或る春の夜の出会い
俺の名前は正方寺陽介。この春、曇天大学へ入学した。
入学から数週間は何事もなく過ぎた。一人暮らしという慣れない環境に適応する事でいっぱいいっぱいだったが、自然と学食で一緒に飯を食べるような友人らしき存在も出来き始め、こんな風に特に大きな問題もなく自分の大学生活は続いて行くんだろうな、なんてぼんやり考えていた。
その何事もない大学生活の一環として、俺は大学近くの駅前の居酒屋で開かれた「新入生同士の親睦を深める会」みたいな飲み会へ参加した。とある新入生が幹事となり学籍番号が近い数十人を集めた、いわゆるノリにまかせたゆるい感じのコンパらしい。その幹事が誰なのか、俺はよく知らない。いわゆるノリにまかせて参加を決めたのは俺も同じだった。
「正方寺くんって、彼女いるの?」
「どこ出身なの? あー私も一緒だ! 駅の近くのケーキ屋さん知っている?」
俺は女性が苦手だ。
こういう場になると、なぜか俺のところにやってきて色々話しかけてくる。俺はそんなに話が面白いわけじゃないし、彼女たちを喜ばせられるわけでもないのに。
そしてこうなるとなぜか決まって、いつも似たようなタイプの男が俺の側に集まってくる「正方寺、今度一緒に遊びにいこうぜ。あ、君たちも一緒に来る? 大勢の方が楽しいからさ!」
彼らが仲良くしたいのは俺じゃない。
何故か知らないけど俺の側にやってくる、この女子達だ。
そう思うと悲しくなって「俺は、遠慮しとくよ」答えるほかない。
ふと周りを見ると、他の男たちが俺の事を恨めしそうな目で見ている。
そんなつもりはないのに。
これだから女性は苦手だ。
彼女がいらないわけじゃない。むしろ女性に対して心を開きたいと思っている自分もいる。
ただその相手は、こんな風に俺の感情を無視して群がってくるような奴らじゃない。
そんな俺達の様子をテーブルの隅でボーっと眺めている奴がいることに気が付いた。
なんとも特徴のない見た目の奴だった。あまりにも特徴がないから、セルフレームの眼鏡だけが空中に浮いているようにも見えた。
特定の誰かと話し込んでいるわけでもなく、周りから聞こえる話し声に対して曖昧に愛想笑いを浮かべている。
逃げ場所はあそこだ、と思った。
あいつの隣に座って色々と話してれば、やがてほとぼりも冷めるだろう。
「隣いいかな?」俺は立ち上がって彼の隣に座った「俺、正方寺陽介。えっと、名前なんだっけ?」
「たいらひとし。感じで『平均』って書くんだ」
「へぇ、わかりやすい名前だね」
「よく言われる」そう言って平はビールをごくごくと飲んだ。
俺も真似してチューハイを口に含みごくりと飲む。
あまり酒は好きじゃない。乾杯の時のビールは一口だけ飲んで置きっぱなしにしていたら、誰かが間違えて飲み干してしまった。それからはチューハイを一杯だけ頼んでちびちびやっている。
「休みの日とか何してるの?」
「んー、本を読んだり、あとはギター弾いたりかな」
「ギター弾けるんだ、すごいじゃん!」
「そんなに上手くはないけどね。正方寺君は何してるの?」
「え、俺? 俺は――」特に何もしていなかった。大学に入学してからはただボーっとテレビを見たりネットを見ていたりすると、気付けば夕方になっている「特にないなー」
「好きな音楽とかはないの?」
「えっと、『かぼす』とか良く聴くし、あとは『sujimoke』とかも最近は聴くかも」
「あ、『sujimoke』聴くんだ!? あの人の『羽化』って曲いいよね!!」
急に饒舌になる平。しかしその分野は自分も得意とするところだった。
そこからお互いの好きなミュージシャンや好きな曲について話題が膨らむ。
あの曲のあの歌詞はどういう意味だとか。
あの曲はサビの変調が鳥肌ものだとか。
大学に入って初めて、自分の内面からの言葉を話せたような気がした。
気が付けばすっかりほとぼりは冷め、皆は俺たち2人の事など忘れたように各々で盛り上がってくれていた。
そのままの流れで二次会へいく。
二次会はカラオケだった。
音楽好きらしく、やっぱり平は歌が上手かった。
皆が流行の歌を唄う中、マイナーなフォークデュオの歌を唄っているため見向きもされていなかったけど、その声は繊細でよく響いた。
それに応えるように俺も『羽化』を入れる。
俺も歌には少し自信がある。友人同士でカラオケに行ったことはないが、一度親戚といったカラオケで『陽介はほんと歌が上手いな』と驚かれたことがある。まぁ親戚の言葉だからあまり信用はしていない。少しは聴けるレベルなのだろう。
何も考えず、ただ楽しむためにマイクを握った。
歌い終わった後、なぜか皆が静まり返って俺を見ていた。
次の曲のイントロが始まっているのに誰も歌おうとしない。
『何か失敗したか?』そう思って焦る俺だったが、一人が手を叩き始めるとそれは急に盛大な拍手になった。
「正方寺くん、めちゃくちゃ歌うまいんだね!」
「私感動した!」
「なに今の、プロみたいだったんだけど!」
口々に叫んだ。困惑して平のほうを見ると、彼は放心したように僕を見つめていた。
『すげぇ、すげぇ』何度もそう呟いているように見えた。
嬉しくなかったかと言えば嘘になる。
皆を喜ばせることが出来た。
俺の行った『行為』が、皆の中に感動という『結果』を生み出すことが出来た。
女子に褒められる事は結構あった。でもそれは俺の表面的な部分であって、内面ではない。
でも内面をさらけ出した歌でも、俺は誰かに認めてもらえるんだ。
それが嬉しかった。
二次会の帰り、平が僕を呼び止めた。
「あのさ、正方寺くんに頼みたいことがあるんだ」
「なに?」
「君のあの歌声に、僕は感動したんだ。一緒に歌いたいって、そう思ったんだ」平は一度俯き、急に顔を上げると目を見開いて言った「俺達と音楽をやって欲しい! 『弾き語り部門』に入って欲しいんだ!」
断る理由があるだろうか。
歌うことの楽しさを、誰かに認められることの喜びを、俺は知ってしまったのだから。
そして自分にそれを気付かせてくれたのは、間接的にせよ平だった。
そんな彼の頼みを断る理由などあるはずがない。
「もちろん」俺は頷いた。
――そんな一年前の事を俺は思い出していた。
手元には音楽雑誌。部室にはソファーでポテチを食う先輩と、ひたすらギターを手入れする先輩と、それをあきれた顔で眺めながら自分も小説を読み始める平。
予想していた未来とは違っていたが、まぁこれもいいかなと思う。
たまに平と2人で歌う喜びもあるし、何かしら演奏の機会が近づけば杉田先輩もやる気を出してくれるだろう。去年もなんだかんだで、色んなところで歌わせてもらった気がする。
「なぁ平」
「なに?」平が本から顔を上げる。
「久しぶりにあわせない?」
「ああ、いいよ」部室に立てかけられたギターを手に取る。
「おお、いいねいいねー、聴かせてよ」杉田先輩と五智先輩がこちらを向いて拍手をする。
「曲は何やる?」
「そうだなーそれじゃ、『羽化』やろう」
「了解」平のギターが鳴った。