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それぞれの、その日まで その2

○金谷ひまりの、その日まで


 高校から帰ると、リビングでおじいちゃんがギターを弾いていた。


 使い込まれたYAMAHAのFGは、張りつめた弦の緊張した歌声を、柔らかく優しい音に変えて響かせる。


 おばあちゃんが亡くなってから、おじいちゃんはこうしてリビングでギターを弾くことが多くなった。

「おじいちゃんが弦で、おばあちゃんはギターだった」おばあちゃんがいなくなった事実を受け止めきれなかった幼い私に、おじいちゃんはそう言った「堅物でいつも張りつめていたおじいちゃんを、おばあちゃんは受け止め、響かせてくれた」


 最初はよく分からなかったけど、高校生になった今では何となくわかる気がする。


 おじいちゃんはギターを弾きながら、おばあちゃんとの再会を楽しんでいるんだ。


「ひまり、帰ったのか? なんだ、そんなとこに突っ立って」

 

 どうやら私は、鞄も下ろさずおじいちゃんの弾くギターに聴き入っていたみたいだ。


「ううん、何でもない」後ろめたさを感じる必要なんて何もないはずなのに、何となく感じた焦りに似た感情を、おじいちゃんの演奏に聴き耳を立てていたバツの悪さで覆い隠し、私は自室へ向かう階段を駆け足で登った。



 * * * * * * * * *



 今、こうしてギターと正面から向き合ってみて思う。


 あの頃私は、ギターという楽器に憧れを感じていた。


 ううん、ギターといよりも、おじいちゃんとおばあちゃんの関係に憧れ、それを体現しているギターという楽器に興味を持ち始めていた、って言うのが正しいかもしれない。


 でも、ピアノだけに向き合ってきた私は、ギターという未知の楽器に触れるのが怖かった。壊してしまうのではないか、傷付けてしまうのではないか、そして逆に、傷付けられてしまうのではないか‥


 その頃の私はピアノだけが唯一だった。


 私にはピアノしかない、それ以外に何もないし、何もあってはいけない。ピアノの技術を求め、求められる日々の中で、そんな風に自分自身を縛り付けていた。


 やがて、珠美ちゃんがピアノを弾かなくなり、ピアノを弾く楽しさがだんだんと分からなくなってきた自分に焦り始める。


 私にはピアノしかないはずなのに、そのピアノが、楽しくない。


 そんな私の心を、きっとおじいちゃんは知っていた。だか

らこそ私にこのギターを託してくれた。


 ピアノの音が形作る世界だけが、私の世界じゃない。


 そしてこのギターは、狭い部屋で膝を抱えていた私の前で、その錆び付いた窓を開け放ってくれた。


 壁際のスタンドに立て掛けてある、使い込まれた、でもピカピカに磨き上げられたギターに目をやった。ナチュラルカラーのボディにはいつも通りの惚けた顔が映っている。変わらないようでいて、大きく変わった‥‥変わる事ができた、そんな私が映っている。


 ありがとうという感情が自然に湧き上がってくる。


 ギターに対して、そしてこのギターによって導き出された数々の出会いに対しての。


 窓の外は、秋の風が色付いた木の葉を揺らしている。

 ガラスを隔てたこの部屋の中まで軽快で複雑な音の波が流れ込んでくるような気がした。


 音楽は耳だけではなく、目で、鼻で、肌で感じるものなのかもしれない。祭りの喧騒の中で、潮騒と混じる夏の海岸で、花火と星と夜風にの匂い中で、私の音楽は確かに記憶として形作られている。そしてこれからも、形作られていくんだろうな。


 学祭が近付いている。


 私にとって初めての大舞台、そして先輩達と奏でられる最後の大舞台。


 気負いはあるし、不安もある。ピアノのコンクールを前にしていた時とは違って、失敗のイメージは常につきまとう。


 でも忘れちゃいけない。


 大切な事は、ギターってーー音楽ってめちゃくちゃ楽しいって事、それだけなんだ。


 そうだよね、おじいちゃん、おばあちゃん。

 ギターを手に取り、今では慣れた手つきでGのコードを鳴らす。


 2人の声が、私の背中を押してくれたような気がした。

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