プロローグ:悪夢の始まり
厚い雲に覆われ、月明かりもない深夜。
荘厳な神社の広い境内の中央。そこに、長い漆黒の髪を後ろに束ねた一人の少女が、篝火の淡い炎に照らされながら立っていた。
本来なら単衣だけでなく、袴までまっさらな巫女装束。しかしそれは返り血を浴び。胸が。脚が。赤き血飛沫に染まっている。
それだけではない。下ろされた右手に持つ太刀の刀身。そして少女の顔まで。
身体は鮮血で穢れていた。
少女は無表情に涙を流し。目の前に倒れた白装束を纏った何者かに目を向けている。
視線の先。境内の石畳に出来た大きな血溜まりの中に倒れている長い漆黒の髪を持つ少女。その目は見開かれ、虚空を見つめたまま絶命している。
そしてその顔は……彼女を殺めたであろう少女と、同じ。
それを見た瞬間──。
*****
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
部屋の電気も消えた薄暗い部屋のベッドで、神名寺御影ははっと目を覚ますと、勢いよく上半身を起こした。
「はぁ……はぁ……」
冬の肌寒い空気の中、荒い呼吸を繰り返す。
全身をびっしょりと伝う汗。青ざめた顔。
「何なのだ、今のは……」
誰に向けるでもなくそう呟くと、目を閉じ左手で顔半分を覆う。
思い出したくはない。だが、無意識に頭に思い浮かべてしまうその光景が、彼女の心を怯えさせる。
あの時立っていたのは、間違いなく自分自身。そして、倒れていた者は紛れもなく……。
御影は自身の心を落ち着けるべく、何度か大きく深呼吸を繰り返す。
滅多に夢など見ない彼女が見た悪夢。
夢らしい現実味のなさがあれば、そこまで恐怖は感じなかったであろう。
だが。夢で殺めた相手を、御影は誰なのか知っていた。
だからこそ。彼女にとってあるわけない、しかしまるで現実のように感じたその悪夢に、身震いする。
「まったく……最悪だ」
何かを振り払うように彼女は首を左右に強く振った後、顔をピシャッと軽く。
そして上半身を捻り、ベッドボードにあるリモコンを掴み、そのスイッチを入れた。
ピッという電子音とともに、部屋が淡い光に包まれ。
その光が御影に、僅かな安堵感を生む。
ベッドボードにリモコンを戻しながら、脇にある猫がデザインされた可愛らしい置き時計に目をやる。
時間は四時半。それは普段の起床より、一時間以上早い目覚めだった。
──先にシャワーでも浴びるか。
やや厚手で飾りっ気のないパジャマ姿のまま、彼女はゆっくりとベッドから出て起き上がる。
腰まである長髪を揺らしながら、眠気を覚ますように軽く柔軟体操をした後、ふと部屋にある小さめの本棚に目を向けた。
本棚の上に飾られた、ふたつの写真がそれぞれ収められた写真立て。
その一枚は、神城高校の入学式の看板の前。
渋々付き合いフレームに収まっている幼馴染み、速水雅騎と、意気揚々とVサインをしている御影の、初々しいブレザー姿をスマートフォンで自撮りしたもの。
そして、もう一枚の写真。
それは祭の縁日で、浴衣を着てりんご飴を食べながら歩く御影と、それを嬉しそうに見つめる、御影。
……いや。顔は御影に似ているが、背格好は僅かに低く、また長い黒髪も、まるで巫女のように腰のあたりで赤いリボンで束ねており、それが何処か御影ではないことが見て取れた。
──そんなことあるわけがない。であろう? 光里。
一瞬、夢で倒れていた相手を写真の少女に重ねる。が、それが余計な考えだと気づいたのだろう。慌ててまた首を振り気持ちを祓うと、静かな足取りで自分の部屋から出ていった。




