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まどろみの朝

 朝の光はもうすっかり秋のやわらかさを纏っている。


 いつもより少し遅く目が覚めてしまった私ーー金谷かなやひまりは、今日が何の予定もない日曜日だった事を思い出して、大きな口で欠伸をしたあともう一度暖かい布団を頭まで被った。


 平くんから借りたマンガを読んでいたら、ついつい夜更かしをしてしまった。


 主人公の男の子が大人になっても初恋の人の面影を追い続けるって内容のマンガだったけど、読み終えた後も切なげな余韻に引っ張られってなかなか寝付くことができなかった。

 男の人って、あんな風に初恋の相手の事が忘れられないものなのだろうか。もしそうなのだとしたら、神様は意地悪だ。だって人と出会う順番なんてバラバラなのだから、本当にその人のことを好きになってくれる人が後になって現れるかもしれないのに。


 私は物語中盤に出てくる、主人公の事を好きになった女の子に感情移入してしまったのかもしれない。もし彼女が一番最初に主人公と会っていたら、きっとこの物語は2人のハッピーエンドで終わっていたんじゃないかな。


 好きになった相手に自分の知らない空白の期間がある事が、何だかすごく寂しくて不安だ。


 何で私は平くんと同じ町で生まれ、同じ空気の下で育ち、同じ日々を歩まなかったのだろか‥‥なんて、夜中に読む本は必要以上の感傷を連れてくるから良くないな、と思う。


 なんともいえないモヤモヤした気持ちを押しつぶすように、顔を枕に埋めた後ごろんと寝返りをうった。


 枕元に置いたシロクマの抱き枕ののっぺりとした後頭部が目に入る。

 近所のホームセンターで買ったのはいいけど、毛布の端を両手で握りしめて眠る癖があった私に抱き枕は合わなかったらしく、結局彼はベッドヘッドと枕の隙間に落ち着き、細い目で部屋の中を見つめている。


 布団から手を伸ばし、彼の頭を撫でた。


 暖かな布団と、やわらかなシロクマの手触りと、何の予定もないのんびりした日曜の朝。


 枕元に置いたおっきな目覚まし時計の針の音も、平日のような脅迫感はなくてのんびり散歩する子犬の足音みたいに聞こえる。


 なんだかんだ考えたって、結局のところ、私は今すごく幸せなのかもしれないな。

 

 そう思うと自然と頬が綻んだ。


 全ては淀みなく流れている。

 私も、私の周りを縁取ってくれるみんなも、そして平くんも。


 この前の夜、平くんから電話があった。


 平くんとは2人で話す機会が多くなっているように感じる。それが自然の成り行きなのか、私が意識してそうしているのかはわからない。でも電話で話した事は今まで無かったから、変な話だけど私はちょっと緊張していた。顔や身体みたいな衝立で隠さないと、声の中に潜んだ自分の感情は丸見えなんじゃないかなって、多分そんな感じの恥ずかしさがあったと思う。


 その時、平くんは駅のホームにいるみたいだった。電話口から背後の雑踏が聞こえてくる。


『さっき駅の南口で、弾き語りをしているけど女の人を見たんだ』


 何かを考えるように言葉を選びながら、平くんはポツポツと語る。


『そして、その、僕が今感じているのは、その女の人も僕らと同じように、音楽を支えに生きてきた過去があるんじゃないかって事なんだ』


 平くんはいつも自分の考えを正確に伝えようと、一生懸命に話してくれる。そんなところが私は好きだ。


『つまり、その女の人は未来の僕なんだ。音楽から切り離されて、それでも必死に音楽へと手を伸ばしている。それはきっと、彼女の中に今でも音楽と共にあった青春が生きているからなんだと思う。それが自分の支えになっているからなんだと思う』


 その話を聞きながら、私は五智先輩のお兄さんが言っていた言葉を思い出していた。今の努力喜びが、今後ギターに溜まる埃も誇りに変えてくれる。


『あの日、音楽にのめり込んで、音楽に捧げてきたあの日々は、きっと幻じゃない』


 そう彼女は歌っていたんだと思う、熱のこもった声で平くんは言った。


 私達は今まさに、その日々の最中にある。


 遥か未来に振り返った時、それを幻じゃないと言い切る事が出来るのだろうか、という平くんの問いに、私はうん、と頷いた。


 幻じゃないよ。


 今ここにいる私も、私の前にいる平くんんも、平くんの唄った歌も、それに感動した私も、全部決して消える事なんてないよ。


『曲、完成しそうな気がするよ。ありがとう』そう言って、平くんは電話を切った。


 平くんとのやり取りを思い出していたら、知らず知らずのうちに毛布を握りしめていたらしく、ゆっくり開いた手はほんのり汗ばんでいた。


 平くんは今、自分の中にある喜びや不安を、曲という形に作りかえようとしている。

 その曲はきっと古い本に挟んだ押し花の栞みたいに、記憶の1ページに挟み込まれるんだと思う。弾き語り部門として活動してきた思い出のページに。


 そう思うと、平くんはやっぱりすごい事をしようとしている。


 それは既存のものを上手に模倣する事だけが取り柄で、創造する事に戸惑いを感じてしまう私には出来ない事だ。


 自分にないものをたくさん持っているから、私は平くんに惹かれているんだと思う。


 いつまでもゴロゴロしてちゃダメだ。


 布団をガバッと剥いで、うーーー、と大きく伸びをしてから上体を起こす。


 私も頑張らなきゃ。


 何を頑張るとかじゃないけど、とにかく今を、この日々をただ流れていくだけのものにしてはいけない。忘れないように、消えないように、そう思って生きていく。


 まずはそこから始めないと。


 私はベッドから立ち上がりカーテンを開けた。

 秋晴れの心地よい空が広がっている。

 

 見惚れて吐いた溜息は澄んだ空の青へと溶け込んで、その色をさらに深いものへと変えた気がした。

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