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新たな目標

 8月半ばを過ぎた太陽は熟した果実のように鮮やかな色合いを湛えつつ、魔法瓶の底の残り湯のように惰性的な熱を放っていた。


 弾き語り部門の部室(兼卓球部部室)にはエアコンが設置されていない。もともと運動部は部室内での活動を前提としていないため当然といえば当然だ。暑さに堪えきれず開け放った窓からは茹った野草の匂いを含む生ぬるい風が吹き込み、その不快感に誰もが顔をしかめた。


 窓際の中央に据えられたソファーの上では杉田先輩がガリガリくんを齧っている。

 

 部屋の右側3分の1にはカーペットが敷かれていて、胡坐をかいた五智先輩がギターを磨き、壁によりかかった正方寺が音楽の技術書を読んでいる。


 部屋の中央には4人がけのテーブルがあり、ひまりさんと清里珠美さん、それに卓球部副部長の国府涼子先輩が座っている。国府先輩は手元グラスに並々と注がれたハーブティーを見つめながら、困惑の表情を露にしている。


 ハーブの匂いが、流れ込む野草の匂いと混じり合っている。


「えー平ちゃんも来たことだし、ミーティングを始めよう」

 

 ガリガリくんの棒にあたりの文字がなく若干落胆した様子の杉田先輩が、棒をゴミ箱に向かって放り投げながら言った


「夏休み中にここに集まってもらったのは他でもない」ゴミ箱から大きく外れて落下した棒を拾い直し「学祭ライブについて、そろそろ話し合っていかねばならないなと思ってね」棒をゴミ箱に落とす。


 学祭、もうそんな時期か――

 皆の口からそんな声が漏れる。


「ていうか、なんで私がここに呼ばれなきゃならないの?」ただ一人部外者である国府先輩(といってもこの部室の正式な所有者は彼女なのだが)は怪訝な顔で杉田先輩を見る。


「涼子は軽音部部長の弱みを握っているようだからね。学祭で演奏する交渉をあいつとするときに、その弱みを切り札として使わせてもらいたいわけよ。そのへんの打ち合わせのために来てもらった」


「ああ、そういうこと」理解はしたが納得はしていない様子だ。軽音部部長の弱みとは何なのだろうか。あとでひまりさんに聞いてみるとしよう。


「まず決めなくちゃならん事は、どんな演奏グループでいくかだ。俺とごっちん、平ちゃんとほーじくん、ひまちゃんとタマの計3組での発表が当たり障りないと思うけども」


「それでいいんじゃないですか」と僕は言う。


「出来れば、6人全員での発表もしたいっす」と正方寺が言う「先輩たちは引退しなきゃなんですし、最後は盛大にやりたいじゃないっすか」


 ひまりさんと清里さんは大きく頷く。


「んじゃ実際は計4組ってとこか。1組2曲はやりたいから、機材準備の時間も考えると大体1時間程度必要になるわな。こりゃ切り札を使わんといかんなぁ」杉田先輩が国府先輩を横目に見やりにやりと笑う。


『まったくもう』といった様子で国府先輩はハーブティーに口をつけた。ほんの少しだけかさの減ったマグカップに、清里さんがなみなみとお茶を注ぐ。満足げな様子の清里さんと、辟易した表情の国府先輩。


「学祭まではまだ2ヶ月近くあるけど、これからの活動は学祭に向けての練習がメインになるだろうね。なんかやりたい曲目ある? 交渉次第では楽譜くらいなら部費で買えるかもよ?」杉田先輩はまた国府先輩を見てにやにや笑う。

 大きなため息を吐く国府先輩と、お茶を注ぐタイミングを見計らっている清里さん。

 部外者であるはずの国府先輩だけど、多分今一番弾き語り部門のことで頭を悩ませている気がする。


「私はにゃこ禅の曲がやりたいです」ひまりさんが言う「珠美ちゃんはどう?」


「それでいいんじゃない?」清里さんが頷く「あたしもやりたい曲探してみるわ。一曲ずつってことにしよう」


「うんっ」ひまりさんは嬉しそうだ。


「俺らはまた適当にギターインスト曲作って演奏するわ。それでいいっしょ?」と杉田先輩。


「うむ」と返す五智先輩。


「俺たちはどうする?」と正方寺が僕に尋ねる「お前最近『ノザラシ』の曲よく歌ってるし、それにしとく?」


「うーん……」僕は下を向いて考えた。いや考えるフリをした。僕の中で既に答えは出ていた。一呼吸置いて、僕は顔を上げる。


「僕は、オリジナル曲をやりたいです」


 それは勇気のいる決断だった。

 杉田先輩たちのギターインスト曲は歌詞がないため、先輩たちの演奏技術があれば誰が聴いても『すばらしい』と感じるだろう。それこそ音楽の専門家でもない限り、音楽という言語の内容を的確には評価できない。異国語でどれだけ低俗な会話を繰り広げようと、その意味を理解できなければ高尚な討論を繰り広げているように見えるのと同じだ。


 しかし、ボーカルのある曲には当然歌詞もある。メロディーに歌詞がのることで、音楽は途端にやわらかく飲み込みやすい代物に変わる。

 そして当然、誰もがその良し悪しを評価出来るようになる。


 去年軽音楽部の1組がオリジナル曲をやった。確かに演奏技術はすばらしかったのだが、曲としての完成度はイマイチで観客もあまり盛り上がらなかったように記憶している。

 そもそも僕ごときが内心で『完成度はイマイチ』なんて評価を下している時点で、オリジナル曲をやることの難しさが伺える。


 オリジナル曲は失敗する場合が多い。


 それは僕が今までの経験から感じたことだ。

 観てくれる観客を喜ばせたいなら、無難だが既存の曲、出来れば多数が知っている曲をやるのが一番なのだ。


 でも、それでも僕はオリジナル曲がやりたかった。


 歌いたいこと、伝えたいこと、それが今自分の中でくすぶっている。

 このくすぶりを炎へと焚き付かせるのは、多分今しかないのだろう。

 僕がこの6人の『弾き語り部門』のメンバーである、人生の中で一瞬とも言える、今のこの瞬間しか――


「おお! いいじゃん!」正方寺が言う「ていうか、俺はその言葉を待っていたよ。平の曲、俺も歌いたいと思ってたんだよ」僕の密かな作曲を正方寺には打ち明けていた。しかしそんなふうに思ってくれているとは知らなかった。


「ん、いいんじゃね?」杉田先輩は頷く。おそらく僕の感じている『オリジナル曲を演奏する危うさ』を理解したうえでの肯定なのだと思う。


「それじゃ、細かいところは後々決めていくとして――学祭まで2ヶ月、とりあえず張り切っていきますか」杉田先輩の言葉に皆は頷いた。


「卓球部は何をするんですか?」ひまりさんが国府先輩に尋ねる。


「うちらはたこ焼き屋台。ほらたこ焼きってピンポン玉に似てるから」さすがに胃が苦しくなったのかハーブティーの水面に映る天井を見ながら答える。


「あ、いいこと思いつきました。たこ焼きの中に1つだけピンポン玉を入れておくってのはどうですか? どれがピンポン玉なのかハラハラドキドキのスリルがあって、きっと面白いと思います」


「いや、それ普通にバレるし、そもそも苦情が殺到するから……」あきれた顔の国府先輩は本日何度目かの溜息を吐いた。

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