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深夜徘徊

 月の綺麗な夜だった。


 作詞に行き詰った僕は、歩いて15分ほどのコンビニに飲み物を買いに行くという目的を自らに課して、のろのろとアパートの部屋を出た。


 高校の体育祭の時にクラスで作った安っぽい手作りTシャツに、腹回りのゴムが伸びたジャージ姿だったが、深夜0時過ぎにオシャレして外出する必要性はない。ポケットに突っ込んだ財布の重みでズボンがずり落ちそうになるのを度々直しながら、僕は人通りの途絶えた夜の住宅街を歩いた。

街はしんと静まり返っている。


 10mくらいの間隔で並ぶ黄色い光を放つ外灯が、建ち並ぶ古い民家の黒ずんだ外壁を照らしている。生垣の隅からコオロギの書く声が聞こえ、僕は秋の到来を予感した。


 サンダルの底でアスファルトを擦る音が虫の声と交わる。

夜の音楽祭に自分が仲間入りできたような気がして、高揚した心がサンダルの奏でるリズムを早める。


 自分が何を歌いたいのか、考える。


 自分が何を伝えたいのか、考える。


 考えれば考えるほど、それらはどんどん増殖していき、頭の中を埋め尽くしてしまう。


 その中でどれが一番なのか決める事が出来ず、花屋の前で首をひねるように、レンタルビデオの棚の前で立ち尽くすように、ただ呆然とそれらを眺める事しか出来なくなる。


 右側に石段が見える。


 石段を少し上ったところに神社がある。


 大学に入学した手の夏、この神社で行われた町内会の夏祭りを何の気なしに見に行った事があった。しかし特に祭りに参加するわけでもなく、ただ傍観者として神社脇の土手に寄りかかりながら祭事に盛り上がる町内会の人達を見ていた。

でも別に寂しさは感じなかった。

 自分の知らないところでも伝承された何かがあって、それらは絶えることなく来年、再来年に続いて行く。感覚的に自分の今まで生きてきた場所でしか世界を知らなかった僕にとって、そんな当たり前のことがすごく新鮮に感じていた。


 僕は一人が好きだ。

 多分、それは間違いない。

 

 人は一人でも頭の中で色々な世界を作って、そこで楽しむことが出来ると僕は思う。


 でも大学に入って、弾き語り部門のみんなと出会い、一人じゃない楽しさも実感している。それと同時に、今まで自分の周りにいてくれた様々な人達への親愛の感情にも改めて気付かされた。


 僕が知らないだけで、皆それぞれの考え、歴史を持って生きている。

 

 それがとても素晴らしい事のように感じて、彼らの中に存在する古い本のような歴史を尊重し、守っていかなければならないなと思った。


 あの夏祭りの夜と同じ様に。


 積み重ねてきた歴史と、これから作って行く歴史。


 神社の石段に腰を下ろして空を覆う木々の屋根を見上げた。夜の黒にも違いがあることに気付く。空の黒は薄く、広葉樹の作る黒はそれを多い尽くすほどに黒い。


 同じ色、同じ人間は存在しない。

 同じに見えても、並べてみれば必ず違っている。


 一つ一つの歴史が特別で、一つ一つの歴史が大事だ。


 コンビニの明かりはこの場所に不相応なほどに明るく、暗闇になれた僕はその眩しさに目を細めた。

 

 自動ドアが開くと奥の飲料コーナーに向かい、コーヒーと缶ビールを1本ずつ掴む。コーヒーは帰宅がてらに飲むつもりだ。スナック菓子が僕を誘惑してくるが、それを振り切ってレジに商品を置く。


「平くんじゃん」レジの女性が僕を見てにっこり笑う。


「あ、田中さん」


 それは同じ大学の同級生だった。風の噂で大学近くのコンビニでバイトしている事は知っていたけど、まさかここで顔を合わせる事になるとは。


「こんな時間まで起きて何してるの、勉強?」


 田中さんとはほとんど話したことはない。学籍番号が近いから実習などで同じ班になる事が度々あったけど、その程度の関係ではある。でもこのあけすけな笑顔が印象的で、とても好感の持てる女性だった。


「いや、学祭の準備を」


 作詞作曲と答えるのは気恥ずかしくて、そう曖昧に答える。


「軽音楽部だったよね」


 他に客がいないため、田中さんは話を広げる。


「うん、弾き語りの方だけど」


「学祭の発表楽しみにしているよ。絶対見に行く」


「ありがとう。田中さんは、バドミントンだったっけ」


「うん。から揚げの屋台をやるから、食べに来てね」


「へぇ、から揚げいいね」


「羽――つながりでね」


「なるほど」


「あ、から揚げ棒が今一個増量だけど、ついでに買っていかない?」


「いや、遠慮しときます」


「ははは。えっと会計は、382円です」


「ポイントカードで」


「はーい、ありがとうございます」


「バイトがんばってね」


「平くんもね」


 自動ドアを抜けて振り返ると、田中さんは笑顔で手を振っていた。

 女性が苦手な僕だけど、何とか上手く受け答えが出来た気がする。誰に見られる心配もないけれど、密かに心の中でガッツポーズした。


 缶コーヒーをちびちび口に含みながら家路を辿る。

 口の中に残る苦味が意識を覚醒させ、ほんの少しだけど思考の整理を助けてくれる。


 自分が何を歌いたいのか、何を伝えたいのか、一番を決める事は出来ないのかもしれない。


 僕とって、杉田先輩や五智先輩も、正方寺も、ひまりさんも、清里さんも、中学・高校時代の友人や両親、それにさっき会った田中さんも、みんなそれぞれ違った影響を僕に与えてくれた。


 僕の周りを形作る「世界」はその全てが複雑に絡み合って作られているのであって、その中から一つを取り出したところで全てを伝える事は出来ない。


 いや、ごちゃごちゃ考えすぎだ。


 僕自身の今を切りとっとき時、その断面はどんな形だ。

 色々な感情が混ざり合って、とてもじゃないがシンプルに言い表せない形。


 でも、それが今の自分じゃないか。

 

 一番を決められず、迷い、混乱しているのが、紛れもなく今の自分じゃないか。


 きっと、社会に出たらそんな迷いはなくなる。

 仕事しいてはお金、それによって支えねばならない家族。優先順位が明確に設定され、それに従って考えを整理していかないといけなくなる。


 こんな事をごちゃごちゃ考えられるのは、多分モラトリアムの今だけだ。


 迷い混乱した歌を作ろう、考えがまとまらない歌を作ろう。


 きっとそれは今しか歌えない歌に違いない。


 そう決めると歩く足が急に軽くなった気がした。


 虫達の奏でる音色が、六弦の奏でる音楽となり僕の頭の中で響き渡る。月や、星や、民家や外灯の明かりですら何かしらの音楽を奏でているような気がする。


 歌詞とメロディーが自然に湧き上がってきて、滴る清水を受け止めるように僕はその音楽に手を伸ばす。両手のお椀の中に落ちてきたその雫は、最初は冷たく、すぐに自分の体温に温められた。


 雫を大事そうに抱えながら、僕は家路を急いだ。


 今夜は名曲が産まれそうな予感がする。


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