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お約束の過去話(後編)

 居酒屋の隅の二人掛けボックス席を陣取って、俺――杉田三郎はフライドポテトをつまみにビールを飲んでいる。このフライドポテトを食べ終えたら、さりげなく持ち込んだ堅あげポテトをつまむとしよう。人目につかない席を陣取ったからバレ難いだろうし、バレたとしてもまあ顔見知りの店主がやっている居酒屋だから、大事にはならないだろう。


 普段はこんなところで一人酒を飲む習慣などない。

 ここに座っているのは、先日のギター教室ライブから胸の中で渦巻いている不可解な高揚感を鎮めるためだ。


 それがおそらく俺たちの昔話――桐原加奈に起因しているのは薄々感じている。


 その事について、俺たち4人がよく来ていたこの居酒屋で思い出してみようと思った。

 酒の力と、居酒屋の雰囲気を借りて、今まで考えまいとしてきた事に終止符を打とうと思った。


 心の中に沈んでいた何かが、この前のライブを機に色を変えたような予感がある。

 その色を確かめたい欲求と、それを直視することに対しての少しの不安が俺を高揚させているようだった。


 そう、あれは「弾き語り部門」が本格的に活動を開始した1年生の頃の夏。

 物置としてしか使われていなかった卓球部の部室を、涼子の伝手で弾き語り部門の部室と兼用にしてもらってから、俺たちはよくそこに集まってギターの練習をした。


 バイト代を叩いて買ったマーチンのアコギをまるで大砲のように抱えながら爪弾く、子供みたいに小さく、しかし目だけはぎらぎと輝いている女。


 加奈は小柄で痩せっぽち、さらに短い髪とユニセックスに服装が相まって、傍から見ればやけに可愛い男友達か弟みたいに見えていたかもしれない。行動もどこか男勝りなのだが、容姿に見合わない不自然な男らしさが時に滑稽で、俺たちの間ではしばし笑いの種になった。


 最初は変な女だと思った。


 そんな加奈に対する感情も「弾き語り部門」の活動が本格化した頃にはどこか別のものに変わっていたような気がする。


 俺はギターの技術で加奈に負けたくなかった。

 ほぼ同じ時期に同じ環境でギターを始めたから当然ライバル視するものなのかね、と考えていたが、どうやら若干違うニュアンスである事に気付いた。


 加奈に負けたくないというよりは、常に加奈の前を歩いていたいというか。


 俺は加奈から尊敬されたかったのかもしれないし、褒められたかったのかもしれない。ギターという楽器にのめり込んでいく加奈から「杉田君はすごいね」と言ってもらいたかったのかもしれない。


 要するにあれだ。


 多分、俺は加奈に惚れていた。


 その気持ちに気付いてしまってから、俺は今までとは別の感情を持って弾き語り部門の面々を見る事になっていた。

 部室であるいはギター教室で、常に加奈の視線を受けているのは当然のことだがごっちんだ。そんなごっちんに対して俺は少しばかりの「嫉妬」みたいな感情を持ち始めていたと思う。

 加奈の前を歩き尊敬されるのはごっちんだった。

 俺の夢見るポイジションに立ち、颯爽と歩いているのはごっちんだった。


 そして加奈はそんなごっちんに憧れていた。

 多分、ギターの師匠としてとはまた違った感情を持っていたのだろう。

 自分がそんな感情に焦がれて初めて、相手の感情の機微を感じ取れるようになった。


 そんな二人のやり取りを目にする事を、俺は少しばかり苦痛に感じていた。


 やがて季節は秋になり学祭の話題もちらほらと出始める。

吹奏楽とか合唱だとかそういう「ちゃんとした」音楽とは違い大会なんかが存在しない軽音楽分野にとって、学祭というのは最大ステージである場合が多い。

 だから加奈が軽音楽部部長から「弾き語り部門としての発表枠」をゲットしてきた時、大きな目標を目の前にぶら下げられた俺たちは当然興奮したし、富士山を全力で駆け上るみたいなモチベーションの高まりを感じた。


 しかし、俺の中に張り付いた嫌な感情は消えなかった。

 不気味な蛾の繭にも似たその感情は、茶色と赤の入り混じった大きな羽を広げる時を待っているようだった。


 加奈は一生懸命ギターの練習に打ち込む。


 俺が学食で堅あげポテトをかじっている時も、ごっちんと二人でギターを弾いている。


 ごっちんと二人で。


「学祭、絶対成功させようね」それが加奈の口癖だったし、それに見合う努力も行っていた。


 それに比べて俺は、どんどん大きくなる蛹によってギターに対するモチベーションが押し潰されていくのを感じていた。

 少しずつ弾き語り部門へ赴く足が重くなっていく。


 学祭まであと2週間を切った頃――ついに醜い蛾が羽を広げた。


 その日俺は学食で堅あげポテトを食べたあと、二人に少しばかり遅れて部室のドアを開けた。

 いつものように二人はギターの練習をしている。

 どこか二人だけの空間が作られているような気がして、俺は苛立ちを募らせた。


 わからない箇所があったのだろう、加奈はごっちんの弦を抑える左手に右手を伸ばす「今のどの弦を押さえてたの?」加奈の細い指がごっちんの筋張った指に触れる。


 自分が意図せず相手の指に触れたことに気付き、加奈は赤くなってごっちんの横顔を見る。


 その目にほんの少しだけ「女の子」としての加奈が映り込んでいた。


 それは今まで、誰にも見せたことのない姿だった。


 それを見た瞬間、俺の中で成長を続けていた繭の背がびりびりと引きちぎられ、巨大な薄黒い怪物のような蛾が羽ばたいた。


「おまえらさ――」なんであんな言葉を口走ったんだろう。


「てゆうか加奈、お前さ――」その言葉は加奈に向けられるべきものではないはずだ。


「いちゃつくんならよそでやってくんない? そういう目的でギター弾いてほしくねーんだよ――」だが俺の言葉は操られたかのように止まらない。


「お前、ギターを弾く資格ねぇよ」


 言って、その直後に後悔した。

 でもその辛辣な言葉を撤回するような勇気もなく、俺は足早に部室を立ち去った。


 それ以来、弾き語り部門の部室には顔を出さなかった。

 顔を出せるわけがなかった。


 学祭の最終日、置き忘れてきたギターを回収するため部室に足を運んだ俺は、部屋の片隅に座り込んでギターを磨いているごっちんと鉢合わせした。

 なんとも気まずい空気が流れるが、無視して用件だけ済ませて出ていくのもはばかられた。


「学祭、どうだったんだ?」何の気なしにそう尋ねる。


「やらなかった」ギターを磨きながらごっちんは応える。


「なんでよ」


「桐原が、三人でやらなきゃ意味がないって辞退した」無表情でそう応えるごっちんがどんな気持ちなのかはよくわからない。しかし無表情で無愛想だが、誰よりも俺たちの事を考えてくれているのはわかる。


「そうか、悪かったな」俺はそれ以外に応えようが無かった「そういや、加奈は?」


 ごっちんは無言で部屋の隅を指さす。

 そこには加奈のギターが立て掛けられていた。

 ごっちんの意図することが分からないままギターに近付くと、ピックガードに付箋紙が貼られていた。


『このギターは杉田くんに譲ります。かわいがってくださいね。弾き語り部門よ永遠なれ。桐原加奈』


「家庭の事情でな」ごっちんが言う「大学を辞めなければならなかったらしい。学祭まではと親に無理を言っていたらしいが――」その先をごっちんは言わなかった。


 しかし、その先は俺でもわかった。


 加奈は大学を辞めなければならなかったが、最後の思い出に学祭で演奏したかったのだろう。

 だからあれだけ熱心に練習に励んでいた。

 しかし俺のせいで三人での演奏は叶わず、そのほんの小さな願いすらかなえられないまま加奈は大学を去った。


 この場にごっちんがいてくれてよかった。


 もしごっちんがいなかったら、俺は最低最悪の自分の頭をぼこぼこに壁に叩きつけていたかもしれない。


『ギターを弾く資格がない』


 それは俺に対しての言葉だ。


 自分の感情に振り回され、本当に大事なものに最後まで気付けなかった俺への言葉だ。


 ――そこまで回想するのにビール5杯と堅あげポテト3袋を消費した。


 あれから俺は少しばかり他人に対して臆病になった。

 加奈を介してつながっていた涼子とは疎遠になり、唯一腐れ縁みたいに傍にいたごっちんと二人で、なんとなくの日々を過ごしていた。

 ギターを弾くのは気が引けた。

 たまに弾いてみようと思うのだが『ギターを弾く資格がない』その自分の言葉が頭を掠めて長く弾く気にはならなかった。

 弾こうとすると弦が切れたりした日には「加奈が俺を思い出してキレてんのかな?」とか思ったりもした。


 しかし、この前のライブで変わった気がする。


『ギターを弾くのに資格なんかいらない』


 ごっちんがそう言ってくれたことで、今までお互いに触れないでいた事柄に終止符が打たれた気がした。

 それは加奈が言いたかった言葉でもあるんじゃないかなと思う。

 そして今の俺は、その言葉に素直に頷くことが出来る。


 ギターを弾くのが楽しい。

 めちゃくちゃ楽しい。

 そんな気持ちがあれば、ギターは弾き手を拒まない。


 なんか飲み過ぎた気がする。

 そろそろ引き上げようか。


 俺は立ち上がり、会計を済ませるためレジへと向かう。

そこでカウンター席に座っている知った顔に気付いた。


「あれ、涼子じゃん」


「あ、え?」日本酒を片手に頬杖をついていた涼子は驚いた容姿でこちらを見る「あれ、なんでここにいるの? あ、これは違うの、ちょっと友達におすすめされたから味見してみただけで――」空になった徳利を隠そうとする。


「ふーん、なんか奇遇だな。よく来んの?」


「ううん、一人では、はじめて」


 昔の事を思い出すために入った居酒屋で、昔つるんでいた4人の一人に出会う。


 そんな偶然がおかしくて、なにやら神様らしきものがそうさせたような気がして、俺は大声で笑いだしたいような気持になった。


「よし、まだ飲もう。涼子となりいいよな?」と一応聞くが返事は待たず勝手に座る「俺が奢ってやるよ。バイト代が入ったばかりなんだ、ありがたく思え」


「え、あうん」涼子の顔が赤い。どれだけ酒を飲んだのやら。


「お前、顔真っ赤なのな。どんだけ日本酒をがぶ飲みしたんだよ」


 涼子は無言で俺の顔を見る。なんか目が座っている。

 そしてあからさまなため息をつくと――


「ほんとさ、杉田くんって鈍感だよね」


 よくわからないことを言い出したが、今の俺は気分がいいので気にしない。


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― 新着の感想 ―
[一言] とりあえず死んでなくてよかった。。 最悪の事態が頭をよぎってたんで・・・、加奈さんは生きててよかった。。。
[一言] こらこらこら。。(^^;)
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