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弾き語り部門の熱い夜(後編)

「杉田って、杉田三郎君かい?」先生が驚いた顔で五智先輩を見る「彼はまだギターを続けていたんだね」先生は杉田先輩の事を知っているのだろうか。


「続けているというか……」五智先輩は口ごもる「いずれにせよ、こういう状況じゃ、杉田に頼るしかないです」


 五智先輩はスマホを取り出すと電話を掛け始めた。


「なぁ平」正方寺が言う「杉田先輩が来たところで、どうしようもないんじゃないのか?」


「うーん」僕も否定する事が出来ない。杉田先輩が来たところで、ソファーズのリードギターの一方を荷うほどの腕前があるとは到底思えない。


 僕たちは、杉田先輩がギターを弾いている姿を見たことが無いのだから。


「ごめんね、僕がこんな失態をやらかしたばっかりに」左腕を押さえながら先生が僕たちに頭を下げた。


「いえ、そんないいんですよ。杉田先輩が来てくれるかもしれないですし」来たところでどうにもならないだろうけど、下げられた頭を上げてもらうための方便として、僕は杉田先輩の名を出した。


「君たちは杉田君の後輩なのかい?」


「ええ、僕たち4人で軽音楽部弾き語り部門なんです」正方寺が応える。


「そうか、弾き語り部門か」先生は遠い目をして嬉しそうに笑った気がした。


「先生は杉田先輩を知っているんですか?」僕が質問する。


「知っているも何も、彼は僕の生徒だったからね。いや、正確には五智君の生徒かな。五智君が、杉田君ともう一人『桐原さん』という女の子にギターを教えていたんだよ。彼らが大学に入ってすぐの頃かな」


 初耳だった。


 五智先輩と杉田先輩は、弾き語り部門以外でもつながりがあったのだ。


 でも、桐原さん? 聞いたことが無い名前だ。


「五智先輩にギターを習ってたにしては、杉田先輩はギター下手だよなぁ」正方寺が呟く。


「杉田君が下手だって?」先生は驚いた顔で正方寺を見る。


「僕達は先輩がギターを弾いているところを見たことがないんです」僕は困ったように笑う「だから、上手い下手以前の問題で――」


「そういう事なら、彼は弾けないんじゃない、おそらく弾かないんだと思うよ」


「どういうことですか?」


「詳しい事情を僕は知らないけど、少なくとも彼のギターは下手なんかじゃない。経験の差があるから五智君には到底及ばないけれど、杉田君のギターセンスは生徒の仲でも抜きん出ていたよ。あれだけ成長の早い生徒を僕は見たことがない」


「そんな、ならなんで、ギターを弾かないんですか?」僕は訳が分からなくなってきた。


「それは分からない。ただ、何か理由があるんじゃないかな」先生の顔は生徒を案ずる指導者の表情になっていた「そうか――弾かないか」


「そこを何とかならないのか?」


 電話をしている五智先輩の語気が強まる。どうやら難航しているらしい。


「いや、ゲームなんていつでも出来るだろ」


「ん、飯はコンビニででも買えばいい」


「堅あげポテトもコンビにで買え」


「だから、ゲームは明日でいいだろう」


 その言い訳のレベルの低さに僕は辟易した。

 杉田先輩はどうしてもここに来たくないらしい。余程面倒なのだろうか。


「――なに」急に、五智先輩の声音が変わった気がした。

深刻そうな表情で、頷いている。


 その眉間には皺が寄せられ、ギリギリと奥歯を噛みしめている。


「ああ、お前の言いたいことはわかった。だがな、これだけは言っておく――」


 そして低く、しかし鋭い声で言い放った。


「ギターを弾くのに資格なんて要らない。桐原はそんなこと望んじゃいなかった」


 数秒の沈黙の後、杉田先輩は電話を切り「来るらしい」そう一言呟いた。


 19時になり、発表者の家族や友人などの観客達が集まりきったところで、発表会の幕が上がった。


「それではみなさん、楽しんでいってください」


 先生からの一言を皮切りに、各々のバンドによる演奏が始まる。


 アニメの主題歌を演奏する中学生バンド。


 外国人をボーカルに向かえネイティブな発音で本格的な洋楽を披露する若者たち。


 オリジナル曲を演奏する親子。


 仕事着のままで「ロックンロール!」と叫びギターをかき鳴らすおっさん達。


 それぞれ熱のこもった発表が続く。


 一つのバンドが演奏を終えるたびに、僕は心臓の鳴りは高まって行く。

 耳障りで、不快な音色だ。

 さっきまでの心地よい緊張は、今は罪悪感に取って代わられている。


 本当に杉田先輩は来るのだろうか。もし来なかったらリードギターは五智先輩だけになってしまう。

 講師陣の演奏が発表者の中で一番情けないものだったら、集まった人たちはどんな気持ちになるだろうか。先生が怪我をしてしまったという理由はあるにせよ、きちんとした演奏を披露する責任が僕たちにはあるのではないだろうか。


 脇にいやな汗が滲んだ。


 ああ、何故僕は五智先輩のように上手く弾けないのだろう。


 もしかして僕が下手糞なせいで、僕がリードギターを弾けないせいで、今こんなにどうしようもない状況に陥っているんじゃないだろうか。

 

 これで演奏が不評だったら、僕の全ては僕の責任なんじゃないだろうか。


 体が震える。


 純粋に恐怖と不安から来る震えだ。


 「平、大丈夫か?」正方寺が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


 僕は何も答えない。答える余裕がない。


 その時「来た」五智先輩が呟いた。


 ギターを抱えた杉田先輩がキョロキョロと周囲を見回している。五智先輩が手を上げると、杉田先輩が小走りで近づいてきた。


「よう」


「悪いな」


「堅あげポテト全種類な」


「ああ」


「俺たちの番はいつだ」


「次の、次だ」


「了解」


「ソファーズのリードは弾けるか?」


「ごっちんが弾いていたパートなら。飽きるほど聴かされたからな」


「わかった、なら私は先生のパートをやる」

そこで杉田先輩は僕たち2人に目を向け、「お前ら、緊張しすぎじゃね?」と言って笑った。


「すみません、僕が下手糞なせいで」僕は消え入りそうな声でそう呟く。


「まぁ、平ちゃんは色々器用貧乏なところがあるからね、色々押し付けたごっちんが悪いよ」ハードケースからギターを取り出す。弦は張り替えられ、ボディも綺麗に磨かれていた「まぁ、俺に任せとけって」


 あの杉田先輩の言葉なのに、その声には普段にはない重みがあった。


 僕は急に肩の力が抜けるのを感じた。


 震えはいつの間にか止まっていた。


「先生、久しぶりっす」


「ああ、杉田君、久しぶりだね」先生が杉田先輩の存在に気付いた「大学で色々頑張ってるみたいだね」


「まぁぼちぼちっすかね」


「あれ、そのギター」先生の視線が杉田先輩の持つマーチンに向けられた「確か、桐原さんの――」


『じゃあ、続きまして先生方のバンドです』そこで司会進行からお呼びが掛かる『先生は先ほど手首を怪我してしまいまして――ああ、もちろん大事には至ってないですが、今日は演奏が出来ないようなので、五智君――いやいや、五智先生とそのお仲間での発表になります』


「いくか」五智先輩が立ち上がる。

 僕らも立ち上がった。

 

 中央左側にボーカルの正方寺、その更に左隣に僕。

 中央右側には五智先輩、更に右隣には杉田先輩が立つ。


 ステージに立つとと、今まで座っていた向こう側の世界は、黒のクレヨンで描かれたみたいに現実感が希薄でぼやけた輪郭だけの世界へと反転する。

 対して今僕たちが立っているこの世界は、スポットライトが粟立つ肌の産毛の一本一本すら際立たせる光の世界だ。

光によって照らし出され、身体という遮蔽物さえも取り除かれたむき出しの心が、魂が、そのまま僕たちの姿をとってステージに立っているような気分だった。


 全てが敏感に感じ取れるが、どこか地に足がついてないような浮遊感もある。

 それは心もとなくもあり、同時に快感でもあった。


「えー、先生方バンドです」五智先輩がマイクに向かう「ソファーズの曲を2曲やります」


 五智先輩らしい簡潔なMCに会場から暖かな笑が漏れた。


 五智先輩が杉田先輩を見る。

 杉田先輩が頷く。


 ギターが鳴った。


 五智先輩のギターに、杉田先輩のギターが応える。

 二つの音は互いが互いを高めあい、支えあい、手を繋ぎワルツを踊るように、ついては離れてを繰り返しながら会場を円舞する。


 杉田先輩が五智先輩にニヤリと笑いかける。

『あいかわらず、いい音鳴らすな』そう言っているような気がした。


 五智先輩も口元だけで笑った。

『お前もな』そう言っているような気がした。


 そんな一部始終にまで意識を巡らせられるほど、僕の神経もまた研ぎ澄まされていた。


 正方寺が歌う。


 相変わらず感情豊かで力強く、ほれぼれする歌声だ。


 僕はその後ろから背中を押すように声を響かせる。決して正方寺を邪魔することなく、でもしっかりと存在を主張する。


 今4人は一つの音楽になっている。

 魂だけの僕たちが完全に一つの美しいメロディーへと昇華されている。


 楽しい。


 ただ、純粋に、ものすごく、楽しい。


 1曲目が終わる。

 すぐさま次の曲に移ろうとする五智先輩を制して、杉田先輩がマイクをとった。


「えー、僕も2年前はこの教室の生徒でした。先生や、五智君から、色々教わりました。技術的な事もありますが、やっぱり大事なことって一つですね」杉田先輩は一度言葉を切って五智先輩を見る。


 そこでどんなアイコンタクトが取られたか、僕にはわからない。


 ただ2人の関係――心の奥底で氷結していた何かが、この演奏の熱によって解け始めているのは確かに感じられた。


 杉田先輩は再び観客に視線を戻す。


「大事なのは、ギターってめちゃくちゃ楽しいって事です」


「おおおお!めちゃくちゃ楽しいぜええ!」生徒の誰かが叫び、どっと沸き起こった笑い声と共に、その言葉は会場のいたるところに広まっていった。


 皆口々に「楽しい」と叫ぶ。


 杉田先輩は心底満足そうだった。


「以上、先生方バンド、改め曇天大学軽音楽部弾き語り学部でした。よし、次の曲いこうか!」


そして、弾き語り部門史上、最も熱い夜が更けていく――



 * * * * * *



「なぁ平」ほろ酔い気分の家路で、正方寺が何度目かの言葉を呟く「五智先輩と杉田先輩、めちゃくちゃかっこよかったな」


「そうだね」僕も何度目かの言葉を返した。


「杉田先輩ってあんなにギター上手かったんだ」


「うん、驚いた」


「2人の掛け合いも絶妙だったしさ」


「そうだね。僕もあのくらい上手くなりたいよ」


「でもさでもさ」正方寺の顔がだらしなく崩れる「俺たちの歌だって、すごい絶妙だったと思うぜ。平のハモリ、すげー気持ちよかったもん」


「よせよ、照れるなぁ」


 僕は照れた顔を見られたくないので空を見上げた。


 春の終わりの夜空には、いくつもの星が輝いている。


「それにしても」正方寺がまた口を開く「今日の五智先輩と杉田先輩、すげーかっこよかったよな」


「ああ、ホントにね」夜空を見上げながら僕は応えた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 予想通りの杉田先輩のかっこよさ。。(笑) [気になる点] でもね、でもね。 演奏時の盛り上がってゆく過程。 もっともっと描いてほしかったです。 あっさりと跳びすぎた。 あと「外人」は治して…
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