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夏の終わりの歌(前編)

 幼いあたしは泣いていた。


『ひまり、ごめん』


 あれはひまりのおばあちゃんの誕生日だった。

 体調を崩して入院していたおばあちゃんが一時的に帰宅の許可をもらった。おばあちゃんへの誕生日プレゼントとして、ひまりとあたしはピアノの演奏を送ろうと思っていた。


 その演奏で、あたしはミスをした。

 

 一回のミスが指をこわばらせ、新たなミスを生む。

 何度もやり直したけれど満足のいく演奏が出来た曲はひとつもなかった。


『2人とも上手になったね』


 そんなあたし達に、ひまりのおばあちゃんはそう言ってくれた。


 おばあちゃんが病院に戻ったあと、あたしはひまりに謝った。

 せっかく入院中のおばあちゃんに演奏を聴かせてあげられるチャンスだったのに、自分のミスがそれを台無しにしてしまった事を考えると、涙が止め処なく溢れてきた。


『なんであやまるの? 一緒に弾いてくれてありがとう』


 ひまりはそう言ってくれた。

 

 ひまりの性格から、それが本心である事は十分に理解している。

 でも、その言葉を素直に受け止められない自分がいた。


 おばあちゃんに演奏を聴いてもらえたのは、それが最後だった。


 多分あれが、あたしのピアノに対する感情を錆付かせていく最初のきっかけだったのかもしれない。



 * * * * * *



「2人ともお願い!」高校時代の友人であるさくらが言った「今度のイベントで演奏をお願いしたいの!」


 夏休みともなると友人と会う機会も自然と増す。

 高校時代の友人――桜とあかね、それにあたしとひまりの4人は、近所のファミレスで甘いものを食べながら近況報告と思い出話に花を咲かせていた。

 そんな中、突然桜があたしとひまりに両手を合わせてきたもんだから、あたしは『どんな面倒をい押し付けられるやら』と表情を曇らせた。


 桜の話の内容を要約するとこんな感じだ。

 

 今度桜のバイトする施設で夏祭り的なイベントを開催するらしい。夏の終わりの定番となっている某番組のチャリティーイベントと絡んでいるため、けっこう大々的なものになるらしい。

 アマチュアバンドのライブ演奏もあるらしく数組の参加が決定しているが、その中の一組が怪我のため急遽出演を取りやめたらしく、その穴を埋めるためにあたしたち2人に声をかけたらしい。


「無理にとはいわないけどさ」桜は言うが、目からはお願いへの本気度が伺える。


 あたしの隣ではひまりが唖然としている。

 こいつの性格を考えると、これ以上強気でせまられると『わかった、私たちにまかせてよ』とか安請け合いしそうな気がする。

 これはあたしが早急かつ冷静に対処すべき案件と思われる。


「やるやらないは別にして」あたしはオレンジジュースのコップに立てられたストローの端を指先で弄ぶ「こう言っちゃなんだけど、アマチュアバンドのライブなんて代打が必要なほどのものでもないような気がするけどな。他のバンドの曲数を1、2曲増やせば、時間の辻褄も合わせられるだろうし、その方が現実的じゃねーの?」


 隣でひまりが『たしかに』みたいに頷いている。危ないところだった。


「それには深いわけがあって――」桜は隣に座る茜を見る。


 イベント演奏の話になってから無言だった茜がここに来てゆっくりと口を開く「桜ちゃんがお願いしているのは、実は私のためなの」


 茜の話の内容を要約するとこんな感じだった。

 

 茜には今気になる男がいるらしく、今度のイベントに初めて2人きりで出掛ける約束を取り付けたらしい。このチャンスに自分の想いを伝えたい、茜はそう考えていた。

 そして偶然にも夜のライブイベントの曲目の中に『にゃこ禅』の『拝啓、トモダチ殿』があったのだ。

 トモダチ関係からその先への一歩を踏み出そうとする女子の心を歌ったこの曲は、茜の大好きな曲で今の茜の立場にもマッチしている。

 この曲の力を借りて告白を――と考えていたのだが、急遽演奏予定だったバンドが出場を取りやめてしまった。

 途方に暮れていた2人だったが、今日あたしたちに会って、あたしたち2人が最近にゃこ禅の曲を中心に音楽活動をしていることを知った。ダメもとでお願いしてみよう、そういう事らしい。


「『拝啓、トモダチ殿』、いい曲だよね」ひまりが呟く。


「私に勇気が足りないから悪いの。だから無理にお願いするつもりはないよ。ごめんね、こんな無茶なお願いしちゃって。忘れてくれていいから。そういえばこの前――」


「ううん、やるよ!」申し訳なさそうに話題を変えようとする茜の声を、ひまりの力強い言葉が遮った「私も茜ちゃんの恋を応援したい!」


 うわーやっぱりはじまった、とあたしは思う。

 

 でもさっきの話を聞いた後では、無下に断るのも後味が悪い。そりゃあたしだって茜の恋を応援してあげたいって気持ちは当然ある。


「珠美ちゃんはどう思う? いいよね」ひまりが目を輝かせている。こうなってしまうと手をつけられない事は長い付き合いなので分かっている。


「ああ、そんなに面倒な曲でもないし、あたしは問題ない」


 そう答えるほかない。

 

 ひまりは基本的にお人好しだが、考えなしに突っ走る傾向があるからたちが悪い。そのしわ寄せは大体あたしに来るわけだけど、今更そんなことはもう慣れっこだ。

 いつも2人でつるんでるわけだから一蓮托生の覚悟はとうに出来ている。


 それに――


 今日のひまりの反応は、いつもの『誰かのため』だけではないような気がした。


 多分、ひまりは、自分と茜を重ねている。


 この前の合宿で分かった事がある。

 多分ひまりは平に、ただの男友達以上の感情を持っている。

 そして、その感情が恋というものであることを、ひまり自身は理解していない。

 いや、理解はしていても、それを認めたくないのかもしれない。その感情を認めてしまう事が自分たちの関係を壊すきっかけになるのではないか、そんな恐怖心がひまりの心に蓋をしている。でもそれはすごくキツイ事だ。


 茜の件は、ひまり自身の抱えている問題と重なり合っている。

 茜の願いを叶えることが、そのまま自分自身の、秘めた願いの希望へと繋がる。

 

 多分ひまり自身はそんなところまで考えてはいない。でも無意識のうちに、この恋の――そして自分の恋の幸せな結末を見たいと願っている。


 ファミレスで桜や茜と分かれ、夕焼けの商店街を2人で歩く。


 あたしは、今度こそひまりの願いを叶えてあげたいと思った。

 

 茜の恋の成就をひまりに見せてやる事で、今ひまりの心に括り付けられている重石を取り除き、日の光が揺らぐ水面へと浮かび上がらせてやりたいと思った。

 

 あの日、おばあちゃんに素晴らしい演奏を聴かせてあげたいという願いを前にして、あたしはひまりの足を引っ張ってしまった。


 今度こそ、願いを叶えて見せる。

 

 この親友のために。

 そして、自分自身がもう一度、素直にピアノと向き合うために。


「なに難しい顔してるの?」隣を歩くひまりが、小首を傾げて尋ねる。


「いや別に」


風が吹いた。

考え込んで火照った頭には心地よい、秋の匂いを含んだ風だった。


「茜、好きな人と付き合えるといいな」あたしは言う。


「そうだね」ひまりは遠い目をする。


「いや、きっと大丈夫」あたしは力強い笑みを作る「あたしらの演奏を聴けば、絶対に二人はイイ雰囲気になるはずだ」


「うんっ」ひまりは頷いた。



 * * * * * *


 そして、イベント当日。


 照明を受けたステージは、消える寸前のろうそくのように激しく燃えていた。

 過ぎ行く夏を惜しむ人々の感情を燃料にして、夏の残り火が最後の火柱を上げているようだった。


 あたしは額の汗を拭いステージを見上げる観客を一望する。

 その中には弾き語り部門の面々もいた。

 ステージのすぐ側では、あたしの視線に気付いた桜が小さく手を振る。

 群集から少し離れたところに、茜らしき人影が背の高い人影と並んで立っている。あの位置では2人の表情を読み取る事は出来ない。


 ステージに上がる前はガチガチに緊張していたひまりだったけど、2曲目を演奏し終えた今となっては肩の力が適度に抜けて、その顔には笑みさえ浮かんでいる。


 あたしも、ひまりも、演奏の成功を半ば確信していた。


 最後の曲である『拝啓、トモダチ殿』はギターを始めた当初からひまりがずっと練習してきた曲の一つだ。

 今回のイベントに備え2人でのセッションも万全だった。

 今までで最高の演奏をする自信がある。


 遠くに見える茜が、今どんな顔であたしたちの演奏を聴いているかはわからない。でも最後の演奏が茜に届けば、きっとあいつは震える唇を噛みしめて、隣に立つ好きな男へ自分の気持ちを伝える事が出来るだろう。


「最後の曲は、拝啓、トモダチ殿、です」


 ひまりがマイクに向かってそう告げて、あたしの方を見た。

 あたしは無言で頷く。

 キーボードが鳴り、ギターのアルペジオが重なる。

 最初はゆっくり、流れるようなメロディーで。

 サビは力強いストロークで、感情を搾り出すように声を響かせる。

 1番を順調に歌い終え、間奏に差し掛かる。

 ひまりのギターソロ部分だ。


 そのとき、何かがはじけるような音がした。


 それが何の音なのか、最初あたしは分からなかった。

 ただそれが、何か不吉な音だという事だけはわかった。


 あたしはひまりを見る。


 ひまりは唖然とした様子でギターを見下ろしている。


『弦が、切れた』


 あたしは直感した。


 どんな状況なのか、私の位置からは見えない。

 しかしひまりの手が止まったことで、ギター演奏が続行不可能なのだということだけは分かった。


 ひまりがあたしの方を見る。


 その目には戸惑いと――絶望が、あった。


 あたしは頷く。

 今度こそあたしは、ひまりの願いを叶える。


『あたしに任せろ』


 演奏が途切れ騒然とする会場へ、キーボードの音が再び響く。


 ひまりのギターパートと自分の鍵盤パート――


 あたしの10本の指先は、その異なる2つのメロディーを奏で始める。

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