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男子大学生狂乱之夜

「おーい、言われたとおり酒買ってきたけど……つーかお前大丈夫か?」


 鍵を開けっ放しの玄関をガチャガチャ言わせて入ってきた正方寺が、既に酒でベロベロになっている僕の姿を見て呆れたように言った。


 夏休みも終わり、大学も後期行程がスタートした。講義だレポートだと忙しい日々が再び始まったわけだけど、僕の心はそれどころじゃなかった。学祭に向けて曲作りに邁進すべきところなのに、心が乱されスランプ状態に陥っている。

 

 全ては、あの8月末のイベントの夜からだ。


「ああ、ありがとう」僕は正方寺の手からレシートをもらってお金を支払うと、缶ビールを一本正方寺の前に置いた「まぁ飲んで飲んで」


「最近様子が変だと思ってたけど、何事だよ」


 正方寺は漫画や本や音楽雑誌が積み上げられた部屋の中で、壁沿いに設けられた何も置かれていない一角に座る。いつも正方寺が座っている特等席だ。


「曲が、作れないんだ」僕はビールのプルタブを開けると一気に飲み干した。そして酔いにまかせて手元の作曲ノート(丸秘)を正方寺に投げる「最後の方が最近書いた詞なんだけど――」

「えー何々?」正方寺がパラパラとノートを捲る。


   君の笑顔は太陽だ

   君と2人で夏の海辺を走りたいぜ

   かわいい君へ アイ・ラブ・ユー


 正方寺が目を見開いて僕を見た。僕は恥ずかしさをビールの苦味で誤魔化し頷いた。正方寺は更にページを捲る。


   君の吐息で僕の心が溶けていく

   僕は君を守りたい

   君を傷つける全てのものから僕が守ってみせる


 唖然と口を開けた正方寺。僕はつまみのあたりめを数本わしづかみにして口に放り込む。正方寺は更にページを捲る。


   君の唇にキスをしたい

   君の細い体をギュッと抱きしめたい

   君のすてきなおっぱいを――


「おいおいさすがにこれはダメだろお前!」正方寺が作曲ノートを床に置く「やっぱりどっかおかしいぞ? 大丈夫か?」


「三曲目は昨日酒でべろべろになった時に書いた曲で――」

 

 半笑いで呟いた言い訳は煙みたいに虚しく宙を漂い消えた。


「っていうか、こんな恥ずかしい曲、俺らが歌っても様にならないだろ」


 いやいや、僕はまだしも正方寺なら十分様になるのではなかろうか。女性達は彼の歌が紡ぐ甘い言葉にきっと卒倒するはずだ。


 でも、正方寺が言うように、僕はどこかおかしくなっている。


 全てはあの8月末のイベントの夜からだ!


「なあ、正方寺、僕は今から重大な発表をする」


 手に持った缶ビールの空き缶をぺこぺこ凹ませながら、僕は大きく深呼吸した。この言葉を言ってしまったら、弾き語り部門の関係に変化が生じるかもしれない。それはいい変化だけではなく、悪い変化の可能性だって当然ある。でも僕は現状を打破するため言わずにいられなかった。


「僕は、金谷ひまりさんの事が好き、なんだと思う」


「ふーん、知ってるけど」


「は!? 誰にも言ってないのになんで知ってるの!?」


「だってバレバレだから。俺と清里さんと杉田先輩は知ってる。でも金谷さんは多分気づいてないんだろうな、なんかそのへん鈍そうだから。あ、五智先輩は多分知らない、ってか色恋沙汰に興味ない」


「そ、そうだったのか」


 僕は恥ずかしさに頭を抱えて転げまわりたくなった。みんなは僕がひまりさんに気があることを知った上で、僕の行動を見ていたんだ。僕がひまりさんにちょくちょく話しかけているのを、生温かい目で見ていたに違いない。


 正方寺が買ってきた日本酒をグラスに注ぎ、飲み干す。


「まぁ、それは周知の事実だからいいとして、それが今のスランプにどう繋がるんだよ。好きだからって言ったってそれは前々からの話で、今急にスランプになる原因とはいえないだろ」


「それは――」


 僕は口ごもる。次に続けようとしている言葉はややもすると正方寺から『自意識過剰の痛い奴』のレッテルを貼られるかもしれない禁断の言葉だ。でもこれを話さずには問題の根底にはたどり着けない。それに、さっきの詞を見られてしまった今となっては、僕に守るべきプライドなんてものは存在しないに等しい。


 僕は日本酒臭い息とともに言った。


「もしかして、金谷さんも、僕のことが好きなのかもしれない」


「は?」正方寺は目を見開く「えー、うーん、そうなのか?」眉間を親指で押さえて考え「そう思うには、何か根拠があるんだよな」


「うん、僕の自意識過剰かもしれないけど――」


 そう前置きして、僕はこの前のイベントについて話した。


 花火を見上げる2人。


 不意にひまりさんの口からこぼれるラブソング。

 

 そして2人は見つあう。


 花火の光が、ひまりさんの横顔を赤く染める。


「ああ、かわいいよひまりさん」


「おい、妄想が声に出てるぞ」正方寺に窘められる「ってかお前、心の中では金谷さんを下の名前で呼んでるのな」


「ああそうだよ、悪いか!」もはや開き直るほか無い。酔いが悪い方に全てを後押しする「それでどう思う? これってあっちも僕に気があるんじゃないかな?」


「いや、お前の主観的観測だけじゃなんとも言えないけど」正方寺は首を傾げる「嫌われてはいない、って事だけは確かなんじゃね」当たり障りない返答だった。


「まあ確かに」そこでもう一つのエピソードを思い出す「あ、それと合宿の野外フェスの時は手を繋がれた」


「おお、でも、そういうスキンシップしてくる女ってけっこう多いから、いい気になってバカを見る男も多いらしいぞ」


「そうだよね」


 これ以上論ずるにも判断材料となるデータが乏しい。こういった議論はえてして尻すぼみで終わる。正方寺はここで始めてビールのプルタブをあけ、一口飲んだ。


 僕はあたりめを三切れ口に放り込んだ。


 正方寺はまだ眉間に手を当てて考え事をしている。


「要するにだ」正方寺が口を開く「金谷さんが自分の事を好きなんじゃないか、って考えると気持ちが舞い上がってしまって、全然曲が作れないと」


「うん、多分そういうことかと」僕は俯く。


「気持ちは分からんでもないけど」

正方寺は壁にだらしなく寄りかかって、また一口ビールを飲んだ。酒に弱い正方寺はさっきの一口で既に酔いが回り始めているのかもしれない「それで曲が作れないってのはどうかな。もし仮に両思いだったとして、そしたら更に舞い上がってしまって、曲なんか手に付かなくなるんじゃないか?」


「うーん」僕は考え込んでしまう。


「なぁ、これは俺の持論だから、間違っていたら違うといってくれていい」そう前置きして正方寺は持論を語り始める「人にとって創作の目的やエネルギー源って全然違うと思うんだけど、平らの場合それって『焦燥感』なんじゃないか? もっと言うと『今の自分から変わらなければならない』って感情と『こうなりたい、こうしたい』っていう感情というか。俗っぽい言葉で言うと『リア充うらやましい、僕もそうなりたい』みたいな」


 正方寺の言葉に僕は半信半疑で頷く。


「そういう感情が、平の作る詞には多分に含まれてると思う。だからなんだか、地面を這いつくばってでも前を睨んで前進して行く傷だらけの兵士みたいな、なんかそういう不恰好だけど鋭く尖った言葉が生れてきてたと思うんだよな。さっき見た詞にはそれが全然ない。温泉につかって自分磨きに勤しんでいる24歳OLみたいなのほほんとした雰囲気しか感じられない」


 それは、確かにそうなのかもしれない。


「俺も、平が金谷さんと両想いだったらいいなと思う。応援したいと思う。でも俺はそこで平に満足して欲しくはないんだよな。もっとあるだろ、やりたいことや、目指したい目標ってやつ。女と付き合ったとして、その先にあるものってなんだ? それだけでお前の人生が完結するわけじゃないだろ。恋愛は人生の一部であって、全てじゃない。弾き語り部門の活動だってそうだ」


「まあ、ね」僕はそう一言だけ呟いた。


「平は器用な人間じゃないから、目の前の事で一杯いっぱいなのかもしれない。でもそれで今回の学園祭ライブ――先輩たちと演れる最後のライブが不本意なものに終わったら、多分平は後悔すると思うんだよな。だから、柄じゃないけど、忠告まがいの事を言わせてもらったよ」


「いや、確かにそうだ」正方寺の言葉の中には僕の心に突き刺さるフレーズが幾つもあった「僕の創作には、何か人のためになろうとか、誰かを元気付けようとか、そういう動機は一切無いんだと思う。ただ自分のために、自分の欲求不満な叫び声を歌にしているだけだ。でも今はそれでいいんだと思う。それが今、僕が表現したいことだから」


 僕は今自分が何を唄いたいのかを考えた。


 ひまりさんとの事、誰かと心が通じ合った幸せをみんなと分かち合いたい、そういう気持ちも確かにある。


 でもそこで満足するには、僕は未熟すぎる。


 自分の音楽や思想、自分自身に対して感じている足りない部品の数々を一つ一つ摘み上げて数えて行くような唄が、今の僕に性に合っているような気がした。


 未来に対する不安と、それでもふと見下ろした足元に散らばっている小さな希望を唄った歌の方が、今の僕の等身大の歌だから。


「酔いが覚めた」僕は作曲ノートを取り上げた「やりたい事を一つずつやり遂げていって、カバンの中に喜びや悲しみが溜まってきたら、その時に改めて、みんなのための曲を歌えばいいんだよな」


「多分ね」正方寺はビールをもう一口飲んだ。


「よし、もう一回書いてみる」僕はペンを持った。


「あんまり無理するなよ」正方寺が言った。


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― 新着の感想 ―
[良い点] >温泉につかって自分磨きに勤しんでいる24歳OLみたいな 凄い比喩だな。。。(^^;) あ・・・秘湯か?
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