第26話「罪の記憶」
青年は勢いよく振った大鎌の刃を鏡夜の首を掠める寸前の所で止め、風が鏡夜の頬に当たる。
どうして止めたのかを鏡夜が理解するには数秒の時が必要だった。
数秒の後、鏡夜はようやく気付いた。向かいあっている青年の首筋に後ろから日本刀の刃が突き付けられている事に。
「殺されそうになってお礼を言う人間なんてあたしは初めて見たな。瑞希は?」
「私も初めてですが理解は出来ます」
鏡夜の両隣を二人の少女が通りながら話をしていた。
青年から鏡夜を護るように二人の少女は鏡夜の前に立ち、それぞれの得物を構える。
一人は腰まである長く黒い髪で巫女装束を着て、もう一人は肩に届くか届かないかの黒髪のショートヘアーで何処かの学校の制服を着ていた。
「鏡夜君。君はこっち」
鏡夜が確認出来たのはそこまでだ。後ろから腕を掴まれ強引に引っ張られる。
転びそうになったが何とか持ちこたえ引っ張られながらその場を遠ざかった。
山を駆け降り、高山中央中学のプールまで続く石段に鏡夜と鏡夜をここまで引っ張って来た少年は腰を降ろす。
太陽が朝よりは高い位置まで昇り、蝉が遠くで鳴いているのが解る。
何気ない、現実的な時間が流れていた。
「危ない所でしたね。俺は青葉夏雪……って覚えてないかな」
同い年とは思えない妙に達観した少年、夏雪に覚えていると鏡夜は答え、二人の会話は終わる。
聞きたい事は山ほどあった。
さっきの男の事。夏雪達の事。どうして助けるのかという事。
その全てが喉まで出かかるのだが、飲み込んでしまう。
「……人を殺した事ってある?」
代わりに鏡夜はそんな事を口走っていた。
夏雪が怪訝な顔で見つめてくるのが解るが鏡夜は言葉を繋げた。
「俺は……あるよ」
そこで鏡夜は目を醒ました。
ベージュ色の天井が見える。
顔だけを動かし辺りを見ると、自分の部屋だと言う事に気付いた。
ベットに寝かされていた鏡夜の額から手ぬぐいがずり落ちた。
窓の外を見ると太陽は既に落ちたのか暗闇が広がっていた。
備え付けの時計を見て時間を確認する。九時七分。午後九時か。
ベットから起き上がり頭を押さえる。
今まで寝ていたのだろうか。だとするとさっきのあれは夢だったのか。
「ようやく起きたみたいね」
部屋に入って来た桜香は開口一番に呆れたように言った。
「それで? どうして中学校の校庭に倒れていたのよ?」
「……はい?」
桜香の説明によると鏡夜は高山中央中学校の校庭で倒れている所を部活動の生徒が見つけ、ここまで運んでくれたらしいが。
倒れていたら普通は救急車を呼ぶだろ。と考えてから鏡夜は別の可能性を思い立つ。
「ここまで運んだのってもしかして男と女、二人ずつの四人組?」
当たりだったようで桜香は驚きながらベットの近くに座った。
「何で気絶してたあんたが知ってるのよ?」
「……何となく。ただ、そんな気がしたから」
それだけを言った鏡夜は難しい顔をする。
やはりあれは夢ではなく現実の出来事。
あの青年は、夏雪達は一体、何なのだろうか。
解らない事が多すぎる。多すぎるが、一つだけ確かな事もある。
青年の言葉を借りるなら鏡夜は紛れも無い『罪人』だと言う事だ。
「キョーヤ。あんた何か隠してない?」
鏡夜の目の前に立った桜香は睨み付けるように見下ろす。
「別に。何も隠してなんかないよ」
自然と目を逸らしながら鏡夜は答えた。
「嘘ね」
冷たい声で桜香は即座に否定をした。
「どうして?」
「そんな風に視線を逸らしている人の言葉なんか誰も信じない」
「なるほど……」
納得も理解も出来る言葉だ。だが、真実を話す訳には絶対にいかない。
「仮に隠し事があったとしても、話す義理もないし、桜香に報告する道理もない」
少し冷たい言い方だろうかと鏡夜は不安だった。だが、取り繕う真似は出来ない、あくまでも涼しい顔をしていなければいけない。
「隠し事をしていない人間なんていないかもしれない。だから誰がどんな隠し事をしていても干渉する気はない」
息継ぎをしながら桜香は身体を屈めて顔を近付ける。
「でも、隠し事をしながら苦しんでいるキョーヤだけはそうはいかない。どうして、そんなに苦しんでいるの?」
普段の桜香からは想像出来ない優しい声色。まるであの時と同じ。
「……か、のん」
「えっ?」
「あ〜! 近い近い、近すぎるから離れてよ!」
桜香が問い返した直後に部屋のドアを開けた加奈が大声を出しながら桜香と鏡夜の間に割って入る。
「桜香さん。夕食の準備が出来ましたので運ぶのを手伝って下さい」
加奈に続いて入って来た藤村に有無を言わさず桜香は連れていかれ、部屋のドアが閉まる。
加奈と鏡夜は何も話さず、部屋にテレビの音だけが反響する。
「べー」
くるりと振り返り桜香が出ていったドアに向かって舌を出す。
「藤村も知っているんだな」
「あの事を知らない人なんて、いないよ。多分」
「それもそうか。随分、有名人になったもんな」
苦笑しながら鏡夜は布団を握り締める。
「やっぱり桜香さんの事、噂になってるみたい。梨菜が買い物に行った時、聞こえてきたって」
「仕方ないだろうな。俺でさえも初めて会った時には見間違えた程だ」
床に転がっていたリモコンを広い上げ、テレビの電源を落とした加奈は心配そうに鏡夜に振り返る。
「やっぱり、桜香さんには言わないの?」
「……わざわざ他人に話すような事じゃない」
突き放すように鏡夜は言う。
何かを察したのか加奈はそれ以上は何も言わなかった。
「解った。……ご飯、出来ているから」
生返事を鏡夜は返し部屋を出ていく加奈を見ようともせずに仰向けに寝る。
そのままゆっくりと目を閉じて眠気が来るのをただ待っていた。
次の日の朝。目を覚ました鏡夜が部屋の時計を見ると六時だった。
少し早過ぎるような気がしたが、鏡夜は起き上がりクローゼットから一着の黒いスーツを取り出すとそれに着替え部屋を出ていく。
二階の洗面所で顔を洗い誰とも顔を合わせずに家を出る。
家を後にした鏡夜が訪れたのは高台の墓地の一角にある一つのお墓だった。
意外な事にこんな朝早くにスーツ姿の女性がお墓に花を供えていた。
まさか他にも訪れている人がいるとは思いもしなかった鏡夜は回れ右をして帰ろうとするが、
「君もこっちに来て手を合わせたら?」
女性の声に引き戻されてしまう。
再び回れ右をして女性を注視した時に鏡夜は 日本人じゃないと感じた。
二十代前半くらいを思わせる女性の顔立ちは日本人。それも美人の部類に入るとは思う。しかし、女性の髪の色は綺麗な青だった。
染めているとかそんな感じはなくとても自然な色である。
「天河鏡夜君ね。私は鷹羽玲奈。宜しく」
「どうも……」
軽くお辞儀をした後に鏡夜は女性の横に並ぶ。
「ここには良く来る?」
「一年に一度は」
柔らかい笑顔で尋ねて来た女性に鏡夜は無表情で答える。
「ふ〜ん」
「……あなたは親戚の方ですか?」
「ん。わたし? わたしはね」
間を置いて焦らしているのか艶やかな笑顔をしながら女性は目の前に広がる空を見上げる。
「わたしはね。このお墓に眠る娘を殺した人間を。つまり君を殺すように頼まれた者よ。ついでに言うと昨日の男もね」