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006 私の心

他の看護師さん達より愛想の良い看護師の女性が、

『貴女の為だったのね』

少し困った様な顔をして、溜息交じりに微笑んでいました。


彼女の病室に「彼」が勝手に入室してしまう前…、

「自分で何とかしたいと思っている彼女の事情」を知らなかった「彼」は、

『床に零れてしまったから、水分を拭取る物を貸してくれ』と

行き成りナースステーションに駆け込んだのだそうです。


そんなこんなで、どうやら、何かしら誤解したであろう看護師の女性は、

『どうして喧嘩になっちゃったかは、知らないけど…、

早く仲直りできるといいわね』

そう言い残すと…清掃員さんと入れ替わりに出て行きました……。


「無神経だけど…きっと、悪い人では無かったんだろうな……」

先に連れ出された青年に…、

喧嘩腰になってしまった相手に彼女は想いを馳せ……。

彼女は清掃員のおばさんが、不機嫌そうに掃除するのを横目に見ながら、

枕元、ベットの宮の部分にぶら下がる様に、

引掛けて置いていた「てるてる坊主」を手に取って、

しっかり胸に抱きます。彼女は膝を抱えて、俯き、目を伏せ…、

近付く者を拒絶する様に、体を縮こまらせました……。

清掃員の不躾な視線に耐えられない…、彼女なりの対処法です……。


噂しか楽しみの無いおばさん達の好奇心の御蔭で…、

毎日、心を傷付けられる環境に…、

まだ、彼女は慣れる事ができていません……。

病院の関係者である「おばさん達」は…、

パジャマや下着をレンタルする者の事情を少なからず知っています……。


そうする事しかできない彼女の環境を…、

面白可笑しく誇張して話す人々の表情を…、

幾度かの入院、そして、この数カ月の間ずっと、何度も…、

彼女は目の当たりにしてきていました……。


だから…、

『腐ると掃除が大変ですから、洗面台の花を捨ててもよろしいですか?』

清掃員の冷たくて強い口調に、

彼女は小さく消え入りそうな声で『はい』とだけ答えます。


本当は…、言葉も交わしたくない、関わりを持ちたくない……。

目を閉じている間に、早く出て行って!

何でも良いから消えて欲しい!

そんな事しか彼女は考えられなくなっていました。


掃除が終わると…、

おばさん達は眉間にしわを寄せ、彼女を睨めつけてから…、

何時もの様に、軽く鼻を鳴らして病室を出て行きます……。


『酷い事して、ごめんね…』

彼女はおばさん達に気付かれないように少しだけ顔を上げ、

泣きだしそうな顔で、

ゴミ袋に詰められ、持って行かれる「花」に謝りました。


掃除の音が無くなり、静かになった病室に嫌なモノが聞こえてきます。

部屋に流していたラジオの音は、

何時の間にか電池が少なくなってフェードアウトし…、廊下の音が…、

清掃員の陰口が…、今日も、はっきり聞こえてきています……。


隔離病棟とは違う、密封していない両開きの大きな扉。

何か起きた時の為に、

異変に一早く気が付く為に防音されていない病室が「仇なす苦痛」に、

彼女は顔を更に歪め…声を殺して泣きました……。


清掃員の人は、彼女の母親同様、生体移植反対派の人種でした。

彼女が普通に生きるには、ドナーが必要で、彼女自身はドナーを求め、

幼い頃、それを言葉にして訴えていたのです。

自分の意に反する者を陥れる傾向にあるのは人間特有の傾向、

致し方ない事だったのでしょう。


でも彼女は、探しても見付けらないかもしれないけど…、

それでも、探したかったし、探して欲しかったのです……。

例え、ドナーになれるかもしれない人を発見しても、

『必要で無くなったら、分け与えてください』と頼んでも、

『移植に向かないモノもあるのだ』と言って断られるかもしれない…、

それでも、希望は持ちたかったのです……。

可能性が無くても…、

探す事を…未来を生きる為の希望を持つ事を許して欲しかったのです……。

それが彼女の一番の願いでした。


それなのに、そんな娘の望みを総て奪い…、

最期の時まで病院に閉じ込めるつもりであろう母親……。

助かる見込みを宗教上の理由から拒絶した結果…、

可能性のある未来を無くし…、

娘の現実を直視できなくなった母親を…、

娘の病気の為に…、夫を失った可哀想な母親を…、

彼女は恨み、憐れみ、それでも愛して…求めていました……。


終りの無い喉の渇きに耐え…、

好きな物も食べられなくなっていく状態でも…、

母親に会いたくて彼女は生きていましたが……。

何も知らない清掃員達は、

自分達の陰口の所為で彼女の母親が来なくなったとも知らず。

母親の事を悪く言い…、

残された彼女にも同様、心無い言葉を垂れ流し続けています……。


彼女は自分に繋がる包帯の巻かれたチュウブの根元と、

長年の治療で固くなってしまった、反対側の腕の皮膚に触れ溜息を吐き、

ハンカチすら手元にないので、

借り物の青い布のパジャマで涙を拭きました。


彼女はベットから降り「てるてる坊主」を抱締め、

今日も、開かない窓越しに暗くなっていく青空を眺めます。

『今夜は晴れそうだね…御星様、観れるかな?

ねえ?「てるてる」…いつか…、

硝子越しじゃなくて、そのままの夜の星を一緒に観たいね』

彼女は涙の乾ききらぬ瞳で、

両手に優しく包み込んだ布製の「てるてる坊主」に微笑みかけ、

願いを掛けました。


『いつか、この目で満天の星空を眺める事ができたら幸せだよね。

だから、ちゃんとその時には晴れた夜空を御願ね……。

「てるてる」期待してるよ』

疲れ切った表情で、必死に現実逃避をする彼女…、

誰もいないのに自分を奮い立たす為だけに必死で微笑む彼女の手の中で、

彼女に一番近い場所で……。


「てるてる坊主」は彼女の心が晴れる様に祈る事しかできませんでした。

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