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~短編集~

学校水族館

作者: はる

 お久しぶりです。

 新作に集中しているため、最近一切投稿していませんでした……。

 そこで、前から投稿しようと思っていた作品を。



 中3の夏休みの宿題として、何のひねりもなく構想から約3日で書きあげた一作。

 感じたものを文にしたかっただけという、何を伝えたいのかよくわからない作品です……。

 クォリティに関しては、期待しないでください。

 僕が通っているのは丘の上の小学校。特に目立った特徴はないが、窓から自慢したいくらいきれいな海が見える学校だ。

 そんな学校のある丘を海側に降りたところに、僕の家がある。親は二人ともいるが兄弟はいない、一人っ子だ。さらに、僕の住んでいる集落はかなり高齢化が進んでいて、僕以外子供はいない。

でも、ここの住人はそんな年齢は感じさせないくらい元気がよく、朝早くから家を出て農作業をしている。

 その中を、僕はいつも一人で通っている。

「三坂さん、おはようございます」

「おや坊ちゃん、いってらっしゃい」

「いってきます」

 こんなやり取りが、いつも学校に行くまで何回も繰り返される。それは、この集落で僕はアイドルだからだ。

 もちろん、テレビに出ているようなアイドルではない。『人気の的』、と言う意味でのアイドルだ。

 自分でそう言うのはどうかと思うが、言われ続けるとそう思いこんでしまうのが人間である。

「おや小僧。こんなに暑いのにまだ夏休みにならないのか」

「いえ、ちょうど今日から夏休みになります」

「そうかい。それなら頼みたいことがあるのだが来てもらえんかね」

「わかりました」

「頼んだよ」

 こうやって、何か仕事を頼まれることも珍しくはない。力仕事はこの集落で若い方である僕のお父さんが引き受けるが、高いところに登ったり狭いところでの作業をしたりするのは子供である僕の仕事だ。

 働いた分、いつもいろんなご褒美をもらっている。僕の楽しみの一つだ。

 そうこうしているうちに集落を出て、長い坂道にたどり着いた。この坂を上りきったところに僕の通う学校がある。僕はその坂を上り、今学期最後の学校に向かった。



 午前放課で昼前には家に帰ることができた。

 だが、僕には頼まれごとがある。

 手早く昼ご飯を済ませると、すぐに出かけていった。

「いつも悪いね」

 そう言いながら脚立を立てているおじさんからの頼みは梅もぎだった。時期は少し遅いが、上の方にはまだ落ちずに残っている熟れた大ぶりの梅が生っていた。

 それを、落とさないように採るのが今回の仕事だ。高いところでの仕事は危険だし、それに身軽でないと梅に当たって、実を落としてしまうというのが僕に頼んだ理由だろう。

「それじゃ、頼んだよ」

「了解です」

 僕は仕事を始めた。

 そして、その作業は二時間ぐらいで終わった。木が五本もあったのだから早い方だろう。動きやすいから、というのもあるだろうけど、楽しいことははかどるものだ。

 頼まれる仕事はどれも興味がわくもので、みんな楽しくやれる。現代じゃ経験しにくいことがたくさんできる機会にもなってよりやる気が出るのだ。

 おじいさんの家に仕事が終わったと報告する。すると、僕がとった梅を少し分けてくれた。さらにアイスももらった。暑いこの時期にはうれしいご褒美だ。

「ありがとうございます」

「また頼むよ」

 お礼を言って家に帰る。今日の頼まれごとはこれしかない。まっすぐ家に帰ると、お母さんに報告して梅を渡す。

 そして自分の部屋に行く。さっさと宿題を終わらせるつもりだった。

 そんなにすぐ終わるはずはないけど、できるだけ減らしておきたかった。特に家族で出かける予定もないし、友達と遊ぶ予定も決して多くはないから急いで終わらせる必要はないけど、早めに終わらせた方が後で気が楽になる。

 これは今までの経験からのことだ。

 最後までためてしまったことはないけど、宿題が残っているときに遊んでも気が宿題に向いてあまり楽しめなかった記憶がある。それから、やるべきことは早めに終わらせるようにしたのだ。

 気付いたら日が暮れていた。そろそろご飯の時間になると、僕は手を止めた。ペースはいい方だ。この調子ならあと二日もしないで終わるだろう。

 ご飯を食べ終え、自分の部屋に戻る。

 そして明日の予定を立て始めた。

 明日はこの集落での集まりがあるらしく、日中はどちらの親もいない。また友達との予定もなかった。

「探索、しようかな」

 そうつぶやく。

 引っ越ししてまだ間もない僕にとって、まだこの場所には知らないところが多い。時間があると、こうやって探索しに行くのだ。

 集落の集まりということは誰かに頼まれごとをされることがないということ。安心して家を留守にすることができる。

「よし」

 予定を決めた僕はもう寝ることにした。明日の朝は少し長めにランニングするつもりである。

 お父さんに言われて始めたことで、朝のランニングは気持ちがよく、なかなか楽しいものだ。

 平日は学校に行く前にすることもあるが、こう長い時間とれるのは休日ならではだ。ゆっくりできるから遅く始めてもいいけど、でも涼しい時間にやりたい。だから長くするときは始まりも早くなるのだ。

「おやすみなさい」

 電気を消して静かになった部屋に僕の声が吸い込まれていく。

 それと同じように、僕の意識も吸い込まれていった。

 月の光が差し込んで、部屋をほのかに明るく照らしていた。



 翌朝、僕が起きたのは夜明けごろ。カーテンを閉めずに寝た僕は、昇ってきた日の光で目が覚めた。

この方法は有効で、また睡眠の質も上がるとお父さんから聞いた。

 少し体を伸ばした後、布団をたたんで身軽な服に着替える。夏とはいえ早朝、少し肌寒かったが、走れば温まるだろうと薄手の半袖を着た。

 部屋を出る。もちろんまだ親は起きていなかった。いくら農家とはいえ、ここまで早くから働き始める人は少ない。いないわけではないが、水をあげるだけあげると家に戻るだろう。

 それに今日は集落で集まる日だ。あまり大きなことはしないのだろう。

 だから僕が走り始めたとき、ほとんど人影は見つからなかった。人がいてもいなくても僕に不都合はない。気にせず走り続けた。

 走る方向は学校の反対側、海である。昼には熱くなる砂浜も、まだ日が出て間もないこの時間なら冷たい。そして海風が気持ちいいのだ。朝のランニングにはもってこいの場所である。

 家からほんの数分、海についた。

 砂に足を取られるが、それがいいトレーニングになる。自分的にはトレーニングのために走っているわけではないが、もともとの理由がトレーニングなので問題はないだろう。

 今日は疲れてもうんと休める。いつもよりペースを上げる。

 海には釣り人がいた。見かけない顔である。この集落の人ではないのであろう。軽く挨拶をする。釣り場での挨拶はマナーと言われるが、それが相手の邪魔になることもある。だからしようかどうか悩んだが、ちょうど仕掛けを直しているときだったので挨拶をした。

 どれくらい走ったのだろうか。さっきの釣り人はもう見えなくなっている。少し丸まった海岸は、丘の向こうまでつながっていたようだ。

 だんだん整備されているのが分かるようになった。少しゴミが落ちているのも人が遊びに来ている証拠である。少し遠くに見えるのは海の家だろうか。小屋のようなそれは人こそいないが今でも営業していそうな雰囲気があった。

 さらに進むと砂浜から舗装された道に変わり、その横も木から建物に変わった。

 そして海岸線も、まっすぐとまではいかないが直線上になっている。どうやら丘の反対側にきてしまったようだ。

 初めてここに来た時に見た景色の中に、今走っている場所があった。それからこちら側には来たことがなかったから、春に引っ越して実に三ヵ月ちょっとぶりだろう。

「痛っ」

 懐かしさに気を緩めていると、看板に頭をぶつけてしまった。さすりながらその看板を見ると、『危険のためこの先進入禁止』と書いてあった。

 どうやら海沿いを走れるのはここまでのようだ。道は町中へと続いている。分かれ道があるわけでもないから、僕はその道を進む。

 そして、しばらくするとようやく道が分かれた。二本のうち選んだのは丘へと続く道。その道は、進むほど太くなっていった。だが人影はなかった。走り始めて一時間ほどたつが、時刻はまだ朝の五時ごろである。当然のことだろう。

 わき道もあるが、僕はこの道をまっすぐ進んでいく。この道は丘の上へと続いている。それは初めてこの場所に来た時に通った道だから知っていた。初めてあの丘を見たときは興奮したものだ。思いっきり都会で生まれた僕にとって、自然は直接見たことがなかった。海くらいならば海水浴でいったことはあるが、このように緑が生い茂る丘なんて見たことがなかったのだ。

 道がだんだん上り坂になる。この坂の上には学校がある。正確にいうと、学校しかない。

 この丘は平坦な土地が少なく、ほとんどが急斜面だ。道こそ整備され緩やかになっているが、他の場所はとても何かができる土地ではない。学校以外の建物はなく、農地もない。ただ、その斜面にある森で林業が行われているため決して無駄な土地ではなかった。

 頂上まであと少し。とは言うものの、もとから100Ⅿほどしか高さがないから上り始めて大して時間はたっていない。坂だからペースは落ちるが、整備されている分砂浜よりは少し走りやすかった。

 そして、学校が見えてきた。今日学校には誰もいないはずである。

 そもそも日中なら何かをしに来る人がいるかもしれないが、こんな時間に誰もいるはずもない。それなのに門があいていた。鍵のある門だから、先生以外には開けることができない。ということは、中に先生がいるのだろうか。それとも、昨日閉め忘れたのか。

 それを確認するため、僕は学校の門を抜け校舎に向かう。正面玄関こそ開いてないが、職員用の入り口が開いていた。

 僕は何も考えず中に入る。電気はついていない。

「あれ、君なぜ学校にいるんだい?」

 教務室に行こうとして歩き始めたとき、後ろから声をかけられた。声の主は僕の担任によく似た……いや、担任本人である。

 僕が事情を話すと納得したようで、先生が忘れ物をしたから取りに来たということを知った。

「それより聞いてくれよ。この中、まるでゼリーみたいなんだ」

 担任は、中庭を指す。窓の外はすこし青くなっていて、空気ではありえないような光の入り方をしている。それはまるで海に潜ったとき、海中から海面を見上げたような光景だった。

「それでな、触ってみたのだがこれが水みたいでな、とっても気持ちいいんだ」

 そう言いながら、担任は戸を開ける。中庭に出る唯一の出入り口の戸だ。窓越しで見ると液体そのものだが、戸を開けても流れ込んできたりはしない。それどころか、まるでそこに透明な板があるかのように、きれいな面を保っている。

「ちょっと入ってみようかな」

 そういって、担任がそのゼリー状の液体の中に入っていく。担任を飲み込んだそれと空気の境界面に少し波紋ができていた。

「おっ、息ができるぞ!」

 担任はまるで無重力空間にでもいるように空中、いやゼリー状のそれの中を泳いでいる。

「ほら、君もおいでよ。気分がいいぞ」

 担任の声がしっかり聞こえてくる。こもりもにごりもせず、空気中とほとんど変わらない声だった。

 担任は泳ぎ続けている。平泳ぎのような潜水だからか、なかなか前に進まない。諦めたのか、手を動かすのをやめて足のみで進んでいく。先ほどに比べればかなりのスピードだった。

 その時、担任の体に異変が生じた。始めは顔だった。だんだん幅がなくなっていく。

 そして、体も横幅がなくなっていき、それが縦に伸びていく。身長はさほど変わっていない。

 その次の変化が驚くべきものだった。胴体から生えた二本の足がくっついていき一本、いや胴体がそのまま伸びたような状態になった。足先までくっつくと、今度は足の指が魚の尾びれのようになっていく。

 担任の着ていたスーツが破れた。だが、中から出てきたのは肌色ではなく青色。そして見た目もかたく、鱗のようになっていた。

「先生!」

「なんだ? 入る気になったのか?」

 僕は担任を呼んだが、担任は自分の変化に気付いてないらしく普通に聞き返してくる。

「体がとんでもないことになっています!」

 僕がそれを言い終えるころには、担任の体は原型がなくなり、すっかり魚になってしまった。

「そうか? 俺はよく見えないからわからないが、何の違和感もないぞ」

 頭が胴体とつながってしまったためあまり動かすことができなくなっている。担任が自分の体を見られないのも当然だろう。

「おっ、なんだかスピードが出てきたぞ!」

 それも当然のこと。魚なのだから。

 そう言いながら担任はぐんぐん奥へ、そして上へ泳いでいく。

 その様子を見ながら、僕は考えた。なんで人が魚になっているのか。そこで初めて混乱してきた。始めは驚いただけだったが、よく考えるとありえない話だ。落ち着こうとするが、とても落ち着ける状態ではない。そして恐怖も感じてきた。

「きっとランニングで疲れて、それで幻覚でも見ているんだ!」

 そう決めつけると、急いでその場を離れ、学校を後にした。行先は家。今日のランニングは止めにして家へ帰ることにしたのだ。

 慌てて、そして恐怖の分足は速く進む。坂を駆け下り、ついたスピードのまま家に向かって走っていった。


 家に帰ると倒れるように寝てしまったようで、僕は玄関にうつぶせの状態で目が覚めた。

 時刻はもう三時。いつ家に着いたかわからないが、それどもかなりの時間寝ていたことがわかる。それだけ疲れていたのだろう。頭にはまださっきの光景が浮かぶが、今までの睡眠を証拠に幻覚だったと自分に納得させた。

 ぐー、とお腹が鳴る。お昼どころか朝ごはんすら食べていない僕はかなりお腹がすいていた。何か行動する前に、まずは栄養を取ることにした。

 お母さんが準備してくれたのは朝と昼、二食分のごはんだった。それを僕はすべて平らげた。それでもまだ何か食べる余裕があった。それほどまでお腹を減らしていたのだろう。

 そのあと、すでに乾いていた汗をシャワーで流し、服を着替える。そしてまた靴を履き、家を出た。

「どこ行こうかな」

 そうは言うものの、頭の中にはさっきの出来事しかない。ほかのことを考えようとしても、すぐにそのことで上書きされてしまう。

 僕は考えるのをやめ、素直に学校に行くことにした。

 丘を駆け上がる。町からの道より、こっちの集落からの道の方が少し急である。ただ、少しでこぼこしている分足が止まって早く上りやすい。

 途中何度か転びそうになったが、何とか頂上に着いた。門はまだ開いている。ただ、そこから学校を見る限り何の異変も感じられなかった。それを見て安心したからか、今走った疲れが湧いてきた。

 僕は走らず、ゆっくり歩いて職員用入口に向かう。その扉は、朝僕が学校から出るときに開け放ったままの状態なのが見える。そのあと誰も出入りしていないのだろう。

 その中に入ると、僕はその戸を閉めた。そして、今度はうちばきに履き替えると、はいていた靴は自分の下駄箱に入れる。

 あらためてじっくり学校を見るが、そこから見る限り何の異変も感じられない。

「やっぱり、幻覚だった……」

 と言おうとしたとき、僕は中庭が見える窓を見て言葉をなくした。まだ青かった。そして、その中を一匹の魚が泳いでいる。

 僕はそこに向かって歩いていく。朝担任が明けた戸が開いている。そして、その面は波打っていた。どうやら朝見たのは幻覚ではなかったようだ。

「先生!」

 僕は泳いでいる魚に呼びかけた。魚は僕の方に一瞬向くが、すぐにほかの方向を見て泳いで行ってしまう。

 僕は追いかけようとするが、中庭にあるゼリー状の液体に手が触れて気を戻した。これには人間を魚にする力があるのかもしれない。不用意に入って自分まで魚になってしまったらどうしようもなくなってしまう。

 僕はすぐそこから離れると、その戸を閉めた。もしほかの人が来て触ってしまったら大変だからだ。興味を持たれて誰かがここを開けてしまったらこれも意味をなさないが、気付かず触ってしまうことはこれで防げるだろう。

 戸を閉めると、僕は廊下を進んでいった。ほかの場所がどうなっているか確認するためだ。この先には一年生の教室がある。まずはそこから見るつもりだ。

 中庭から差し込む青い光が廊下に差し込み、浅い海の底のような光の模様が廊下に浮かび上がっている。その廊下のつきあたりを左に行ったところにあるのが一年生教室だ。

 この教室は扉が閉まっていた。   

 思い切って、その扉を開けてみる。

 ぷるん。教室の中の空気、否、ゼリー状の液体が揺れた。中庭の戸を開けたときと同じような状態だった。つまり、中庭同様教室全体にゼリー状の液体が詰まっていたのだ。

そして、同じくそれが流れてくることはなかった。

 ただ、違うことが一つ。深海のようにまったく光が入ってきておらず、真っ暗なのだ。僕が明けた光が中に入って少し先までは見えるようになっているが、奥までは見えない。

 少ししか開けてなかった扉を全開にする。すると、さっき見えなかった部分が見えるようになった。海底、いや床には、画用紙や紙テープなどが海藻のように生えていた。どれもこの教室のもとからあったもの。棚から流れてきたのだろうか。それにしては、しっかり根を張っているように揺れてもそこから動かない。引っ張ってみたい気もしたが、あいにく胴体を液体につけずに手が届く範囲にはその海藻らしきものはなかった。

 次に壁を見てみる。光があまり届いていないようでぼやけているが、光の細い線があるのが分かる。周りをわずかに照らすことくらいしかできないほどの光が、一定の高さで見える壁すべてにあった。その線が光って周りを照らしているため、ここからでもその場所を見ることができた。線の少し上は、何やら濃い緑色をしたものがあり、下は光が反射しているようできらめいている。それ以外は見ることができなかった。

 そして最後に液体中を見る。もしかしたら魚がいるかもしれない。まだ何が起こっているのかはわからないが、担任以外にも魚になってしまった人がいるかもしれないからだ。

 幸運にも、液体中には魚どころか何一つ浮かんでいなかった。ただ、それは今見えて居る所だけの話なので、光が届いていないところにいるのかもしれない。普通、突然光が入ってきたら闇に隠れて相手を観察するだろう。こんな状態でなくても、このような場所から光を使って何かを探すのは不可能に思えた。それなら入って調べればいいのだが、さすがにその方法は使いたくない。

 僕は諦めて扉を閉めた。

 廊下を少し戻る。そこからもう学校を出ようとしたが、他の場所が気になる。

 僕は一年生教室につながる廊下をまっすぐ進み、階段を上り始めた。廊下同様、階段にも何の異変も感じられない。踊り場を曲がると一階より少し明るい、明度の高い青の光が差し込んできた。だが、その光が一瞬暗くなり、もとにもどった。先を見ると、中庭を泳いでいる担任だと思われる魚が通り過ぎたところだった。

 今の現象は、たまたま僕に当たっていた光が魚によって遮られたのだろう。

 そう考え付いたとき、あることに気付いた。

 僕は残りの階段を駆け上がると、その魚に一番近い中庭の窓を開けた。流れてくることはない。そして、僕は液体の中に両手を突っ込んだ。

 僕は、今の場所ら魚を液体から出せると思ったのだ。だが思いついたのが少し遅かったようで、魚はもう窓から手を伸ばした程度では届かないところへと行ってしまった。だが、僕はそのまま体を液体に突っ込んだ。

「もう少しっ」

 その時、体が浮いた。重力から解き放たれたような感覚で、まるで水に浮かんでいるようだった。

「あ……」

 気付いたときには、もう全身が液体に入っていた。出ようとも思った。だが、せっかく入ってきたのだ。もう少しで届きそうなのに、ここであきらめてしまってはもったいない。

 僕は両手で液体を漕ぎ、先へと進む。

 重い。

 なかなか進まない。水でももっと早く進むのではないか。

 不思議な感覚だった。水に入っているというよりは無重力空間で、液体を掻いても何かをつかんだというような感覚がなく、すっと動いてしまう。だから、あまり進まない。

 そこで気付いた。息ができている。担任も言っていたが、この液体と思しきものの中では呼吸ができる。それはただ酸素があると言うことではなく、液体とは思えないのだ。

 呼吸や、水を掻くことからしたら、ここが液体の中とは思えない。どちらかと言うと、宇宙空間に近いのではないか。行けるはずがないので経験はないが、テレビなどで見る限り、宇宙空間とはこのようなものだったと思う。

 考えを巡らせているうちに、魚に手が届くところまで近付けた。魚は体を動かさず、ただ浮いているようであった。

 僕は手を伸ばし、魚を覆うようにつかむ。だが、つかむことはできなかった。突然触られてびっくりした魚は、体をくねらせ手から滑るように抜けていってしまったのだ。

 落胆して溜息をつく。

 そして改めて前を見たとき、驚いた。手がだんだん青くなっていき、皮膚から鱗のようなものが生えてきている。まだ肘より先だけだが、それでも確実に変化していく。ただ、四肢はまだ分かれているようで、足を足として動かすことができる。

 僕はその場でくるっと半回転し、入ってきた窓に向かって急いで泳いだ。鱗が肩から生え始め、足がだんだんつながっていくのが分かる。そして、それが完全につながってしまう寸前に、僕はその液体から脱出した。

 全身がぬれていて、滴が床に垂れていく。ただ、びしょびしょと言うほどでもなく、出ていた腕や脚、頭は濡れているが服はさほど濡れていなかった。そして、服で隠れていた体も同様に、濡れた布で体を拭いた程度しか濡れていなかった。

 そして驚くことに、僕の体はまったく変化していなかった。でも、確かに液体中では変化していた。となると、この液体から出れば変化はもとにもどるのだろう。担任を助ける希望が出てきた。とはいえ、このままでは風邪をひいてしまう。

 僕はそのまま液体を垂らしながら、同じ階にある家庭科室に向かった。そこなら体をふくものがあるだろうと思ったのだ。

 ただその時、中庭の窓は開け放ったままだった。



 家庭科室の戸を開けた。そして、開けたところが光る。そして、波紋ができていた。残念ながら、ここも液体に浸かっていたようだ。しかし、僕の体についていた液体はすべて蒸発していた。それに気づき、戸を閉めようとして、あることに気が付いた。

 魚がいる。

 人間にしてはかなり小さいが、確かに魚が液体を泳いでいる。その魚はこちらを向いていた。そして、戸が開いているのに気付くと突進するようにまっすぐこっちに向かって泳いできた。スピードがかなり速い。

 僕は戸を閉めようか悩んでいたが、それを決断する前に魚が液体の中から飛び出した。僕はそれを目で追う。そこにいたのはハムスターだった。確か3年生の教室で飼われていたものだと思う。そのハムスターは一目散に自分の家のある教室に向かって走っていった。廊下の角を曲がるとき、液体で滑って転んだのだが、それは見なかったことにしておこう。

 魚だったハムスターがいなくなり、家庭科室には何も浮かんでいない。今の出来事から考えるに、この液体には人間だけではなく動物を魚に変える力があるようだ。植物は変化しないようで、実際家庭科室の窓辺にある観葉植物らしきものは、海藻のようにはなっているものの魚にはなっていない。

 この学校にはほかにも飼われている生き物がいたはずだ。そういえば、さっき見た一年生教室には亀がいたはずだ。もとから水中で生きる生き物はどうなるのだろうか。まだ見ていないが、ぜひとも確認したかった。

 はじめは怖がっていたこの正体不明の液体だが、今となってはとても気になるものである。動物を魚に変える力は怖いが、それは液体から出たら直ることが分かった以上そこまで恐れるものではないと僕は判断した。

 無人、いや無魚の家庭科室の戸を閉め、ハムスターが走っていった二年生教室に向かうことにした。向かう途中、窓を開けっぱなしにしていたことを思い出した。もし面がなくなりこぼれてきたら大変だから窓を閉める。

 その時、床がぬれていた。さっきのハムスターの時もそうだったが、あれほど乾くのが速い液体のはずなのに、なぜか床に残っている。見たところ、開けていた窓から出たものとは思えない。そう考えたとき、ふと思いついて中庭を覗く。

 魚がいない。

 ついでに言うと、沈んでいたはずの破れたスーツもなくなっている。どうやら担任がこの窓から出たらしい。

 現時点でわかっていることは、液体から出ると元の状態に戻るということだ。担任は体が変化する途中でスーツが裂け、破れて脱げていた。もし液体から出たときそのままの状態だったら何も着ていない裸の状態であり、スーツは沈んだままであるはずだ。

 より不思議になった液体が床からなくなっていた。蒸発したようだ。滑らないことを確認して、僕は再び二年生教室を目指して歩く。

 ハムスターの足跡がだんだん蒸発して消えていく。それを追って進んでいくと、ハムスターがいた。開いていない戸を上ろうとしている。もちろん、その程度で戸が開くはずもない。僕が戸を開けると、ハムスターはすぐに教室に入っていった。

 僕もそれに続こうとして、驚いた。液体が半分の高さくらいまでしかない。よく見てわかったのが、窓が開いていて、そのサッシの高さまでしか液体がないのだ。なぜ窓が開いているのかはわからないが、液体がそこから流れ出たのは確かだろう。

 もっと不思議なのが、どこからこの液体が来ているのか、と言うことだ。さっきから、窓のサッシギリギリの高さで液体は止まっており、こぼれる様子がないことを見ると、常にどこかから液体が入ってきているわけではないことがわかる。それだけに、液体の侵入口がどこかを知ることはできなかった。

 液体中には一匹の魚もいない。カラカラと何かを回す音が聞こえることから、どうやらケージの中へ戻ったようだ。でも、入れたということはケージが閉まっていないということ。もしまた脱走したら大変だ。

 そう思って、僕は二年生教室に入ろうとした。

 その瞬間、切れるというか破れるような音がして、教室の中にあった液体が一斉に流れだしてきた。だが、不思議なことにその圧は感じられず、押し流されるということもなかった。それが分かって落ち着くと、液体の流れていく先を見た。きれいな太い線を描いてすべて階段へ流れていく。普通ならその線から離れて他の方向へ流れていくものもあるだろうが、この液体にそんなことはなかった。

 そして、その液体はすべて下の階へと流れていく。それだけは他の液体と変わらなかった。

 下で何が起こっているかはわからない。だが、今はこの教室の確認が先だ。意識が下の階に行きそうになって、慌てて自分のもとへと戻す。

 教室は濡れているが、ついさっきまで液体に浸かっていたというほどではない。さっき見てわかったことで、液体中にあるものは大体空気をまとっていて、直接液体には触れていないようだった。確かに、僕が液体に入った時もそうだった記憶がある。それであまり濡れていないようだった。ただ、液体に入るときに空気をまとうのは分かるが液体が入ってきたときに空気がまとうことはあるのだろうか。まあ、この液体のことだ。ほかの液体と一緒にしてはいけないだろう。

 そう思って、浮かんだ疑問を自分で処理する。

 やはり乾くのが速い。一面濡れていたはずの床が、すでに3割乾いている。ついさっきまで液体が溢れていたのだから決して乾燥はしていない空間なのだが、それでも乾くのは早いようだ。

 僕は転ばないよう気を付けてハムスターのケージに向かう。近づく僕を、家庭科室の時と同じように見てくるハムスターは、その時と違ってきょとんとした感じで首をかしげると、止めていた口を再び動かしてひまわりらしき種を食べていた。

 ケージを閉めて一安心し、僕はそこからまわりを見渡す。床は7割乾いている。壁は完全に乾いていた。教室内にあった教科書や布製品などは、今まで液体に浸かっていたという印象がないくらいである。

 どうやら何も心配はいらないようだ。自分の教室ではないからわからないが、きっと普段と何の変りもないだろう。

 僕は教室を出ようとしながら考える。なぜ液体は流れ出したのか。考えても、考えても、何も思いつくことはなかった。今までとこの教室の違いは一つ。開けたところが完全に液体の中ではなかったということ。それまであけた、または入った液体への入り口はすべて、開けたところの高さよりも液体が高くたまっていた。

 それが、この教室だけ半分ほどしかたまっていなかったため、入るときは腰から上は液体に浸かっていない状態で入った。それが溢れた理由だと思う。

それだと、入るまで溢れなかったのがなぜだかわからないが、それは今僕が考えてわかることではないだろう。

 いつの間にか、階段を通り過ぎて教務室に続く渡り廊下の前に来ていた。この廊下の面白いところは、中庭を突っ切るようになっていることだ。校舎の真ん中に大きく中庭があるため、これ以外に反対側に渡る手段はなかったのだろう。

 電気はついていないが、誰かいるかもしれない。そう思って開けようとするが、どうやら鍵がかかっているようで扉は開かなかった。

 諦めて渡り廊下をもどり、先へ進む。この先にはさっきハムスターのいた家庭科室と、その反対側に三年生教室がある。二年生教室と同じく、五年生の今年転校してきた僕は入ったことの無い教室だ。

 僕はその三年生教室に向かう。戸の前に立っても、何の違和感もない。そのまま戸を開ける。液体はない……と思ったが、透明感が高いだけで液体は存在していた。今度はしっかり天井まで浸かっている。これなら入っても流れだしてくることはなさそうだ。だからと言って、用がないのに入ることはしない。

 それは普段からの学校のルールと言うのもあるが、不用意に魚になりたくないということの方が強い。確かに魚になって泳ぎたいという好奇心はあるが、それで何かあったらもう遅い。もとに戻るということが分かっていても、それが必ずしもそうなると分からない以上、危険な道をわざわざ通ることはしない。

 パッと見たところ、今までと同じく異変はなかった。だが、よく見渡すと魚がいることに気付いた。それも何匹も。ただ、それは水槽の中にいる。液体と水が混ざってどこまで水が入っているのかはわからない状態だが、その魚がある一定の高さまでしか上がらないところを見ると、そこまでが水なのであろう。

 そして、それがもとから魚だと証明させるものがあった。

 まず、水槽についている機械だ。あれは水を温めるもので、主に熱帯魚を飼うときに使われるものだ。実際、水槽を泳いでいるのは熱帯魚で、きれいな色をしたひれをなびかせている。また、それは今も動いているようで、水槽の水と液体の温度が違うのが見て取れる。さらに言うと、水槽のまわりからはぼこぼこと泡が出ている。もちろん、水槽から出ているのではない。水槽の温度で液体が沸騰しているようだ。それからも、水と液体が混ざっていないことがわかる。

 魚には、液体が液体の状態で触れていないと変わらない。乾いて気化した液体は僕も何度も浴びていると思うが、変化はしなかった。もし気化した液体が水槽に入ったとしても、それで変わることはない。

だから、水槽の魚が何かほかの生き物が変化したものだとすると、変化した理由がないのである。もちろん自分の考えだからいろいろ違っていることはあるかもしれないが、大体はあっているだろう。

 そうすると、わかることがふたつ。

 ひとつは、この液体に機械が使っても壊れず、また液体の中でも機械が使えること。

 もう一つは、変化するのが青魚だということ。これに関してはまだ確定できないけど、今まで見ているとそんな気がしてきた。

 考えの結果として、教室の水槽にいた魚から得られることは多くなかったが、一つ確実に言えることはあの魚がもとから魚だということ。つまりは助け出す必要がない。そう判断して、僕は三年生の教室を後にした。



 他にもいろいろ気になるところがあるが、一年生の教室を見た時点で気になっているのが自分の教室である五年生教室だ。位置的には、三年生教室の真上である。見上げようにも中庭に液体があってうまく見えない。始めから底を目指していたつもりだったけど、いろいろあってそれを忘れていた。そして今に至っている。思い出したのなら行動に移すのみ。僕は三階へと向かった。

 使う階段は液体の流れた、流してしまった方ではないもう一つの方の階段。この学校には校舎の両端、正確には教室のある棟の両端にひとつずつ階段がある。そのうち正面玄関に近い方がこの階段で、反対の階段だけ屋上につながっている。

 その階段は、二階に上がるときに使った階段と同じく変化がなく、踊り場を曲がるとさらに明度の上がった青い光が射してくる。ここまで来ると、白に近かった。光が波紋を浮かび上げる廊下を歩く。五年生教室はここから一番近い教室だ。それから右隣に六年生教室、右隣に四年生教室がある。六年生教室は教務室と同じく渡り廊下で行くようになっていて、僕はその道を毎日通れるのがうらやましいと思っていた。

 教室の戸の前で立ち止まり、思いっきり戸を開く。そして、思わず固まってしまった。それくらい驚いた。何もなかったのだ。いや、こういうと間違いになる。確かにいつも通り机や椅子、ロッカーにはファイルなんてものが入っている。ただ、あの液体はどこにも見当たらなかったのだ。確かにそれが普通と言えば普通だ。液体があることが本来なら異常なのだ。でも、今まで色々と教室を見てきたが、そのすべて液体があり、色々なものを濡らしていた。それがどうだろう。この教室にはそういったものが全く見られない。もしかすると、流れ出たのかもしれない。あの液体はすぐ乾くし、乾いたらまったくと言っていいほど跡が残らないから仮にこの教室が液体に浸かっていたとしても知る余地はない。ただ、少なくても今はここに液体はない。

 僕はそのまま教室を出て廊下を走り、隣の六年生の教室に行く。戸を開けて中を見るが、五年生教室と同様に液体は存在しなかった。さらにその隣の四年生教室ものぞいてみる。やはり、液体破損竿していなかった。跡も全く残っていない。流された様子もなく、濡れてもいない。二年生教室のようにどこか開いているところから流れたのかとも思ったが、窓はすべて鍵がかかっており、当然ながら床に穴などは開いていなかった。

 そもそもどこから来たかもわからない液体だ。何をどうしたらそれが流れてくるのか。何をどうしたら流れ出すのか。逆に、何をどうしたら流れ出さないのか。

 一番不思議な点である、動物を魚にさせる力はいったいどのような仕組みなのか。

 一切わからなくなった。

 僕は自教室を後にする。

 その時、ふと思うことがあった。頭の中では不思議=理科となっている。

「よし、理科室へ行ってみよう」

 理科室は今いる三階にある。僕はさっきよりも速いスピードで廊下を走り、理科室の戸の前に立つ。そして堂々と、かつ素早く目の前の戸を開けた。

 目の前には、空気があった。

 下を見る。同じく空気があった。

 奥を見る。空気があった。

 もちろん、空気だから見えるわけがない。ただ、地球上の何もない普通のところには空気があるのは当たり前なことである。

 液体、そしてほかの物が何もない場所には空気があるのは必然的である。

 結果として、理科室には何も手がかりがなかった。そして、液体に浸かっていることもなかった。

 がっかりして戸を閉める。そのあと同じ三階の教室を見て回ったが、どこも液体はなかった。そして今気づいたこと。中庭にある液体の水位が三階よりも下になっている。正しくは三階にある窓よりも下、だが、少なくても中庭側の窓を見ても液体は見えなかった。

 もしかすると、すでに蒸発してしまったのかもしれない。それなら説明も付く。理由が分からないことは納得いかないが、その結果が決して面白くないものだとしてもわからないよりは何倍もましだ。僕は三階に液体がない理由を蒸発したからとして、階段を降りようとする。

 僕はこの後家に帰る。結果としてこの液体の性質は大体わかったと思う。でも、この後見ていても、手がかりを探そうとしても、今の状況からあまり変わらないことは分かっている。

 僕はこの液体が何かを調べる方法がない。

 そして、このすぐ乾いてしまう液体を保存する方法を持ち合わせていなかった。

 このまま放っておいてすべて蒸発してしまえば、二度とこの液体が何かは分からないが、僕は別にそれでもいいと思っている。

 それに、この液体の存在は聞いたことがない。それは、まだ誰も見たことがないからだと思う。この話を誰かにして調べが入れば、正体がわかるかもしれない。でも、それよりこれを自分一人の物にしておきたかった。自分だけ知っているもの、と言うのはとても魅力的である。僕はその誘惑に耐えることができないだろう。

 それに、たとえ友達に話したところで信じてもらえないだろう。悪くてバカにされる。よくて想像力を褒められる程度だ。話のネタができるのがうれしいが、それでも自分だけの秘密の出来事にしておきたかった。

 惜しみもあるが、仕方のないことだろう。

 僕は階段を降りようとして、そういえばと思い出す。屋上の存在を忘れていた。普段なら屋上はカギがかかっていて出入りすることができない。でも、今日はこんな不思議なことが起こった。もしかしたら、鍵も開いているかもしれない。

 そう思うと、僕は階段を降りるのをやめ上り始めた。階段を上り切り、屋上のドアノブに手をかける。期待通り、鍵は開いていた。ドアノブをひねって戸を引く。

 次の瞬間。

 ザーっと、滝のように液体が流れてきた。僕もその滝に飲まれる。ただ、二年教室と同じように、流されることはなかった。

 だが、気付いたときには遅かった。体が変化を始めたのである。流れてはいるが、一応全身が液体の中にある状態である。手の皮膚から鱗が生え、顔が変形していく。そして、その変化の途中であることを悟った。

 今は足がついているから流される心配はない。でも、もしこの液体に浮いたらどうなるか。

 答えは一つ。流される、だ。

 僕は抵抗しようと試みる。変化を止めることはおろか、変化するスピードを弱める手段もない。あるとすれば、液体から出ること。それだけ。

 初めはドアを閉めようと思ったが、自分の体にはかからない圧がドアにはかかっているようで、流れに逆らってドアを閉めることなどできそうにもないことがわかり、この方法をやめる。

 次に、上に逃げ場がないか確認する。

 だが、残念ながら液体は天井に着いていた。

 最後の手段と思いついたのが下の階に下りること。いくら圧がかからないとしても、流れに逆らってどうなっているのかわからない屋上に行くようなことは考えられない。それなら、空気があるかもしれない下を目指すことにしたのだ。

 圧がかからない分、流れに身を任せて下りることはできない。走って階段を下る必要があった。

だが、その心配は杞憂だった。

 もうすでに変化しきってしまったのである。でも、流される様子はなく、その場にとどまっていられる。これは安心するべきことだった。この流れのスピードで一階まで流されていったらひとたまりもない。少なくてもそれが回避できることが分かってほっとしている。

 それが分かったら、あとは流れるのが終わらないうちに三階を目指すこと。浮いている分けがの心配がいらない。普通に階段を下りず真ん中の手すりを上から超えると、そのまま降下する。これが一番早く降りる方法だった。

 一階下りて、やっぱりと思う。液体はすべて下の階へと流れていっている。僕は流れに逆らって泳ぎ、三階の廊下に出る。

 すると、すぐに魚から元の体に戻った。中庭に入った時よりも少し濡れている感じがあったけど、もしこれがすべて水だった場合を考えたらこの程度で済んで本当に良かったと思う。

 しばらく流れるのを見届け、流れがなくなったのを見て階段を下りはじめる。驚いたことに、もうほとんど乾いている。ほんと、この液体には不思議が多い。

 一階につく。流れた液体は跡形もなくなっていた。でも、自分が職員用入口を開けっぱなしにしていたことで合点する。

 僕はもう帰ろうとしていた。担任は見当たらないし、他の先生も見当たらないからこの戸は開けっ放し、閉まっていてもカギがかかっていないから開け放題のままになってしまうが、それは致し方のないことだ。

そう思って、僕は自分の下駄箱に靴を取りに行った。そのとき、あることに気付いた。

「体育館が暗い」

 それは正面玄関の先、校舎とは違う棟にある体育館へ続く渡り廊下。その先が暗かったのである。それはまるで一年生教室のようだった。でも、それよりは少し紫に光っているようにも見える。

 興味を持ったら押さえきれない。僕は見に行くことにした。

 渡り廊下がいつもより長く感じる。だんだん暗くなっていくその廊下はまだ長いように見える。

 歩くほど、さっきまでは見えなかった暗闇の中が見えてくる。廊下の真ん中に腰の高さをも超える箱のようなものがあり、その中に人が立っていることが分かった。その人は女性である。だが見たことのない顔で、僕の知っている人ではないようだ。

 僕が近づくと、こんにちはと挨拶をしてくる。僕もこんにちはと挨拶をすると、その女性は話を進めた。

「魚になるのはどのような気分でしたか?」

 その問いに僕は驚いた。まるで、今起きたことをすべて知っているかのような笑みに、僕は少し怖くなる。

「ここは……?」

 感想を少し話した後、僕はここがどこかを尋ねる。さっきまでと違って、ここは明らかに学校ではないことがわかる。

「水族館です」

「水族館?」

「はい。移動水族館です」

 女性はその受付であるという。そして、受付の役目はただ、説明するだけらしい。いかにもお金がかかっていそうなところなのに、入館料はとらないという。そのあとの話をまとめるとこんな感じだった。

 この水族館は、色々なところとつなげることができるらしい。普段はある一定のところで運営しているのだが、たまに一日だけ入り口が違うところにつながるらしい。館長は、その機会を逃さないようにと色々な仕掛けを考えた。この魚になる液体もその一つらしい。お客さんに実際魚になってもらって、魚と同じ目線で、同じ感覚になってもらう。そういうことで、魚に対する見方が変わる、と言う考えらしい。確かに僕も変わった。でもそれは、いい意味でもあるが悪い意味もあったりする。

 話は続いていった。

 ここはその水族館の入り口で、この先には魚を展示しているという。色々な経験をしたうえで改めて魚を見てもらう。それがあの液体の趣旨のようだ。普段はそんなことはやらないらしい。ただこうやってどこかに入り口がつながった時、館長の遊び半分、楽しんでもらおうと今まで色々なところでこういった仕掛けを作ってきたという。今回の魚になる液体は初めてで、人間以外も魚に変わってしまうという欠陥が、今日使って分かったらしい。ただ他に失敗がなかったことから、今回は成功だという。

「話が長くなってしまいましたね。どうぞ、奥にお進みください」

「いいんですか?」

「もちろんです。見せるための施設ですから。ごゆっくりどうぞ」

 そういわれたので、僕は先に進む。まだ何も見えてこないが、左右に一度ずつ曲がると水槽が見えてきた。

 はじめは緑の多い水槽が並んでいた。水草や藻などが浮いている水槽に、小魚や貝類、カエルなどの両生類の生き物が展示されていた。その魚の一匹が、妙にあのハムスターの魚の時と似ていて、思わず笑みがこぼれる。

 先へ進んでいくと、今度は河口付近で釣りをすれば釣れそうな魚などが見えてきた。

 小さいものは親指ほどだが、大きいものになれば自分の身長ほどの大きさの魚もいた。

 さらに進むと、次は海かと思うとそうではなく、淡水魚だった。ただここら辺、いや日本では生息していないであろうカタカナの魚がいっぱいいた。耳にしたこともある魚もいたが、そのほとんどが聞いたこともないものだった。

 ここで初めて、道が曲がる。それまでは太くなったり細くなったり、またくにゃくにゃ曲がっていることはあったが、ここまではっきり曲がっていることはなかった。いったいどれだけの広さがあるのだろうか。考えるが、とても自分じゃ考えきらないことだと分かり思考を止める。

 その初めの角を右に曲がったところにあったのは、白く柔らかそうなふわふわしたものがいっぱい浮かんでいた。言うまでもない、クラゲである。曲がった正面に大きな水槽があり、その中に数えきれないほどのクラゲが浮かんでいる。泳いでいるともいうが、流れのままに浮かんで食べ物があると捕食するクラゲの生態を踏まえると、浮かんでいるが正解だろう。そのクラゲを見るに、水クラゲだと推測できる。

 その水槽自体、どれだけの大きさがあるかわからない。確かに最近クラゲがはやっているということも聞いたことがある。でもさすがにこれはやりすぎの気がする。幅も高さも僕の学校の体育館以上の大きさがある。そこに、水槽の向こう側が見えないくらいのクラゲが浮かんでいる。一万ではすまなそうだ。

 その水槽のまわりには様々な色をした生き物。いや、クラゲが展示されている。小指の先にも満たないくらい小さなクラゲから僕よりも大きなクラゲまで。

 よくよく見ると、「クラゲゾーン」と書かれている看板が大水槽の真ん中に吊り下げられている。その下には、「世界中のクラゲ集め、始めました」と書かれている。ここは何屋だ。夏だから冷やし中華でも始めたのかのように軽く表した言葉だが、実際やっていることはものすごいことである。確かに、いる所にはいらないほどいるクラゲだ。集めること自体は簡単だろうが、飼育するにはまずその環境を作り出しエサも研究しなければいけない。その前に、どうやってこんな数は混んできたのかが分からない。そして、そもそも許可がなければこんなことはできないはずだ。

 どうやったのかは知らないが、この不思議な水族館には(いろんな意味で)ものすごい力があることだけは分かった。

 その次のコーナーに行く。そこには見慣れた魚、フグがたくさんいた。お父さんと釣りに行くと、これがまたよく釣れるのだ。だからと言って食べることもできないし、観賞用にするのもあまり気が乗らないからすべて海にリリースしている。

 改めてみるとかわいいものだ。クサフグである。それはクラゲコーナーの先にあった小さな水槽に泳いでいた。ただ、僕はそればかりに気がいっていて恐ろしいものに気付かなかったようで。

 僕は左を見て、腰を抜かした。正しく言うと、そこに座り込んでしまった。それもそうだろう。さっきまでかわいいと思っていたフグが、舞い上がった砂のようにたくさん泳いでいたのだから。クサフグは、大きくなっても15センチほどにしかならない。片手を大きく広げたときと同じくらいの大きさだ。もちろん子供もいる。子供は三センチにも満たない。それが十数匹で群れをつくって泳いでいる。学校の教室二つ分ほどあるのではないかと言う水槽の中を。

 クラゲの水槽に比べればだいぶサイズは小さい。だが、ここまで大量にいると驚く。クラゲの時は、はじめは紙切れ化布が浮かんでいて、その隙間に生き物、魚がいるのだと思っていたので見てすぐ驚くことはなかった。だが、こううごめいている小さな魚、フグを見るとなんかこう気持ちが悪くなる。目が回って酔ってしまいそうだ。周りを見ると、クサフグ以外にもマフグやトラフグ、ハコフグやキタマクラなんてのもいた。

 それにしても不思議だ。それまでは色々な生き物が生息地ごとなどにまとまっていたが、急に同じ生き物ばっかりになった。いや、これはもしかすると流行を呼んだものかもしれない。クラゲのところを見るに、かなり前からやっている様子だった。もしかするとクラゲブームの火付け役になったのかもしれない。とすると、次はこのフグが流行るのだろうか。かわいいのは認めよう。ただ、けして見つけてうれしい生き物ではない。少なくとも釣り人にとっては。

 フグコーナーを後にし、先へ進んでいく。そこは少し開けた場所だった。そして、一面水槽がある。コーナー名は「サメコーナー」だった。サメはそれなりに人気がある。いや、一部の人が熱狂的に愛しているだけで、全体としてみたら少ないのかもしれない。でも、これだけで見に来る人がいるのは確かだろう。大きさも種類も、性格なんてのも色々だ。おとなしいものもいれば、今も喧嘩をしている荒々しい奴もいる。

僕はサメが好きではない。いや、普通に一匹が泳いでいるならいくらでも眺めていられるだろう。だが、こうやって威嚇している様子を見ると恐怖を感じる。自分のもとまで来ることがないのは分かっているが、それでも一刻も早くその場から立ち去りたかった。

 そして、その奥がすごかった。一気に開けたのである。この先に順路は存在しないようで、自分の好きなように見て回れる。

 だが、一番すごいのはこの巨大水槽だろう。この空間は普通の建物の三階分ほどの高さがあるが、その天井まで水槽のガラスが続いている。これが一枚のガラスだというのはにわかに信じがたい。いや、そもそも薄いガラスを何枚も組み合わせているガラスだから一枚ではないのだが、それでもここまで大きな水槽は見たことがない。近づけば海に潜っているかと錯覚するくらいの大きさである。

 僕はそこへ向かって歩いていく。道は横にもあり、ここからいろいろなところへ行けるようだ。でも僕はそこに見向きもせず、この巨大水槽を近くで見ようと歩み寄る。

 その時、あるものに気が付いた。水槽の端に、何かが置いてある。水槽が逃げることはありえないがその置いてあるものが逃げることもないだろう。でも、興味を持ったものを見る。それが僕の性格だ。

 近くによって分かったのは、見えたのは台だったということ。その台には、巻貝が付いたアクセサリーが置いてあった。どうやらお土産のようだ。他に、「ご自由にお持ちください」と書いてあった。その下には、「※ただし、おひとり様一個まで」と言う文字も。それもそうだろう。ここまで出来がよく、そして無料配布だったらいっぱい持ち帰り売ることができるだろう。まあ僕にはできないことだし、そもそも書いてあることを破ることはしないから気にする必要なはい。

 僕は無料で入っているのにこんなものをもらっていいのかと思ったが、書いてある言葉に甘えることにした。選ぶ。選ぶ。選ぶ。

 こういったものは持っていなかったし、見たことすらなかった。今の家のところに来るまでは海に行ったことがなかったし、実を言えば水族館に入るのもこれが初めてだ。僕はすべてをもの珍しそうにじっくりと見たが、最初に取ったものを選んだ。いっぱいあって選ぶことができなかった。そういう時、直感で選ぶのもいいが僕は運命を信じる。最初に取ったものを「運命の出会い」として受け取っておく。

 そのあとは簡単だった。もう頭を使う必要がないからだ。気のゆくままに色々な水槽を眺める。時に不思議に思ったものは、書いてある説明を読む。

 そうやっているうちに、いつの間にかすべてを見尽くしていた。どれだけの時間がかかったかは目につくところに時計がないからわからない。ただ一つ言うと、もらったストラップのような貝のコーナーはなかった。最後まで見て、もう一度その台のところに行ってみたが、お土産としか書いてない。この水族館と関係ないじゃん! とツッコんだものの、それを相手してくれる人はここにはいない。いや、一人でそんなことはしたくはないからツッコみは心の中で行った。漫才師のようにジェスチャーをつけてやるようなことは絶対ない。見られることはないが一人でやるともっと恥ずかしい。ちなみに、僕がこの後これを受付のお姉さんに言ったら、この水族館が巻貝の形をしていることを知った。偶然つながった入口を介して入ってきた僕には聞かないと分からなかったことだ。僕はこの水族館のパンフレットをもらい、そこに乗っていた写真を見て驚いた。すごい完成度だった。

 この水族館の順路はこの巨大水槽で途切れている。そしてそこからは自由。全部見たけど出口のようなものはなかった。と言うことは、入り口と出口が同じなのだろう。ただ、たとえあったとしてそこから出たら本当の場所にある水族館の出口だったら困る。その心配がないから帰りの心配がいらなかった。

 僕は受付のお姉さんにお礼と少し感想を言うと、水族館を後にした。

 長ーい渡り廊下の先は、なぜかオレンジ色だった。その理由は廊下を歩ききって分かる。もう夕方だった。いや、日の長い夏場の夕焼けが見られる時間は夜かもしれない。

 そんなことはどうでもいい。とにかく遅い時間と言うことには変わりない。きっと親が心配しているだろう。僕は急いで帰ろうとする。その時に中庭を見ると、液体はなくなっていた。流れ出たのか蒸発したのかはわからないが、無くなったのは確かなことだ。

 そこで、「あっ……」と思い出す。

「液体の正体を聞き損ねた……」

 これから戻ってもいいが、でも時間がない。僕は諦めて学校を出る。鍵はなぜか開いていた。でももとから開いていたから閉める必要がなくなって僕としてはラッキーだ。

 とりあえず戸は閉め、走り出す。門を閉めるのも忘れない。そのあとは転ばない程度にスピードを上げて坂を一気に駆け下る。

 家に着いた。今までの最短記録だ。

 結果として家にはまだ親がいなく、シャワーで汗を流して、その時洗った髪が乾いたころで親が帰ってきた。僕が家について一時間もたってない。「遅かったな、待ちくたびれただろ」とお父さんは言うが、僕としてはちょうどなくらいだ。でもそのことは言えないので、「まあね」とだけ言っておく。

 それからは、時間は遅いものの普段通りだった。夕食を食べ、両親と少し話すと自分の部屋に行く。そしてすぐに寝る支度をする。結局今日は勉強しなかったが、一日ぐらいいいだろう。これに懲りて明日からは不用意に出かけなくなると思うし、宿題に関しては問題ないと思う。

 布団に入って間もなく、意識は遠のいた。

 昨日に劣らず、静かな夜だった。



 翌日、学校に向かう。昨日もう安易な気持ちで出かけないと決めたばっかりだったが、これだけは確認しないと気が済まなかった。

 学校に行くと、また担任がいた。忘れ物をしたらしい。だが、話を聞く限り昨日のことは覚えていなかった。つまり、あれは僕だけの記憶になったのだ。それはそれとして、担任は何か用かと聞いてきたが、僕はなんでもないと言った。じゃあなんで学校に来たのかと言われ、気晴らしと言っておいた。学校の様子が分からずもやもやした気持ちを晴らしに来たのだから、間違ってはいない。

そういうと、担任は学校の中へ入っていく。どうやら来るのが担任と同時になったようだ。担任を待ってもいいが、面倒事に巻き込まれそうなのでやめておく。

 一人歩く帰り道。僕はすごく気分がよかった。心が躍っているようだ。スキップしながら坂を下る。危険だから他の人にはまねをしてほしくない。実際何度か転びそうになった。

 家につき、自分の部屋の机の椅子に座る。

 そして、ため息をつく。心配事はなくなった。これで安心できる。今振り返ると夢のような出来事だった。魚になり一時はどうなるかと思ったが、今こうして普段と変わらず座っていられえる。いや、実際夢だったかもしれない。でも、机の上に置かれた巻貝のストラップが実際にあったことだと証明してくれる。

「ご飯できたわよー!」

 親に呼ばれて僕は部屋を出る。朝日に照らされた貝が何ともきれいな影を作り出していた。



 このストラップは僕の宝物になった。

 でも、壊れたら困るし持ち歩いてはいない。

 こうして机の棚にストラップのひもをかけて飾ってある。

 これが壊れない限り、このことはずっと覚えているだろう。いや、壊すなんてありえない。だから、一生の思い出になるだろう。

 僕は遠い未来を想像しながらストラップを見る。

「来たぞー」

 外から友達の声がした。

「待っててー」

 思い出を胸の奥にしまいながら、僕はこれからまだ長い夏休みを精いっぱい楽しもうと思いながら部屋を出る。

 机に掛かったストラップが、あの水族館によく似た影をつくっている。

 窓から吹き込んだ風がストラップを揺らし、その影はなくなった。

 感想等お願いします。

 新作を上げるまで、このような投稿をするつもりでいます。

 良かったらそちらも読んでもらえるとうれしいです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 夢の内容から、お話を書くなんてとってもすごいと思いました。 ぜひ、次の話も、読んでみたいです! [一言] これからも、書いてほしいです!
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