06
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アカはベッドの上でひざを抱えて座り込んだまま顔をうずめていた。
あれから騒ぎが一段と酷くなり、その中から逃げるようにアカは部屋にこもってしまったのだ。
アユリはそれにずっと寄り添っている。
リルハはそのあとも彼らの話を聞いてから先ほど部屋に戻ってきていた。
少しばつが悪そうにドアのそばに寄りかかっている。
アカがずっと自分が何もできていないことを悩んでいたことは全員知っていたのだ。
逃げ出してしまい、役に立てたためしのないアカ。
ぼくには世界を救えないのではないだろうか、それがアカの口癖のようにすらなっていた。
それをアユリやリルハはずっと否定し続けてきたのだ。
アカなら世界を救ってくれる。
本当に、それを彼女たちは信じていたから。
そしてこうして今、彼は魔王を打ち倒してくれて感謝していた。
応えてくれたアカのことを二人とも強く、想ってくれている。
なのにアカは未だに自信を持つことなく、ずっと何かに怯えるようにうつむいていたのだ。
申し訳なさそうに、彼が夜中独り言をつぶやいているのを度々聞いていた。
どれだけ二人がアカに感謝しようと、アカのしてくれたことを説こうと彼は受け入れない。
必ず首を振って、自己嫌悪に陥ってしまう。
自分なんかには何もできていない。何もできるわけがない。
世界だって救えていない。救えるわけがない。
誰の期待にも応えられない。応えられるわけがない。
君たちのような強くて素敵な人の仲間でいるような資格は自分にはない。
このまま自分がここにいてもいいとは思えない。
彼は言外に語り続ける。
頑ななアカにはどんな言葉も通じなかった。
何を言っても彼は首を振るばかり。
アユリやリルハにはどうしてもわからなかった。
いくら力がないからと言って、どうしてここまでも自己否定ばかりを繰り返すのか。
ここまでも自己嫌悪の激しい人に会ったことがなかったのだ。
自分たちも自己嫌悪することくらいある。
しかし、他人が認めてくれているのにそれすら受け入れることができないとはいったいどれほど深い闇を抱えているのだろう。
アユリはこの世界に来る前に何かがあったのだろうと考えていた。
何せ彼は召喚された瞬間からずっと、泣いていたのだ。
何かに怯えて、泣いていた。
当分の間、声をかけようとするだけでびくりとおののいて逃げてしまうほどに。
しかし、アカに聞いても何も応えてくれない。
それまでの勇者たちもそうだったが来る前のことを誰一人として語ってくれないのだ。
そのせいでこの世界の外がどうなっているのかわからなかった。
多重世界なのであろうことはわかっているのだが世界間の移動にこちらから成功したものはいない。
呼び出すことだけはできているのだが。
何故呼び出せているのかもわからない。
古くから伝わる勇者召喚の儀。
毎度成功するわけではなかったがアカを含めて十三人を呼び出すことに成功している。
儀式そのものは間違っていなかったのだろう。
原理はわからずともそれだけは正しいと思われる。
その召喚で訪れた最後の希望、本当に世界を救ってくれた勇者はこんなにも弱々しい少年なのだ。
自分が救った民衆に否定されて、部屋に閉じこもってしまうほどに。
彼が救ってくれたのは本当なのだ。
たとえそれが彼らの望む姿でなかったところで、それは彼が自分を責めなければならない理由にはならないはずだった。
だから、アユリはそばに寄り添ってずっと背中を撫でている。
「あなたは何も悪くない。誰もが認めなかろうと、私たちにとってはあなたこそが真の勇者なのです」
そう、つぶやきながら。
勇敢でなかろうと、逃げ癖があろうと、力がなかろうと、彼は世界を救ってくれた。
それだけは事実なのだから。
アユリたちの大切な仲間であり、世界最強の魔王を打ち倒した少年、アカ。
彼は今も何も言わないまま顔を上げない。
泣いているのか、落ち込んでいるのか、自己否定を続けているのか。
端から見ているアユリにはわからなかった。
それでも彼に声をかけ続ける。
大丈夫だから、私たちは信じている、あなたの味方なのだ、と。
声を掛けてもほとんど反応はなかった。
ただ、勇者と言う言葉にだけはびくりと反応する。
嫌がっているように、ふるふると首を振って彼は否定するのだ。
自分は勇者なんかじゃない、そう訴えるかのように。
アユリはどうしたらいいのかわからなくなる。
アカは話を聞いてくれない。言葉を理解してくれているのかすらわからなかった。
これではまるで召喚当時と同じだ。
もしかして、と彼女は思う。
彼は本当は勇者になんて、なりたくなかったんだろうか、と。
自分があんなに期待してしまったから、彼は気の弱さから従うしかなかっただけなのではないだろうか?
前から思っていたが彼はあまり自分の意志を表に出さない。
求められたらその通りの反応を見せてしまう。
さっきだって絶対に嫌だったろうに男に絡まれてもアカは無理やり笑っていた。
ほとんどずっと、笑顔を絶やさずにいるのだ。
いつでも、どんなときでも、みんなのために笑顔を作り続けている。
そんな彼だからこそ自分に期待されて、応えなければならないと思ってうなずいただけではないだろうか。
本当はそんなことしたくなくて、世界を救う気もなかったのでは、ないだろうか。
だって彼はあの力を使うことを嫌がっていた。
ずっと悩み続けていたのをアユリも知っている。
魔王を打ち倒したあともずっと、ずっと悩んでいた。
せめて命は奪わないでと泣いた彼を覚えている。
彼はきっと、誰とも争いたくないのだ。
向かい合いたくなど、なかった。
魔王と話している間もずっと怯えていたのにアユリだって気付いている。
それでも、アユリは彼に望んだ。
だから、アカは応えてくれただけだった。
アユリが、望んだから。
だとすればアカがこんなにも辛そうで、悩み続けているのはアユリのせいなのではないだろうか。
いや、間違いなくそうなのだろう。
アユリが望まなければアカはこんなに悩まなくて済んだ。
辛い想いをしなくてよかったはずなのだ。
自分のせいでこんなにも辛そうな彼を見るのは辛かった。
彼にしかできなかったとは言え、彼のような弱々しい少年に頼んでしまったことは正しかったのだろうか。
彼にこんなにも重い重責を背負わせてしまって、本当によかったのか。
よくは、ないと思えて仕方がない。
「……ごめん、なさい」
アユリはつい、こぼしてしまっていた。
それはきっと、アカが言いたくて言えなかった、言葉。
世界は救えないと一人のときだけこぼす否定の言葉と同義の、言葉だった。
誰かに向けた否定はアカにとって禁句なのだ。
それだけでアカは人を傷つける。
だからこそアカは言葉に本当に気を使って話していた。
そんなアカには言ってはいけない言葉だったはずなのに。
罪悪感に耐え切れず、こぼしてしまった言葉はアカの耳に届き、アカは顔を上げる。
涙に濡れた、顔を上げた。
そうして彼は、微笑んだ。
「大丈夫だよ」
どう見ても大丈夫じゃない顔で、アカはそう、微笑んだのだ。
アカはそうすることしかできない。
だからこそ、言ってはならない言葉だった。
アユリはもう、耐え切れなくなってアカを抱きしめながら、泣きじゃくる。
言葉はなかった。
言ってはならない言葉を言ってしまった自分の弱さを呪いながら、アカを抱きしめる。
そして、アカの強さを知った。
アカはこんなことにずっと耐え続けているのだ。
否定することができない、それはどれほどまでに、辛いことなのか。
身をもって思い知ったアユリはただただ、泣くことしかできなかった。