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傀儡師シリーズ

吾輩は猫叉である

作者: セレソン28

 吾輩わがはい猫叉ねこまたである。名前はもう忘れた。と言うより、飼い主が変わるたびに違う名前を付けられたから、とても覚えきれないのだ。まあ、それも遥か昔のことだが。

 口さがない連中は吾輩を化け猫などと呼ぶが、失敬しっけいきわまりない。同じくよわいを重ねた猫の変化へんげしたあやかしであっても、品格が違う。常人には吾輩の雄姿ゆうしは見えぬであろうが、二叉ふたまたに分かれた尻尾がその証拠である。

 もっとも、常人ならざる者には吾輩が見えるわけで、そうなるとろくなことにならない。

 昔、この地に城があった頃の話だが、退屈しのぎに城内を歩き回っていたら、たまたま吾輩の姿が見える者がおり、たたりじゃ何じゃと騒ぎになった。吾輩が祟ったりするものか。

 大方、やましいことのある者が、自分の影におびえたのであろう。まったく、人間というのはおろかなくせに自惚うぬぼれが強く、だまされやすいくせに自分だけはうまく立ち回れると思い込んでいる。

 妖の中には数寄すき好んで人間に仕える連中もいるが、吾輩には気が知れぬ。いっそ人里ひとざと離れた山中にでも住もうかと考えたこともあるが、吾輩は何より退屈が苦手である。少なくとも、人間どもをながめている限り、無聊ぶりょうをかこつ心配はない。

 ここ何百年か、かつて城のあったこの地に居を定めているのだが、喧騒けんそうに満ちた都会でもなく、人跡じんせきまれな僻地へきちでもなく、程よいにぎわいがあって、吾輩は気に入っている。縄張り意識などというさもしい根性は持ち合わせていないが、馴染なじみのある土地はやはり落ち着く。もっとも、平成の御世みよにここが城であった頃をしのばせるものは、はすい茂るほりぐらいしか残っていないが。


 その日も吾輩は、陽射ひざしをたっぷり浴びながら、その濠端ほりばたを歩いていた。妖は太陽が照らす間は徘徊はいかいしないと思っているかもしれんが、夜の方が人間に見えやすいだけのことである。

 吾輩はこの濠の景色が好きだ。水面みなもを埋める蓮の葉がキラキラと光り、も言えず美しい。そういえば、水面に浮かぶ蓮の葉ばかりを描いた異国の画家がいたなあ。モ、なんとかという。

 ん。あれは何だ。濠の中ほどに、荷物を梱包こんぽうする厚紙の箱が浮いている。あんな大きなものを濠に捨てるとは、けしからん。

 いや、待て。箱の中から声がするぞ。

 見ていると、箱から黒い小さな頭が現れ、「ニャア」と鳴いた。黒猫のようだが、まだほんの仔猫こねこである。おそらくは、飼い主に捨てられたのであろう。人間というやつは、どうしてこうも身勝手なのだ。

 仔猫はまた「ニャア」と鳴き、すがるような目で吾輩を見ている。

 と、次の瞬間。

 吾輩は、おのれ自身が沈みかけた箱の中にいるのに気付いた。

 ええい、しまった。我知らず仔猫に憑依ひょういしてしまったようだ。

 憑依とは、相手の意識を一時的に凍結し、強引に主体性をうばうことである。一旦憑依してしまえばこちらの思うがままに肉体をあやつれるし、離脱りだつすれば憑依されたという記憶さえ残らない。

 憑依は本来、容易なわざではない。意識せずとも、本能的に抵抗されるからである。だが、生命の危機が迫っているような非常事態のときには、いわば心が無防備になっている。吾輩が意図した訳ではないが、あたかも真空に吸い込まれるように、仔猫に憑依してしまったらしい。

 箱の中を見回すと、『誰か拾ってください』と書いた紙切れがあった。小さな毛布と、えさ欠片かけらもある。すると、最初は濠端の草叢くさむらにでも捨てたものが、何かのはずみで濠に落ちたのかも知れぬ。落ちてからどれくらいの時間がたったのだろう。すでに水がみ込んできており、沈没は時間の問題である。

 さて、どうしたものか。

 仔猫の肉体から離脱しさえすれば吾輩は逃げられる。しかし、肉体がない状態だと物質に干渉かんしょうすることがないので、どんな厚い壁でもスイスイ通り抜けられる代わりに、小石すら持ち上げられないのだ。だからといって、このまま仔猫を見殺しにするのは寝覚めが悪い。

 こうなれば、方法はひとつしかない。

 人間も含め、生き物はいざという時に、普段からは想像もできないような力を発揮することがある。いわゆる、火事場の馬鹿力というやつだ。

 仔猫の肉体はまだ未熟だが、それを操る心はもっと幼い。一方、吾輩は己の肉体を去ってから何百年もの間、様々な生き物に憑依してきたから、肉体操縦術そうじゅうじゅつにはけている。仔猫自身ができないことでも、吾輩ならできるだろう。

 最初、泳がせることを考えてみた。

 吾輩なら、猫掻きはおろか、平泳ぎや自由形で泳がせることだってできる。しかし、蓮の葉が多いから、泳いで対岸に着くのは困難である。逆に、この蓮を利用した方がいいだろう。

 吾輩は馬鹿力のツボを探り当て、まず、仔猫を三尺(約一メートル)ほど垂直に跳躍ちょうやくさせた。空中から見回して、仔猫の体重を支えられそうな蓮の葉の位置を頭に入れる。

 次が本番である。義経よしつね八艘はっそう跳びならぬ、猫叉の蓮の葉跳びだ。

 吾輩が箱を跳び出そうと身構えたその時、濠の対岸の石垣から身を乗り出している少年の姿が目に入った。ザリガニ採りでもしていたのか、細い竹竿を右手に持っており、それで仔猫の入った箱をたぐり寄せようとしていた。だが、いかんせん距離がありすぎる。このままでは、少年が濠に転落してしまう。

 少年の体がよろめき、「あっ」と声を上げた刹那せつな、吾輩は迷わず少年に憑依した。そのまま少年の体を操って馬鹿力で濠に竹竿を突き刺し、棒高跳びの要領で濠端に着地した。跳躍の途中で抜かりなく、仔猫も抱き上げている。

 吾輩は、震えている仔猫をそっと地面におろしてやった。

「さあ、行くがよい」

 少年の口を借りて、そう声をかけると、仔猫は離れがたそうに何度も振り返りながら草叢に消えた。後は、少年から吾輩が離脱しさえすれば、記憶にも残らないはずである。

 ところが、その時、激しくえる犬の声が聞こえてきた。少年の体で移動する時間はないと判断し、吾輩が再び仔猫に憑依すると、すでに眼前に凶暴な猛犬のきばが迫っていた。

 吾輩は、仔猫の前足で渾身こんしんの一撃をそいつの鼻づらに加え、ひゅるんだところに、のどの筋肉を調整して猛獣のような咆哮ほうこうを浴びせた。

「がおおおおーっ!」

 犬は「きゃん」と一声上げて、逃げて行った。首輪をしているところをみると、飼い犬だろう。放し飼いなのか、逃げてきたのか。いずれにせよ、もう二度と猫に手出しはするまい。

「あ、ここにいた。ものすごい鳴き声が聞こえたけど、大丈夫かい?」

 振り向くと、先ほどの少年が追って来ていた。吾輩に憑依されて、五輪選手並みの跳躍をした記憶はすでにないだろうが、これ以上関わらないほうがいい。そう思って逃げようとした際、初めて仔猫の体の異変に気付いた。全然力が入らないのだ。

 あまりにも久々の感覚なので、一瞬、それが何かわからなかった。それは『空腹』という感覚であった。それも、かなり切迫している。

「おいで。怖がらなくていいよ。お腹空いてるだろう。うちにおいで」

 いたしかたない。このままでは仔猫が飢えてしまう。それに、吾輩も何百年ぶりで感じる『食欲』に勝てそうになかった。吾輩は精一杯、甘えた声で鳴いてみせた。

「ミャア、ミャア」

「よしよし、いい子だ。うちにキャットフードがあるんだよ。お姉ちゃんが先月まで猫を飼ってたからね。もう死んじゃったけど。だから、きっとお姉ちゃんも喜んでくれると思うよ。ああ、そうだ。ぼくはケンちゃんだよ。きみにも名前を付けなきゃね。そうだなあ、うん、クロちゃんにしよう」

 少年は吾輩を、いや、仔猫を抱き上げた。捨てる神あれば、拾う神あり、ということか。まあ、行きがかりである。しばらく、人間に飼われてみるのも面白いかもしれない。

 吾輩は猫叉である。名前はクロちゃんという。ふふん、まあ、いいじゃないか。

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