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第32話「優しさを刻んだ季節の中で・1」

 雨ばかりだった梅雨が明け、蝉の鳴き声があちこちから聞こえ、太陽の厳しい光りが焼き付ける夏の日。

 正確には夏休みの真っ最中。

 鏡鏡は高崎家を訪れ、いつものように花音の部屋で話に花を咲かせていた。

 隣の空き地からは子供達の楽しそうに遊ぶ声。

 鏡夜と話をしている時でも花音は気になって仕方がないようだ。

「気になる?」

「はい?」

「やっぱり花音も外で遊びたい?」

 聞いてからしまったと鏡夜は後悔する。

 花音がとても寂しそうな笑顔を見せたから。

「そうですね。気にならないと言ったら嘘になります。でも……わたしには無理ですから」

「……そっか」

 花音と知り合ってから二ヶ月程になるが鏡夜は未だに花音の病気が何なのか知らなかった。

 その話題に触れることは出来なかったし、触れたら今の関係を壊してしまいそうで。それが鏡夜には怖かった。

 今まで話をするだけで楽しいと思えたことなんてなかった。

 ただ他愛もない話も花音となら時間を経つのが忘れられた。

 学校が終わると田中とあるいは一人で花音の待つ家に遊びに行くのが日課になった。

 季節は夏から秋。冬に移り変わっても鏡夜の日課は変わらなかった。

 時には妹の加奈が構ってくれないことに膨れ、機嫌を取るのに苦労した事もあったが、鏡夜は毎日が楽しかった。

 明日が来るのが待ち遠しかった。

 やがて季節は春へと移り変わり、鏡夜は中学校に入学し部活も始めた。

 田中はパソコン部という名の帰宅部で一緒に帰ることは少なくなった。

 部活が終わった後の夕暮れ時、鏡夜は花音の家に立ち寄り、学校でのことなどを話した。

 すっかり顔見知りになった呑気で陽気なメイドさんは暖かく迎えてくれるが、いつまでも執事のおじさんはしかめっつらをしていた。

 ある日のこと鏡夜は鞄をばたつかせながら通学路を走っていた。

 珍しく寝坊してしまい、遅刻するかどうかの瀬戸際。

 息が少し上がって来た頃、曲がり角が見えた。

 そこを曲がれば、後は直線という安心感から鏡夜の気が少し緩んだ。

 勢いよく角を曲がったと同時に何かに身体がぶつかり衝撃が走った。

「うわっ!?」

「いたっ!」

 何とか倒れずに済んだ鏡夜はぶつかり尻餅をついてる中学生の女の子に謝る。

「ご、ごめん。怪我は……」

「いったいわね! あんた何処に目がついてんのよ!?」

 女の子は怒号と共に鏡夜が差し延べた手を払いのけ自力で立ち上がる。

「あはは。少し急いでて……あれ?」

「なによっ?」

 思わず鏡夜は女の子の顔を凝視した。

 性格や雰囲気は正反対だが女の子は花音にとても良く似ていた。

「あぁ、いや。知り合いに似ている人がいて」

「え……さむっ! 今時、そんなナンパ……」

「ちょっ、ちょっと待った! 別に僕は」

 真実を言っただけなんですけど。

 言い終わる前に後ろから数人の女の子の声が飛んで来た。

「やっと見つけた!」

「桜香ぁ、もう朝の自由行動終わるよ!!」

「もう少し目を離すといなくなるんだから!」

 桜香と呼ばれた女の子は腕時計で時間を確認すると慌ただしく数人の女の子達の元に駆け寄る。

「ごっめ〜ん。桜の木がちょっとね〜」

 鏡夜のことなど気に留めず女の子達は遠ざかって行った。

 花音も病気なんかじゃなかったらあんな風だったのかな。

 同じ年の友達に囲まれて幸せそうに笑って。

 遠くから鐘の音が聞こえ、鏡夜は我に返る。

「いっけねっ!」

 踵を返して鏡夜は走り出したが、言うまでもなく遅刻をした。

 桜の季節が終わり梅雨の季節が訪れる。程なくして梅雨の季節も終わり夏の季節。

 鏡夜が所属しているサッカー部の合宿が終わった日。

 花音の部屋に田中と一緒に訪れていた。

 今日は花火大会。前々から約束していた日だ。 ここから三人で花火を見ようと。

「キョーヤ君」

「ん?」

 花火が始まる数分前、椅子に座っていた花音が鏡夜を呼んだ。

「わたし……」

「うん?」

「キョーヤ君が『僕』って言うの似合わないと思います」

 田中には共感する部分があったらしく頷く。鏡夜は首を傾げ、何のことか解らない顔をした。

「そうそう。俺も前々から思ってた。男なら『俺』だろ天河」

 ようやく意味を理解した鏡夜は苦笑する。

「……失敬だな君達は」

 そして三人で笑っていると夏の夜空に花火が散った。

 やがて季節は夏から秋へと移り変わり、そして再び冬の季節がやってきた。

 街が白一色に染まる季節。

 なんだかんだで花音と会うのが一年以上も続いている田中と鏡夜は冬休みが始まった今日も今日とて花音の家に遊びに訪れていた。

 毎日、毎日。よく話のネタが尽きないと思われるかもしれないが尽きないことは仕方がない。

 しかし、その日の花音の様子は普段と違っていた。

 外の事を知りたいと言い出したのだ。

 鏡夜が天気のこと? とボケると真顔で首を横に振った。

「外の『セカイ』のことです」

 生まれてからずっとこの家で暮らしてきた花音は鏡夜にとって何の意味もないただそこにあるだけの外とは違う捉え方をしているのだろう。

 何から話して良いものかと鏡夜と田中は考え込み、無難そうな景色の事を話した。

 ずっと昔。鏡夜と田中の二人が小学二年生の頃、偶然見つけた山の上の広場。

 そこは冬になると雪化粧をした街が一望でき綺麗な場所だった。

 その時の花音は嬉しそうに本当に嬉しそうに二人の話に聴き入り、時々、頷いていた。

 その日から数日後の日の事。部活から昼過ぎに帰って来た鏡夜の元に加奈が駆け寄ってくる。

 何故か不機嫌で頬をぷっくら膨らませていた。

「電話……またあの人から!!」

 電話の子機を押し付けると加奈は二階に上がって行った。

 あの人。花音しかいないな。何の用だろう。

 鏡夜なりに予想をしながら電話に出る。

「もしもし?」

「キョーヤ君? 花音です」

「どうかした?」

「あの、今日はこれから来れますか?」

 壁の時計で時間を見ながら大丈夫だと鏡夜は特に何も考えずに答えた。

「では、お待ちしていますね!」

 電話を切った鏡夜は子機を元の位置に置き、制服にコートを羽織った服装で家を出ていく。

「っ。雪……か」

 外に出た鏡夜は空を見上げ呟く。

 今日はクリスマス。今年はホワイトクリスマスかな。

 意味もなく鏡夜は小さく笑い花音の家に急ぐ。

 寒空の中を歩いた鏡夜は室内の暖かさに心地良さを感じながら、すっかり顔見知りのメイドさんに花音の部屋まで案内してもらう。

「では〜。ごゆっくりどうぞ〜」

 茶化すように言うと鏡夜の脇を通り過ぎていくメイドさんの背中を見ながら鏡夜は部屋のドアを開ける。

「俺は反対だ!」

 ドアを開けるのと同時に田中の大声が聞こえた。部屋には椅子に座ったままの花音と立っている田中の二人だけだ。

「どうかしたのか?」

 声を発することすら躊躇われる程の気まずい空気の中、勇気を振り絞り鏡夜は田中に尋ねた。

 田中は鏡夜から顔を背けるだけで何も答えようとしない。

 仕方なく花音を見やると今まで見た事がない表情をしていた。

 強い意志、決意を秘めたそんな雰囲気だ。

「お二人にお願いがあります。一日だけ……今日だけ、わたしを外に連れて行ってくれませんか」

 一瞬、花音が何を言ったのか解らなかった。

 数秒後、その言葉の意味を理解した時、鏡夜は押し黙った。

 花音は外に出ることを禁止されている。

 詳しいことは今でも知らないが、以前、鏡夜は執事から心臓病とだけ聞いていた。

 治療法が確立されていない未知の病。

 そんな病気を抱えながら……しかも今の季節は冬。自殺行為だ。

「俺は絶対に反対だ。天河だってそうだろ!?」

 冷酷かも知れないが確かに花音の身体を心配するならそれが妥当な選択だ。

 鏡夜も田中の意見に賛成した。嫌われても良い。怨まれても良い。

「どうして……どうして反対するのですか?」

「どうしてって……心配だからに決まってるよ。今じゃなくても、いつか三人で……」

「いつかって何時ですか?」

「っ……!」

 いつかって何時。確かにそうだ。治せる方法だって解っていないのに、花音が元気になれる日が何時訪れるのか解るはずもない。

 言葉に詰まった鏡夜は自分の言った言葉がどれ程、無責任で根拠のないことだったことを思い知らされた。

 恐らく花音は知っているのだ。自分の病気の事を。

 治療法が現段階では存在しないことを。いつ止まるか解らない心臓を抱えながら生きている花音の不安など気に留めたことはなかった。

 今まで我慢して不安や苦しみ。辛い思いに耐えて生きて来た。そんな花音が初めてのわがままを言っているのだ。出来ることなら叶えてあげたい。いや、後は覚悟だけだ。覚悟さえ決めれば、花音を外に連れて行くことは出来る。とても簡単なことだ。

 簡単だ。ただ花音の雪のように白い手を引いて外に行くだけ。ただそれだけ。

 決めた。

「……解ったよ」

「天河……お前っ!?」

「花音は僕が外に連れて行く」

 田中の手がゆっくりと近づいてきて、鏡夜の胸倉を掴んで一気に引き寄せる。

 顔と顔が今までにないくらい接近した位置で二人は互いに睨み合う。

「馬鹿かお前は!? そんなことしたらどれだけ身体に負担が掛かるか解らないのかよ。俺達とは違う。花音は『重病人』なんだぞ!?」

 長年付き合ってきた鏡夜も本当に怒った田中の顔を見るのは久しぶりだ。それに田中が怒るのも無理はない。表面だけで捉えれば鏡夜は他人のことを全く考えないことを言ったのだから。

 大切な人の頼みだからと何でも言うことを聞くのではなく、時には断ったり止めることも必要だ。本当に大切な人だったら尚のこと。

「……解ってるよそんなことは」

「解ってねえだろ!! 解ってたら外に連れて行くなんて言える訳ねえだろうが!」

「花音を外に連れて行けるのは僕達だけだ。僕達なら、花音が一度も見た事がない世界に連れていける。花音が望むのなら僕はその願いを叶えてあげたい」

 それは鏡夜の純粋な思い。いや、花音と同じ純粋な願いだ。

 しばらくの間、二人は睨み合い、花音はただ見守っていた。

 静寂の中、田中の舌打ちの音だけが響いた。

「……これだけは言っておく。絶対に二人で帰って来いよ」

 鏡夜と花音は互いに顔を見合わせ同時に頷く。

「あぁ」

「大丈夫です」

 ようやく田中は鏡夜を離し笑顔を見せた。

 解放された鏡夜は花音に近付き右手を差し延べる。

「では、行きましょうかお姫様」

「はい」

 花音は鏡夜の手をしっかりと握り立ち上がる。

 まりなを呼んで事情を話した。

 最初は驚いた様子だったが快く協力するのを引き受けてくれた。

 取り敢えずまりなには花音の着替えを手伝ってもらう事にした。

 その間、二人は廊下に立ち、花音をどうやって外に連れ出すか作戦を考える。

 正面から行こうとしてもメイドさん達と執事に見つかれば問答無用で連れ戻される。

 花音やまりなに対して本当の家族と同様に接している為、わがままを聞いてはくれそうにない。

「そういや……花音とまりなの両親って見た事ないよな」

「あぁ。言われてみればそうだな……まぁうちの親も似たようなもんだけどな」

 きっと仕事が大事なのだろう。病弱な娘より仕事の方が。

 脱線した話を戻す。

「……どちらかが騒いでメイドさん達の気を逸らすというのは?」

「どうだろう……」

 その作戦を実行すれば今後一切この家に出入り出来なくなるという弊害があるような。

「花音を連れ出すんだ、過程がどうあれ出入り禁止は間違いなく喰らうだろうよ」

「……最もだな」

「準備出来たよ〜」

 部屋の中から元気なまりなの声がした。

 二人が中に入ると新品の白いコートを身に纏い新品の帽子を被った花音の姿が目につく。

「に、似合ってますか……?」

 自信なさ気に小さく尋ねる花音に軽い調子で田中は似合ってると答えたが、鏡夜は何も言えなかった。

 代わりに咳ばらいをして、花音とまりなに作戦の内容を伝える。

 騒ぎの実行犯は田中とまりな。

 運が良いことにまりながスモークボールを持っているらしいのでそれを使用することで全員が合意した。

 まりなと田中が部屋から出て行き鏡夜と花音は待機する。

「あの……」

「っ?」

「手を繋いでもらってもいいですか?」

 恥ずかしそうに花音は言う。鏡夜は何も答えずただ花音の手を優しく握り締める。

「……行くよ」

「はいっ!」

 部屋から出て誰にも合わずに二人が一階に降りる階段に差し掛かった時、階下から騒ぎの声が聞こえて来た。

「火事だー!!」

「誰か消化器を! 消化器を持って来て!!」

 まるで演技をしているかのようなわざとらしさがない。

 花音と鏡夜は役者だなと声を揃えて笑い急いで階段を駆け降りる。

 奥の方は大騒ぎだが玄関、周辺には案の定、誰もいない。

 鏡夜は空いている方の手でドアに手をかけると押し開け、外に出た。

「あっ……」

 外に出た二人を出迎えたのは真っ白な雪。そして、玄関先で雪掻きをしている執事だった。

 失敗か。

 鏡夜は奥歯を噛み締める。

 執事は二人の姿を見ると珍しいことに小さく笑った。

「お出かけですかな。お嬢様。随分と冷え込んでまいりました。お出かけでしたらこれを」

 優しい声で言いながら執事は可愛い柄の手袋を差し出す。

「僕達を止めないんですか?」

「本来ならこの身を亭してでもお止めしなければなりません。しかし、私にはお嬢様との約束がございます。覚えておいででございましょうか?」

 まだ花音が幼かった頃に執事と交わした約束がある。

 あの頃の花音は毎日、泣いてばかりいた。

 両親が仕事ばかりで家にあまり帰って来ない淋しさ。

 元気に遊んでいる子供達を部屋から見ていることしか出来ない悲しさ。

 花音は笑い方を忘れてしまったかのように笑えなくなってしまった時期があった。

 そんな花音を元気付けようと執事は指切りをした。

 どんな願い事でも絶対に叶えてみせる。と。

「そんな昔のこと……」

「私は常々、お嬢様にこう教えてまいりました」

『どんな事があっても約束は守らなければならない』

 執事に合わせて花音も小さく呟いた。

「さぁ。お嬢様、いつまでもこんな場所に居てはお体に障ります」

「……ありがとう……ございます」

 震えた声で花音は答えると、手袋を受け取り執事を見据える。

「わたしを外に行かせて下さい。お願い……します」

「かしこまりました」

 深くお辞儀をすると執事は道を開ける。

 二人はまた手を繋ぎ執事の横を通り過ぎた。

 花音にとって初めて敷地内から外に出て、自分の足で外に出た瞬間だった。

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