散らかった過去の後片付け(後編)
「今の弾き語り部門見て、あいつはどう思うんかね」そんな言葉が口をついて出たのは、合宿帰りの車の中で満足そうに眠りこけてやがる後輩どもの姿が目に留まったからかもしれない。
疲れと眠気もあってか自分らしくない感傷が沸き起こってるなと、頭の上から俯瞰しているもう一人の俺が呆れた笑いを浮かべている。
三人から始まったこの部活だったが、気付けば四人の後輩が俺達の後ろを歩いていた。
俺達が居なくなっても、きっと弾き語り部門は続いていくんだろう。
「さあな」助手席に座るごっちんが応える。返答を期待しての言葉ではなかったが、助手席に座る仏頂面の耳には届いていたようだ「俺は、頼もしく感じているがな。あいつも、そう感じるんじゃないか?」付け加えられたごっちんの言葉が、自分の期待していた通りの言葉で、なんかむず痒さを覚えた。
「どうだかねぇ」だから俺は少し捻くれた言葉で返す「案外、もっと練習しろ! ってハッパかけられるんじゃねーの?」
「かもな」ごっちんはそう言って黙った。
しばらく車の走行音と、ローカルラジオDJの甲高い賑やかな声だけが車内に響く。
「直接知ってもらえばいい」低く聞き取りにくいごっちんの声がDJの声に被さる「俺達の今の音楽を、あいつにも聴いて貰えばいい」
そうだよな、と俺は思う。
確かに、聴いてもらうべきなのかもしれねーな。
あいつに聴いてもらって、そこで初めて、俺の中の弾き語り部門は感動のフィナーレをむかえるんじゃねーか?
でもな、今更…
「今更どの面下げて、あいつに声かけりゃいいんだよ」
あの事があった直後であれば、或いはまだ関係を修復できたのかもしれない。メールやSNSで連絡を取り合うくらいにはなっていたかもしれない。
でももう、時間が経ち過ぎているんじゃないか?
関係を修復するには時間が経ち過ぎていて、かと言って何事もなかったかのように顔を付き合わすにはまだ傷跡が生々しい。
なんとも微妙な状態だ。
でも、俺達三年が弾き語り部門で居られるのはあと数ヶ月ってとこだし、次の学祭が最後のステージになるだろう。
それを逃したら、もう二度とあいつに言えないな。
俺達の弾き語り部門は永遠だ、って。
そんな俺の心中を察しているのか、ごっちんは何も言わなかった。
もしかしてあの時から、こんなシチュエーションを画策してたのかよ。
目の前に立つ予期せぬ人物をぼんやり眺めながら、俺はごっちんの策略にまんまと乗せられていた自分自身に呆れていた。
* * * * * * * * *
白いシャツの上に黒いカーディガンを羽織り紺色のスカートを履いた加奈は、以前のTシャツにジーンズのイメージとかけ離れていて、まるで別人を前にしているような感覚を覚えた。
でもその視覚と感覚の不一致が、俺の平常心をこの冷めたハンバーグみたいなファミレスの椅子にくくりつけてくれているのかもしれない。
加奈が目に前にいるという現実感が全くなく、どっか夢でも見てるんじゃねーかって気がしてくる。
まともな状態だったら、どんな顔をして座ってりゃいいのかすらわからない。
「杉田くん、久しぶり」
隣に座る涼子と一頻り近況を伝えあった後で、加奈は斜め前に座る俺に笑いかけた。表情がどこか不自然だ。きっとこいつもどんな顔をすりゃいいのかわからないでいるんだろう。
「おう」そう応えて、次の言葉を繋げようとする。
『なんか雰囲気変わったな』これじゃ他意があるように思われるんじゃねーか?
『元気だったか?』オヤジじやあるまいし元気だからここにいるんだろーが。
『最近どうよ?』これじゃ唐突すぎやしねーか?
何を言えばいいのかわからず、ストローで飲み干したコーラの底に残った氷を弄ぶ。
「あたし、雰囲気変わったでしょ? 今家の近くの工場で事務やってて、これはそこの制服なんだ。でも普段のあたしははあの頃のまんま。全然成長してないんだよね」
「そうだな、顔はガキっぽい」昔を思い出して、憎まれ口を叩いてみる。
「ははっ、相変わらず口が悪いな」
なんだか必死にあの頃の自分たちを思い出して、それを演じているような空々しさを感じてしまう。大事な部分に目をそらし、見かけだけの思い出の中に浸ろうとしているような気がする。それじゃないだろ、俺の喉に引っかかっている小骨は。
俺は隣に座るごっちんを横目で見る。けっ、我関せずって顔しやがって。
「あ、そうそう、弾き語り部門に新入部員が4人も増えたのよ」途切れた会話の間を執り持つように涼子が口を挟む。
涼子はこういう人間関係のバランス感覚が優れている。基本好き勝手にやってる俺ら三人の意見をまとめるのはいつもこいつだった「歌が上手いイケメンくんと、ギター初心者の女の子と、ピアノの女の子」
「え、3人しかいないの?」
「あ、それと、えーっと、メガネの男子」
平ちゃん、忘れられてるぞ…。
「そうそう、その4人が同じ2年生で、一緒に音楽頑張ってるみたい。なんだか、微笑ましくてね。まるで…」そこで涼子は言葉を切る。そして、一瞬、俺の目を見た。
「まるで、1年の頃の私たちみたいだな、って」
あの頃にはもう二度と戻れないのかもしれない。
お互い立場は変わっちまったし、住んでる場所も違う。
でも、あの頃の事を思い出してゲラゲラ笑い合うことは出来るし、今から新しい関係を築いてくことだって当然出来るはずだ。
そのためには俺が、あの頃に溜まった膿を絞りださにゃならん。例えそれがいやーな痛みを伴おうとも、傷口を指先で摘んでやらねーと。
そんな事を考えていたら、まず言うべき言葉がある事に気がついた。それが適当なのかはわからんけど、鍵穴に差し込むには丁度いいかもしれない。
「お前のマーチン、元気にしてるぞ」
あの時部室で加奈から譲り受けたギター。あの瞬間の続きが、古ぼけた扉が開かれるみたいに、2年の空白を経て再び始まった気がした。
「そっか、弾いてくれてんだ」
「まぁ、たまに」
「お菓子食べた手で触ってんじゃないの?」
「それはまぁ、たまに…」
「ひどいなぁ、せっかくこれからの弾き語り部門の繁栄を願って渡したのに」
加奈から譲り受けたギターを依り代にして、本当に向き合わなきゃならない瞬間の自分が欠伸を噛み殺して目を覚ます。バカみたいな面してんだろうな、今の俺。
「学祭、すっぽかして、すまんかった」
そう言葉に出して初めて、加奈の顔を正面から見ることが出来た。
一丁前に似合わない化粧をしている。でもその表情は、どっか大人びている気がした。前言撤回だな、と思う。
「こっちこそ、ごめん」
何がごめんなのかはわからない。でも加奈もまたあの時の何かを後悔していて、再びバカを言い合える四人に戻れるのを望んでいる事だけは理解できた。
簡単な事だ。
たった一言で俺たちの関係は氷解するのに、なぜ俺は今までそれを言えずにいたんだろうな。
視界の隅で、ごっちんが口の端だけでニヤリと笑った。
ファミレスを出ると、秋を感じさせる冷たい風が火照った首元の熱を奪う。
季節は予告もなく変わっていくねぇ、と俺が呟くと、そんな事ないよ季節の変化に気付けるか気付けないかだよ、と加奈が言う。杉田くんはお菓子の限定味で季節を感じればいいんじゃない?と涼子が笑い、うむ、とごっちんが頷く。
「秋といえば…」
「秋といえば?」加奈が首を傾げる。
「もうすぐ学祭なんだわ」
「ああ、もうそんな時期なんだ」感慨深そうに加奈が頷く。
「お前も遊びにこいよ」秋の夜空を見上げて俺は言う「新生弾き語り部門の演奏を聴かせてやるよ」
加奈の返答には興味がないふりをして、駐車場の隅っこの照明に照らされた植木のあたりをぼんやり見つめる。
「行くよ、絶対行く、有給とってでも」少し考えるそぶりを見せ、しかし力強く加奈は答えた「でも情けない演奏を聴かせるようだったら、ギター奪ってあたしが演奏するからね」
そう言って俺を見た加奈の目に、初めて会った頃の――ギターを始めた頃のギラギラした何かが見えた気がした。
音楽で語りたい、自分の内面を吐き出したい、そういう感情が透けて見えるような気がした。
普通の言葉では語れない俺たちみたいな変わり者は、音楽という言葉でしか自分を語ることができない。
だから俺たちは、息を吐くみたいに、友人と語らうみたいに、音楽を奏でる。
そうしなければ、押し込められた言葉の内圧で弾けてしまうから。
応えなきゃならんな、こいつの内側に溜まった言葉を解き放つような、あけすけで強引で力強い音楽でもって。
そう思うと、ハンドルを握る手に力が入った。




