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1-4 妹

「うーん。あ、お姉様、グーバンガルフ」


「グーバンガルフ、メリーベル。あの驚かないで聞いてね」


「それはもしかして、周りにいらっしゃる方々の事でしょうか」

「え」


 おや、妹ちゃんは寝起きもよくて、そして何事にも動じない精神の持ち主だったのだろうか。


 だがまるで夢を見ているかのような表情で、それはこの世ではなく幽世でも見ているかのような半虚ろな眼差しだった。


「だって、これは夢なんでしょう。

 こんな事が現実にある訳がないのだもの。


 きっと起きたら、お父様やお母様、そしてお兄様や爺やがいる素敵な朝になっているのよ」


 ああ、ただの現実逃避だったのか。

 俺は思わず椅子に座ったまま片手で顔を覆ってしまった。


 なんといったものかこう、妹の方が色々と重症のようだ。


 無理もない、つい最近まで王女様暮らしだった幼い少女がこのような雪山深くまで追われて、死地寸前の死神の懐までまで追い詰められてしまったのだから。


 俺だってもしただの人間だったのなら、ここへ逃げ込んでテリトリーとした時に、もう完全に諦めるようなシーンだったのだから。


 だが姉は厳しい顔つきで妹の頬を軽く、しかし厳しさをもって叩いた。


「メリーベル、しっかりしなさい。

 これは現実よ、そして私達を助けてくれた方々にお礼を言いなさい。


 もう私達の国は滅びました。

 父も母も兄もいません。

 私達がたった二人だけの家族よ。


 私達はもう王女でもなんでもありません。

 でもウインドシュガルツ王家の誇りだけは心に秘めて生きていくのです」


 そして呆然と頬を片手で抑えながら周りを見渡すメリーベル。


 やがて、彼女の双眸に涙が滲み出てきた。

 そして父と母を呼びながらしくしくと泣き始めたのであった。


「お父様、お母様ー」


 自分も泣きたいだろうに自分に泣き縋る妹の前ではじっと我慢しているアリエス。

 そんな二人に心配そうに鼻面を寄せるシルバー。

「アリエス、メリーベル、元気出す。

 ここ、シルバーいるよ」


「シルバー」

 その思いがけず巨大狼からかけられた拙い言葉に、思わず顔を綻ばせるアリエス。


 こいつはまだ子犬から抜け出したばかりで心は幼い。

 それに魂だけとはいえ人の手で育てられたので、かなりの甘えん坊なのだ。


 アリエスからみれば、まるで新しくできた可愛らしい弟であるかのように感じられる事だろう。


「そうね、メリーベル、ご飯をいただきましょう。

 せっかくのルーおばさんの心尽くしなのよ」

「うん……」


 メリーベルはまだ半泣きの顔で、そのルーおばさんと、どうしたものかねといった顔つきで所在無げに二人を眺めている巨大な魔神である俺の顔を交互に見て、そして次に異様に高い天井を見上げて、そして笑顔で姉から差し出された皿を受取ってベッドの上で啜り始めた。


「美味しい……」


 ホッとしたためか、また涙ぐんでいたのだが、上品な仕草であっという間に平らげて、おずおずと皿を差し出した。


「お代わり……」

「はいはい、いっぱいありますから、たんと食べましょうね」


 ルーは嬉しそうに空の皿を受取って、溢さないように控えめに盛り付けると上手にメリーベルに手渡した。


 そして、更にもう一杯お代わりをしてお腹いっぱいになって、そのまま崩れ落ちるように眠ってしまった妹の寝顔をしばらく見つめていたアリエスは、突然ベッドから降りて床に正座で座り込むと、俺に向かって深く頭を下げだした。


「お願いです、ジン様。

 どうか、私達が山の反対側へ降りられるようにお手伝いくださいませんか。

 私達二人だけでは、この山は絶対に越えられません。


 命を助けてくださった上に、失礼で不躾で勝手なお願いをしているのは重々承知です。


 でも、どうか、どうかこの哀れな人間の子供に手を差し伸べていただくわけにはいかないでしょうか、魔神様」


 彼女の傍では、彼が生まれてこの方初めて遭遇する尋常ならざる空気に驚いたシルバーが、どうしたものかとうろうろしていたのだが、空気を読んだルーに首根っこを掴まれ、隅っこに引っ張っていかれて嘴と手で上手に毛繕いされて、目を閉じて気持ちよさげに横になっている。


 そして重々しい雰囲気で口を閉ざしたままの俺に向かって、アリエスはまた繰り返す。


「何でもします、私に出来る事は何でもしますから。

 お願いします、お願いします」


 そして少し顔を曇らせて思案していた俺も彼女の真摯な想いに答えた。


「いや連れていってやるのはまったく構わんのだが、何しろ俺はこの姿だ。

 その俺のせいで却ってお前達に、いらん脅威を引き寄せてしまってもなんだと思ってな」


「はい、それは仕方がない事です。

 あなたの判断で行けるところまでで結構ですから」


「いいだろう。

 その代わり、この俺の頼みを一つだけ聞いてくれ」


 それを聞いたアリエスは体を起こし、その湖のように美しい瞳に不安の波紋を広げていった。


「それは、はたして私に出来る事なのでしょうか」


 そして、俺はにっこりと笑って(もしかしたら余人に見せられぬような凄まじい笑顔だったかと浮かべた後で後悔したのだが)このように言った。


「なあに、簡単な事だ。


 この哀れで孤独な人外転生の結末を、人の魂を持ちながらも人とは決して相容れぬ運命(さだめ)を持った惨めなこの俺を、妹共々生涯友と呼ぶと言ってくれ。


 それはきっと、この先もお前達だけしか成し得ないかもしれぬ奇跡なのだから。


 そう誓ってくれるというならば、この先お前達が人里へ出て追われぬ場所まで行けるよう送り届けるお前達の騎士、トリプルΩの魔神の騎士となってやろう。


 ただし、それに問題がなければだ。俺の存在故にお前達を窮地に晒すのは俺の本意ではない」


「十分です。

 ううん、それ以上の事なんて、この世界のどこにだって望めるはずがないわ。


 誓います、我が聖なる王家の守り神ドルクスに誓って。

 主神たる天のアレスに誓って。


 あなたこそ私達姉妹の真の友。

 その姿も異種族の魔物である事にも何の問題もないわ、ありがとう、ありがとうジン。

 いえ、我が騎士ジン、魔神の騎士ジン」


 彼女はそう言って、俺の差し出した腕の先に膝立ちでしがみついたまま、いつまでも泣きじゃくっていたのだった。


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