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【完結】非日常なんて日常茶飯事 ~平穏を望んでも、彼の性格でそれは難しい~  作者: しょぼん(´・ω・`)
非日常なんて日常茶飯事 第三巻 ~偽りの婚約者~

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第六話:いきなり二人で……

 二人が奇妙な同居生活を決めた、その日の深夜。


 外からの灯りのみで薄暗い寝室。

 雅騎はベッドの上で、ドアのある壁を見るように横になりながら、ただ顔を赤らめ、硬直する事しかできなかった。


  ──余計な事、言わなきゃ良かった……。


 後悔先に立たず。

 そんな言葉を心に強く感じながら、彼はただひたすら、身動きできず固まっていた。

 背中に感じる霧華の身体と寝息。そして、背後抱きかかえるように回された、彼女の腕を感じながら。


*****


 何故こんな事になったのか。

 それは少し前にさかのぼる。


 寝室の明かりを点けた雅騎は、霧華と一緒に同じ部屋に入っていた。

 六畳一間の洋室には壁とベランダに寄った形で配置された、セミダブルのベッド。

 足元側の壁には、質素なタンスや、本棚。そして大きめのクローゼットが並べられ、それ以外のものはそこにはない。

 エアコンを付けていなかったため、居間とは違う、ひんやりとした空気のその部屋を、興味津々に見回した後。


「随分とこじんまりした部屋なのね」


 率直な感想を語る彼女に、価値観の差を感じたのか。


「一人暮らしで寝室に一部屋使えるのは、これでもかなり贅沢なんだよ」


 彼女がより広く豪華な部屋を割り当てられているのだろうと想像し、彼は思わずそんな言い訳を返す。


「荷物の整理は明日起きてからするとして。今日はここで寝てもらっていい?」

「ええ。分かったわ」


 その返事を聞き、雅騎はベッドボードまで歩くとエアコンのスイッチを入れ、その足でそのままタンスに向かうと、明日の着替えのための衣類を漁り始めた。


「俺は風呂上がったら隣の部屋で休むから。今日はもう休んじゃってよ」


 何気なくそう伝えた彼だったが。

 霧華は不思議そうな顔をすると、素朴な質問を返した。


「隣で、って……どうやって?」

「え?」

「向こうの部屋にはベッドも布団もなかったじゃない」

「別に。エアコン付けてれば温かいし。ごろ寝でもしとくから気にしないで」


 雅騎はそう言いながら、


  ──勘付かれたか……。


 と、心でため息をき、現実で頭を掻いた。

 勿論。そんな理由が彼女に通じるわけもなく。


「今は真冬なのよ。大丈夫なわけないでしょう?」


 そう強く否定した霧華の表情が険しいものに変わる。


 彼女は察したのだ。

 早速、下手な気遣いをされた事を。


「今晩だけだから大丈夫だよ。明日起きたら予備の布団、貸しスペースから取ってくるし」

「ダメよ。貴方が風邪でも引いたらどうするの? 私は何もしてあげられないのよ?」

「そこまでやわじゃないから大丈夫だよ」


 何とか必死に言い訳を並べる雅騎。だが。


「あら。秋口にインフルエンザをわずらったのは、何処の誰だったかしら?」

「う……」


 その一言には、ぐうの音も出なかった。


 実際は、インフルエンザにかかった事実など無い。

 あれは佳穂達と乗り切った天使達の戦いで残った痛み。それを癒やすための口実でしかなかった。

 だがそれを知らぬ霧華に、真実を伝えるわけにもいかず。


「だ、だけど。仕方ないでしょ? 無いものは無いんだし」


 必死に抵抗し、事実を受け入れない彼に。


  ──何故、貴方がそこまでする必要があるのよ。


 迷惑をかけているという良心がたかぶり出した彼女は、思わず。


「だったら、私があちらで寝ればいいでしょう?」


 強い口調でそう直訴した。

 だが。


「ダメに決まってるでしょ!」


 今度は逆に、雅騎が声を大にして抵抗する。


「何故? 私が世話になっている身なのよ」

「世話はするけど客人だよ。大体それで如月さんに何かあったらいけないでしょ?」

「そんな事気にしなくていいわ。これは私の責任よ!」

「それでもダメ! 如月さん女の子なんだから!」

「そんなものは関係ないわ!」


 気づけば。二人は顔を突き合わせながら、互いに本音をぶつけ合っていた。


  ──如月さん、こんなに頑固なのかよ!?

  ──速水が、ここまで強く断ってくるなんて……。


 今まで相手にここまでの反応をされたことがなかった雅騎も、霧華も。

 互いに心で戸惑いつつも、既に引くに引けない状況になっていた。

 不貞腐れ。厳しい顔で互いを見ていた二人だったが。


「「ふんっ」」


 ほぼ同時に互いは顔を背け、腕を組む。


 彼女のためを思う雅騎と。

 彼のためを思う霧華。


 二人の想いは交わらずに平行線を辿る、かと思われた。


 天啓だったのか。

 それを先に思いついたのは霧華だった。


 決して良いアイデアではない。だが、今日だけ我慢すればよいだけ。

 そう思ってしまえば、彼女の行動は早かった。


「だ、だったら。私と一緒に寝なさい」

「……は? はぁぁっ!?」


 突然そう告げられ、雅騎は思わず目を丸くし、彼女を二度見した。

 顔を合わそうとしない霧華の表情は見えない。

 だが。声が僅かに震えていたのだけは分かる。


「む、無理に決まってるでしょ!」

「ベッドも布団も一組しかないのだし、仕方ないでしょう?」


 未だ、声に震えがあるものの、普段と同じように装い彼女はそう返す。

 だはそれは、より強く雅騎に戸惑いを与えた。


「だ、だからって! そういうのは……」


 未だ煮え切らない態度を見せる雅騎に、彼女は思わず振り返ると。


「貴方だって男でしょ? 覚悟のひとつもできないの!?」


 強く、彼の尊厳を傷つける暴言を吐き。それが雅騎の心に火を点けた。


「そうだよ! 俺は男だよ! だから何するかも分からないんだよ!? 少しは危機感を持ちなって言ってるの!!」


 かっとなった彼は、思わず叫んだ。


 それもそうだ。

 幾ら寝具がひとつしかなかろうと。恋人でもない男女がそう簡単に、一緒のベッドで寝るなど危険過ぎる。

 それは至って正論であり、だからこその雅騎の優しさが含まれている。だが。


「貴方が断ると言うなら、私はこの家を出るわ」

「はぁっ!?」


 売り言葉に買い言葉、とでも言わんばかりに。

 霧華はついに、切り札を出した。


「私が貴方に迷惑を掛けている元凶なのよ! これ以上、貴方の負担になりたくないわ! それに……」


 自分を責め、己の本音を言い切った刹那。霧華はバツが悪そうに一度俯うつむくと、上目遣いで雅騎をちらりと見た後、視線をまた落とす。


()()()()なぐさみものになる位なら、貴方のほうがまだ、マシよ……」


 あの男達。


 その言葉が将暉まさきや、駅で出会った男を指す言葉だと、雅騎はすぐ勘づいた。


 彼らと同類に見られていない事に、少しだけ安堵するも。ここまでの抵抗を見せた彼女はもう、意思を変えないだろう現実も理解する。

 そして勿論。彼の選択肢に、()()()()()()()()()()などという答えもまた、有り得ない。


 雅騎は迷いを苛立ちに変え、頭を思いっきり掻くと、


「ったく!」


 踵を返し、づかづかと寝室のドアに向かい、そして。


「だったら、さっさと布団に入って待ってなよ!」


 強くそう吐き捨てると、勢いよくドアを閉めた。

 のだが……。寝室を出た雅騎は直後。

 思わずその場にしゃがみこみ、思いっきり頭を抱え込んでいた。


 彼の言葉に本意はない。

 あくまで、霧華に共に寝ることを思い留まらせるために、敢えて警戒されるような数々の言葉を口にしただけ。

 しかし。霧華の返答はまるで、彼なら受け入れる、と言わんばかりのもの。

 最後の一言は破れかぶれでいたものだったのだが。今考えればまるで、()()()()()()と言わんばかり。


  ──馬鹿! あれじゃ勘違いされる一方だろ!?


 自分を強く責めるも、後の祭り。

 どうすれば良いかも分からず、暫くそこで悩み込んでいた。


*****


 あの後風呂に入った雅騎だったが、結局頭を冷やすことも、名案を思いつく事もできぬまま。風呂も出て、頭も乾かし。後はもう、寝るだけ。


 つまり。

 再び二人きりの空間に挑まねばならない。


 彼は寝室のドアの前で大きく深呼吸すると、静かに、ゆっくりとドアを開く。

 寝室の電気は未だ煌々と点き、はっきりと部屋を照らし出している。

 そろそろと、音を立てないように半身を部屋に滑り込ませた雅騎は、軽く周囲を見回す。


 既に霧華はそこに立ってはいない。


 ただ。

 普段なら捲られているベッドの上の掛け布団と毛布は、既に綺麗にしかれ、その一部が盛り上がっていた。

 そう。彼女は、そこにいる。


 雅騎は目を閉じ、聞き耳を立てる。

 僅かに聞こえる呼吸音。それは静かに、等間隔のリズムを刻んでいるように感じる。


  ──寝てる、か?


 そんな淡い期待を胸に。彼はそっとスイッチを押し部屋を消灯する。

 カーテン越しに僅かに入る明かりにのみ照らされ。寝室は一気に仄暗ほのぐらい空間に変貌し。彼はゆっくりとその暗闇に紛れながら、寝室から身を引き、ドアを閉め始めた。


 僅かにきしむ独特の音。

 それをできる限り立てずにゆっくりと行動していた、その最中さなか


「まさか、逃げるつもりじゃ、ないでしょうね?」


 冷たい、澄んだ宣告が耳に届き。雅騎は大きなため息をき、落胆した表情で項垂うなだれた。


「あのさ。本当に、俺が向こうじゃダメなの?」

「……ダメよ」


 ため息に続いて届いた否定に。彼は諦めたかのように寝室に入りバタンとドアを閉めると、ゆっくりとベッドの脇に立つ。

 彼女は動かない。彼を背にし、壁を向いたまま。邪魔にならないように、ベッドの端ギリギリで。


「……覚悟は、できてるって事だよね?」

「……ええ」


 お互いに端切れの悪い会話を交わし。

 雅騎はその表情に申し訳無さを出しながら、ゆっくり反対の端から、ベッドに身を潜らせた。

 彼女とは真逆の壁側を向き。できる限りベッドの端に収まり、まるで同じ想いを共有するように横になる。


 二人が共に横になり、暫くの間。

 お互い会話らしい会話もなく。二人はただじっと横になったまま。

 そんな不穏な空気に、先に耐えられなくなったのは雅騎だった。


「……さっきはごめん。絶対、何もしないから」


 別に怯えさせるつもりなどなかったのに。

 結果そうさせてしまった事を悔やみ、思わず唇を噛む。


 と。そんな謝罪に反応するように。霧華は改めてこう口にした。


「別に。私は貴方だったら、構わないわ」

「はぁっ!?」


 雅騎は思わず、布団の中で身体ごと振り返る。

 霧華は未だ、反対を向いたまま。だが……その身体が、小刻みに震えていた。

 恐怖に怯えるかのような彼女の姿に、彼は思わず罪悪感を強め、憂いを見せる。

 と、その瞬間。


「……フフッ」


 あまりの驚きっぷりに、堪えきれず霧華は小さく吹き出した。

 突然の変貌に呆気あっけにとられる雅騎に、彼女はその場で身体ごと彼に向き直ると、眼鏡を外した素顔のまま、悪戯っぽく微笑んだ。


「やっぱり、貴方は優しいわね」

「……馬鹿にしたでしょ」


 してやったり。そんな風にも見える彼女の表情に、雅騎は不貞腐れたように口を尖らせ、視線を逸らす。

 だが。


「そんな事ないわよ」


 彼女は笑みをそのままに、ゆっくりと首を横に振る。


「だって笑われてるでしょ?」

「あまりに素直な反応だったからよ。それとも、ちょっとは期待したのかしら?」

「する訳ないって!」


 フンっとそっぽを向くように。雅騎は仰向けになると、天井に視線を向ける。

 間近で見る彼の拗ねた反応に、彼女は何処か嬉しそうに目を細めた。


「でも、本当に優しいと思っているわ。貴方は何時もそうやって、真っすぐで誠実だもの」

「別に。下心あるかもしれないじゃない」

「あら。そんなに甲斐性がなかったのかしら?」

「つっ……」


 不満そうな彼をなだめながらも、何処か悪戯っぽく返す霧華の声に。


  ──これ以上余計なこと言うと、いじられるだけか……。


 そう呆れながら。同時に、


  ──少しは、元気になったかな?


 心でそう安堵する。

 そんな彼の心を知ってか知らずか。霧華は彼の横顔を見つめたまま、こんな事を語り始めた。


「……私は今まで、こうやって男の人と二人っきりで、ベッドに入った事なんてないわ」

「悪かったよ。俺が初めてでさ」


 それが悪戯の延長に聞こえたのか。彼も不貞腐れた延長のような言葉を返す。

 しかし。


「いいえ。貴方で良かったわ。じゃなかったら、こうやって安心して一緒には、居られなかったもの」


 彼女はそう否定した。

 先程までの掛け合いと違う、何処かしおらしさを感じる優しい声。

 そこにあるのは本音ではないかと感じ、雅騎は少しだけ安堵すると、ふっと小さく笑みを浮かべる。


  ──本当に、貴方は何時もそうなのね。


 彼の笑みに含まれし想い。

 それを霧華は感じ取り。その優しさを改めて、あの()()()に重ねる。


 未だ、完全な確証はない。だが、捨てられない気持ち。

 それを確認するように。


「何故貴方は、私を助けようとするの?」


 霧華は、今までも強く感じていた疑問を口にした。


「別に。ただ勝手にしてるだけ」


 迷わず雅騎はそう返す。が……。


「それは行動理念。理由じゃないわ」


 それは()()ではないと訴えるように。彼女はそれを強く否定する。


「貴方はいつもそう。図書委員の時も。御影が行方知れずとなった時も。この間の十六夜いざよい先輩の時も、今日だってそう。貴方はこうやって私を気遣い、助けてくれたわ」


 霧華が高校に入り、速水雅騎という存在に出会ってから。彼との学校生活を振り返る度思い出されるのは、何かと自分を手伝い、気遣い、助ける姿だけ。


「だけど。付き合ってほしいとか、恩を売るとか。貴方からはそんな欲を一切感じないのよ。だからこそ私は知りたいの。貴方の本心を」


 私は()()()()


 その言葉に、雅騎はややバツの悪そうな顔をする。


  ──あれのせい、だよな。


 そう。

 それは先に彼女に掛けた言葉。


  ──「もし如月さんが知りたいなら、今それを知る事ができる。そのきっかけを貰ったってさ」


 あの言葉の後に、こう口にされてしまっては、何も返さないわけにいかない。

 思わずため息を漏らした雅騎は、少しの沈黙の後、諦めたように静かに話しだした。


「俺だって、誰も彼も助けたいなんて思わないよ。ただ、嫌なだけ」

「何が?」

「助けたい人を、助けられないのが」


 またひとつ、彼から漏れるため息。

 だがそれは、霧華を責めるものではない。ただ自身の過去を思い返しての、哀しき嘆息たんそく


「手が届かない所にあったら流石にどうしようもない。けど、もし助けたいと思う人に手が届いて、その力になれるなら。俺はできる限り助けたいんだよ」

「どうして?」


 短く問いかける霧華に。


「……もう、後悔したくないから」


 雅騎は、何処か思い詰めたような声で、そう返した。


  ──()()、後悔したくない……。


 その言葉が、彼女の心に強く響く。

 彼はきっと、過去に何か後悔するような経験をした。そう強く感じさせる、短く、重い一言。

 だが、霧華はその理由を尋ねる事はできなかった。

 天井を向く彼の表情が、とても哀しげだったのだから。


「……聞いては、いけなかったわね」


 雅騎はちらりと視線だけ霧華に向ける。その表情が憂いに染まったのを見て。


「……俺、独り言話してた?」


 まるで寂しさを隠すかのように。普段のように微笑ほほえんだ。


「……もう寝よっか。おやすみ」


 また沈黙が二人の間に漂うのを嫌ったのか。先に雅騎は彼女に背を向け横向きになる。

 先程より、何処か小さく感じる背中を少しの間じっと見つめた後。


「おやすみなさい」


 霧華もそう短く口にすると、静かに目を閉じた。


 こうして二人はそのまま、互いに微睡まどろみの世界に足を踏み入れようとしたのだが……。


 雅騎がうとうととしたその時。

 突然、彼の後ろから、霧華がぎゅっと彼を抱き寄せ、両腕を回してきたのだ。


  ──なっ!?


 心だけで叫び声を上げた雅騎だが、後ろを振り返る事ができない。

 パジャマ越しでも感じる、彼女の胸の柔らかさと温もり。

 そして耳元に届く、規則的で静かな呼吸。

 それらが、今自身がとんでもない状況に置かれているのではと、感じずにはいられなかった。


 と。その時。


「まさ、き……。ありが、と……」


 まるで口にできなかった言葉を伝えるように。霧華はそんな感謝の寝言を口にした。

 それを聞き、彼女が眠っていることを知り一瞬安堵した雅騎だったが。

 同時に、起こしてはいけない気持ちと、女性らしさを直近まぢかで感じるこの状況に、完全に眠気が吹き飛んでしまっていた。


*****


 こうして、今に至るわけだが……。


  ──心頭滅却すれば火もまた涼し。心頭滅却すれば火もまた涼し……。


 今までに味わった事のない、蠱惑的こわくてきな束縛を受けながら。彼はまるで念仏でも唱えるかのようにそう心で呟き続け、平常心を保ちつつ、何とか寝ようと努力した。


 その甲斐もあり、何度かうとうとする瞬間も生まれたのだが。その度に、狙いすましたように、霧華は無意識にぎゅっと彼を抱え直し、意味もない寝言を口にする。

 起こさぬように気を遣っていた雅騎にとって、そんな彼女の一挙手一投足を無視することなどできはしない。

 しかし。今寝なければ、間違いなく明日が辛いのも理解している。


 だからこそ。

 彼はこの現実にあらがい、足掻あがいた。

 足掻あがいたのだが……。


*****


「ど、どうしたのだ!? その目のくまは!」


 朝稽古の為の道場で顔を合わせた瞬間。道着を着た御影が目を丸くしたのに対し。


「ちょっと、眠れなかっただけ」


 同じく道着姿の雅騎は、覇気の全く感じられない疲れ切った顔のまま、思わず大きなあくびをした。


 霧華に解放されたのは目覚めの時間である早朝。

 これまた狙いすましたかのように、彼女が手を離し寝返りを打ったのを見計らい、彼女を起こさぬようベッドを抜け出したのだが。

 彼は結局、一睡もできなかった。


 それでもただの夜更かしであれば、ここまでひどい事にならなかっただろう。

 しかし。常に刺激的な感触を感じ。常に起こしてはならないと緊張し続け。まともに眠ることも許されなかった雅騎の疲弊は、生半可なものではない。


「大丈夫なのか?」


 思わず心配そうに尋ねる御影に。


「ああ。悪い」


 未だぼんやりする頭を掻きむしり、雅騎は元気なくそうお茶を濁す。


 据え膳食わぬは男の恥、とはよく言うが。

 結局彼は紛れもなく、速水雅騎(優しすぎる男)だった。

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