1-2 二人の王女
パチパチと燃える、手製の茶道で使われる高級茶碗のように武骨な形をした昔ながらの火鉢。
特大サイズで、釉薬が使われているわけでもないそれは、俺が火魔法で土から創り上げたものだ。
その中にある灰の中で燃えて暖かい遠赤外線を放射してくれている立派な大型の炭は、やはり俺の手作りになる品だった。
そこは俺の家、なんというか一言で言えば特大のかまくらの中だ。なんで、かまくらなんだって?
だって、かまくらは雪国では素敵な憧れのアイテムじゃないか。
これで日本酒や餅、お汁粉なんかがあったら最高なんだがなあ。
生憎とそのように素敵な物はこの世界には存在していないだろう。
たとえ、存在したとしても今の俺は探しにもいけない状態なのだが。
「う、ううん」
おや、可愛いお客さんが目を覚ましたようだ。
まあ、そろそろそんな時分のような気はしていたのだ。
何故なら、さっきからその少女達に付きっきりで、それはまるでこれを見逃したら一生の不覚みたいな真剣な表情をした狼の、いつもなら落ち着きなく様々な挙動を見せてくれる自慢の先黒な白銀尻尾がピクリともしていなかったのが、ゆらっゆらっと左右に振れ始めて、おそらくは狼の鋭い五感で彼女達の状態を的確に読み取っているだろう彼の期待を如実に物語っていたのだから。
「わふうん」
「え、犬? ああ、ここは暖かいな」
彼女、どうやら二人共よく似た顔立ちなので姉の方と思しき大柄な方の少女は、まだはっきりとは目が覚めていないようで、朦朧とする意識の中で彼奴目がぷにゅりと顔近くに寄せた鼻面を撫でている。
その犬にしてはあまりに巨大な鼻面の不自然さにはまったく気づいていないようだ。
あるいは、まだ半分夢の中なのだろう。
だが俺は無粋を承知で彼女に声をかけた。
ここは必ずカンバセーションの先手を取って彼女達を安心させておかないといけない明確な理由があったのだから。
「グーバンガルフ(おはよう)」
「グ、グーバンガルフ」
俺が発した明確な発音の、この国では朝昼晩共通である標準語の挨拶を聞いて彼女は慌てて起き上がろうとしたが、巨大で柔らかで優しさの塊のような前足の肉球がそっとそれを押し留め、彼は客人を驚かせぬように、いつも騒がしい彼にしては非常に控えめに可愛らしく小さく鳴いた。
「くぅ~ん」
「まあ、とても可愛い子だこと。
これはまた随分と大きな犬種ね。
うちでも大きな子を飼っていたけれど、ここまでのサイズの犬は見た事がないわ」
彼女は目の前の、彼女の事を一心に気遣ってくれる優しい生き物に心を囚われてしまったものか、この異様に巨大な家の天上の高さや、彼女が身を起こして起き上がらないと目に入らないかもしれないような位置にわざと座っている、この家の主たる俺の容姿には寝起きの状態も相まってまだ関心がいっていないようだった。
「ペロリン」
「ふふ、くすぐったい、舐めないでえ。
やだペロリンって、あなたってまるで人間みたいね」
「ああ、そいつはΩ魔獣フェンリルだからな。
頑張れば人間の言葉を喋る事もできるよ。
ちょっと子供が喋るような感じで、半ば片言みたいなレベルだけれども。
ところで君、体の具合はどうだい」
「え? フェンリル?」
彼女は少し身を起こして俺の方へと向き直り、その南洋の海の色合いとはまた一味違う、標高の高い山岳地帯などで見かける美しい湖のような澄んだエメラルドグリーンの眼をやると、それを明らかな驚愕の色に染め上げた。
「あ、あなたは!」
彼女は思わず命綱にでも縋るかの様子で、傍らにあった巨大な鼻面にしがみついた。
奴の尻尾がパタパタと音を立てるかのように振られている。
いや、実際に空気を激しくかき乱すので、団扇で仰ぐようなバタバタいうような音がするのだが。
「やっぱり驚かせちまったか、いや済まんな。
これでも、なるべく驚かさないように配慮したつもりだったのだが」
少女は俺が喋るのを固まったまま見つめ返していたが、その間も奴は鼻面でやりたい放題だった。
まあ驚くのは無理もない。
何しろ俺の姿ときたら、人とはあまりにもかけ離れ過ぎている。
その全長は約十メートル、なるべく初対面の人間を驚かせぬようにわざと体を丸めて、丸太を切っただけのネイチャー指向の低めの椅子に座っていても、その巨大な体躯のサイズを隠し通せるはずもない。
そして逞しく胸厚でアンバランスなほどに逆三角形型をした上半身に生えている、昔の罪人のような太めの青い刺青の如くにはっきりくっきりとした幾重もの縞々模様の入った腕は二対あり、まるである種の蜘蛛の手足のような印象を受ける。
それを初めて自分で認識した時には思わず眩暈がしたものだ。
そいつさえも、これまたある種の蟹を思わせるほどに筋肉が異様に肥大したものだった。
目はなんといったものか、切れ長の凶悪そうな形で激しく吊り上がり、まるで歌舞伎役者の目の周りの隈取りのような感じに鋭く禍々しく、腕と同じような刺青っぽい感じに縁どられている。
これで眼光鋭く睨まれたのであれば、胆力が並みの人間であれば震えあがりチビってしまうこと間違いなしだ。
大きく裂けた口は、また鋭い牙がズラリと並んでおり、その突き出た犬歯は凶悪そのものの牙で、喋る度にその禍々しい物が相手の目を射るのだった。
そして全身、見事にワイヤーのような剛毛で覆われている毛むくじゃらな怪物だ。
これで日本人にでも見られようものなら、鬼か悪魔か夜叉か、あるいは進撃のなんとかかと大騒ぎされ、ある種の人々であるならばカメラ付きの機器で撮影しまくるのかもしれない。
「おい、シルバー。そのくらいにしておかんと、お客人の素敵な髪が台無しになってしまうぞ。
もう半分手遅れだとは思うが。
すまんね、お嬢さん。
こいつも人間の拾い物なんて素敵なものは生まれて初めてなので大はしゃぎしているのだ。
この前に拾ってきたのは親を亡くしてまだ目も明かない真っ白で可愛らしい子兎が六匹だった。
まったく、そんな物をこの巨大な俺にどうしろっていうのか」
すると少女は、俺の頭をかきながらの愛犬の趣味に対してのボヤキように思わず吹き出した。
「やだ、あなたの犬っていろんな遭難者を拾ってくる名人なのね。
なんて優しい子、あなたが私達を見つけてくれたのね、本当にありがとう」
そう言って彼女はシルバーの鼻面にキスをし、奴の尻尾は素晴らしい一枚尻尾の扇風機と化した。
やめんか、寒いだろうが。
そういう事は、どうせなら夏にサービスしてくれ。
きっと夏は暑がって舌をダラリと出して床に寝っ転がっているのに決まっている。
そして件の彼女は俺に問うた。
「あの、あなたが私と妹を助けてくれたのですよね。ありがとうございます。
どうしてだかわかりませんが、おそらく魔物であるだろうあなたからは邪悪な気配をまったく感じません。
不思議ですわ。
同じ人間といえども、燃え上がるような悪鬼のような心を伝えてくる者もいるというのに。
私の名はアリエス・グランディス・エリエーテ・ウインドシュガルツ、元アーデルセン王国王家の王女でした。
そちらは妹王女のメリーベル・グランディス・ヘルネス・ウインドシュガルツです」
「でした?」
すると少女は俯いてしまい、そして憂いを込めた悲し気な瞳に少し涙を浮かべ、まだ血の巡りが悪い紫色をした震える唇でこう答えた。
「私達の国は先日滅ぼされてしまいました。
父も母も兄達も皆殺されて、我々が王家の最後の生き残りです。
ああ、こうしていても我が国の民草の嘆きが聞こえてきそうです。
あの卑劣なルーゲンシュタット帝国の奴らに卑怯にも奇襲を受けて蹂躙された我が国の悲嘆。
でも私やメリーベルにはどうしようもありません。
統治のための傀儡として、帝国王子の慰み者にでもするつもりだったのでしょうか、私達だけはすぐに殺されずにいました。
そして命懸けで救出に来てくれた忠臣により救われて逃げ出したのです。
でも彼らも全員もう殺されてしまった事でしょう。
それから追われ狩られ、ついにはこんなところにまで逃げてきてしまいました。
そして、それもこの山中で倒れ、もう終わりかと思っていた矢先の事なのです。
私はもう諦めがついているのですが、この妹だけはなんとしても」
そうだったのか、だがな少女よ。
人間に一番酷い事が出来るのは人間なのだから。
悪魔だってあそこまではやらないさ。
俺はこことは違う世界である地球の歴史の中で延々と数千年にも及んで行われ続けてきた惨劇の蛮行と、この子とその祖国が受けてきただろう仕打ちを想い、そっと目を閉じた。