第十八話:決意と迷いの戦いの行方
秘められし力を解き放ち、レイア達を圧倒した雅騎。
月に照らされし人間と天使達は、彼によってもたらされた、不可思議で不安な沈黙の中にあった。
『佳穂』
そんな沈黙を破るように、エルフィは振り返らず、佳穂に声を掛けた。
雅騎の治癒を続けながら、彼女はエルフィの背中を見つめる。
『私は妹に、私に何があったのか理解してもらわねばなりません。ですが彼女も手練。今の私の力だけでは勝つ事は難しいでしょう。ですから……』
エルフィは言葉を続けるのを一瞬躊躇った。
続く言葉が佳穂の不安を煽るかもしれない。そんな思いが心に過る。
だが。彼女は意を決し、こう続けた。
『貴女の身体を、私に預けてくださいませんか』
自身の身体を預けてほしい。
佳穂は今まで、エルフィにそんな願いを口にされた事も、勿論それを実践した事もなかった。
経験がなければ、その先に何が起こるのかも分かりようがない。
突然の事に、彼女は思わず表情を曇らせた。
だがそれは、決してその行為そのものに不安があったからではない。
未知なる行為であったとしても。エルフィを信じている佳穂からすれば、それは些細な事で、迷いを持つほどのものではないのだ。
そう。彼女を迷わせている理由は、別にある。
『どういうことだ?』
と。佳穂が返事をしかねる中。エルフィに問いかけたのは、意外にもレイアだった。
天使が人間の身体を預かる。
戦意を削がれ、頭が冷静になっている今だからこそ、心に強く刺さる違和感。
──何故、人間の身体を借り戦う必要など……。
言葉の意味は何処となく理解できる。
だが、その理由が分からない。
強い戸惑いを見せるレイアに気づき、エルフィはふっと淋しげな顔を向けた。
『私はもう既に、天使ではないようなもの』
『天使では、ない……?』
意味が分からず疑問を呈してしまう彼女に、エルフィは真実を伝えるべく、二、三歩前に歩みだした。
ジャラリ……ジャラリ……
佳穂との距離が離れるにつれ、独特の音を立て姿を現す、二人の脚を繋ぐ金色の鎖。
『力の融合。貴女も、聞いたことがあるでしょう?』
『!?』
それを聞いた瞬間、レイアは驚愕した。
勿論、彼女も力の融合の事は知っている。そして、それがどういう意味を持つのかも。
『まさか、姉上……貴女は!?』
思わず昔のように姉を呼ぶレイアの叫びに、エルフィは寂しげな笑みを浮かべ、小さく頷いた。
『彼女は死を待つばかりだった私を命懸けで助け、瀕死となりながらも私の無事を喜んでくれた優しき者。そんな彼女を見殺しにする事など、できなかったのです』
『嘘だ!』
そう叫べば、それを事実と認めてしまう事になる。レイアはその言葉をぐっと心の奥に仕舞い、じっと姉の姿を見つめた。
『私が無実の罪を着せられる事になれば、彼女も罪を背負い、裁かれることになるでしょう。私はそれを、許すわけにはいきません』
静かに。強く決意を言葉にするエルフィ。
──エルフィ……。
それは佳穂のため。
彼女はエルフィの覚悟を胸が痛むほどに感じていた。
だが、心の迷いは拭えない。
それは仕方ないことだ。
何しろ目の前に、未だ迷いを生むもうひとつの理由が存在するのだから。
痛みに顔を歪める、傷だらけの雅騎の姿。
怪我の治癒を始めてはいるが、その深き傷は未だ治りきってなどいない。
そんな彼を放って戦いに赴き、彼にもしもの事があったら……。その不安は、未だ強く心にのしかかっていたのだ。
──どうすればいいの?
無意識に佳穂は雅騎に顔を向けてしまう。その彼女の不安そうな表情から、気持ちを察したのだろう。
彼は……何時ものように、笑った。
「この程度の怪我なら死ぬわけじゃないさ」
「でも……」
相変わらず心配させまいとする雅騎の表情に、佳穂の心がまた強く痛む。だが。
「信じて。俺と、エルフィを」
彼にこう背中を押された瞬間。
彼女の心を迷わせていた霧は、突然射し込んだ強い光にかき消されていき。そこに、決意だけを残した。
「……エルフィ。どうしたらいいの?」
佳穂は雅騎への治癒の光を中断すると、すっと立ち上がりエルフィの隣に並び立つ。
『……記憶の共有の時のように、心を落ち着けていただければ』
「分かった。信じる」
今まで抱えていた不安。それを彼女はたった一言、信じるという言葉で迷いを断ち切ると、真剣な表情で前を向いた。
『ありがとうございます。佳穂。雅騎』
「後はお願いね。エルフィ」
「もしもの時は、何とかするさ」
『はい』
佳穂はゆっくり深呼吸すると、心を落ち着けるべく目を閉じた。
未だ何が起こるか分からず、敵も味方も誰もが沈黙していた。佳穂の耳に届くのは、静かな波の音だけ。それは非常に心地よく、結果として、彼女に穏やかな心の静けさをもたらしていく。
エルフィが、そんな佳穂に静かにその身を重ねる。と、刹那。佳穂は自身の意識がどこか遠くにあるかのように感じた。
それはまるで、記憶の共有の中にあった時のように。
突然。佳穂の身体がまばゆい光に包まれる。
暫しの間、強き輝きの中にあった身体がゆっくりと光を吸い込んでいく。そして、最後にそこに立っていた者。
それは──本来のエルフィだった。
『姉、上……』
レイアは彼女の気配の変化に、思わず息を呑んだ。
確かに今までのエルフィにも、その気高く高貴な雰囲気はあった。
しかし。今の彼女からは、より神々しい高位の力をひしひしと感じる。
そう。
そこに立っている者こそ、王に直接仕える七大天使の一人。
流盾の光天使、エルフィアンナ。天界での姿そのものだった。
『師匠……』
『アンナ様……』
その高潔さを感じ取ったファルトとリナは、罪人であるはずの相手にも関わらず、静かに砂浜に舞い降りると、跪き敬うように頭を下げる。
そしてレイアもまた、その神々しさを強く感じながら、ゆっくりと砂浜に舞い降りた。
『レイア。貴女にも使命があること、私も理解しています。ですから……』
真剣な表情で語るエルフィは、迷いを捨てるかのように静かに息を吐いた後、こう口にした。
『決闘にて、決着をつけましょう』
『なっ!?』
彼女からの予想外の提案に、レイアは思わず驚きの声をあげた。
決闘。
それは天使同士が、お互いの了承を元に行う闘争である。
本来、天使同士が何かを賭け戦う事など許されない。
しかし。それぞれの主張の対立がある場合など、例外的に闘争にてその正当性を認めさせる事ができるものだ。
この姉妹の戦いにおいて、既にレイアには戦う理由がある。
そして、エルフィにも譲れない主張がある。だからこそ提示された決闘。
だが。レイアはその姉の決意に、戸惑わずにはいられなかった。
『貴女は罪人である私を裁くのです。命を奪うべく全力で来なさい。ですが。もし私が貴女に敗北を認めさせた場合には、貴女の話を聞かせてもらいます』
そんな彼女の驚きなど気にも留めず、エルフィはただ淡々と、決闘での勝利で得る対価を説明する。
『姉上……私は!』
思わずレイアは、己の本心を伝えようと叫ぶ。しかし……。
『貴女も、誇り高きエルフィ家の一族。分かりますね』
エルフィはそれを、静かな言葉と、凛とした強き想いの籠もった瞳で遮った。
レイアは既に気づいていた。
姉は、既に天使でない状況にあったからこそ、行方が知れなかったこと。そして。彼女は決して、天使を裏切ってはいないことを。
だが。自身が受けし王からの勅命。それは天界において絶対的なものでもある。
そんな妹の状況をエルフィも理解している。だからこそ彼女の誇りのため、姉として敢えて剣を交えようと、心に決めたのだ。
そんな姉の強い想い。レイアは歯がゆそうな表情を浮かべ、目を伏せる。
本当ならば、戦いたくなどない。だが、勅命を捨てる事は、自身だけでなくファルト、リナにも咎を背負わせる事になる。
であれば、選ぶべき選択は──ひとつ。
レイアは、ゆっくりと目を開く。
『……我の名は、エルフィレイア』
右手に持った剣を垂直に立てるように構え、ただ真っ直ぐに立つレイア。
それは決闘を行う前の儀式。
彼女の構えに、エルフィは静かに頷き目を閉じると、手を前に伸ばした。
ゆっくりと彼女の掌に光が集まり、浮かび上がるように現れたのもの。それは刀身に眩い光を帯びる、翼を模した装飾が施された長剣。
『我が名はエルフィアンナ。今宵、この時。貴女に決闘を申し込みます』
目を見開くと、その剣を同じように右手に取り、レイアと同じ構えを取るエルフィ。
『レイア様!』
やめて! と言わんばかりにリナは強く彼女の名を叫ぶ。
『こんなのやる意味ないだろ!』
レイアの心情を察してしまったファルトもまた、思わず身を乗り出し、彼女に食ってかかる。しかし。
『ファルト。リナ。手出しは無用。分かっているな』
彼女はそれを制すると、長剣を両手で持ち、身体を前傾に構え、今にも飛び出さんとするレイア。
対するエルフィは剣を持った手を一度下ろすと、ゆっくりと彼女に向け歩き出す。
『行きます!!』
そう叫ぶと同時に、レイアは翼を大きく広げると、低空を高速で飛行し一気に間合いを詰めた。
勢いのまま、剣を横に一閃。
キィィン!
その剣撃をエルフィは長剣で受け流す。
そのままレイアは連続で剣を放つが、その場から動くことなく、エルフィは剣で時に受け流し、時に弾き返していく。
やまぬ斬撃の嵐──と見せかけ、突如一気にレイアはエルフィの背後に疾風のごとく素早く回り込み、死角から更なる一撃を放つ。
が。それをエルフィは迷わず翼で受ける。瞬間、そこに青白い障壁が浮かび上がったかと思うと、レイアの剣が勢いをそのままに、滑るように翼の先に流された。
キンッ! キキンッ!! ガキンッ!
その後も位置を変え、時に強き一撃を、時に連続で緩急のある剣撃を絶え間なく放つレイア。しかしエルフィは全て、淡々と捌いていく。
自らの剣や翼で攻撃を受け流し、時に弾く。その姿はまさしく流盾の名を冠するに相応しいもの。
しかし。それでもレイアは彼女の周囲を素早く位置を変え、変化をつけ。なんとか一撃を決めようと足掻いた。
時に激しい砂煙を上げ、体を入れ替えながら続く、高速で展開する攻防。
より強い覇気に圧され、既に目で追うことすら難しいその戦いを、ファルトとリナは唖然としながら見守ることしかできない。
その最中。痛む左脚に無理をかけ、結界に背を預けながら、雅騎はゆっくりと立ち上がった。
痛みを堪え、じっと戦いを見つめる彼の目は、未だその攻防をしっかりと捉え続けている。
各々がこの戦いの行く末を目に焼き付けていく中。
激しく剣撃を放つレイアの心に、エルフィと過ごした日々が蘇る。
──『やはり筋が良いですね。レイアは』
稽古をつけながら笑顔を見せるエルフィ。
──『大丈夫、貴女ならやれますよ』
初めて任務を任された時、自身を励ましてくれたエルフィ。
──『そ、そんな……』
ファルシオスが仲間の天使を殺め、天界から逃亡したと聞いた時の、信じられないといった表情のエルフィ。
──私は、姉上が罪を犯すなど、信じられなかった。
姉との数々の想い出が、改めてレイアの心を責める。
その気持を振り払うかのように。強く、素早く、己の剣を振るうも。未だ、その切っ先がエルフィに届く事はない。
──王より姉上が行方不明となり、シオス様に加担し天界を離れたと聞いた時。本当は信じることなど出来なかった。
今までひたすらに攻撃を仕掛けてきたレイアが、突如一気に波打ち際の方へ身を引き、距離を開けた。
──だが、王の命は絶対。だからこそ迷いを捨て、姉上を罪人と疑い、この任に着いた。
剣を両手で縦に構える。それは今日何度か雅騎に。そしてエルフィに繰り出した、あの技の構え。
──そう。私は……。
『轟け! 疾速の雷斬!!』
レイアは渾身の力で、その技を放った。
──最も信じるべき姉上を、信じることができなかった。
今まで繰り出してきた技を凌駕する勢いで疾走する雷光。その鋭く力強い技に、エルフィは嬉しそうに目を細めると、静かに目を閉じる。
『裁きの光を』
瞬間。両手で剣を構えると、素早く縦に、そして即座に横に、強く剣を振るった。
『聖光の十字架!!』
彼女の剣撃から放たれた、十字架のように交差した光の斬撃。それは勢いよくレイアの技と激突する。
刹那、巻き起こる爆発。そして──レイアの放った雷が、放電し消え失せた。
勢いをそのままに、聖光の十字架がレイアに襲いかかる。
と、その時。エルフィは自身の瞳に映った彼女の表情にはっとした。
『レイア!! 避けなさい!!』
大声で叫ぶエルフィ。
そう。声を掛けられたレイアは、既に剣を構えていない。
ただ静かに、何かを受け入れるかのように、そこに立ち尽くしているのみ。
『レイア様!!』
『逃げてください!!』
ファルトとリナもまた、必死に叫び声を上げる。
だが彼等も。そしてエルフィも。突然のレイアの行動に気が動転し、全く動く事ができない。
──申し訳ありません。姉上……。
覚悟を決めたレイアは、呼び掛けに応えることもせず静かに目を閉じると、心で姉に謝罪した。
王の命に背く事はできない。しかし、姉を信じ、助けたい。
その葛藤が生んだ答え。
それは、姉の手で殺される事で、王の命に背かず、姉を生かす。そんな道だった。
眼前に迫る聖光の十字架。レイアがその裁きを受け入れようとしたその時──。
まるで、彼女の選びし道を咎めるかのように。何者かが立ち塞がった。
「間に合えぇぇぇっ!!」
突然目の前から聞こえる強き叫び。
思わず目を見開いたレイアの前に、その背中が映る。
それは──。
『お前は!?』
『雅騎!?』
レイアが。エルフィが。思わず同時に叫ぶ。
そう。そこに現れたのは、雅騎。
あの怪我でどうやってその場に現れたのか。
突然の出来事に理解が追いつかず、天使達が皆、驚愕する中。
彼は咄嗟に両手を前に突き出し、ドラゴンの豪炎をも止めた、半球状の青白い光の魔方陣、魔壁の盾を目の前に繰り出した。
間一髪。魔壁の盾が聖光の十字架を受け止める。
激しい衝撃が魔方陣と雅騎を襲う。それを押し返そうと、前屈みになり全力で力を掛け、一度は聖光の十字架を押し留めた。
しかし……。彼の脚が砂に跡を残しながら、少しずつ魔方陣ごと後退し始める。
『何故!?』
『何故ここにいる!?』。そんな言葉が心に浮かぶも、突然の出来事にレイアはそれをうまく言葉にできない。
「ぐっ! やっぱエルフィは、凄いなっ!」
そんなレイアには応えず、無意識に雅騎はそう吐き捨てると、苦笑いを見せた。
痛みを堪え。今できる全力を懸け。彼は必死にその場に踏みとどまろうとする。だが。
──これ以上は、厳しい……か!?
天の狩猟場でより高まった、流盾の光天使本来の力。それは、レイア達の比ではない。
それを雅騎は身を持って痛感し。同時に、今の自分ではこの技を止められないと理解する。
このままではレイア共々、自身もまた光の斬撃に飲まれるだけ。
だが。雅騎は、レイアの死だけは、認めようとはしなかった。
顔を横に向け、ちらりとレイアを見る。まだ彼女は無事。しかし咄嗟に動ける余裕はない。直感でそう判断すると、刹那。
──一か、八か!!
彼は、己のもうひとつの武術を繰り出した。
神名寺流胡舞術、瓢風。
御影がいれば、思わずそう叫んでいたであろうその技は、非常に素早い動きで相手の側面を取る技である。
彼はそれを用いて、瞬きすら許さない速さで、その場からレイアの脇に移ろうと試みた。
動く度に痛みしか伝えない身体に、初動から雅騎の顔が歪む。
当たり前だ。
ここまで傷ついた身体で、自己転移と魔壁の盾を同時に駆使し、聖光の十字架をなんとか食い止められた事自体が、奇跡というべき代物。
それほどまでに、彼の身体は既に限界なのだ。
しかし、それでもなお。彼は僅かな可能性に賭け、痛みと共に最後まで足掻いた。
彼の諦めない心に、神が応えたのか。
想像を遥かに超える雅騎の素早い動き。それは本来、動きに合わせ移動すべき魔方陣を、僅かな時間分け残した。
術者のいない魔方陣の力など微々たるもの。だが残りし魔壁の盾が、聖光の十字架をほんの数秒、その場に踏み留まらせる。
雅騎は、奇跡を見逃さなかった。
レイアは突然、自身の脇に強く輝く光を感じ取る。
咄嗟に反応しそちらを見た瞬間。目の前にいるはずの雅騎が、至近距離にいた。
彼はそのまま、あの日ドラゴンに最後の一撃を放った時同様、素早く弓を引き絞るような動きで、眼前の魔壁の盾を閃光の矢に変えた。
標的は勿論、レイア。
──まさか!?
雅騎の真剣な眼差しに、流星の短剣の恐怖が過ぎり、身体を強張らせる。
「いっけえぇぇぇっ!!」
そんな彼女の怯えを意に介さず。魂の叫びと共に、雅騎は迷わず閃光の矢を撃った。
放たれた光の矢は、間髪入れずレイアに直撃し、刹那。
巻き起こったのは大きな光の爆発。その衝撃が彼女を遥か上空に、勢いよく吹き飛ばす。
『なっ!?』
突然のことに動転するも、本能がそうさせたのか。
空中に飛ばされたレイアは咄嗟に身を翻し、上空で体勢を立て直すと、思わず自らの身体を確認する。しかし、爆発による痛みは全くない。
彼女はあまりの事に混乱していた。だが同時に、その事実にだけは気づく。
──私を、助けただと!?
声を発する事も出来ず。彼女は愕然と、先程まで自身がいた場所を見た。
その場に残っていた雅騎は、がくりと崩れ落ちるように膝をつく。そして、レイアと目があった時。彼は……ほっとしたように。小さく。力なく。微笑みを浮かべた。
瞬間。
聖光の十字架を受け止めていた魔壁の盾が、砕け散った。
再び自由を取り戻した光の斬撃は、今度は雅騎に牙を剥く。
『逃げてぇぇぇっ!!』
動くことすらできない天使達。ただ一人、エルフィだけが必死に叫ぶ。
しかしその声は既に、雅騎に届くことはなかった。
そう。瓢風で無理やり移動し、閃光の矢でレイアを危機から解き放った彼にはもう、動く力など、残っては、いない。
激しい光の斬撃は躊躇なく雅騎の身体に直撃し、次の瞬間。彼を勢いよく吹き飛ばした。
身体を光の奔流に刻まれ。激しく散る血しぶきで砂浜を穢し。強風に煽られたかのように勢いよく転がり。勢いが収まらぬまま海に飛び出し。海面を二度、三度と勢いよく跳ね。そして……。
バシャァァァァン!!
最後に大きな水しぶきを立て、雅騎は海中に姿を消した。
『雅騎!? 雅騎!!』
エルフィは絶叫と共に飛び出すと、上空から必死に海に沈んだ雅騎の姿を探す。
しかし、夜も深まったこの時間。月明かりだけが周囲を照らす状況では、彼の姿を見つけることはできず。
天使達が視ることのできる生命も、海という壁に阻まれ、弱々しい燃え尽きかけた生命を相手にしては、視ることも叶わない。
『雅騎ぃぃぃぃぃっ!!』
静かな海に、三度エルフィの絶望の声が響き渡る。
しかし。
それに応える声はなかった。