第十五話:決意の代償
「小童が、ここまでやるようになったとはのう」
声の主は、まるで感心したかのような声を上げると、突如姿を消した。
次の瞬間。
ガシッ
雅騎は咄嗟に、迫りし気配に向き直ると腕を上げ、頭部を狙いし強き上段蹴りを受け止める。
彼に手加減なく蹴り込んだ男は、ぼさぼさの白髪に長い白髭を生やし、使い込まれた古く色褪せた道着を着た、筋骨隆々の老人だった。
「これを止めるか。もう小童などと呼べんな。雅騎よ」
無骨で皺だらけの顔が見せる、満足そうな笑み。その、ここに居るはずのない相手の姿に、雅騎は思わず目を丸くした。
「し、師匠!?」
そこに立つ者こそ。雅騎に神名寺流胡舞術を教えた師であり、御影の家で遺影として飾られていた、御影の祖父、神名寺豪雷だったのだから。
「「お祖父様!?」」
思わず御影と光里も同時に叫び。
「お義父様! 何故こちらに!?」
銀杏もまた、この儀に呼んでいないはずの相手の姿に、驚愕せざるを得なかった。
「山籠りしていると、妙に勘が冴えるのかのう。どうにも嫌な予感がし顔を出してみれば。よもや贄の儀だったとはな」
蹴り込んだ脚をボロボロの石畳に戻すと、豪雷は銀杏に顔を向ける。
とても穏やかで、優しい顔で。
「銀杏よ。お主には頭領として、辛い思いをさせてしまったのう」
「そんな事は、ございません……」
義父の言葉に首を振る彼女だったが、己の不甲斐なさを感じてか。憂いを隠せぬまま、彼女は力なく項垂れる。
そんな二人のやりとりを茫然と見ながら。
「銀杏さんも御影も、師匠は死んだって……」
雅騎は思わずそう呟いていた。
春に御影と再会した時、彼女からはこう伝えられていた。
祖父は数年前に病死した、と。
事実。その後彼は墓まで案内され、墓前で手も合わせていた。にも関わらず、今目の前に、弔ったはずの相手が立っているのだから、その戸惑いも最もだろう。
彼の呟きに向き直った豪雷は、悪びれる事もなく笑う。
「神降之忍の頭領を譲った者は、影なる者として隠居せねばならんのだ。世を忍ぶ仮の姿、とでも言うべきかのう」
「仮も何も、死んでる事になってるじゃないですか!」
「その方が都合の良いこともあるもんでな」
「つ、都合って……」
思わず顔を痙攣らせる雅騎を他所に、またも豪快に笑った老人は、銀杏に向けたのと同じ、優しい笑みを向ける。
「しかし、お主はあの頃から変わらぬのう。真っ直ぐ、己を貫き通す」
そう言いながら、豪雷はまるで孫を可愛がるかように、彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
突然の事に。避けこそしないものの、雅騎は少し困ったような顔をしてしまう。
「我等が不甲斐ないばかりに、お前にも苦労をかけたな」
彼の頭から手を離すと、豪雷は済まなそうに深々と頭を下げる。
彼も戦いの全てを見たわけではない。
しかし。己の傷も厭わず、信念を突き通した弟子の痛々しい姿。
その元凶が、以前自身も率いてきた神降之忍達である事は、紛れもない事実。
師と仰ぐ相手が頭を下げる。
その光景に、どこか後ろめたを感じたのか。彼はため息を吐くと、申し訳無さそうな顔をする。
「頭を上げてください。俺が勝手にやっただけですから」
「そうかも知れぬ。が、結果お前は、孫達の命を救ったのだ。感謝する」
弟子の言葉に顔を上げた豪雷は、じっと彼の目を見ると、改めてそう感謝を口にした。
「して。お前はこの戦いに勝ったが。この後、どうしたいのだ」
戦いの終焉の先に見据えるものは何か。
それを見定めるべく、表情を引き締め雅騎に尋ねる豪雷。
向けられし強き視線に、少しだけ躊躇いがちに目を逸らすも。雅騎は何かを決意したように、同じ強き眼差しを返す。
「全ての神降之忍を、この地から撤収させてください」
「全て、か?」
「ええ。羅恨が復活するまでどれだけあるか分からないですけど。勝手に戦うと決めた事に、皆を巻き込む訳にいきませんから」
雅騎の言葉を神妙な顔で聞いていた豪雷は、その返事にため息を漏らす。
本来ならば触れるべき事ではないのだろう。だが残念ながら、彼はそれを無視する事はできなかった。
「無粋であろうが敢えて聞く。全て。それは、御影や光里も含む。それで良いのだな?」
言葉の真意を知り、御影と光里がはっとする。
だがそれでも、雅騎は表情を変える事なく、しっかりと頷き返した。
「馬鹿な!!」
「我々は共に参ります!」
二人は慌てて彼の元に駆け寄ると、強く彼の決断に否を示す。
しかし。
「だめだ」
雅騎は二人に顔を向けると、そう強く言い切った。
「何故だ!?」
悲痛な表情で叫ぶ御影に心を痛めつつも、雅騎は寂しそうに笑う。
「お前は、早く綾摩さんや如月さんの所に顔を出して、安心させてやるんだ」
「まだ戦いが残っているのにそんな事が出来るか! 帰る時はお前も一緒だ!!」
もう離れ離れになるのは嫌だ。そんな感情が、彼女を必死に食らいつかせる。
だが。そう答えると分かっていたのだろう。
目を伏せ視線を逸らした雅騎は笑みを消し、憂いだけを残す。
「それに……。羅恨との戦いでもしもの事があったら、二人は贄の儀をする気だろ。俺はそれだけは、嫌だ」
「それは……」
光里は返す言葉を失い、視線を落とす。
もしもの時にその覚悟は必要だと、彼女は心の奥底で考えていた。
彼は、そんな覚悟に気づいていたのだ。
御影も、光里同様に表情を曇らせる。
彼女もまた、妹と同じ考えを持っていた。
未だ拭えぬ羅恨への脅威。
だからこその万が一の覚悟だったのだが……彼の一言で、気づかされた。
それこそが、雅騎の示さんとする道を踏みにじる行為なのだと。
互いに唇を噛み、悔しさを滲ませる孫達を一瞥した豪雷は、銀杏に顔を向ける。
「銀杏よ。先代頭領に許される掟に従い。今宵、この一度のみ。皆に我が命に従ってもらう。良いな?」
「……承知しました」
真剣な目の彼に、銀杏は意を決し、静かに頷く。
豪雷は、何も言わず周囲の忍等に目をやった後。強くこう告げた。
「神降之忍達に告ぐ。神名寺家の者を除く忍達は、急ぎこの地を離れよ」
瞬間。周囲の忍達が大きくざわついた。
同時に銀杏、御影、光里の三人は、驚愕の表情で豪雷を見る。
「師匠!?」
雅騎もそれは同じ。
最も強き驚きを見せた彼に、豪雷は真剣な表情で向き直り、
「済まぬが、一度命じた物を取り消すことはできん。それに……」
そう告げた瞬間。にやりとすると、こう言葉を続けた。
「わしも孫達が可愛いんでな。お主の気持ちには応えられんわ」
またも「がっはっはっは!」と、豪快に笑い出す師匠の我儘に。雅騎は只々、茫然とするばかりだった。
*****
周囲の下忍達が、各々怪我をした者を支えつつ、境内から鳥居をくぐり、撤収を始める中。
神名寺家一行に囲まれた雅騎は、一人不貞腐れた顔で、強い不満を示していた。
「そう気分を悪くするな」
「そうです。その怪我で独り、満足に戦えるわけがないではないですか」
なだめるように豪雷と銀杏が声を掛けるも。
「俺は銀杏さんの朱雀だって止めてみせました。独りでだって十分やれますよ」
怒りを通り越し、呆れの域に達していた彼は、掛けられた言葉をあっさりと拒絶する。
「そうやって、また無茶をする気なのだろう!?」
「贄の儀をしようと弱気になってた奴に言われたくない」
「どうか姉様を責めないでください」
「だったら俺じゃなく御影達を説得してくれ!」
御影や光里も、心配を隠そうともせず必死に食い下がるが、取り付く島もない。
血に染まる身体を庇う事もせず、二人を振り払うように、あらぬ方向を見て憤慨する雅騎に。彼女達は皆、ほとほと困りだしていた。
と。そんな気まずい雰囲気の彼等の元に、怪我の酷い紅葉に岩剛が肩を借し、二人がゆっくりと歩み寄って来る姿があった。
慌てて御影と光里は彼等に駆け寄ると、双方戦った相手に肩を貸す。
「紅葉。怪我は?」
「残念ながら、軽くはありません。流石は御影様ですね」
肩を貸しながら、申し訳無さそうな顔をする御影を安心させるように。紅葉は、痛みを堪え笑みを浮かべ。
「光里様も、お強くなられましたな」
「そう言っていただけるのは嬉しいのですが、その力であなたを苦しめてしまいました……」
「よいのです。これもまた、我の定めだったのでしょう」
口惜しげな表情で岩剛を見る光里に、彼もまた無理に笑ってみせた。
彼等は、雅騎の前に立つと、御影と光里の力を借りつつ、ゆっくりと跪く。
彼等が無事に座したのを確認し御影達は身を離すも、心配そうな表情のまま、付き添う様に横に座る。
「雅騎様」
静かに、紅葉が彼を呼んだ。
釣られるように視線を向けた雅騎の瞳に、強い決意を秘めた、真剣な彼女が映る。
「豪雷様を責める気持ち、重々承知しております。ですが、どうかその怒りを収め、御影様達を共に戦いに加えてはいただけませんか?」
「我からもお願いしたい」
岩剛は、その場で正座すると、その巨漢を丸めるように土下座する。
「羅恨との遺恨は、元はと言えば神降之忍の問題。それを我等が他人任せになどできようはずもないのだ。ですから、何卒」
釣られるように、紅葉も痛みを堪えながら正座し、頭を地につけんと言わんばかりに深々と平伏した。
「紅葉……。岩剛……」
力及ばなかった中忍とはいえ、彼等とて神降之忍の誇りがある。
そんな彼等が頭を下げる屈辱を想い、思わず銀杏は二人から目を逸らし、辛そうな顔を浮かべてしまう。
御影や光里もそうだ。二人に頭を下げさせている行為。それが自分達の為を想っての事と知り、心を締め付けられ、思わず唇を噛む。
ただ独り。豪雷だけは真剣な顔で腕を組み、その行末を見届けようとじっと雅騎を見つめていた。
雅騎は少しの間、土下座する二人を見つめていたが。何かを諦めたように、大きなため息を漏らす。
黄に染まる紅葉と岩剛は、まるで曇りなき鮮やかな色を纏っていた。
屈辱や誇りをも捨てた、純粋なる強き黄色。
それを見ぬ事は、彼にはできない。
「頭を上げてください」
声に従い静かに顔を上げた二人に、雅騎は真剣な眼差しを向け、言葉を続ける。
「条件は、ふたつ」
そう言って彼は彼等の目の前に立つと、ふっと二人にそれぞれの掌を向けた。
いつの間に手にしたのか。まるでダイヤのように磨かれた、真紅に光る平べったい宝石が、両手それぞれに握られている。
その宝石が、薄っすらと赤白い光を帯びたかと思うと、次の瞬間。
パリーン
澄んだ音とともに、弾けた。
それを合図としたように、突然その赤白い光が紅葉と岩剛を包んだかと思うと。少しして、その光が消えた。
「あなた達が先導し、皆の撤収を急いでください。その身体なら、やれますよね?」
雅騎の言葉に、二人ははっとし、思わず己の身体を見る。
岩剛の中で湧き上がる力。そして、紅葉の中から消えた痛み。
「これは、一体……」
己の体を確認するように、呆然としながら己の手を見る岩剛。
「雅騎様。一体何を!?」
目を丸くし雅騎を見た紅葉に、
「怪我を治しただけです」
感情の抑揚も見せず、ただ短くそう告げた雅騎は、銀杏と豪雷に振り返る。
「もうひとつの条件は、神名寺家は誰一人、命を懸けない事です」
「死地に挑む我々に、命を懸けるなとは。どういうことじゃ?」
要領を得ない豪雷は、思わず彼に尋ね返す。
「さっきも言いましたけど。戦いで勝てないからと、勝手に絶望して贄になって欲しくないだけです」
「だが、そうせねばならぬことも──」
「あっちゃ駄目なんです」
豪雷の止むなしと言わんばかりの言葉を、雅騎は強く拒絶した。
その表情は、歯を食いしばり、何かに耐えているかのように、険しい。
「俺は、どんなに追い詰められたとしても、最後まで諦める気はありません。それが蜘蛛の糸を掴むほど難しい事だとしても、可能性を信じ、最後まで足掻くつもりです。それなのに、皆に勝手に諦められ、勝手に死なれてしまったら。折角見えた可能性を失うかもしれない」
雅騎はゆっくりと、天を仰いだ。
「俺は、『勝てないかも』なんて中途半端に思う人達を連れて行きたくはないんです。今まで神降之忍ですら歯が立たなかった相手なのは分かってます。でも、それでも絶対に相手を倒し生きて帰ってみせる。それ位の気持ちがなかったら、絶対に勝てやしないんだ」
それ以上の事は何も言わず。彼は空に向け、大きく白き息を吐いた。
暫し、皆を包む沈黙。
それを破るように。
「……分かりました。お約束しましょう」
銀杏が一族を代表し、静かに応える。
雅騎はゆっくりと顔を下ろすと、彼女を。そして師匠と姉妹を順に見る。
真剣な表情をする彼女達に映る、鮮やかな深緑の色を視て、彼は小さく頷いた。
「それより、そんな便利な物があったのなら何故すぐに使わん! 早くお前の怪我の治療を!」
彼の怪我が治る。そんな希望を見せられ、やや興奮気味に御影が捲し立てる。
しかし。
「もう無理だよ」
「何!?」
その言葉に。御影だけでなく、その場にいた皆が思わず目を丸くした。
「あれは使った二つで全部」
「そんな!? 何故そのような貴重な物を私達に!?」
「神名寺家を連れて行けと言われたからですよ」
紅葉の言葉に、彼は呆れたような声をあげる。
「御影達を全員連れて行くなら、代わりに撤収を先導すべき人が必要です。それができるとしたら、あなた達だけです。だから、動けるようにしたんですよ」
「ですが! 雅騎様のほうが重傷ではありませんか!」
「確かに。紅葉は分かるが、我はまだそこまでしてもらわずとも良かったはずだ」
思わず悲痛な声を上げる光里。そして、彼女に同意を示すように、岩剛も口を挟む。だが。
「それで神降之忍が逃げ遅れて、何かあっても嫌ですから」
「何故そこまでの事を。お前はあれほど我等を敵視していたではないか」
「そんなのはもう過去の話です。傷つけておいてなんだけど、これ以上そっちの仲間に何かあったら、御影達が悲しむでしょ?」
岩剛の問いに、さらりと雅騎はそう答える。だが、それで道理が通るわけもなく。
「ふざけるな! 我々はお前を心配しているのだぞ!」
御影が怒り混じりに大声で叫ぶ。
だが。
「だから言ったんだ! 俺は独りでやれるって!!」
より猛るように、雅騎は吠えた。
強い怒気。御影は思わず怯えたかのように、身体をビクリと震わせる。
「俺は元々独りでお前を止める気だった! その先だって、俺独りで戦う気だったんだ! それをお前らが勝手に俺に付いてくるって我侭言ったんだろ!? 仲間を助けることじゃなく、戦うことを選んだんだろ!? 上の奴らのそんな我侭のせいで、仲間に何かあったらどう責任取るんだよ!? 後悔しないって言えるのかよ!?」
御影も、光里も。叫んだ彼の表情を見て、思わず唖然する。
雅騎は彼女達に叫んだにもかかわらず。まるで自責の念に駆られた、悔しさと悲しさが入り混じった顔を浮かべていた。
「元々あれは、俺の傷を治す為だけに使うつもりだった。だけど結局俺は、皆と戦う事を選択したんだ。お前達の仲間のために、二人の怪我の治療を優先したのはその対価。そして、皆を連れていくって決めた、俺の覚悟だ」
強く己を責めるような、今まで見たことがなかった彼の表情に、御影は何も返せず意気消沈する。
「……それが、自分で道を選ぶって事なんだよ」
歯を食いしばりながらも、何とか言葉を吐き出した雅騎は、己の不甲斐なさを顕にし、俯く。
御影達は気づいていない。
自分にもっと力があれば。自身と皆を治す力があれば。
雅騎がそんな力の無さを悔いている事に。
だが。同時にある事には気づいた。
彼はそれだけの覚悟と決意で、自分達を受け入れてくれたのだと。
彼の重い決意を知り。御影も、光里も。そこにいる者達全てが。暫しの間、茫然と彼を見つめ、言葉を失う。
そんな中。
「だから。皆の事、よろしくお願いします」
雅騎は改めて、己の願いを口にし、深々と紅葉と岩剛に頭を下げたのだった。




