第十一話:定められし道。抗いし道
神降之忍。
それは平安時代から続く、数少ない忍軍である。
神降ろしの名を冠する通り。神道に通ずるその忍達は、体術だけでなく、八百万の神々の力を借り。その術を以て、妖魔、妖怪、心霊といった異形の敵と戦い続けてきた。
丁度千年前。
神降之忍の前に現れた物こそ。因縁の相手、羅恨。
伝承によれば、唯ひたすらの闇を持つ巨体に、怪しく光る無数の瞳を持つ、とても面妖な姿だと言われている。
身に宿りしは、成仏できない強い怨念の塊。その闇に触れれば、常人であってもその怨嗟で気が触れ、羅恨の傀儡とされてしまう。それほどの力を持っていたという。
当時の神降之忍達は、必死に羅恨に抗い。時の当主、神名寺安慈がその命と引き換えに、霊刀朧月にて、何とかその悪霊を封ずる事ができたと、古き書に記されている。
だが。封じられし間際。
羅恨は最後の力で、生きながらえし神名寺の者にある呪いを掛け、こう告げたという。
『双子が生まれし時、我はまた蘇る』と。
その言葉通り。二百年後、羅恨は再び封印を破り蘇った。
神降之忍達と神名寺家は、改めてその怨念と対峙し。苛烈なる戦いの末……彼等は破れた。
ある者は命を落とし。ある者は傀儡と成り果て。
生き残りし者達が絶望する中。羅恨は彼等に、こう持ちかけたのだという。
『霊刀朧月にて、神名寺の双子の片割れの命を奪い、贄として捧げよ。さすれば封じられてやる』と。
当時。確かに神名寺家には、若き双子の兄弟がいた。
既に皆、戦う力も、抗う気力も持てず。皆が生き残る為。彼らは、信じられるはずもない相手の言葉に従う、苦渋の道を選んだ。
悪夢の中で命を落としたという弟が、その命を贄として捧げ。羅恨は言葉通り、再び封じられた。
神降之忍に闇を背負わせる、呪いのような言葉を残して。
『お主らは子孫、末代まで我が前に屈するといい』
無論。最後の一人まで命を懸け、戦う道もあっただろう。
だがそれは、世に生きる人々を影から救わねばならない神名寺家、そして神降之忍には出来ぬ事。
何故ならそれは、羅恨をそのまま野に放つ事を、意味するのだから。
以降。
彼等は現世まで、永らく羅恨に屈し。二百年置きに生まれし双子の一人を贄に捧げ、その存在を封じ続けた。
一人の命を犠牲とし、多くの者を救う。そんな矛盾を抱えながら。
*****
石畳が広がる、広い境内の一角にある拝殿。
その中は、燭台の上で燃える、蝋燭の柔らかい明かりに照らされている。
祈祷を行う神前に、檜で作られし三宝に乗せられた、鞘に収まりし霊刀朧月。
その前には、単衣も袴もまっさらな巫女装束を身に纏い、正座する御影の姿があった。
目を閉じ、身動き一つせず、背筋を伸ばしたまま、じっと座する彼女。
顔色は決してよくなく。目の下には隈が目立ち。頬も少しやつれ。まるで心に光など無いかのように。生気を感じぬ虚ろな目でそこに居る。
あれから一週間。
御影の心は弱りきっていた。
母から真実を聞いたあの日。彼女は己の無力さと悲しき運命に、ただひたすらに泣き続け。
佳穂と霧華に別れを告げ、この地を訪れた日。
光里との再会で、改めて姉妹の運命を強く意識させられた。
既に贄となる覚悟を決めていた妹、光里。
その存在は、覚悟を決められずにいた御影に、とても重くのしかかり。
「すまぬ……」
ただ只管、妹の前で泣き、謝り続ける事しかできなかった。
泣き疲れ、心を擦り減らし。
運命を強く呪うも、それを祓う術もなく。仲間や未来の為、ただ定めを受け入ねばならない。
無力さだらけの現実。
それが、少しずつ彼女の心を縛り。闇に染めた。
それから御影は、何も喋らなくなった。
何かにとりつかれたかのように。滝で身を清め、拝殿に籠もっては瞑想する日々を続けた。
喜びも、怒りも、哀しみをも失い。
仲間達との想い出。そして、最後まで心残りだった、何も言えず離れた雅騎への後悔も、心の遥か奥底へ追いやり。
彼女は、心を鬼とした。
この日のために。
「御影様。お時間にございます」
拝殿の外より、静かに紅葉の声が届く。
静かに目を開く御影。だが、声に応えはしない。
表情も変えず。音も立てず。彼女はすっと立ち上がると、朧月を手に取り、下げ緒を腰に巻き左腰に穿く。
そして、ゆっくりと拝殿の入り口に振り返ると。一歩ずつ歩を進め、両手でゆっくりと、扉を開けた。
既に夜も更け。暗雲立ち込めし空と共に、周囲を真っ暗に染めている。
周囲に立てられし幾つかの篝火の炎が、周囲を淡く照らし出す中。
境内の中央。御影同様に白き巫女装束に身を包んだ光里を囲むように、三十名ほどの人々が、大きな輪を作り立っていた。
忍装束や巫女装束など、様々な衣装に身を包んだ者達。
ここにいる者達こそ、現代に生き残る、数少ない神降之忍達である。
拝殿の対角。石段側の鳥居前に。数少ない上忍であり、神降之忍の頭領である銀杏が立っていた。
白き単衣に紺の袴の巫女装束を纏い。片手に薙刀を構え、凛とした表情でじっと御影を見つめている。
脇を固めるように立つのは、黒き忍装束を纏いし紅葉。そして茶に染まる忍装束を身に纏う、筋骨隆々な巨漢の青年、岩剛。
彼女達は、上忍である御影や光里ほどではないものの、神降術を駆使できる、数少ない神降之忍の中忍。
他の者達はまだ神降術を使う事こそできぬ下忍達だが、いずれも忍の術に長けた、戦いの猛者達である。
これから行われる儀式にて生まれる惨劇を理解しているのだろう。
彼等の表情は皆、一様に悲壮感に溢れていた。
御影を見て申し訳無さそうに目を背ける者。その目に焼き付けんと真剣な眼差しを向ける者。その先にある哀しみを想い、涙する者。
皆が感情を隠すこともせず、その場に立っている。だが。それが彼女の心を動かす事はない。
木造の階段をゆっくりと歩み降り、御影はそのまま石畳を進むと、光里の前に立つ。
「姉様……」
光里がじっと御影の目を見る。姉の瞳には既に、光を感じることはない。
まるで。本当に鬼となってしまったかのように。
もう、彼女が元の御影に戻ることはないのではないか。
そんな不安に、光里の心が痛む。
だが、彼女は信じるしかなかった。その先に待つ運命を。
すっと、光里はその場に正座する。
その動きを目で追う御影。だがやはり、表情は変わらない。まるで心無いかのように。無表情に。静かに。迷いなく鞘より刀を抜く。
贄の儀。
その場は整い。後は御影が、その刀を構え、振り下ろすのみ。
その、はずだった。
「御影!!」
突然。己を呼ぶ悲痛な男の声が、彼女の耳に届く。
それは今まで誰もが揺れ動かす事ができなかった、心を鬼としたはずの御影の心を、強く、揺らす。
「ま、雅騎……。何、故……」
激しく何かに怯えるように、彼女は身を震わせる。
だが。それも仕方ない事だろう。
視線の先にいた者こそ。銀杏の脇で身を乗り出そうとし、首筋に突きつけられた薙刀の刃で制されている、雅騎の姿だったのだから。
「銀杏さん! どういうことなんですか!?」
彼は銀杏に顔を向け、怒りに任せ吠える。
だが彼女は雅騎に視線は向けず。ただ、哀しき決意を秘めた表情で、御影を見つめ、こう口にした。
「御影。羅恨は、魂なき贄の儀を、良しとはしないのです」
重き言葉が、御影に刺さる。
確かに。強く揺らいだ御影の気持ちは、人としての心を取り戻してしまっていた。
最も逢いたくなかった男が、そこにいるのだから。
贄の儀の為に、皆の元を去る。出来ることなら、その事実を佳穂や霧華にすら秘密にしたかった。
しかし、彼等は戦友。もしもの時に、迷惑を掛ける訳にはいかない。だからこそ、去る事だけは、伝えざるを得なかった。
だが。
雅騎には。雅騎にだけは、どうしても知られたくなかった。
もし。皆の元を去る前に、彼の前に立ってしまったら。己は強い心を持ち、何も語らずにいられる自信がなかった。
それ程までに。御影は彼を信じ。彼を心の拠り所としていたのだから。
自分が妹を殺めなければいけないという事実。
そして。妹を追って、自らも命を断つという決意。
心の弱さからそれらを口にすれば、彼をも巻き込んでしまうかもしれない。そう強く感じていたからこそ。最後まで何も言わず、彼の元を去る決意をした。
それなのに。
御影の悲壮な決意は、母によって無に帰した。
「母上! 貴女は鬼か!!」
心から、そう強く叫びたかった。
しかし、それを口にすることはできなかった。
何故なら。この定めを背負わせってしまったと、母も自分の為、泣いてくれたのだから。
「雅騎……。すまぬ……」
絞り出すような、御影の涙声。
後悔が、彼女の心を痛めつけ。皆の未来を背負う重責に、押しつぶされ。
気づけば。彼女は泣いていた。
「お前、本気でその子を殺すのかよ!!」
涙の意味を知りながらも。雅騎は敢えて強く叫んだ。
信じていた。いや、諦められなかった。
御影ならその言葉に首を横に振り、刀を収めてくれるのでは、と。
だが。
口を真一文字に食いしばり、淋しげな目を向ける彼女は、小さく頷き。神名寺家の。そして神降之忍の未来のため。その決意と覚悟を示す。
──お前も結局、そっち側かよ……。
視線を逸らし光里に向き直る御影に。雅騎は、心に残した最後の希望を、歯痒さと共に強く噛み殺す。
そして、覚悟を決めたかのように。静かに彼女を見つめた。
「光里。さらばだ」
御影は哀しそうに彼女をじっと見つめながら、静かに別れの言葉を口にする。
それを聞き、光里も覚悟したかのように俯くと、胸の前で両手を祈るように組み、目を閉じた。
御影の涙の雨は、未だ止む事はない。
だが。それでも彼女は、改めて心を鬼にした。皆のため、この儀を成す、と。
「うわぁぁぁぁぁぁっっ!!」
心から叫び、哭いた御影は、刀を頭上に振り上げ構えると、次の瞬間。刀を強く振り下ろした。
閃く刀刃。
それは、悪夢の再来のように。赤き鮮血を飛び散らせ。双子の白き装束を穢した。
……だが。
御影の見た悪夢は、現実とならず。
新たなる悪夢が、そこに待っていた。
「あ……。ああ……」
御影は目を見開き、信じられぬ現実に身を震わせ。放心したように、言葉にならぬ声を上げ。
光里は目の前の石畳に、ぽつりぽつりと落ちる血を目の当たりにし。その顔を青ざめさせ。
銀杏もまた、自らの装束を染めし鮮血が示す現実に、言葉を失った。
彼女達の目に映りしもの。
それは、姉妹の間に半身を割り込み立つ、雅騎の姿だった。
御影の振り下ろし刀刃は、彼の右手で光里より逸れるように掴み取られ。その掌からは、血が滴り落ち。
何時受けたのか。左肩にある切り傷が、彼の服をゆっくりと、朱に染めていく。
雅騎の傷からの血。
それこそ。御影の。光里の。そして銀杏の巫女装束を穢す、血の跡だった。
鬼であろうとした少女の怯える姿を前に。
そこに立つ雅騎は、まるで痛みなどないかのように。
凛とした表情のまま、冷めた瞳で御影を見つめていた。
*****
その予兆を銀杏が感じたのは、御影が刀を構えようとした時まで遡る。
「ごめんなさい。貴方を巻き込んでしまって」
刀を上段に構える御影を、憂いを浮かべ見守りながら。銀杏は雅騎に謝罪を口にした。
叫び、罵られ、責められる。そんな覚悟をしていた彼女だったが。
返ってきた言葉は、とても静かな一言だった。
「気にしないでください。俺は寧ろ、感謝してますから」
はっとして視線を向けた先で見たもの。
それは先程までの熱を全く感じさせない、何か決意を秘めた、雅騎の真剣な表情だった。
瞬間。銀杏は本能的に感じた。彼を止めねばならぬ、と。
御影が光里に刀を振り下ろさんと構えた瞬間。
銀杏は雅騎を制するべく、手にした薙刀を勢いよく薙ぎ払った。
だが。その動きを読んでいたかのように。
瞬間。
彼は、爆ぜた。
薙刀の閃撃を、雅騎は神名寺流胡舞術、瓢風にて避けた。
いや。正しくは避けてなどいない。敢えて凶刃の鋒を食らう覚悟で、ぎりぎりの間を攻めた。
彼の左肩に刃が触れ、僅かな痛みが走る。
が、まるでそれを合図としたように。勢いをそのままに、神名寺流胡舞術、閃空を繰り出した。
空を走る稲光を体現すべく。一気に御影達に向け一気に踏み込む。
が、刹那。
触れた凶刃は手加減などする事なく、勢いよく肩に食い込み、肉を抉る。
だが。
痛みなど感じぬかのように、迷いなく。
血などくれてやると言わんばかりに、激しい血飛沫をあげながら、雅騎は一陣の風となり、疾駆した。
そして。
御影が刀を振り下ろしたとほぼ同時に。
雅騎は姉妹の間に半身を割り込ませると、勢いをそのままに、右手で神名寺流胡舞術、鷲爪を繰り出した。
鷲が獲物を素早く爪で捉えるかの如く、相手の技を避けながら、技を繰り出した手足や武器を素早く掴み取る、後の先の技。
彼は、それを躊躇なく、振り下ろされし刃に向けた。
刀刃を捉えた瞬間。掌からも強く血飛沫が飛び。技の反動からか。肩からまたも血が吹き出す。
だがそれでも。強き意思を持つ鷲爪は、光里に放たれし刃を逸らし、その動きを制した。
なにか一つでも行動に迷いがあれば。光里はその命を失っていたであろう。
だが、間一髪。
雅騎は贄の儀を止めた。己の傷と血。そして、心を代償に。
「雅、騎……。何故……」
目の前に立つ、血を流す雅騎。
その血を流させているのは、自分。
絶対にあってはならない。そんな光景を目の当たりにし、御影は襲いかかる後悔に、強く身を震わせる。
目の前に立つ、怯えた御影。
その表情をさせているのは、自分。
きっとこうなるであろう。そんな光景を目の当たりにし、腕や肩の痛み以上に、雅騎の胸は強く痛む。
だが。
冷たき表情でそれを覆い隠すと、彼は静かに、こう呟いた。
「結局お前も、そういう奴ってだけだ」
刹那。
「ぐっ!?」
雅騎は、無拍子で彼女に後ろ回し蹴りを繰り出していた。
完全に虚を突かれた御影は、まともにそれを腹に受け、後方に吹き飛ばされる。
が。それは本能か、経験か。
咄嗟に空中で受け身を取ると、彼女は這いつくばるようにして滑りながらも、拝殿の階段に激突する寸前で踏み留まった。
「何を……!?」
思わず立ち上がった御影が、彼を再び見た瞬間。その目はより大きく見開かれ、言葉を失った。
何時の間に奪ったのか。
雅騎は彼女から、朧月の刀と鞘を手にしていた。そして、刀を静かに鞘に収めると、下げ緒をたすき掛けにしそのまま背負うように固定する。
「雅騎様!?」
光里もまた、彼の御影への行動に驚き、勢いよく立ち上がる。だが、その瞬間。
「悪い」
彼女にだけ届く小さな声と共に。彼女もまた、無拍子で放たれし膝蹴りを腹に食らっていた。
勢いよく吹き飛ばされた光里は、姉と同じように空中で体勢を立て直し、滑る身体を抑え込み、銀杏の側で止まると片膝を突く。
己から流れる血を気にしようともせず。その場に立つ雅騎。
その異質な存在の、あり得ない行動の数々が、銀杏や、御影、そして周囲の者達の空気を凍りつかせる。
だが。
光里だけは気づいてしまった。彼の裏にある決意を。
「無茶です!!」
思わず口を突く本音。
銀杏はそんな光里の一言にはっとして彼女を見た後、驚愕しながら改めて雅騎を見た。
光里の叫びには応えない。ただ、銀杏の。御影の。そして、忍達の視線を一身に受けた雅騎は、呆れたようにため息を漏らす。
「贄の儀? 馬鹿らしい。あんた達は、そんなに人殺しをさせたいのかよ」
悪びれぬ顔で悪態をついた雅騎は、次の瞬間、周囲の空気を一変させた。
「神降之忍とかって奴らは、ただの烏合の衆なんだな」
嘲笑うかのように口にされし侮辱に。
「何だと!?」
最初に低い声で叫んだのは岩剛だった。彼は背負った大斧を手に取ると、怒りを顕に、一気に雅騎に飛び出さんとする。
だが。
「止めなさい」
それを強く制したのは、銀杏だった。
「貴方はこの儀を邪魔するというのですか?」
雅騎の真意を感じ取ったのだろう。
凛とした表情で、銀杏が静かにそう尋ねると。
「俺は、人殺しを止めただけだ」
雅騎は熱き怒りを隠そうともせず、彼女を睨み返した。
人の道理を強く示す言葉に、銀杏は僅かに顔を強張らせる。
「何故だ! 何故なのだ!」
と。そんな彼に向け、御影が苦しげな表情で叫んだ。
こんな事はしてほしくなかった。
私は覚悟を決めていたのに。
そう言わんばかりの問い掛けにも、雅騎は彼女に振り返りはしない。
ただ。静かに目を閉じ、口を真一文字にした後。
「俺は、お前を信じてたんだよ。光里さんを殺そうとしないって」
絞り出すように。怒りを存分に含んだ答えを返した。
御影はそれを聞いた瞬間。悔しそうに。恨めしそうに。顔をしかめ、目を伏せる。
確かに、妹を己の手にかけようとした。心を鬼にして。
だが、それは……。
「皆の為、仕方なかったのだ……」
苦々しく口にされた言葉に。雅騎はまたも、大きなため息を吐く。
「結局。お前も神降之忍と同じかよ。だったら……もう、お前なんか知るか」
雅騎は冷たくそう言い放つと、続く言葉を一瞬、飲み込みかけた。
それを口にすれば。もう二人が交わることはなくないかもしれない。
だが。それでも彼は、覚悟を決めたのだ。
幼馴染でも、腐れ縁でもあってはならない、己が決めた道。それを貫くために。
最期の言葉を強く、口にした。
「俺の前からとっとと消えろ。もう、顔も見たくない」
瞬間。
御影の目の前が、真っ暗になった。
何かあれば、自分の盾になり。
何かあれば、元気づけ。
何かあれば、皮肉を言い。
何かあれば、優しく微笑んでくれた。
だからこそ。出会ってすぐ友となり。
だからこそ。別れたくないと涙し。
だからこそ。再会に嬉し涙を見せ。
だからこそ。ずっと共にありたいと願った。
そんな雅騎の心が、離れた。
最も側にあってほしい心が、離れてしまった。
一度も口にされたことのなかった、冷たい言葉。
己を責め。突き放す。別れの言葉。
それは、御影の心を、一瞬で絶望の色に、変えた。
「あ……ああ、あぁぁぁぁ……」
意味もない言葉を弱々しく口にし。
力なく、その場で両膝を突き。
絶望にうちひしがれながら、その身を震わせ。
枯れるほどに流したはずの涙を、また流し。
御影はただ、絶望した。
その先に未来などないかのように。
御影の痛々しい姿に、母は一瞬、哀しみの表情を浮かべる。
だが、彼女にもまた、決意があった。
「分かりました。我々は貴方を、仇なす敵と見なします。よろしいですね?」
静かにそう問うと。
雅騎は未だ血が止まらぬ己の右手を強く握りしめると、銀杏に向け、ぎゅっと突き出した。
「どうせ切れる縁だからな。最後まで嫌がらせしてやるよ」
彼の一言に、周囲は一気に色めきだつ。
だが。そんな雰囲気を気にも留めず。雅騎は右脚をゆっくり引き、銀杏相手に構えを取った。
左肩の血は未だ止まらず、彼の腕を赤く染め。
足元には、肩や掌から滴りし血が、小さな血溜まりを生みだしていく。
だが。まるで怪我を気に留めず。
「俺は絶対に、御影に人殺しなんてさせやしない!」
雅騎はただ怒りだけを顕にし、強くそう言葉を放つ。
──譲る気は、ないのですね。
出来ることならば避けたかった戦い。
銀杏は一度静かに目を閉じると、同情を息と共に吐き捨て。
「下忍達に告げます」
凛とした表情で雅騎を見据えたまま、静かに告げた。
「生死は問いません。その者を倒しなさい」
「はっ!!」
その声に従い。周囲の下忍達が、各々の武器を手に身構えた。
神降之忍達にとっても生死が懸かる戦い。彼等にもまた、否が応にも緊張が走る。
「まさ、き……」
未練か。謝罪か。
力なくその名を呟く御影。
失意の闇から抜け出せぬ彼女は、未だ気づいていない。
彼が、御影のために、戦い抜く気だと。
「雅騎様、お止めください!!」
強く叫ぶ光里は、既に知っている。
彼が姉妹のために、戦い抜く気だと。
そして。
雅騎に何も言わぬ銀杏は、願う。
彼が命を失う事なく、倒れてほしいと。
各々が気づかず。気づき。願い。殺意を向ける。
皆の想いが交錯する中。
「かかってこい!!」
雅騎の強い叫びを合図に。
哀しき戦いの火蓋は、切って落とされた。




