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まつりのあと・後編

 近くにあるからこそ気付けないものもあるのかもしれない。


 地元民の私――金谷ひまりにとってこのお祭は、淀みなく流れる日常の風景に一瞬だけ映る一枚の写真のようなもので、その写真の裏にどれだけの人々の想いが書き込まれているのか、考えた事もなかった。

 高校生のカップルが移動販売車でクレープを一つ買い、二人で分け合いながら食べている。そんな様子をぽけっと眺めながら、小さい頃の私はそんな恋に憧れを抱いていた事をちょっぴり思い出していた。


「よーし、みんな集まったかね?」杉田先輩が言う「そんじゃ俺はイベントの担当者と打ち合わせしてくるんで、ごっちんと女子2人は機材のセッティングを進めといて。男子2人は俺の車から楽器一式を運んでくること」

 

 時刻は午前10時。私達のライブは11時からで予定されている。

 

 あと1時間――私は今までにないほどの緊張を感じていた。

 今まで何度もピアノのコンクールに参加したことがあるけど、今日の緊張はそれとはまた少し違ったものだった。コンクールは背筋がぴんと伸びるような真冬の朝みたいな緊張感だったけど、今日のそれは心に重たい雪が降り積もるようにどんよりとしている。

 緊張の中に占める不安の割合が大きいのかもしれない。私は自分のギター技術に全く自信がない。

 でも、平くんが言っていた。

「楽しむ事が大事だ」って。

 ライブっていうのは、そういうものなのかもしれない。演奏の良し悪しで評価されるのとは違う、どれだけ自分が楽しめるかって事が大事なんだ。

 私の心は不安と開き直りの間でシーソーみたいに揺れている。

 戸惑う私を置いてけぼりにして、時間だけは歩みを止めずに流れて行く。


そして、ライブは始まりの時を迎えた。


「えー、曇天大学の弾き語り部です。今日はお日柄も良くうんたらかんたら――」広場の一角が三角コーンで区切られ、そこに立てられたマイクスタンドの一つに向かって、杉田先輩が話している。

 演奏は先輩達、平くんと正方寺くん、私たちの順番。

 自分たちの番が来るまで、私たちは三角コーンの外で待機している。


「よってらっしゃいみてらっしゃい!」


 杉田先輩の呼び声で、広場の一角に十数人の人だかりが出来始める。「んじゃ、やりますか」杉田先輩と五智先輩が頷き合い、演奏が始まった。

 

 通行人が足を止める。

 人だかりが綿飴みたいにどんどん大きくなっていく。

 先輩2人の演奏の素晴らしさに、私は鳥肌が立った。

 五智先輩が上手いのは知っていたけど、普段ギターを弾いてる姿を見たことがない杉田先輩がここまで上手いとは思わなかった。ギターだけの演奏にもかかわらず、音の繊維が織物のように折り重なって、とても深くて鮮やかな色合いを見せている。


「すげー……」隣に立つ珠美ちゃんがぼそっと呟いた。


「ほんと……」私もそれ以上の言葉が出なかった。


 先輩方の発表は盛大な拍手と共に終わった。

 最初数人だった人だかりは、今は数十人に膨れ上がっている。


「人は集めといた。彼らにお前らの音楽を聴かせてやれ」五智先輩が、マイク前に向かおうとする平くん達の肩を叩く。

2人は力強く頷く。


 そして平くんと正方寺くんの演奏が始まった。


 正方寺くんの歌声が集まった人々の間を縫って響き渡る。ギターを弾きながら、平くんハーモニーを響かせる。2つの声とギターの音色。


「正方寺くん、やっぱりかっこええなぁ」珠美ちゃんが変な方言でそう呟く。


「2人とも上手だね」私も頷く。


『あ、今? 今駅前。なんかライブっぽいのやっててさ。うん下手くそな騒音響かせてんの。ギターのやつなんか必死そうだし、俺の方が上手いんじゃね? ははは』


そんな声が聞こえた。


 私は声のした方を振り返る。

 若い男の人がケータイで誰かと話していた。

 演奏している2人を見ながら、ニヤニヤと笑っている。


 私は頭から血液が失われて行くような感覚を覚えた。


 ここはピアノのコンクール会場ではない。

 静かに座って、演奏後の一礼を拍手で返してくれるような、そういう場所ではない。

 演奏をしっかり聴いてくれる人もいれば、騒音を耳に流し込まれた事に不快感を示す人だって大勢いるはずだ。

 私は急に孤独を感じた。

 自分の演奏など誰も求めていないんじゃないか、そんな孤独感。


 2人の演奏が終わる。

 

 平くんが笑顔で「楽しんできてね」と言ってくれる。そんな平くんに向かって私は上手く笑い返せていただろうか。今からの自分の演奏を楽しめるのだろうか。

 

 マイクの前に立つ。


 たくさんの視線が私たちを貫く。

 

 でもそれは、好意的な視線ばかりではない。

 さっきの男の人みたいに『下手くそだ』『騒音だ』ってあざ笑う、悪意のこもった視線もきっと存在している。


 視線が暗い海の高波みたいに私たちに押し寄せてくる。


 私は足が震えた。

 言葉が出ない。

 立っていられない。

 肩を抱いてうずくまりたい。

 もうここに居たくない。逃げ出したい。


 いつの間にか、隣に平くんが立っていた。


「えー、この2人は弾き語り部の新人です。特にこの金谷さんは、ピアノの腕前はめちゃくちゃ上手いにもかかわらず、あえてギターを弾き始めた変わり者です。でも、それだけギターが好きなんです。その、ギターが好きって気持ちを、感じてください」


「僕に、金谷さんの演奏を聴かせてよ」そう囁いて平くんは人だかりの最前列、私の真正面に立った。


 私の正面で平くんが笑っている。

 平くんに向けて演奏すればいいんだ。

 私の演奏を聴きたいと言ってくれた、平くんに向けて――


「ひまり、大丈夫?」珠美ちゃんが言う。


「うん」私は力強く頷いた。


  オシャレ女子が雑貨屋に駆け込むスピードで


  私は家を飛び出しました


  もう恋なんてしないなんてうそぶきながら


  人ごみの中であの人の後姿を探している自分が


  ばかばかしくて――


 ところどころつっかかるギターを、珠美ちゃんのキーボードがフォローする。

 私の声と珠美ちゃんの声が重なり合う。

 平くんは楽しそうにリズムを取っている。


 私も楽しい。

 平くん、私も楽しいよ。


 演奏が終わり、一礼してマイクスタンドを離れる。

「お疲れ。初めてにしては上出来じゃね」杉田先輩が親指を立てている。

「正方寺くん、私の演奏どうだった!?」珠美ちゃんの問いに「すっげーよかった! すっげーよかったよ!」と正方寺くんが興奮気味に返す。


「楽しい気持ちが伝わったよ」平くんが言う。


「うん、だってすごく楽しかったもん」私は心からの言葉を伝えた。


 次の発表者のために急いで後片付けをしていると、知らないおばさんと目が合った。

 おばさんはにっこりと笑う。


「さっき演奏してた子だよね。すごく上手だったよ」


 思いがけない言葉に私は驚く「あ、ありがとうございます」


「ギター、がんばってね」


 知らないおばさんはそう言って去っていった。

 

 私は呆然とその後姿を見つめる。

 なんだかよくわからない感情が胸の奥から込みあがってきて、私はその場から動けなくなった。


「どうしたの?」平くんが駆け寄ってくる。


「あの、おばさんが、知らないおばさんが、上手だったよって、言ってくれた――」言葉がぐしゃぐしゃに丸めた紙切れみたいだ「上手だったよって、ギターがんばってって、言ってくれたの――」


 頬を温かいものが流れた。

 

 無意識のうちに、私は泣いていた。


「よかったね」平くんはそう言ってくれた「金谷さんの演奏も、いろんな人に感動を与えたと思うよ」


「そうかな」


「うん、僕もその一人だし」

 

 私は平くんの顔を見た。やさしい笑顔だな、と思った。


 ふと、小さい頃憧れていた恋人たちの姿が思い浮かんだ。


 なぜだろう。

 のっぺらぼうだった相手の顔が、平くんの顔に変わっていた。


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