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夏合宿(その1)

 杉田先輩の運転するミニバンが高速道路のトンネルを抜けると、眼前に青く輝く日本海が広がった。


 空の青と海の青の境目を波の白が縁取っている。風は少し強く、少しだけ開けた2列目座席の窓から、排気ガスに混じった海の匂いを運んでくる。隣に座る正方寺が童謡の「海」を口ずさみ、僕もその歌声に自分の声を合わせ遠く広がる日本海へ向けて響かせた。


 僕達は「夏合宿」と称しN県J市に向かっていた。

 

 合宿の目的はJ市の海岸で行われる「夕日の海野外フェス」というイベントの鑑賞だ。夕日の海野外フェスでは様々なジャンルのミュージシャンたちが、夕日の沈む日本海をバックに音楽を響かせる。テレビで顔を見るようなメジャーどころが集まるわけではないけれど、インディーズを中心とした「知る人ぞ知る」タイプのミュージシャンが数多く参加する。

 

 そしてそのミュージシャンの中に、我らが五智先輩のお兄さんとその奥さんで結成されたアコースティックバンド「アピンチ・オブ・ソルト」が参加するとあっては、観に行かないわけにはいかない。


 というわけで僕たち6人は2泊3日の夏合宿に繰り出したのだった。


 今日はJ市の温泉に宿泊し、翌日は五智先輩のお兄さんに色々話を聞いた後、夜遅くまで野外フェスを楽しみ、ふらふらの身体で岐路に着く、と言うのが今回の大まかな予定らしい。


 野外フェスは確かに楽しみだ。しかし僕の胸の高鳴りには、別の鼓動も連動していた。


「うみー! うみだー!」とはしゃぐ珠美さん。


「きれいだねー」そう言って目を細めるひまりさん。


 僕はそんなひまりさんの横顔を見つめながら、別の鼓動が更に高まっていくのを感じていた。これから2日間はひまりさんと常に一緒――そんなことを考えてついついにやけてしまう自分がものすごく気持ち悪いって事は自覚している。


『平、お前ひまりを襲うんじゃねーぞ。あたしは正法寺くんを襲うけど』


『おい、俺は襲われるのかよ!』


『あはは。でもみんなで一緒にお泊りするのってなんかドキドキするね』


 昨日そんなやりとりがあった。


 もちろん男女の部屋は別だろうけど、『一緒にお泊り』『ドキドキするね』そのひまりさんの言葉が頭から離れない。


 たぶん僕は病気だ。

 しかも、かなり重症の。


 車は海沿いの温泉宿に停まった。

 部屋に荷物を置くと杉田先輩は堅あげポテトとビールを取り出し、五智先輩はギター雑誌を広げた。旅行に来てもこの二人の行動は相変わらずで、僕は苦笑いを浮かべた。


「ちょっと海を見にいこうよ」隣の女部屋から珠美さんとひまりさんが登場。


「そうしようか」僕と正方寺は立ち上がる。


「あ、地酒売ってたら買ってきて」杉田先輩からの依頼に僕は「りょーかいです」と答えた。


 宿の自動ドアが開くと夏の音色が流れ込んでくる。


 セミの鳴き声のリフレインと波の音のベースラインにのって、夏休みではしゃぐ近所の小学生や旅行に来た若いカップルのはしゃぐ声が聴こえる。海辺の温泉街は夏の日差しのスポットライトを全身に受け、自身が主役である唯一無二のステージを謳歌している。


 セメントの防波堤を越えると砂浜が広がっていた。


 水着を着た近所の高校生くらいの集団が、押し寄せる波を軽快に飛び越えながらビニールのボールを打ち合っている。女の子の打ったボールが沖の方へと飛んでいき、男の子がクロールでそれを取りに急ぐ。ボールを掴んだところで女の子達から歓声が上がった。


「水着もってくりゃよかったなー」珠美さんがぼやく。


「でも、海で水着になるのってなんか恥ずかしいよね」とひまりさん。


「正方寺くん、あの高校生よりもあたしの方が胸大きいよ」


「いや、そんなつもりで見てたわけじゃねーよ」焦ってかぶりを振る正方寺。


「僕もそんなつもりで見てたやけじゃないからね」主にひまりさんに対して言い訳する僕「ただ楽しそうだなーと思って」


「いや、二人とも鼻の下が伸びてたし」珠美さんがにやりと笑う。


 更なる言い訳を重ねようとした時「あ、島が見える」というひまりさんの唐突な言葉で僕らの視線は再び海へと向けられた。


 はるか沖の方に白く霞がかった島が見える。


「あれがS島かな?」ひまりさんが誰にともなく尋ねる。


「うん、多分そうだと思う」僕は心許ない知識で自信なさげに返答をする。


 僕たち4人はしばらくその島を眺めていた。

 

 波の音が徐々に大きくなっていく。

 白い光を反射しながら波が青い舞台の上で踊っている。

 

 時々吹く潮風は優しかった。

 こめかみから汗の粒とともに滴る不快な熱を、潮風は自然な仕草で奪い去っていく。

 

 僕は自分の体が霧散し、様々な生命の体温や、喜びや、活力が濃縮されたこの眩しい夏の空気の中に溶け込んでいく、そんな気がした。


「――そろそろ、地酒を探しに行こうか」海を見たまま、正方寺が呟く。


「そうだね」僕も海から目を離さずに答えた。


 太陽はまだ退場する素振りも見せず、島の上空で悠然と輝いている。

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