第25話「誘い人」
本当に長い夜だったと思う。
加奈は加奈で不機嫌で夕食の時も重たい空気だったし、その後もリビングでテレビを見たがやっぱり重たい空気だった訳で。
それぞれが自分の部屋に帰ってからも鏡夜は桜香に付き合わされていた。そして気が付けば朝。
鏡夜はベランダから朝日を見つめながら欠伸を噛み締める。
朝独特の冷たく張り詰めた空気を吸い込み、盛大にため息を吐く。
カーテンで閉ざされた鏡夜の部屋のベットでは桜香が幸せそうな寝顔をしている。
徹夜の揚句、寝る場所さえも奪われてしまった鏡夜は仕方なくベランダに出て朝日を見ていた。
「おはようございます。お休みなのに随分と早起きですね」
聞こえて来た声に鏡夜は振り返り上を見た。
鏡夜の部屋は二階。藤村が泊まっている部屋は三階になる。
重なり合わない造りをしている為、三階のベランダからは二階のベランダが見渡せる。
ピンクのパジャマ姿の藤村を直視していいものかと迷いながらも鏡夜は挨拶を返す。
「おはよう。早起きって藤村さんこそ随分と早起きだね」
というか鏡夜は寝ていない。
「私は朝食の支度がありますので……パンとご飯どちらがいいですか?」
のんびりゆったりとした藤村の声に鏡夜の眠気は倍増されていく。
鏡夜は目元を左手で押さえながら藤村が好きな方で構わないと言い、部屋に戻った。
薄暗い部屋の中で桜香が持ってきたゲーム機とソフトが目につく。
ベットには桜香が身を曲げて眠っていた。
リビングにあるソファで少しだけ寝ようか。
欠伸をしながら部屋を横切ろうとした鏡夜は桜香の鞄を蹴飛ばした。
ファスナーが開いていたようで中の物が散乱してしまう。
結構な音量だったので鏡夜は桜香を見て、寝ている事に安堵し散乱したものを集める。
ほとんどがゲームソフトや桜香の趣味の物だったが一つだけ異質な物があった。
プラスチック製の四角い箱のような物で、空と同じ色をしていた。
鏡夜はその箱を持ちながら桜香を見た。
悪いとは思ったが箱を開けて中を見てみた。
箱の中に入っていたのは一枚の写真。写っていたのは桜香に良く似た一人の少女。
一年前、体験入学のあの日に失くしたと思っていた写真だ。
写真を抜き取り鏡夜は開いた箱を閉じて桜香の鞄に戻す。
そのまま部屋を後にし誰にも何も告げずに家を出ていく。
朝早い街を歩き、ジョギングする人や犬の散歩の人とすれ違う。
見慣れた街並み。通い慣れた道。
鏡夜は時折、写真を見ながら沈んだ表情で道路を歩く。
行きたい場所がある訳ではない。ただ一人になりたかった。誰とも会いたくなかった。
ふと周囲の異変を感じ取った鏡夜は立ち止まり顔を上げた。
ずっと下を向いたまま歩いていたから気付くのが遅れたのか、辺りは何時のまにか深い霧に包まれている。
おかしいのは霧だけではない。鏡夜は狭い道路から大通りに出たはずだ朝早くとは言えそれなりに車の通りはあるはずである。
しかしながら辺りからは何の音も聞こえない。静寂というよりは無音と言うべきだろう。
前も後ろも解らない白い霧の中で鏡夜は立ち尽くす。
無闇に動いたら転びそうで危険だから動かないのかそれとも他の理由があるのか鏡夜は別段、驚く素振りも見せずにただ立っている。
「君もこの霧に迷い込んだのかい?」
無音の世界で足音もなく現れた長身痩躯でメガネの青年は鏡夜に近寄りながら尋ねた。
「えぇ……まぁ」
怪訝な表情を鏡夜は青年に向けた。
二十代前半くらいに見える。大学生だろうか。
整える訳でもない普通の髪型にテレビに出ていてもおかしくない顔立ちをしている。
青年は特に何をする訳でもなく鏡夜の隣に立った。
あまり背の大きい人には並ばれたくない鏡夜は相手に解らないように嫌な顔をする。
「最近、事件が多いよね。特に殺人が。君は罪人をどう思う?」
つみびと。罪人。つまりは犯罪をした人という事だろうか。
「罪人は侵した罪の大きさに関係なく死を持って償うべきだ。それが俺の考え。君はどう思う?」
鏡夜が答える前に青年は次の質問を投げ掛ける。
投げ掛けられた言葉に鏡夜は言葉を選ぶ。
法律に沿って裁くべきだ。そうかもしれないですね。さぁ、よく解りません。
咄嗟に三つの選択肢が頭に浮かぶ。それら全ては嘘で塗り固められた考えだ。
今まで鏡夜は人の反応を気にしながら言葉を選び本音を隠して生きて来た。だから、今度も、
「……貴方の意見は極論だと俺は思いますね」
決めたはずの言葉と違う言葉を口走ってしまっていた。
表に出さないように心でため息をつき、初めて鏡夜は自分の意見を述べた。
「現行犯以外は冤罪の可能性もあります。それに場合によっては情状酌量の余地もある、それなのに全ての罪人を死刑というの間違っていますよ」
鏡夜がそう答えると予想していたのか青年は笑いながら頷いた。
「やはりそうか。罪人らしい……保身の為の答えだ」
突然、突風が吹き荒れ辺りを覆っていた霧が晴れていく。
霧が晴れた時、鏡夜は居る場所に驚く。
「ここは……高中の裏山?」
高山中学。去年まで鏡夜が通っていた学校の裏手の山の中に鏡夜は立っていた。
さっきまで居た場所と方向が真逆なのにどうしてこんな場所に。
「天河鏡夜。貴様の命、刈らせてもらうぞ。罪の意識があるのならばせめて貴様が奪った命に懺悔を捧げながら奈落へと落ちるがいい」
場所の事を考えてる場合じゃない。身体ごと右に向けると青年が手にしている物が目に入る。
刄が青白い光りを放っている大鎌。
何だ、これは白昼夢か。とても現実の出来事とは思えない。
そう思う反面、冷静に置かれた状況を理解していた。
振り上げられる大鎌を見た鏡夜が浮かべたのは恐怖ではなく、何かに納得出来たような安らかな笑顔だった。
青年の無慈悲な瞳を見ながら鏡夜は小さく呟いた。
「ありがとう。これで、ようやく僕も」
呟きと共に鏡夜の首筋に無慈悲な刃は風を切りながら迫る。