不可視な僕らの境界世界・蛛
真夏の熱い太陽も厚い黒雲に阻まれた夏休みのとある一日。僕は僕の通っている高校の僕だけの知る秘密の場所にいた。秘密の場所と言っても別に誰にも見つけられない穴場と言う訳ではない。簡潔に言えば、それはただの学校の屋上だ。ここは友達がいない、いや、人と群れることのない僕が一人で休み時間や昼休みを過ごす居場所だ。勿論、あの出来事が起こったところでその事実は何も変わらず、今もこうして現に僕はここにいる。
どうして夏休みなのに僕が学校の屋上にいるかって? いや、それを語り尽くすには少々時間がいるのだけれども。そのことについては後々またの機会にゆっくりと、そして詳しく話すとしよう。
その時、仰向けに、それも文字通り大の字になって寝ていた僕の顔が影に覆われた。徐に目を開くと得意そうに不敵な笑みを浮かべた一人の男がこちらの顔を覗き込むようにして見ている。僕はその男の顔を知っていた。
「何でお前がここにいるんだよ? 黒崎」
「いやね、まさか君がまたこんな所にいるとは意外だったな。どうだい? 体の調子の方は?」
「別に何ともないよ。それとここは僕だけの秘密の場所なんだ。何があっても僕がこの学校の生徒である以上、それは変わらないよ」
「そうだったね……いい場所じゃあないか。ここは」
黒崎の言葉に僕は「だろ」と一言だけ答え、再び目を瞑る。たとえ僕が変わってしまっても、ここから見える風景が変わってしまったとしても、その事実だけは変わらない。それが今の僕の心の支えになるから、人間だった頃と何も変わらないものが身近にあることが。
__そう、僕は人間をやめた。
僕には昔から友達と呼べる存在がいない。一体、どこからが友達と呼べる存在なのか。それはこの際、目の前の棚にでも置いておくとしよう。別に仲間外れにされているとか、いじめられているとか、決してそう言う訳ではないし。人が、人間が、嫌いとか哲学的なことを言うつもりも滅相ない。ただ無闇矢鱈に群れる周りの人々の姿に少なからず疑問を抱いてしまったことは紛れもない事実で、それが今の灰色の高校ライフの原点になっていることは否めない。
僕の名前は白鷺周。いろいろと話せば長くなるが、この話において、今回は、それは割愛させてもらうことにしよう。僕はある一点を除けば、ただの普通の男子高校生と何も変わりないのだから。
そんな僕は今、行きつけの古本屋で本を立ち読みしていた。駅前にある無駄に駐車場の広いあの本屋だ。学校からの帰り道、この本屋に寄って立ち読みをすることが僕の日課になっていることは言うまでもない。しかし、何故夏休みの僕がこの本屋で日課である立ち読みをしているのかと言えば、やはり友達のいない僕にとって夏休みはただの休み時間の延長線上の時間のように感じられてならないからだ。要するにぼっちは暇なのである。
ふと腕時計の針に目を向けると時刻は午後七時半を回っていた。流石に夏ということもあってか、まだ空には幾分夕日の茜色が残っているが、また帰りが遅いと妹にどやされることを考えれば、このまま帰った方が賢明と言えるだろう。
「そろそろ帰るか」
読みかけの本を棚に戻し、僕は本屋を後にした。
あの出来事があって以来、僕はどんなに急いでいようとも人通りの少ない裏道を通ることはなくなった。恐れていると言えばただそれだけのことだが、経験則から察するにああいう存在は人気のない所に集まりやすいと考えたからだ。いや、存在なんて初めからない。そんなモノたちが僕の目には見えるのだ。
これは夏休み前半、ある出来事を終えたばかりの僕の身に起こった小さな小さなある一人の少女の物語。
__それは僕の日課の帰り道から始まる。
「!?」
突如、何か嫌な寒気を感じた僕が振り返るとそこには一人の少女が立っていた。真夏だというのに長袖の、それもお世辞にもお洒落とは言い難い黒いパーカー姿の少女だ。フードと長い前髪が邪魔をして顔までは見えないが、少なくとも知り合いではない。僕にこんな年下の女の子の知り合いなんているはずもないからだ。
「あ、邪魔でしたか? すいません……」
道を譲ると少女は無言のまま譲った道には進まずに来た道を引き返して行った。一体、何だったのだろうか……。
それからだ、振り返る度に少女は僕の後ろに現れるようになった。どこまで歩いても、全力で走ろうとも、少女は変わらず無言のまま後ろに立っている。もしかすると、これが今巷で騒がれている『ストーカー』というものなのか? まさか、こんな自分にもストーカーが出来る日が来るとは一体誰が予想出来たと言うだろう。しかも、それが年下の女の子だと言うから驚きだ。まさに願ったり叶ったり、いや、願ったり願ったりだ。
しかし、何はともあれこのまま家までついて来られる訳にもいかない。そう考えた僕は近くの公園のベンチに腰を下ろした。少女は相変わらず公園の入口に立っている。
「あのさ! 話があるなら聞くから! だからこっちに来て座れって!」
夜の公園で少女をベンチの隣へ誘う怪しい男。まるでこのシチュエーションでは僕の方が不審者と間違われ兼ねない。少女は沈黙を保ったままベンチの僕の隣へ座った。人の言うことをすんなりと躊躇なく聞き入れるあたり、もしかするとただのいい子なのかもしれないが僕のするべき行動は既に決まっている。それは叱りつけることだ。
「お前はさっきから何がしたいんだ? 何も言わないで人の後をついて来られても、こっちとしては迷惑なだけだよ! 僕に言いたいことがあるならさっさと言えよ!」
僕は少し叱りつけるように大声を出した。それでも少女は何も答えない。場の沈黙に痺れを切らせた僕が先に口を開く。
「ごめん、僕が悪かったよ。お前、名前は? どこから来た?」
「私は……めぐし」
「めぐし?」
「私の名前……」
少女は小声で僕に自らの名前を『めぐし』と名乗った。めぐし? 何やら変わった名前だ。そんなことを思いながら僕は少女に質問を投げかける。
「んで? めぐしは俺に何か用なのか?」
「お兄ちゃんに取り返して欲しいの」
「取り返す?」
少女の意味不明な発言に僕は聞き返す。すると少女は突然立ち上がり電灯の明かり下へ歩き出した。そして、少女が光りに照らされたその時、僕はすぐにその異変に気が付いた。少女の体が微かだか確かに透けて見える。いや、それ以前に……。
__少女には影が全くなかったのだ。
「私の影を取り返して欲しいの。お願いお兄ちゃん」
再びベンチに座ると少女は喋り出した。
「僕にどうしろって言うんだよ?」
「お兄ちゃんには見えてるんでしょ?」
そう、僕には見えている。そこに存在しないもの。存在するはずのないもの。僕は名前すらないそれを『ナニカ』と呼んでいる。そして、今の僕は訳あって人間でない『ナニカ』だ。
「悪いけど僕一人じゃ君の問題を解決してあげられそうにない。だから、人を紹介するよ。それでいいだろ?」
少女は僕の言葉に一度だけ小さく頷いた。それから僕らはある倉庫へ向かった。そこにいつもあいつはいる。
僕が倉庫の大扉を開くとその男はいつものようにソファに横たわり惰眠に勤しんでいた。
「起きろ! 黒崎! 紹介したい人がいる!」
「何だい? 別に俺は眠ってる訳じゃないんだよ? 瞑想ってやつさ。最近は睡眠不足でね。はぁ〜」
僕の言葉に屁理屈を返しながらその男はソファから大きな体を起こした。
そう、この男こそが黒崎。僕もよくは知らないが『ナニカ』についての知識を有する謎の男だ。僕も以前この黒崎のお陰もあって何とか一命を取り留めた。そして……いや、今はそれは関係ない。とにかく、この男なら何かしらの解決策を知っているはずだ。
「頼みがある。この子が『ナニカ』の問題を抱えてるみたいなんだ。お前なら何とかする方法を知ってるんだろ?」
「ん? どの子? まぁ、いいや。話しなら聞くさ、まずは座りなよ」
僕とめぐしはテーブルを挟んで黒崎の向かい側のソファに腰を下ろした。黒崎が紙コップに入った麦茶を僕の前に一つだけ差し出した。それを僕はめぐしの前に差し出す。
「僕の分はいいから早く話を聞いてくれ」
黒崎は一度不思議そうな顔を浮かべたが、またいつもの不敵な笑みを浮かべソファに寄りかかる。
「で? 白鷺君の話って言うのは何だい?」
「僕の話って言うか、この子の話なんだけど。単刀直入に言って影がないんだよ。これってやっぱり『ナニカ』の仕業なんだろ? でも、見た所僕にも何も見えないんだ。この子を救う方法を教えて欲しい」
「この子ねぇ? それはつまり、白鷺君は影のない友人の影を取り戻す方法が知りたいってことでいいのかな?」
「まぁ、そういうことになる」
「だったら話は早いよ。それは『影縫い蛛』の仕業だ。影を奪い縫いつける蜘蛛。白鷺の時とは訳が違う。ただの悪戯みたいなものさ」
「じゃあ、影は?」
「白鷺君の頑張り次第ではすぐにでも元に戻れるさ。蜘蛛自体は直接害を為したりはしない。臆病だからね。あとは蜘蛛を見つけて蜘蛛の影を踏むだけ。ただそれだけだよ」
「そうか、ならよかった。でも、なら僕じゃなくてもいいんじゃないのか?」
「ああ、それは白鷺君だから出来る策なんだよ。人間と『ナニカ』の両方の世界に立つ。人間にして『ナニカ』を捉えることの出来る存在の君だからこそね。それにしても影を取られるなんて不幸だったんだね、その子は……」
「おい! 本人の前でそんなこと言うなよ! 僕なら影だってすぐに取り戻せるんだろ?」
「いや、だって影を取られた人間は陽の光の下を、お天道様の下を歩くのことが出来なくなってるはずだからさ。きっと友達とも遊べずに部屋に引きこもってたんだろうと思うよ。そんな状況で白鷺君に会えたことは奇跡に近いね」
めぐしは僕と黒崎の会話をただ死人のように、息を殺して、ひたすらに下を向いたまま聞いていた。
「よかったな……」
僕の言葉にめぐしは小さく、本当にとても小さく頷いた。
「それと白鷺君! 俺は今から一週間だけここを留守にすると思うけど別にいいよね? 蜘蛛探しだけならきっと何も起こらずに終わると思うし。また一週間後にこの時間にここで会おう。結果を楽しみにしてるよ」
「分かった。ありがとな……黒崎」
「どういたしましてかな」
黒崎は得意げにまた不敵な笑みを浮かべた。
それにしても寝ている姿以外は見たこともないあの黒崎が一週間も塒を留守にするなんて何かあったのだろうか? いや、僕は今自分がやるべきことだけに集中しよう。影縫い蛛を一刻も早く見つけ出してめぐしを救う、これが今の僕に課された役目なのだ。黒崎の言葉から考えるに相手はそれ程の『ナニカ』ではない。少なくとも今回は誰か命に直結する訳ではないだろう。この分なら三日、いや五日あれば解決するはずだ。
「めぐし、僕が必ずお前を助けてやるから一緒に頑張ろうな!」
「……うん」
僕たちはめぐしが日光に当たれないことを踏まえた上で夜の8時から深夜0時までの間に二人で蜘蛛を探す約束をしてその日は解散した。
一刻も早く事態の解決を図った僕はこの後、昼間も一人で蜘蛛を探し続けることとなるが、それは誰にも知られることはない……。
__しかし、事態はそう単純には進まなかった。僕らはあれから一週間が経つにも関わらず蜘蛛の手掛かり一つ見つけることが出来なかったのだ。
その間、めぐしとの会話を重ね僕は彼女という一人の人間について少しだけ分かったことがある。
日紫喜めぐし、それが少女の名前だ。年齢は13歳。僕の妹より一つだけ下になる。彼女は気が付くと一人で夜の町を彷徨っていたと言う。そして、僕とめぐしは出会った。どうして、僕が『ナニカ』を見ることの出来る人間、いや、元人間だと気付くことが出来たのかは、結局教えてはくれなかったが、きっと彼女は藁にも縋る思いだったことは言うまでもない。
ただ一週間の間、女の子と二人で夜の町をデートしていただけと知ったら黒崎に一体どんなことを言われることになるのやら、そんなことが頭の中で考えながら僕とめぐしは黒崎の元を訪れることとなる。
僕は前と同様に倉庫の大扉を開いた。その先、ソファに腰を下ろす一人の男。勿論、黒崎だ。
しかし、その男の表情は僕の想像とは程遠い、そんな僕の知る黒崎には似ても似つかない、似つかわしくない神妙な面持ちだった。
「やぁ、白鷺君。君を待ってたよ。一週間ぶりだね。まぁ、まずは座りなよ」
「黒崎、蜘蛛のことで話があるだ……」
「分かってる。僕も君に話があるんだ。影なしのお嬢ちゃんもちゃんと連れて来たかい?」
「ああ、勿論だ。って僕の隣にいるじゃないか?」
「それならいいんだよ」
「え?」
様子の変な黒崎に僕は違和感を感じながらもめぐしとソファに腰を落とした。すると黒崎は小さく溜め息を吐く。
「なぁ、黒崎。僕は影縫い蛛について……」
手の平を突き出すようにして黒崎は僕の言葉を遮ると頷いた。
「分かってる分かってる。白鷺君は蜘蛛を見つけられなかったんだろ? その話をする前に俺はまず君にいくつか謝らなくてはいけないんだよ」
「謝る?」
「今、そこにいるお嬢ちゃんは最初から影を取られたりなんてしていないんだ。だから、必然的に蜘蛛が見つかる訳もない」
「何言ってんだよ? だって、この子は確かに影がなかったんだぞ?」
「まだ話は途中だよ」
黒崎は一枚の写真を取り出すと僕に向かって差し出した。その写真には両親と思しき二人に挟まれ、その間で満面の笑みを浮かべた少女が写っていた。別人のようなめぐしの姿がそこにはあった。
「彼女の名前は日紫喜愛子」
「愛子? めぐしじゃないのか?」
「そうか、君には『めぐし』と名乗っていたのか……なるほどね。愛子と書いて愛しと読んだと言う訳か。なかなか面白いこと考えるお嬢ちゃんじゃないか。さしずめ意味は『たまらなく愛おしい』そして『可哀想』と言ったところかな?」
「さっきから何言ってるかさっぱりだ! 黒崎!」
「なら、その写真の日付を見てごらん」
僕は黒崎の言葉通り写真の裏に書き込まれた日付に目を向けた。そして、それを見た瞬間に背筋が凍るような感覚に襲われた。なぜなら……。
「七年前?」
僕の今見ている写真の日付は紛れもなく七年前のものだったのだ。しかし、写真に写った笑顔のめぐしは、いや、愛子は僕の知る姿そのものだった。もっと分かりやすく言うなら全く年を取っていないのだ。
「どういうことだよ?」
僕は慌てて愛子に視線を移したが愛子はただ黙ったまま、俯いたまま、何も、何一つ答えない。
「白鷺君。今回、『ナニカ』に取り憑かれたのは写真のお嬢ちゃんじゃない……」
黒崎は不敵な笑みを浮かべて真っ直ぐに僕の顔を指差した。
「__君なんだよ」
「僕が!?」
「だから、落ち着いて聞いて欲しい。俺には、白鷺君以外にはそのお嬢ちゃんは誰にも見えてないんだ」
「そんな! だって……」
……そうだ。黒崎は確かに一度も僕の隣にいる愛子に話しかけてはいなかった。それどころか、見向きもせず、麦茶も僕一人分しか出さなかった。じゃあ、僕は最初から一人で何をやっていたって言うんだ? いや、愛子は、めぐしは、間違いなくここにいるじゃないか? 人間じゃないか!
「最初に俺には何も見えてないって言ってあげるべきだったのかもしれない。でも、きっと白鷺君のことだから俺が冗談を言ってるようにしか思えなかっただろうね。混乱を避けるためとは言え仕方がなかったんだ。そのことについては本当にすまないと思っているよ。白鷺君、彼女は、日紫喜愛子はもう既に亡くなってるんだよ」
そう、彼女は、日紫喜愛子は既に亡くなっていた。僕が初めて彼女に会ったあの時から彼女はもうこの世には存在していなかったのだ。『死』と言う形を経て人間ではなくなった、『ナニカ』なった少女はたった一人、帰る場所を失い、誰からも見つかることなく数年もの間、町を彷徨い続けていたのだ。それが『めぐし』の正体。
__そして、僕らは行き合った。
「それじゃ! この子はどうすればいいんだよ! このまま黙って見捨てろって言うのか? 僕は必ず助けるってめぐしと約束したんだよ!」
「落ち着きなよ白鷺君。勿論、お嬢ちゃんを助ける方法ならあるさ。お嬢ちゃんが見える君にしか出来ない方法がね」
黒崎はそう言うと一枚のメモの切れ端を僕に渡した。メモにはどこかの住所と何かの番号が書かれている。
「これは?」
「君がそこにお嬢ちゃんを案内するのさ。それで全ては解決する」
果たして何がそこにあるのか? それを僕は敢えて聞かなかった。いや、聞けなかったと言った方が正しいのかもしれない。
「……分かったよ」
「やっぱり、君は『白鷺』なんだね」
「……みたいだな」
僕は黒崎から渡されたメモを信じ訳も分からぬまま愛子を自転車の後ろに乗せひたすらにペダルを漕ぎ続ける。夏の夜の肌寒い風を切りながら深夜の国道を進む。
これは僕が後から黒崎に聞いて知った話だが、ここからは日紫喜愛子の、めぐしの、彼女の、一人の少女の話をしよう。
今から数年前、ある所に一人の少女が家族三人で仲睦まじく暮らしていた。しかし、そんな少女の幸せな時間は長くは続かない。少女が小学五年生の時に娘に隠れて毎日のように夫婦喧嘩をしていた両親がついに離婚したのだ。それまでは少女のためを思い幸せな家族を演じていた両親が離婚した。最初から少女の思うような仲睦まじい家族など、そこには存在していなかったのだ。母親に引き取られた少女は家族三人の思い出の詰まったマンションを飛び出し新たな場所で新しい生活を始めたはずだった。それでも少女の悲劇はまだ終わらない。母親はすぐ新しい男を連れ込むようになり、少女は居場所を失った。母親の相手の男は母親に隠れて少女に暴力を振るうようになっても少女は何も言わずひらすら耐え続けた。全ては母親の幸せのために。そんな中、事件は起きた。男がいつものように少女に暴行を加えている最中に母親が帰宅したのだ。少女は母親なら自分を助けてくれると、そう信じていた。しかし、母親は我が子が暴行されている姿を見て見ぬ振りをしたのだ。そう、最初から母親は知っていた。そして、助けなかった。全てを理解した少女は行き場のない悲しみと絶望を抱え、家族三人の幸せだった思い出の詰まったマンションの屋上から……。
__飛び降りた。完。
黒崎と言う男はたった一週間の間に、これらの少女の正体を暴き、それを僕たちに伝えた。そして、少女の父親から保管されていた写真を拝借し、僕たちに託したのだ。
あの男は、そう言う全くとんでもないことを平気でやって退ける男なのだ。
黒崎に渡されたメモに書かれた住所に到着した僕たちの前にあったのは、墓地だった。町から大分離れた場所にある眺めのいい丘の上に無数の墓石が所狭しと並んでいる墓地だ。メモに書かれた番号もきっと墓の場所を示しているのだろう。
その時、愛子の足が止まり、あるお墓の前で跪いた。
「お母さん……ただいま」
「え……」
そう、そこにあったのは紛れもない少女自身と彼女の母親の墓だった。少女の頬を止め処ない何かが伝い零れ落ちるのを僕は見た。人間ではない僕らにとって、それが何なのか、僕には分かる。それはきっと涙だ。彼女は、少女は、愛子は、めぐしは、確かに今ここで泣いている。存在し、自らの意思を持ち、感情を伝えている。彼女は『ナニカ』なんかじゃない一人の人間だ、一人の少女だ。決して、誰にも気付かれなくとも、僕は彼女を知っている。僕だけは彼女を見ている。だから、無駄なんかじゃない。僕らは確かに今ここに存在しているんだ。
少女の母親は娘の自殺後の翌年、病気で亡くなったと言う。それが娘の死によるショックなのか、はたまた娘を見捨てた罰なのか。今となってはどうでもいい話である。それでも少女にとっての母親であることに変わりはないのだから。
それから愛子はゆっくりと立ち上がるとフードを脱ぎ僕に向かって深々と頭を下げた。その向こうでは朝日の光が山並みを照らし始めている。
「本当にありがとうございました。お兄ちゃん」
「いや、僕は何も……」
「ううん、そんなことない。私、お兄ちゃんのこと大好きです。だから……」
顔を上げ光に照らされた少女の顔は写真に写っていた、あの笑顔そのものだった。
気が付くと少女の姿はそこになく僕は朝日の光に照らされた墓地の真ん中でただ一人立っていた。
予定があった訳ではないが僕の貴重な高校一年生の夏休みの前半はこうして幕を閉じることとなる。
夏休みの課題も放置し、僕が一週間かけて手に入れたもの、それは一人の少女の笑顔、ただそれだけ。しかし、僕からしてみれば、それはお釣りが来る程の対価だと言うべきものなのかもしれない。
__一枚の写真をお墓に供え両手を合わせると、僕は颯爽とその場を後にした。
そして、夏休みという名の高校生活は続く。
本作品をご覧いただき本当にありがとうございます!
この作品は思いつきのあらすじを趣味で文章に起こしたもので好評であれば続編も是非書かせていただきたいと考えています!
よろしくお願いします!