所を開けていただきたい。若き者同士の熱き心は感じていただけたでしょう。本日の余興としてこの闘い、見届けてはいただけませんか?」
その言葉に、客人達は驚きの声をあげるも、否定の言葉を掛けるものはなかった。
内心は複雑。だがそれを表に出さず、周囲の反応を確認した圭吾が秀衡に声を掛ける。
「秀衡。すまんが皆を誘導し場所を確保してくれ」
「かしこまりました」
指示に従いメイド達に目配せをすると、彼女達は速やかに客人達に声を掛け誘導し、そこに人に囲まれし円形の闘技場を用意してみせた。
将暉の両親も。霧華もその円周に移動させられ。そこに残ったのは、二人のマサキと、圭吾のみ。
「よいか。命の取り合いが見たいわけでも、血まみれの決闘を見たいわけでもない。勝敗はどちらかの劣勢をはっきりと見て取った時点で、私が試合を止める。よいな?」
真剣な表情で圭吾がそう告げ、二人を見る。
「ええ、構いませんよ。あっさりと決着するかも知れないのは残念ですが。止められる前に、あの男の意識を刈り取ってやりますから」
自信満々な態度で身構える将暉に対し。
「わかりました」
短くそう告げる、普段通りに立ったままの雅騎。
互いの言葉を聞き、頷いた圭吾がゆっくりと円周まで下がる。
「これでも私のスパーリングパートナーはあのミハエル・グリード。彼からダウンも取ったことがある。お前ごときで相手になるのかな?」
ミハエル・グリード。
格闘技界隈でも有名な、総合格闘技界トップに君臨する男である。
截拳道を主体とした打撃、投げ共にハイレベルさを見せつける彼は、敵を床に倒し、のしかかって倒すことが主軸となっていた近年の総合格闘技界において、立ち技を主としながらも、ここ数年公式記録での無敗記録を更新してきた。
そんな相手を倒したという言葉に、嘘偽りはないと言わんばかりに。
嘲笑うような顔で構えた将暉は、素早く二連続のジャブから反対の腕でのフック。そして後ろ回し蹴りを素早く、流れるように繰り出し、その強さを誇示してみせようとした。
対する雅騎は。
熱い熱量を感じさせる彼とは真逆の、とても落ち着いた雰囲気のまま。
構えなど見せず。本当にただそこに、立っているだけ。
見た目に素人。
だが、落ち着きようは玄人。
そんな不可思議な雰囲気を見せる彼を心配そうに見つめながら、霧華は思わず両手を胸の前に重ねる。
──信じて、いいのね?
僅かな不安を無理に飲み込み。
周囲の客人達の盛り上がりの高まり感じ始める中。
「はじめ!」
華やかな舞台の中に立つ二人に、圭吾の力強い声が掛けられた。




