第十七話:怨念を統べる物
森を抜けた瞬間。
目の前に広がったのは、古き廃村だった。
何時頃造られたものかは分からない、朽ちかけし木造の建物達。
ある家は跡形もなく。ある家は焼き跡となり。そしてある家は、今にも倒れそうになりながらも、何とかその原型を留めている。
「結構、家が残っているんだな」
暗闇の中、より不気味さを際立たせる世界に、雅騎は中枢誰に言うとでもなくそう零す。
「羅恨の力かは分からんが、未だ朽ちる事も許されぬのよ」
豪雷が彼に目を向けず、村の奥に歩き出すと、雅騎達も後に続くように歩みを進めた。
ここまで来ると、御影や光里、銀杏も強くその気配を感じる。
肌に刺さる程の、悪しき気配を。
彼女達の表情がより険しいものに変わる、そんな中。村の中央にありし広場に、彼等の身の丈の倍はあるであろう、大きな石塚が見えた。
石塚には太き注連縄がなされ、側面には何かを封じているであろう札が、数多く貼られている。
それは神霊を祀る物には、到底見えなかった。
石塚を前に、五人は足を止める。
はっきりと感じる禍々しい気配。それを象徴するかのように覆われる、仄暗い、より闇に近い青黒い光。
豪雷と銀杏は気づいていた。
そこにある気配が既に、普段とは異なることに。
ドラゴンと対峙した際に感じた不安。
あの時と同じ感情が過り、御影はより険しき顔をし。光里もまた。この戦いへの緊張をはっきりと見せる。
皆が表情を硬くする中。雅騎はゆっくりと、彼等の前に出た。
「手筈通りでお願いします。それと……」
すっと振り返った彼は、四人を順に見つめる。
「約束を、忘れないでください」
彼の言葉に、御影、光里、銀杏の三人は、真剣な表情で頷き返す。
唯一豪雷だけは、互いの鋭き視線を交わすのみ。
──本当に、いい顔をしよる。
彼の凛とした表情。
そこには気負いも、恐怖もなく。ただ感じるのは、強い決意のみ。
「はっはっはっ」
間も無く戦いであろうというのに。
突然、快活な笑い声を上げた豪雷に、御影と光里は思わず驚き、顔を見合わせる。
──よほど我らより肝が据わっておる。流石、儂が認めた男よ。
満足そうに白い髭を弄る姿に、銀杏も何かを感じ取ったのか。釣られてふっと笑みを浮かべた。
と、その時。
『ほほぅ。双子が揃っておるという事は、ここで贄とするのか? それとも、懲りずにまた、我に抗うか? 神降之忍よ』
突然。
心に響くかのような、重々しく、厭らしい男の声が、皆の耳に届く。
雅騎はゆっくり向き直り、御影達四人もまた表情から笑みを消すと、それぞれ石塚に目をやった。
石塚に貼られた札が。注連縄が。青黒い炎に焼かれ、一瞬で灰と化す。
そして。石塚を覆う仄暗い光が強く、大きくなったかと思うと。突如、激しく爆散した。
襲い来る風と土埃を避けるように腕で顔を庇い、身構える御影達。
ただ一人。雅騎だけは立ち姿を変える事なく。じっと一点を見つめ続けている。
石塚が消し飛び、そこに残りし物。
それは、ゆらゆらと蠢く、巨大な液状の何かだった。
漆黒の闇のように真っ暗な物体。
と、そこにびっしり浮かびあがったのは、奇異を強く感じる、無数の鋭く光りし瞳。
そして、塊が突如大きくなったかと思うと、先程あった石塚より遥かに巨大な、何かの姿を成した。
短く太い力強い脚に、歪に上半身が大きい体躯。
それに見合うごつごつしい両腕に、頭を象る箇所に映える、厳つい双角。
周囲の民家をも超える巨体。その姿はまるで、鬼。
だが。肉体は相変わらず液状の闇で形どられ、全身により多くの、悪意ある光る瞳を宿している。
その奇異なる姿が、鬼とはまた違う、この世の物成らざる存在だと強く感じさせる。
『二百年ぶりにまた、不羈の身となれるとは思わなかったぞ』
嬉しそうに話すこの物こそ。
神降之忍が畏怖し続けし相手。羅恨であった。
『その瞳。二百年前と同じ轍を踏む気か。御主等は何時迄も変わらず、愚かよのう』
無数の瞳が、彼等を嘲笑うように細まる。
『とはいえ。無駄に贄を出さずに済んだのは、御主等にとって良かったのやもしれんがな』
「何だと!?」
どういう事だと言わんばかりに食って掛かる御影に、羅恨はより、傲慢さを強くする。
『何時でも滅せる御主等を、わざわざ活かし、千年大人しく待ってやったのは何故だと思っておる?』
「千年、待った!?」
『かっかっかっかっ!!』
光里の戸惑いに、羅恨は嬉しそうに、厭らしく嗤う。
『そうだ! 我がより強い力を得るべく、千年待っってやったのだ。この世の者全てを絶望に陥れる力を得るためにな! 御主等の贄など、そのための余興よ! がっはっはっはっ!』
強く叫んだ羅恨が、またも高らかに嗤う。
瞬間。銀杏ははっとした。
頭に過ったのは、強く吠えし雅騎の言葉。
──「敵が強すぎるから敵に従う!? 仲間の命を求める相手がそんなに信用できる相手なのかよ!」
全くもって、その通りだった。
強い敵意を持ち、神降之忍を三度追い詰めた敵が、何故わざわざ彼等を生かし続けたのか。
それはただ、より神降之忍の恐怖と絶望を、煽るため。
現実を目の当たりにし、強い後悔に唇を噛む銀杏。
彼女の気持ちを察した豪雷もまた、強い嫌悪の眼差しで羅恨を睨む。
不甲斐なさと悔しさに、すぐにでも襲いかからん勢いの神名寺家の者達だったが。
そんな逸る心を、挫く声がした。
「随分自慢気に話してるけどさ」
放たれた呆れたような声に、神名寺家の四人が。そして羅恨が。男に視線を向ける。
視線を受けし雅騎は、ただ一人緊張感もなく、呆れた顔を見せ立っていた。
「そんなのどうせ、お前に力がなくて、千年待つしかなかっただけだろ。だから過ちを犯すんだよ」
『何ぃ?』
全身に響く声と共に、羅恨の全身の瞳が彼を睨む。
一気に強くなった殺意に、神名寺家の面々の緊張が高まる。
だが。雅騎だけは何故か、変わらない。
「いいか? 倒せる時に敵を倒す。それができなって事は……」
彼は、左半身を前に構えたまま、すっと左腕を前に突き出すと。刹那。
『ぐおっ!?』
突然。激しい突風が羅恨を、そして神名寺の者達を襲った。
咄嗟に身を屈め、その風から踏みとどまろうとする御影達。
その威力に体勢を維持しながらも、大地を滑るように、身体毎後方に流されてしまう。
そしてそれは羅恨も同じ……いや。それ以上だった。
御影達を襲った突風。それは、雅騎が羅恨に向け放った術、荒れ狂う暴風。
その激しき風撃が羅恨の胴に直撃した瞬間。あの巨漢を高々と吹き飛ばしていた。
そのまま遥か後方にあった廃屋まで吹き飛ばされた羅恨は廃屋に激突すると、激しい音とたて広き背中でそれを押しつぶし、仰向けに倒れる。
あれだけ強い突風の中にあったにも関わらず、何事もなかったようにその場に立つ雅騎は、
「お前がただ、弱いだけの臆病者だってことだ」
伸ばした腕と冷たき眼差しを相手に向けたまま、静かにそう告げた。
宣戦布告ともいうべき雅騎の術に、ただ唖然とする御影達。
両腕でゆっくりと上半身を起こした羅恨もまた、すべての瞳でより強い殺意を彼に向ける。
一人、羅恨に対峙する彼の後ろ姿を見ながら。光里は戸惑いと共に、強い違和感を覚えていた。
──先程まで、あれほど苦しげでしたたのに……。
そう。
未だ傷は痛々しく。何より、歩くのすら苦しげだったはずの彼が。今はまるで平然と、羅恨に怯えを見せる事すらなく、堂々と立っている。
何故そんな事が可能なのか。それが彼女には不思議でならなかった。
「雅騎……」
同じく彼の後ろ姿を見つめていた御影は、思わず険しい表情を見せる。
心が強く痛む程の、嫌な予感。
神降之忍と戦っていた時に見せた、鬼気迫る雅騎の姿。それが一瞬、重なって見えた。
──まさか、またお前は……。
そんな不安が過るも。
今はそれを見せる訳には、いかなかった。
『かっかっかっかっか!!』
彼女達の不安を他所に。羅恨はまたも大声で嗤うと、ゆっくりと立ち上がる。
──あの一撃を受け、傷一つなし、か。
豪雷はその姿を見て舌打ちし、
──この戦い、やはり一筋縄では……。
銀杏もまた、この戦いがより、熾烈を極めるであろう事を予感する。
『この程度の力で、我に歯向かうというか。小童よ』
冴えない表情の御影達を横目に。またも煽るように、雅騎に向け口にされた皮肉。
だが。
「この程度の力を全力に感じるって事は、あんた、相当弱いんだな」
彼は表情を変えず、同じく羅恨に皮肉を返す。
どちらの言葉に真実があるか。
今は誰も分からない。
ただ、人間ごときに煽られし羅恨の心中は、決して穏やかではなかった。
『はっ! 巫山戯るな!!』
激しい苛立ちと共に強く叫ぶと、右脚で一度地面を強く踏み抜く。
瞬間。強い地響きと共に、その足元の周囲に一気に亀裂が走る。
『ならば見せてみろ! 御主等の力とやらを。それらを尽く潰し、真の絶望を教えてくれるわ!!』
怒りが籠もりし叫びと共に、羅恨が片腕を薙ぎ払うと、腕の一部が、払われた水滴のように幾つか分かれ飛び、地面に落ちた。
それはみるみる姿を変え、またも多くの瞳を持った人型を形成していく。
生まれし物達。それは豪雷と同じほどの背格好を持つ、羅恨と同じ、闇に無数の瞳を宿す敵達。その数、十数体。
瞬間、神名寺家の者達は互いの顔を見て、強く頷くと、
「雅騎。ここは我々が」
銀杏の声と共に、全員が素早く雅騎の前に立ち、それぞれ構えを取る。
一気に緊張する空気。
周囲に強く走る、殺意と決意。
神名寺家の。
そして、神降之忍の命運を賭けた戦いが、今まさに、始まろうとしていた。




