鯨(仮)
俺は日本に住んでいた内藤陸というものだ、フルネームだと色々あったのでリクと名乗っている。
浜辺で昼寝をしていたんだけど、目が覚めると見たことも無い場所にいたのが始まりだった。
一つの場所にいる期間は十日前後、別に自分で移動しているというわけではない、フッと意識を失って目覚めたら別の場所にいるという感じだ。
最初に目覚めた西洋風の街で、俺はひどくうろたえたが、手元に結構な額のお金が入った袋があったことと、現地人に言葉が通じたことで安心し観光気分で宿に滞在していた。
しかし、十日目の朝にけたたましい鐘の音が街に鳴り響いた時に意識を失い、次に目が覚めると森の中の集落にいた。
途中までは、現代のさまざまな国を巡っているのだと思っていたが、空を飛ぶ車のある都市や角の生えた人の住む山脈などに行ってからは、違う世界を巡っていると結論づけた。
毎回変わらないのは、移動するために意識を失う、目覚めるとお金の入った袋がある、そして必ず言葉が通じる、という事だ。
どれだけの世界を巡ってきたのか定かではない、強烈な印象で記憶に残っている世界もあるが、特に何事もなく移動してきた世界も多数あった。
そんな俺は今、海底都市にいる。透明のドームに覆われていて壁の向こうは深海なので真っ暗だが、ドームの中は人口太陽なるもので昼夜の管理をしているらしく、ここが海底だという事をかんじさせない。
この街は今までで一番すごしやすい、街の設備がではなく、今まで出会った住んでいる人の全てが黒髪黒目なのだ、言葉も通じるので日本にいたころを思い出す。
今は六日目、オープンテラスのカフェでコーヒーを飲みながら人を待っている。
どうせ十日前後で移動するので、今までの世界では知人はなるべく作らないようにしていたんだが、二日目に初めて入ったこのカフェで隣に座っていた女性と仲良くなり、今まさにその女性と待ち合わせをしている。
入り口から手を振りながら女性がやってきた。「やっほーリク、待たせちゃったー?」
「いや、さっき来たとこだよ。アンナも何か頼む?」彼女の名前はアンナ、長い黒髪に黒目の日本人にしか見えない女性、年の頃は同じか少し下だと思う。
「そーねー、じゃあアイスミルクティー。」テーブルの端末に注文してアンナは向かいに腰掛けた。
「今日はどんな面白い話をしてくれるのー?それともどこか案内しよっか?」
出会った時は警戒していたアンナだが、俺が自分の事を話すと『面白い人・変わった人』というカテゴリーで付き合ってくれている。
「そうだな、たまには俺が聞いてもいいかな?」
「別にいいけど、後で面白い話もしてよね。」
配膳されたアイスティーにミルクとシロップを入れながらアンナは了承を告げてくれた。
黒髪黒目なのは?他にも海底都市はあるのか?地上には行かないのか?
といった素朴な疑問を投げかけていった。
「あははー、リクってば聞いてくる事まで面白いねー。」こちらとしては至極まっとうな疑問だったのだがアンナには面白かったらしい。
「黒髪黒目はそういう人種だからかなー?他の海底都市は聞いたこと無いけど有るんじゃないかなー?地上?それってリクが話してくれた夢の話の舞台でしょ?そんな真面目に聞かないでよー、ここから出るなんてできないの常識じゃない。あーそうか、あと数日でリクは別の夢の世界にいっちゃうんだもんねー。」時折、カップを口に運びながら答えてくれたアンナの表情は面白い本を読んだ時のように笑っていた。
自分の状況を話して信じる人がいるほうが稀有だとは自分でも思う、話し相手になってくれているだけで十分なのだ。
「よーし、じゃあリクの疑問が解決するかもしれない所に案内してあげよう。今日もごちそうさまー。」カップを空にしたアンナは立ち上がって入り口の方へ走っていった。
元々、料金は出すつもりなので逃げるように走らなくてもいいのに、と思いながらテーブルの端末に二人分の料金を支払って入り口で待っているアンナを追いかける。
カフェを出てドームの外周に沿った道を歩いていく。
「で、どこに連れて行ってくれるんだ?」数歩先を歩くアンナの背中に問いかける。
「何か知りたいなら図書館で調べるのが一番だよー。あっ、見て見て。」行き先を教えてくれた後、透明な壁の向こう、真っ暗な海の中を指差す。
何かいるのかと、指差す方を見てみると大きな鯨がゆっくりと近づいてきた。
鯨に向かって手を振るアンナ。「セーソーはいつ見ても大きいねー。」
「セーソー?」聞きなれない言葉だった。
「あれー、知らなかった?セーソークジラって種類らしくて、すごく頭がいいんだってー。」
「ふーん。」アンナに習って俺も鯨に向かって手を振ってみた。
目の前で鯨は一回転して真っ暗な海へ消えていった。
図書館はなかなか歴史を感じる建物だった、悪く言えばふるぼけていた。
「すごいでしょー、この街で一番古い建物で、すごく古い本なんかもおいてあるんだよー。友達が受付やってるんで挨拶してくるね、リクは先に行ってていいよー。」俺が何か言葉を発する間もなくアンナは受付に向かって歩いていった。
さて、困った事になった。本棚に並ぶタイトルを見ても全く読めない、今まで言葉は必ず通じていたが文字は読めた試しがないのだ。
念のため本を手に取って中身を見てみるが・・読めない。
棚に本を戻してアンナが来るまで本棚の間を散策する事にした。
奥に行けば行くほど本も本棚も古くなっていっているようだ、相変わらず本のタイトルが読める事は無かった。時間にして数分だろうが、延々と続くような本の回廊は感覚を永遠かと誤解させる。
「おっと、終点か。」進行方向が本棚によって塞がれている、思ったより広かったなと思い戻ろうとした時、一冊の本が目についた。
日焼けして薄汚れた背表紙のタイトルが読める気がしたのだ、手に取ってよく見てみる。
「漢字?」少し崩れた字だが『歴史書』と読めた。
歴史書を持ったまま、他の本も見てみる。
「こっちはアルファベット、英語ではないか。いや、この隣のは英語だ!ここの本はいったい・・。」
疑問に思いながら、歴史書を開く。
中は汚れていたり破損して読める部分は少ないが、漢字とカタカナで綴られていた。
「プレート・・、海底・・市計画・・、21・・年ニ移住、・・殻・・動・・、100%ノ・・没ヲ・・認・・」
なんだこれは・・、なんで読めるんだ?頭が痛くなってきた、俺は何を読んでるんだ?
「あー、やっとみつけたよリク。」かけられた声に驚いて本を閉じた。
「なあアンナ、ここの本はなんなんだ?。」今の俺は、追いついてきたアンナにそう訊ねるのが精一杯だった。
「ここの本はねー誰も読めないんだよー。」
誰も読めない?じゃあなんで俺は読めたんだ?
「誰も読めないから一番奥に保管だけ・・『緊急連絡、緊急連絡、都市全域に第一級避難指示が発令されました。』・・え?」
館内に急にアナウンスが流れ出した。
『繰り返します、緊急連絡、都市全域に第一級避難指示が発令されました。これは訓練ではありません、市長ジロー・クレイの権限で発令されています。繰り返します・・』
・・・今、なんていった?緊急連絡、避難指示、・・違う。その後、市長ジロー・クレイ・・、クレイ・ジロー・・、くれいじろう?呉井次郎!?
「ごめんリク!家に妹がいるの!ごめんね!!」走り去っていくアンナをすぐに追うことができなかった。
「駄目だって、今外に出るのは危険よ!駄目よアンナ!待ちなさいアンナ・ナイトウ!!」
建物全体が大きく揺れ、遠くから分厚いガラスが割れるような音が響く、それでも聞き逃さなかった『内藤杏奈』。
ごうごうと迫り来る海水に押し流され海中に投げ出される、意識を失う前に見えたのは、こちらに近づいてくる鯨だった。
息ができることに気づき目を開ける、塗れてひんやりとしたものの上に寝ている、体を起こして周りを見ると海の上で鯨の背中に乗っていた、遠くには大陸とおぼしき陸地が見える。なんていったかなこの鯨、セーソークジラだったか、セーソー、せいそう?・・星霜・・か・・。
俺は再び鯨の背に寝転んだ。