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まつりのあと・前編

「ライブへの参加が決まったぞ」五智先輩が言う。


 それは部室棟の外に立つ桜の木が新緑を湛え、柔らかな木漏れ日が白い外壁をモノトーンに染める夏の初め。いつものように部室に集まった僕たちを前に、五智先輩は唇の片端を上げてニヤリと笑う。

 普段通りの低く渋いその声によって、僕たちの普段はまた少し色を変える。


「ひまちゃんやタマもそこそこになってきたし、そろそろライブを経験させとくべきかなと思ってね。今度の地元祭りの学生サークルライブ枠に、俺に方で申し込んどいたんだよ」珍しく先輩らしいことをしている自分に酔っているような様子で、杉田先輩は右手の親指を立てる。

 

 僕らの大学がある市の催しとして、数日後に駅前の広場を開放したちょっとした催し物があるらしい。市外からの集客が見込めるような大それた催しではないけれど、市内飲食店の移動販売車が集まり、市の特産品なんかが並び、近隣の学校や音楽教室、ママさんサークルなんかの音楽発表が行われる。

 僕たち弾き語り部門は、その催しへの発表参加枠を得たらしい。


「わ、わ、わたし、まだ早いですよ!」最近やっと『にゃこ禅』の代表曲『ゆるかわ女子がオシャレ雑貨屋に駆け込むスピード』を弾き語れるようになってきたひまりさんが顔の前に出した両手をジタバタと振る。珠美さんのキーボードは流石本職という事もあって何の問題もないのだが、初めてのギターに悪戦苦闘しているひまりさんは、まだ自分の演奏に自信を持てていないようだった。

 

 しかし僕から言わせるとひまりさんの上達は目を見張るものがある。

 やはり元々の音楽的なセンスがずば抜けて優れているのだろう。

 そして杉田先輩が言うように、人前で演奏してみる事で初めて得られる事もあると思うし、それがないと次のステップにいけないレベルに、ひまりさんは達しつつあるとも思う。


「今回は他のグループとの兼ね合いもあるから、3組で1曲ずつになりそうだ。俺とごっちんで1曲、平ちゃんとほーじくんで1曲、ひまちゃんとタマで1曲かな」


 杉田先輩と五智先輩はオリジナルのギターインスト曲になった。五智先輩の演奏技術については語る必要もないし、杉田先輩がめちゃくちゃ上手い事はこの前のライブで実証済みだ。

 

 ひまりさんと珠美さんは、やはり今一番弾ける『ゆるかわ女子』を演奏する事になった。

 

 僕たち2人は――悩んだ挙句『ダケファブリック』の曲に決めた。ちなみにダケファブリックは3人組ロックバンドだが、メロディアスな曲調は弾き語り形式で演奏しても遜色ないほど音楽として完成されている。原曲はキーボードパートがあるのだが、そこは僕のブルースハープで代用する事にした。珠美さんに頼むという手もあったが、僕たちだけでどれだけ完成された音楽を奏でられるのか試してみたいとの思いもあり、敢えて2人だけで演奏することにした。正方寺はボーカルに加えドラム代わりのタンバリンを叩く。


そして、本番に向けた練習の日々が始まった。


 そんなある日、講義の合間に学食の隅で本を読んでいた僕の向かいの椅子に、誰かが座った。

顔を上げるとそこには、よそよそしい様子のひまりさんがいた。


「どうしたの?」本を閉じて僕は問う。


「平くんに、相談があって……今、いいかな?」ひまりさんの声は、昼すぎの閑散とした食堂に響く誰かの笑い声にすらかき消されるほど弱々しく、疲れ果てた子犬のようにテーブルの上を転がった。


「うん、僕でよかったらのるよ」僕の気持ちは学食に2人向かい合って座っているというシチュエーションに高揚していた。しかしそれを悟られまいと、出来る限り冷静を装って答える。


「私、自信ないんだ、今度のライブ」ひまりさんはぽつぽつと語りだした「私、まだまだ人前で演奏できるようなレベルに達してないよ。ギターだって毎回間違えちゃうし、こんなんじゃ見てくれる人を嫌な思いにさせちゃうよ。平くんはどう思う? 私の演奏、問題ないかな?」


「金谷さんはすごく上達してると思うよ。僕が始めてライブした時なんか、ステージの上で固まっちゃって全然演奏できなかったんだから」


「でも、でも、どうしよう」


 そんなひまりさんの様子を僕は意外に思った。ひまりさんは珠美さん以上のピアノの腕前で、コンクールでの演奏も数多く経験していると(珠美さんから)聞いていたから、市の催しの程度でここまで絶望的な表情を見せるなんて思ってもいなかったのだ。


「私、ぜんぜん上達なんてしてないよ」

 しかし、そう呟くひまりさんを見ていると、僕はその不安の正体が見えたような気がした。


 つまり、彼女のピアノの腕前は完璧すぎるのだ。

 彼女は全くミスがない、ミスに転じる要因すら皆無な状態で、数々の舞台で演奏してきた。他人に音楽を聴いてもらうとは、そういう事だと認識している。

 だからこそ恐いのだ。

 不完全な状態で人前に立つことが。


 しかし、それは大事なことではないと僕は思う。

 僕だって、上手い演奏でみんなに感心してもらいたいし、そのレベルの腕前になる事を目指して練習している。でも、そこに至るまでも、そしてそこに至ってからその先へ進む場合も、大事なことは一つしかないのではなかろうか。


 それは人が砂漠を歩き続けるために必要な、澄んだ一杯の水のようなもの。


「5月ごろかな、弾き語り部の4人でライブやった時に、杉田先輩が言ったんだ」僕は照れで頬を掻きながらいう「『大事なのは、ギターってめちゃくちゃ楽しいって事だ』ってさ」


「めちゃくちゃ、楽しい」ひまりさんはキョトンとした様子で僕の目を見つめている。

 そこに嘘やごまかしの色が無い事を感じ取ったのか、その表情に少しの明かりが射した。


「上手く演奏しようなんて、考えなくていいんだよ。楽しそうに演奏する事が、見てる人に一番感動を与えるんだと思うよ」


あの時、あの言葉で、あの会場は確かに一つになった。


それが、答えなのだと思う。


「ありがとう、平君」ひまりさんはいつもの笑みを取り戻していた「なんだか、元気が出てきたかも」


「まぁ僕も先輩の受け売りだし」あははと笑う。


「ごめんね、読書中に。じゃあ、私いくね。みんなに誤解されたら平君に悪いから」そう言うとひまりさんは周りを見渡す。確かに、リア充に対する怨念のような視線が一部テーブルから伝わってくるような気もするが――僕は全然嫌じゃないんだけど。


「また部室でね」


 ひまりさんがいなくなってからも、僕は本を読む気分になれず、ガラス張りの向こうの中庭に見える一本の木の太い幹をぼんやりと眺めていた。

 自分を頼って相談してくれた事が嬉しかった。

『ありがとう』と言った彼女の笑顔が嬉しかった。

初めて会ったとき、ギターを直した時にも、彼女は同じ笑顔を見せてくれたような気がする。

 多分あの頃から既に、僕は『それ』に心を奪われていたのかもしれない。


 そして、ひまりさんと珠美さんにとって初めてのライブの日が訪れる――

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