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それぞれの、その日まで その3

○先輩達の、その日まで


 居酒屋という文化は極めて日本的だ。


 建前の裏に隠された本音を吐き出すのには、酒の匂いと喧騒で混沌としたこの空間は至って好都合だ。

 言葉の端にこびりついた目も当てられない負の感情ですら、換気扇に吸い込まれていく煙草の煙のように抜き取られ、あとには笑いと歓声の記憶だけが残る。

 そしてまた、何事も無かったかのようにいつもの日々。その繰り返しが膨らんだストレスの圧調整を担っている。


 彼らにだって悩みはあるし、不安もある。

 モラトリアムはそこから抜け出すことに莫大な労力が必要となるが故に、先の見えない重圧が心の重石となる。


 しかしそれでも彼らは進むしかない。

 可能な限り逃げず、腐らず、笑って。


「学祭終わったらさー」4杯目のビールジョッキを傾けながら「いろいと、面倒臭いことが山積みなんだよなー」杉田三郎は溜息のように吐き出した。

 自身の感じている不安や寂しさを、面倒臭いという怠惰のオブラートに包んで放り投げる。


「卒業研究に、就職活動か‥‥学生の本分であるが故に、今まで通りの生活を、という訳にはいかないな」五智哲夫は日本酒の入ったお猪口を傾けながら頷く。


「ごっちんは就職するんだ」なぜこの場に自分が呼ばれたのか、という心の濁りも酒の力によって真水くらいに薄まっている。そんな国府涼子はカシスグレーフルーツをジュースのように喉を鳴らして飲み干した「杉田くんと2人で、ミュージシャンデビューすればいいんじゃない? ごっちんのお兄さんもプロなんでしょ?」


「ああいう世界は運が九割、みたいなものだ。俺の兄貴もほんの少し運が向かなければ今頃別の仕事をしていただろう。努力云々ではどうしようもない」ほんの少し、夢を見るような眼差しを虚空に泳がせ、しかし迷いを断ち切るかのように断言する。


「俺は、院に行くわ」杉田は興味なさそうに呟く「だからごっちんと音楽業界に殴り込みに行ってる暇なんかねーの」


「同感だ」


「けっ、そうはっきり肯定されるとなんか釈然としねーや」そう言って嘲るように杉田は笑った。


 その笑いを最後に、各々に所在のない沈黙が訪れる。


 それぞれ事情や進むべき道は異なる。しかし何か共通するものがあるからこそ、彼らは今ここで酒を飲み交わしている。それが何であって、どうしたら寂しさや不安を抜き出した上で、それを言葉として形作る事が出来るのか。


 そんな事を考えていた。


「そういや、平ちゃんの曲‥‥」杉田が呟く。ジョッキは既に空だ「ちょいダサ目の曲だったけど、まぁなんつーの? わかる、って感じはしたよな」


 今日の昼間に後輩2人がお披露目したオリジナル曲を3人は思い出していた。


「今の俺達の怠惰で甘ったれた日々なんて、ほんと『ばからしい歌』なんだよな」フライドポテトを咥える。


「だが『すばらしい歌』だろ?」そんな五智の返しに、杉田は面食らうも、すぐに頷く。


「そういうこと」


「学祭、頑張らなきゃねー」店を出ると、夜風が涼しさを運んでくる「私も、美味しいたこ焼き作るから、食べにきてよ」


「ああ、わかった」五智が頷く。


「ピンポン玉入れられそうだから、俺はいかねー」杉田はいつものようにふざける。


「杉田くんには、質の高いピンポン玉入れとくよ。スリースターのやつ」


「なんだよそれ、知らねーよ、マニアックだな」ケケケと笑う。


 全てが一度しかない瞬間の連続だから、何一つとして無駄にしてはいけない。そんな気持ちを言葉の一つ一つに込めながら、彼らはたわいない会話を楽しんだ。

 側から見たら頭が空っぽな若者達の会話。しかし彼らは彼らなりに、必死になって日々を刻み付けようとしている。


「あ、ラインが来てる」スマートフォンを取り出した国府の目が、薄明かりを放つ液晶画面を滑る。そしておもむろにその画面を二人に向けた「加奈、学祭来れるってさ!」


 二人は何も言わなかった。


 しかし、言葉に出来ずとも込み上げてくるものがある事を、国府は知っている。


「いっちょ、やったるか」


 駅横のコンビニの角を曲がったところで、杉田がそう呟いた。

 

 多分その時、彼らの気持ちは一つだった。


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