最終話「花の音色、桜の香り」
雪が降っていた。太陽を閉ざす厚く白い雲から、人には届かない遥かな高みから雪は降り注いでいた。
生憎の天気だが街は。人々は誰もが浮かれていた。
一年で一度のイベント。そう、今日はクリスマス。
街から離れた山の中腹の広場に二人の人影があった。
街が一望出来るその場所に天河鏡夜は雪が積もった地面に花を供えた。
「綺麗ね」
御船桜香の感嘆の言葉は短かったがそれだけでも十分だった。
約束の場所。鏡夜がそう呼んでいるこの場所に二人で訪れるのは初めてである。
普段は話題に困らない鏡夜と桜香ではあるが、この時だけは沈黙を余儀なくされていた。
しかし、居心地の悪い沈黙ではなくどこか気分の良い沈黙だ。
静寂とは言えないもので、街中のクリスマスソングがここにまで微かに聞こえてくる。
色々な音が交錯する中、鏡夜と桜香は後ろからの足音に気付き同時に振り返った。
「あっ……」
その場に立っていた同い年くらいの男を目にすると思わず声を漏らす程、鏡夜は驚いていたが当然のように桜香は何の反応も示さない。
「天河……か?」
「久しぶり……三年ぶりだな」
顔見知りの二人に気を使ったのか桜香は携帯を取り出し電話が掛かって来た振りをしながら少しだけ遠ざかる。
田中はそんな桜香を見つめながら呟く。
「……似ているな」
「性格は真逆と言ってもいいけどな」
かつての親友同士だと言うのにどこかぎこちないよそよそしい会話だった。
「……まりなは元気にしているか?」
「あぁ……お前も」
何故か田中は途中で口を閉ざし顔を背ける。
鏡夜もまた街に向き直り、二人は並んで街を見下ろす。
「……その。すまなかった」
「……なにが?」
突然の謝罪に鏡夜は怪訝そうな顔を田中に向ける。
田中は困惑した表情で鏡夜に向き直った。
「お前だけ悪者にしちまって……」
あの事件以降、街中から批難を浴びたのは鏡夜だけだった。鏡夜だけが人々から人殺しと呼ばれ後ろ指を指されていた。
反対はしていたが最終的に協力した田中はと言えば。
鏡夜のようになるのは嫌だったのだろう。大衆に習い一緒になって蔑み後ろ指を指していた。
それであの時のクラスの奴らと互いに仲を深めていったようだ。
「俺も同じなのに、お前だけ……」
「気にすんなよ。もう終わった事だ」
それでも親友を庇う事が出来なかった弱い自分を田中は許せないようで今まで抱えていた物を吐き出すように絶えず言葉を絞り出していた。
ようやく田中の話が終わった時、鏡夜はゆっくりと口を開く。
「『俺』は感謝してる。お前を含め俺の周りに居た人間が教えてくれた。人の醜さと汚さ。そして『無責任な他人』をな」
冷たく突き放す言い方だった。
憶測だけで自分達に都合の良いように噂話を囁き合い、
自分達の言葉は『絶対の正義』と言わんばかりに暴言を振るう無責任な他人。
そんな人種程、少しの時で全てを忘れ去るものだ。
その点では田中はまだマシな方だとは鏡夜も思う。思うが、
「お前がどう思ってるのかは知らないが、俺はあの時、花音を連れ出したことを間違いだとは思ってない」
そこで一度、鏡夜は区切り、こちらに背を向けて林と睨めっこしながら携帯で電話で話しているふりを続ける桜香を見やる。
「あの時に花音が教えてくれて、そして桜香……あいつが気付かせてくれた」
桜香。いや、今の鏡夜の周りにいる仲間達は違う。無責任な他人ではない。
そう鏡夜は断言する事が出来る。
皆が皆、鏡夜と似たような体験を通じて無責任な他人を知っているからかもしれない。
「……なぁ天河。俺がこの場所に来る権利あると思うか?」
「そんなのは個々の解釈だろ。あえて俺の意見を言わせてもらえば」
鏡夜は身体ごと田中の方に向き直り、田中と正対する。
「今すぐこの場所から消え失せろ」
大声ではないが人に威圧感を与える声だった。
あの時と同じように暫く睨み合う二人。
やがて田中は何も言い残さず立ち去った。
「あいつでしょかつての親友って」
立ち去った道を見つめていた鏡夜に歩み寄って来た桜香が尋ねた。
「……さぁ。どうだったかな?」
悲しそうに鏡夜は笑うとブレザーのポケットから何かを取り出し、桜香に手渡す。
「何コレ?」
「今日はクリスマスだろ。プレゼントだよ。あと……」
わざとらしく鏡夜は咳ばらいをする。
「もうじき卒業だけど。皆と。桜香と過ごした時間は楽しかったよ」
鏡夜が何を言おうとしているのかいまいち掴めない桜香は怪訝そうな表情をした。
「だからさ。俺にとって皆は大切な仲間達だけどその中でも桜香は一番大切な人だから。だから……こんな俺で良ければ付き合って下さい」
深々と頭を下げた鏡夜を呆然と見つめていたいた桜香の頬は見る見る朱く染まっていき、大きな双眸からは涙が溢れる。
「桜香……」
「……おそ、遅いのよ……あんたはいつも」
震える桜香を優しく抱きしめた鏡夜。
二人の顔は次第に近付き、冷え切った唇に温かさが広がった。
『わたしの分まで幸せに生きてね』
いきなり聞こえて来た声に驚いた二人は身体を離して辺りを見回す。
「だ、だだだ、誰よっ!? 藍!? 光輝!?」
「いや、明らかに光輝はないだろ……」
声は女の物だったし。それに聞き覚えがあるような。
そこまで考えた時、鏡夜は気付いた。
「……花音」
「はっ?」
「花音の声だった」
「はぁ!?」
そういえば今日は花音が死んでしまった日。偶然にも時間も同じくらいだ。
納得して優しく微笑みながら空を見上げる鏡夜と訳が解らず納得出来ない桜香は鏡夜に説明を求める。
気付けば厚い雲が無くなり青空が顔を覗かせていた。
二人を祝福するように青空からは雪が降り注いでいた。
暫くして二人が山を降り、山道の入口に差し掛かった頃。
一斉にパーンと何かが破裂したような音が四方から聞こえ、糸屑が舞った。
「メリークリスマス!」
クラッカーを一斉に破裂させた集団は口々にそういった。
光輝と藍。去年、卒業したばかりのユキナに副会長。そして今は同じ泉川学園に通っている加奈と藤林。
もはやすっかりお馴染みとなった大切な仲間達。鏡夜と桜香は互いに顔を見合わせ心からの笑顔を作る。
「メリークリスマス!」
人は誰もが生きている。生き方は文字通り人の数だけある。
独りで生きる生き方。仲間と生きる生き方。
『あなたはどんな生き方を選びますか?』
鏡夜達が去った後、一人の少女は街を見渡し柔らかな微笑みを浮かべながら小さく呟いた。