第16話「新しい季節〜中学生編終了〜」
春。桜の季節。そして別れと新しい出会いの季節。
桜が咲き乱れる中、桜香は真新しい泉川学園の制服を着て通学路を歩いていた。
途中で泉川中学校で同じクラスだった女の子が二人声を掛け、三人で談笑しながら登校した。
泉川学園の校舎に入ると掲示板に書かれたクラス割りに従い、桜香は一人で一年三組の教室に入る。
教室の中には実に様々な人が居た。
席で本を読む者。中学時代の友達と笑い合う者。ガチガチに緊張して座っている者。
桜香が席に座り、しばらくすると担任の教師が入って来た。
見るからにやる気がなさそうだ。どうしてこんな人が教師なのだろう。
入学式は昨日、行われた。今日からは通常授業が行われるだろう。
一時間目がホームルームなので最初は恒例の自己紹介だろうけど。
「あ〜。じゃ、出席番号順に適当に自己紹介しろや」
本当にどうしてこんな人が教師なんだと言う雰囲気が教室に充満した。
そんな中、勇敢な出席番号一番は立ち上がる。
どんな奴かと興味本位で見た桜香は目を見張った。その男子生徒を桜香は知っていた。
その男子生徒にずっと会いたいと願っていた。
「高山市立高山中央中学出身、天河鏡夜です。宜しくお願いします」
窓際の一番前の席。そこがあの日、川沿いの道でここに来ると言っていた天河鏡夜の席だ。
あの言葉は本当だったんだ。
ようやく桜香は確信に至った。この人なら信じられるかもしれない。
天河鏡夜なら必要としてくれるかもしれない。
「相田光輝っす。趣味は……」
二番目の光輝が何か面白い事でも言ったのだろう。
教室が笑いに包まれたが桜香だけはただ鏡夜を見つめていた。
その日の夜。智希に今日あった事を話した。
「ふ〜ん。同じクラスだったんだ? それで? 話したりしたの」
桜香は首を振る。勿論、横に。
二人は智希の部屋で作戦会議を開いていた。
「ダメだよそんなんじゃ。もっと積極的にならないと!」
「だって〜。私だよ?」
弟である智希は桜香の事を良く解っている。だから桜香の言葉に頷く。
「確かにね。今の姉ちゃんは内気で消極的で見た目通りギャルゲのお嬢様って感じだけど。それじゃダメなんだよ」
一息入れてコーラを飲む智希。
「いっその事さ昔の姉ちゃんに戻りなよ。ツンツンしてたあの頃の姉ちゃんにさ」
諭すように智希が言うと桜香の表情が暗く沈んだ。
「……でも」
「悪いけど僕は今の姉ちゃんよりもあの頃の姉ちゃんの方が好きだよ。大丈夫。鏡夜さんが僕の思っている通りの人なら受け入れてくれるよ」
あの頃。いじめを受けるようになる前の自分に戻る。
それは桜香にとってこの上なく難しい事だ。
今では衝動的に死にたいと思い狂う事も無くなったが、それでも怖いのだ。
また、いつパニックを起こすか解らないから。
泉川学園でパニックを起こしてしまえば全てが崩れ去る。新しく始まり順調な今の生活が。
智希の助言も虚しく入学から二ヶ月。いや、もうすぐ三ヶ月が過ぎようとしていた。
ベランダの手摺りに寄り掛かり桜香は空を眺めていた。
今日まで鏡夜と交わした会話は数える程。しかもその殆どが先生や他の人の伝言だ。
次第に桜香は鏡夜に不信感を抱いていた。
どうして話し掛けてくれないのか。忘れてしまったのだろうか。
またウラギラレタね。
誰かが。いや、もう一人の自分がそう語りかけて来た。
もはや桜香は否定する気力さえ無い。聞こえる声に耳を傾けるだけ。
今なら誰にも止められない。そこから飛べば楽になれるよ。もう苦しまなくて済むよ。
「……楽に」
自然と手摺りに掛けた手に力が入る。
身を乗り出して空に。
「うちのクラスで誰が一番可愛いと思う?」
「いきなり何だよ?」
「だからさ誰が一番好みかって聞いてんの」
後ろから光輝と鏡夜の他愛もない会話が聞こえてくる。
窓を開けているからだろう、ベランダにも筒抜けだ。
「光輝から言えば答えてやるよ」
「俺は佐藤梓だな。ぶっちゃけよくね?」
このクラスで一番人気の子だ。
「ケバくね?」
「だったら天河は誰がいいんだよ?」
「俺は────」
────御船桜香。
確かに聞こえた。御船桜香。と。
桜香は振り返り鏡夜を見つめる。視線に気付いた鏡夜は桜香を見て笑った。
十ヶ月前。あの場所でした同じ笑顔だ。
忘れてない? 覚えていてくれた?
笑ったのは偶然かもしれない。だが、桜香は鏡夜と話をしたかった。確かめたかった。
教室に戻った桜香は床に落ちていた光輝のゲーム機を見つける。
話すきっかけにと思ったのだが、光輝と話をしただけだった。
五、六時間目の授業はぼんやりして過ごし、放課後のホームルームに行われる 二分間スピーチの犠牲者である鏡夜が壇上に上がった。
「今日が何の日か解る人、挙手」
一呼吸の間を置いて鏡夜は言った。
桜香は黒板に書かれている日付を確認する。
六月二十四日……最近アニメで見たような気がする。確か、
「UFOの日だ」
呟きながら桜香は手を挙げる。
鏡夜と目が合い意外そうにしていた。
解らない人の為に鏡夜が言った答えはやはりUFOの日だった。
これはチャンスだ。多分、最初で最後の。
そう思った桜香は放課後、光輝と一緒に帰ろうとしていた鏡夜にありったけの勇気を振り絞り声を掛けた。
「ちょっと待った、天河君!!」
振り返った鏡夜は少し驚いた風だったがすぐに納得した。
心臓が破裂しそうなくらい跳ねている。足が震えて、立っている感覚が無くなる。
「天河君。明日、暇かしら?」
それでも桜香は笑う。上手く笑えたと思う。
きっと季節はここから始まるのだろう。
桜香にとっての本当の意味での新しい季節は。