第七話:始まりの日
霧華は、夢を見ていた。
真っ白な世界で。真っ黒なワンピースを着た幼き日の彼女。
うさぎのぬいぐるみを抱え。ひとりポツンと座り。何も喋らずじっとしている。
あの頃の彼女は、何も喋らなかったのではない。
母、香織が病気のため、目の前で命を落としたのを見たあの日から、ショックで言葉を口にできなくなっていた。
まるで心がないかのように俯いていた、幼き霧華の目の前に。気づけば、誰かが立っていた。
顔を上げると。そこには、白きシャツとズボンを履いた、一人の黒髪の少年。
屈託のない笑顔で、彼がすっと手を差し伸べる。
戸惑いながら、片手をぬいぐるみから手放し、おずおずと彼の手を掴んだその時。
──「一緒に、お話する?」
心に、彼の声が響いた。
瞬間。その白き世界を彼から溢れ出た色が、まるで風が吹き舞い上がるかのように、鮮やかな景色に変えていく。
遠くに見える都会の町並み。その前にある森林。そして、二人がいる花々の咲き誇る草原。
空は白い雲もあるが青空が広がる快晴。
薄っすらと虹まで浮かび。空を小鳥達がさえずり、飛び回る。
思わず立ち上がり、辺りの景色を一望した霧華は。はっとして彼──マサキを見た。
気づけば彼は、普段見る雅騎となり。何時もと変わらぬ笑顔でそこに立っている。
手を取っている自身もまた、気づけば同い年の霧華となり。
二人は、じっと互いを見つあった。
──もし、貴方があのマサキだったら……。
夢物語を前に。
普段見せない優しき笑顔で、彼女は自然と彼を、抱きしめていた。
そして。
「雅騎。ありがとう」
彼女は普段告げることのできないその言葉を、嬉しそうにそう、耳元で囁くのだった。
*****
何か、夢を見ていたような気がする。
しかし、それを思い出すことは、存外難しい事もある。
未だ夢心地にあった霧華は、横向きの態勢のまま、ゆっくりと瞼を開いた。
カーテンの隙間から射し込む僅かな光で、薄っすらと照らし出す世界。それは、未だぼんやりと、はっきりとしない。
しかし。カーテンの向こうで小さく聴こえる、雀のさえずり。
そして。
トントントントン……
どこか遠くから聞こえる、リズムよく叩くような心地よい、小気味よい音。
それは、普段の目覚めとは違う何かを、彼女に与えていた。
──私は、雅騎と……。
ぼんやりと、何かを思い返すように彼の名を思い起こした彼女は、瞬間。はっと目を見開くと、咄嗟に上半身を起こした。
釣られてめくれる掛け布団に毛布。それは普段家で使っているものではなく。改めて見回したその部屋は、何処か殺風景で、こじんまりとした部屋。
ひんやりとした冬らしい空気が、布団の代わりに彼女を包み。それが現実感を取り戻すように、頭をはっきりとさせる。
霧華は、そこでやっと思い出した。
自分が家を出た事実を。
冴え始めた頭が、同時にあることを思い出させる。
隣には雅騎が一緒に寝ていたはず。しかし既に、そこは蛻の殻。
霧華は慌てて自身の状況を確認した。
自身のパジャマが着崩れている様子はなく。乱暴をされたような痛みや痣も特にない。
そこにある現実に。彼女は安堵と、彼を疑った後悔の入り交じった、複雑なため息を吐く。
ベッドボードをふと見ると、そこにあるぼんやりとした時計は、既に朝九時を指している。
時計の脇にある眼鏡を手にとった霧華はそれを掛け、ゆっくりとベッドを出ると、キッチンへと向かって歩き出した。
僅かに軋みながら開くドアの向こうに見えたのは、キッチンで料理を作っている男の姿。
既にパジャマ姿ではなく、腕まくりした青地に細い白のチェック柄の長袖に、紺のジーンズを履いている。
まだ彼女に気づかないのか。時にあくびをしながら、まな板で切った豆腐を手鍋に手際よく入れる
ふわりと漂う、魚を焼いているような独特の香ばしい香りが、優しく霧華にも届く。
「おはよう」
静かにそう声を掛けると、やっと彼女に気づいたのか。
「おはよう。よく眠れた?」
振り返らずに優しげな言葉を返す雅騎に、彼女は歩み寄ると、その隣に立つ。
「お陰様で。貴方は……」
軽い気持ちで見上げた霧華は、瞬間目を丸くした。
突然脇に立たれた雅騎もまた、いきなりその酷い顔を見られたせいか。困ったように苦笑するしかできない。
「寝られなかったの?」
「あ。いや。ちょっと、色々考え事しててさ」
あながち間違いでもない答えを端切れ悪く口にした彼に、霧華は申し訳無さが一気に高まる。
昨日の一連の会話を思い出し。
「私のせいね……」
俯き落ち込む彼女に。
「そうじゃないって」
笑い飛ばすように笑みを浮かべた雅騎は、グリルの前で身を屈めると、焼き加減を見るように窓の部分を覗き込む。
「そろそろご飯できるから。居間に行っててくれる?」
下から見上げる彼は、確かに疲れたような隈を見せながらも。
安心させようとしているのか。普段と同じ、優しい笑顔で微笑んでみせた。
*****
「いただきます」
居間でテーブルを挟み、向かい合って座る二人の前に並んだ朝食。
それはご飯に焼き鮭、豆腐の味噌汁。そして湯呑に入れた緑茶という、とても質素なもの。
霧華が普段食べる朝食と比べると、優雅さの欠片もない。
だが。同時にそこにある物達は、空腹の霧華の食欲を煽るだけの、充分な魅力と香りを醸し出す。
雅騎は早速ご飯茶碗を手に取り、箸で器用に鮭をほぐすと、ご飯と共にそれを口に入れる。鮭の塩気とご飯の独特の甘みを感じつつ、味に納得するように、笑みを浮かべる。
対する霧華は……正座したまま動かない。
「冷めないうちに食べてよ」
そう伝えても。
視線を落とし、何処か申し訳無さを顕にして、何も言わない霧華を見て。彼は困ったように箸頭で頭を掻いた。
「ごめん。うちにあるのだと、こんな朝食になっちゃうんだよね」
「……それはいいのよ」
太腿に置いた両手が、パジャマをぎゅっと掴む。
そして、ゆっくりと上目遣いに、彼女は雅騎を見た。
「私の我儘で、貴方を困らせたのよね?」
未だ、自分の睡眠不足について自身を責めている。その痛々しさに、雅騎は笑う。
「別に。気にしないでよ」
「そうはいかないわ。貴方の負担になるのは……」
私は、辛い。
そこまでを口にはしなかったものの。彼女の心が憂いを見せるように、またも霧華は視線を落とす。
普段では見ることができないその姿を見ながら。雅騎はぱくりとご飯を一口口に入れ、もぐもぐと咀嚼する。
口のものを喉の奥に飲み込んだ後。
「負担になるって思うんだったらさ」
雅騎は箸を一度置くと、じっと彼女を見る。
「できたら普段どおりでいてほしいかな」
「……どうして?」
「調子狂うんだよね」
またも上目遣いに見てくる霧華は、その困ったように頬を掻く彼をじっと見る。
「迷惑も何も。俺も自分で覚悟を決めて、自分で勝手に動いただけ。だから、そんなに気にされても困るしさ」
「だけど……」
未だ自身の行いを悔い、責めるようにため息を漏らす霧華に。
「そういう気持ちはありがたいけどさ。ずっとそんなんじゃ、こっちだって恐縮しちゃうし」
諭すように、彼は語りだす。
「いい? 確かに助けたのは俺かもしれない。でも、それで俺に恩義も感じるんだったら、出来る限り対等であってほしいんだよ。でないと、こっちも気を遣いすぎて、疲れ切っちゃうし」
「でも……」
「それに。一週間とは言ったって、これから如月さんにも色々覚えてもらったり、経験してもらったりするわけで。お互い負担になる事も沢山あるでしょ」
「そうかもしれないけど……」
だけど。でも。けど。
何を言ってもまるで受け入れる素振りもなく、ただ落胆を晒し続ける霧華に。
雅騎は大きくため息を吐くと。
「如月さん」
雅騎は真剣な声で、彼女を呼んだ。
ゆっくりと視線をあげた目に映る彼は、凛とした真剣な表情。
その見つめ返す視線を返事と捉えたかのように。突然彼は、にんまりとしてみせた。まるで、あざ笑うかのように。
「『貴方だったら、構わないわよ』だっけ?」
「なっ……!」
突然。昨晩口にした言葉を口にされた霧華が、目を丸くし絶句する。
彼は、そんな彼女の反応を気にもせず。言葉を続けた。
「『ちょっとは期待したのかしら?』とか『そんなに甲斐性がないのかしら?』とかも言ってたよね?」
わざと物真似を交えつつ、小馬鹿にしていく雅騎。
それが、彼女の心を恥ずかしさと怒りで満たしていったのか。彼女の顔を一気に赤くしていく。
その変化に満足そうに頷いた雅騎は、最後にこう、付け加えた。
「昨日ベッドの上では随分と余裕ある事言ってたくせに。今日は随分しおらしいんだね」
してやったり、と言わんばかりの顔を見た瞬間。
目に見えて不機嫌さを見せた彼女は。
「確かにそう言ったわ! でも今はそれは関係ないでしょう!」
そう強く抗議の声を上げた。
「全く。貴方がそんなにデリカシーもない人だったなんて……」
そっぽを向き。腕を組み。
顔を赤らめたまま、不貞腐れる霧華が、ちらりと横目で雅騎を見ると……。
一転。
「そう。俺なんてこんな奴さ。だから気なんて遣わず、普段通りでいいの」
彼は、優しく微笑んでいた。
予想外の反応に、思わず毒気を抜かれ、彼女はただ呆然と彼を見つめてしまう。
──貴方って人は……。
まるで蔑まれても良いと言わんばかりに自虐しながらも、相変わらず、優しさだけを向ける。
雅騎の一貫した態度は、こんな状況になっても変わろうとしない。
それが彼女の心に、小さな痛みと、大きな温もりを感じさせる。
──……分かったわよ。
優しさを受け入れし言葉を、声には出さず。
「後で後悔しても知らないわよ」
不満を露呈したまま、彼女は雅騎の申し出を受け入れた。
「はいはい。じゃあ、早くご飯食べて」
満足そうに笑った雅騎は、改めて箸を手に取り、ご飯と鮭を食べ始める。
それに釣られるように、彼女も箸を手に取ると、朝食を味わい始めた。
高貴でも、上品でもない。
しかし。優しさと温かさを感じすぎる味を堪能しながら。
*****
朝食後。
早速、霧華の一般人への道は幕を開けた。
と言っても。それはがっつりとした勉強や研修、などという物では勿論ない。
朝食後に合流したフェルミナの車に乗り、午前中は雅騎のための寝具を貸しスペースから運んでくる作業を進めた。
本当は雅騎はフェルミナと二人だけでそれを進めるつもりだったが。
「私はそういう事も知りたいのよ」
と強く宣言されてしまえば、今の彼に断れる選択肢はなく。
敷布団に掛け布団、マットレスに毛布に枕。それらを何度かに分け運ぶ作業を、三人協力して進めていった。
寝具を家に運び入れた後。
一度フェルミナと別れた二人は、次に家で洗濯と掃除を始めた。
霧華には掃除機の使い方を教え。雅騎は洗濯物をネットに仕分けして入れた後、洗濯機を回す。
昨日着ていた彼女の下着を目にすることになり、顔を恥ずかしさ全開に染めながら。
霧華は掃除機を初めて使ったというが、物覚えはよく、とても器用に掃除を進めていた。
こまめにテーブルを動かし、部屋一面漏れがないように丁寧に掃除機を掛ける。
のちに。
「部屋を綺麗にするのって、中々楽しいわね」
そう感想を漏らすほどに。彼女は彼の指示の元、献身的に家全体の掃除機がけを終えた。
それが終わると洗濯物を干すため、雅騎が室内干し用のワイヤーをキッチンの隅に展開すると、乾燥機を直接掛ける物以外を、丁寧に干し始めた。
彼女の下着類を手にする雅騎の赤面っぷりに、霧華は
「貴方って案外初なのね」
などと、先程とはが逆に小馬鹿にしつつも。
その下着を洗濯ハンガーの中央付近にまとめ、その周囲をタオル類で囲む、彼女にとって不可解な干し方に疑問も呈した。
「一応ここは高層だからそこまでじゃないけど。家に女性が住んでいる、って見せないようにしておいた方が、防犯上いいんだよ」
雅騎はそんな豆知識を丁寧に話をする。
曰く。
女性やその下着を狙うような犯罪者に、少しでも目を付けられないようにする配慮なんだとか。
その手慣れた心遣いを、彼女は少し不思議そうにその動きを観察していた。
なお、その干されていく洗濯物の中に、彼の下着はなかったのだが。
それは洗濯機で乾燥に回されており。
「絶対に見ないこと!」
と、強く釘を刺されていた。
勿論、霧華は自分の下着だけ見られる事を盾に不平を述べるが。本気で嫌がっているのを強く感じる抵抗に、流石に約束は守ろうと決めたのだった。
こうして。
気づけば慌ただしい日曜の午前は、あっという間に過ぎていった。
*****
家で軽い昼食を済ませ、午後に二人がやってきたのは、下社駅北口の側にあるデパート『カトー・ヨイカトー』の地下一階にあるスーパーだった。
デパート直営なのもあり、広いスペースには生鮮食品を始め様々な物が売っている、この地域でも一、二を争う店でもある。
エスカレーターを降りた雅騎は、デニムジャケットに茶色のスラックスとグレーのパーカーと、普段着慣れた、どこかラフな出で立ち。
それに対し、丈の長い白いニットのセーターに、紺のスキニージーンズ姿の霧華は、何処かより大人びた雰囲気を出していた。
「かなり人が多いのね」
「日曜とか、平日も夕方なんかは多いかな」
見慣れない環境と、普段脇を固める執事やメイドが共にいない状況のせいか。
何処か不安そうな霧華を見て。彼女と距離を離れないよう気を遣いつつ、雅騎が最初に足を踏み入れたのは野菜コーナー。
彼はそこで、玉ねぎ、人参、じゃが芋、キャベツなど。普段家でよく買い込んでいる物を、状態を確認しながら手際よくカゴに入れていく。
「そういえば、如月さんって嫌いな食べ物ってある?」
「あら? どうして?」
「そりゃ、何か作った時に苦手な食材入ってたら嫌かなって」
自然とそんな心遣いを見せる雅騎の言葉に、霧華は少しだけ申し訳無さそうな顔をすると。
「別に。貴方が好きに作ってくれればいいわ」
そんな妥協する言葉を選んだ。
しかしこういう時。曖昧な返事をされるのは、質問者としては一番困るもの。
雅騎はその回答に、困ったように頭を掻いた。
「そうは言ってもさ。ひとり暮らしだとカレーとかシチューとか。数日間続けて食べられる物作っちゃう事多いんだよ。それが嫌いな食べ物だったりしたら申し訳ないじゃない」
「気にしないで。確かに同じ物が続くような経験はないけれど。折角経験できる機会なのでしょ?」
何とか温和に説得しようと思うも。
彼女もまた、雅騎に迷惑をかけている負い目がある。
──少しでも迷惑を掛けないようにしないと……。
そう心で強く思う霧華だが。
──少しでも如月さんに嫌な思いさせたくないんだけど……。
勿論。彼にもこんな思いがある。
だからこそ。返された言葉に、雅騎は思わずため息を漏らしてしまう。
だが。
──でも、言っても聞かないだろうなぁ……。
経験則からそう感じ。彼は諦めを笑みで隠すと。
「そっか。じゃあ、悪いけどこっちに合わせてもらうよ」
無理強いはせず、そんな妥協を示す。
刹那。霧華は微笑むと。
「そうしなさい。朝食だって充分美味しかったもの。貴方の手料理なら大丈夫よ」
返したのは素直な褒め言葉。
今までに彼女からそんな事を口にされた事はなかったせいか。一瞬「え?」っという顔を見せた雅騎だったが。彼女はそれを無視するかのように、顔を見られないように背を向けた。
「それより。まだ買う物が色々あるのでしょう? 早くしましょ」
「あ、そうだね」
自分の方を見ようとも霧華に一瞬首を傾げるも、言及はせず、雅騎は再び野菜を見繕い始める。
人を褒め慣れないせいで恥ずかしくなったのか。彼女の顔が真っ赤になっていることなど知らず。
*****
買い出しの後。
雅騎の家に一番近い駅との間のバス停を教えつつ、バスの乗り方についてもレクチャーをした彼等は、一度家路に着いた。
帰った後は、乾いた洗濯物を家に取り込んだ後、アイロン掛けをしては綺麗に畳む雅騎の器用さを見ながら、霧華は自身の学びに繋げていく。
その真剣さが彼を少し気恥ずかしくもさせたが、真剣な彼女に水を差さぬよう、その気持ちは心に隠した。
そして。
とっぷりと日も暮れた頃。
二人は、フェルミナの誘いで喫茶店『Tea Time』へやって来ていた。
互いに窓際の席で向かい合った雅騎と霧華は、フェルミナから出された、試作品のベイクドチーズケーキと、一緒に出されたカモミールティーを食していた。
背筋を伸ばし、姿勢良く座る霧華は、丁寧にフォークでケーキを切り分けると、手慣れた様子で迷いなく口に運ぶ。
彼女の動きには迷いや乱れもなく、気品や優雅さを強く感じさせる。
特に表情に何かを見せず、淡々と食していく霧華を見ながら。
──やっぱお嬢様、だよなぁ。
片肘をテーブルに突きながら、同じくケーキを切り分けフォークで口に放り込んだ雅騎は、そのフォークを加えたまま、その姿を感心しながら見ていた。
そんな中、同じように彼女に関心を持つ視線を送っている人物がいた。
それは、カウンター越しに霧華を見つめながら、ティーカップを磨いているフェルミナ。
ふっと雅騎が視線を向けると、そわそわと落ち着かない、珍しい顔をしているのが目に留まり。
──素直に聞けばいいのに……。
思わず呆れ顔をした。
普段来るような客や佳穂のように、はっきりと味の感想が顔に出るなら良かったのだろうが。霧華にはそんな素振りや仕草は一切ない。
折角の試食をしてもらっていながら、感想も述べず、落ち着いた表情で食べ進める彼女に、内心気が気でないのが溢れ出ている。
「……どう? 味は」
雅騎は口からフォークを離すと。一旦ケーキを食べるのを一段落させ、カップからカモミールティーを口にする霧華に向け、そう尋ねる。
その言葉に、霧華は静かに雅騎に目を向けると。
「ええ。美味しいわよ」
ふっと笑みを浮かべ、落ち着いた口調でそう返した。
瞬間。
「でしょ~? これでも自信作なのよ」
一瞬にしてご機嫌な笑みを浮かべたフェルミナが、嬉しそうに言葉を返してきたのを見て、彼はやれやれ、といった顔で苦笑すると、カモミールティーを口に運んだ。
リラックス効果があると言われる紅茶の温かさからか。
それとも、和やかなその場の空気がそうさせたのか。
一息吐いた雅騎は、思わず大きな欠伸をする。
それを見て、霧華の表情が少しだけ影を帯びた。
「……流石に眠そうね」
「ん? ああ、気にしないで。後は帰ってご飯と風呂済ませたら寝るだけだし」
目の端に浮かんだ涙を指で拭いつつ、彼女の思いを払拭しようと笑う雅騎。
はっきりと感じられる気遣いに心を痛めつつも。
「そうね。もし眠れなかったら、また添い寝してあげても良いわよ?」
敢えて彼を不安にさせぬよう、そんな悪戯心を見せた。
だが。
それを口にした場所が、悪すぎる。
「あらあら~? もう二人はそんな関係なのかしら?」
耳ざとくその会話を聞いていたフェルミナが、にんまりとして拭いていたカップを棚に仕舞うと、カウンターに両肘を突き手の上に顔を乗せながら、やや前のめりに首を突っ込んでくる。
「ちょ!? じょ、冗談に決まってるだろ!?」
「あ、当たり前ですわ!」
慌てて両手を振って否定する雅騎と、顔を赤くしながら腕を組み、顔を背け不貞腐れた顔をする霧華。
はっきり目に見える二人の動揺を見て、フェルミナがへ~っという厭らしい笑みを見せると。
「また、添い寝してあげるのよね?」
二人が顔を真赤にしてしまうほどの破壊力のある追い打ちを掛けた。
「だ、だから! それは言葉の綾だって!」
どんなに否定しても。はっきり見せてしまった動揺を隠せるわけもなく。
必死に抵抗を続ける雅騎の頭には、既に昨晩の事が蘇り、一気に顔を赤らめ。
霧華に至っては、はっきりと羞恥心が見える戸惑いの顔で黙り込んでしまう。
からかい甲斐のある玩具を見ながらクスクスと笑ったフェルミナは。
「お店閉めたら一緒に食事に行きましょ。そこで色々聞かせてもらうわよ~」
そう、にっこりと微笑んだ。
*****
初めての、普段とは違う日常。
それは霧華にとって、とても心安らぎ、楽しく、少し気恥ずかしい時間だった。
とても心地よい一時を過ごしながら、霧華はほんの少しだけ、こんな時間が続くのも悪くないと思っていた。
だが。
たった一日。たった一時が。
二人をより波乱ある日々に導いていく事になろうとは。
その時の彼等は、思いもよらなかった。




