第5話
更新に時間がかかってしまいました。
それでいてこれまでの話より各段に長くなって参りました(’’;
話し的に短くまとめれなかったとです。
輝け、栄光の三つ鱗 第5話
---西暦1541年(天文10年)5月 小田原城
4歳の夏、梅雨も始まったばかりでじわじわ蒸す暑さがちびっこな自分に襲いかかる。
現代的な実年齢ならまだ2歳半くらいなんだけど意識だけがしっかりしてる状態だからできないことが多いってことがもどかしいことが多い。
ただ、もう歩いたり走ったりはできるようになってきた。
頭の中ではちゃんと思考できて言葉も転生前なんだけど、まだ子供の身体のせいなのかは分からないけど喋るとたどたどしい言葉になってる。
あと、最近弟が出来てお兄ちゃんになった。
弟は藤菊丸こと、後の北條氏照くんです。
史実の北條滅亡時には氏政に連座して切腹している北條家内の超重要人物。
外交に戦にと幅広い活躍をして兄の北條氏政を助けた北條家の中心人物である。
勇猛果敢なだけではなく、笛の名手で学問に詩や歌を修めて禅の名僧であった卜山舜悦に教えを受けていたりする文武両道の人物だった。
なお、現在の八王子市ではゆるキャラで公認キャラクターになっている。
将来的には猛将かもしれないが、今は生まれたばかりの可愛い弟だ。
この子が切腹しないといけないような未来は変えないといけない!
もちろん、俺もだ!
改めて安心な老後を作り上げる決意を固める俺であった。
他に変わったことと言えば西堂丸兄上(頭の中でも兄上という呼び方に変えとかないとやらかしそうなので呼び方矯正中だ)が時々、遊んでくれるようになった。
かまってくれる人が増えたのは純粋に嬉しい。
兄上は蹴鞠(今で言うリフティングを皆で行うような競技)が好きなようで良く鞠を持って俺のところに遊びにきてくれる。
ただ、兄上もまだ6歳(もちろん、数え年でね)なのでちゃんと蹴鞠として成立させることは出来ないみたいだ。
それでも蹴鞠が好きなのか、鞠が好きなのか、そもそも丸いものが好きなのか良く鞠を持っている。
6歳の兄上でも無理なのに4歳の俺は鞠を蹴るなんてもってのほかだ。
「松千代丸、私ではまだ上手く蹴れないけど本当はこの鞠はものすごく高く空にあがるんだぞー」
などと、言いながら俺に鞠を見せてくれる。
そのあとで西堂丸兄上も蹴るのにチャレンジして最初の一回だけちょろっと当たってしょんぼりしてる。
「松千代丸、いずれこの兄がちゃんとした蹴鞠を見せてやるからな!」
と、熱血しておられる我が兄ながら非常に可愛らしい兄上である。
聞くところによると昨年だか一昨年だかにどこかの公家が小田原に来て蹴鞠と歌の催しを開いていたそうだ。
その時に見た蹴鞠に兄上はすっかり魅せられていたようである。
兄上の蹴鞠話を聞いていたら急に廊下の方からドタドタという足音が近づいてきたかと思うと障子が勢いよく開け放たれた。
「西堂丸、松千代丸はここか!?」
父上の登場である。
珍しく慌てているように見える。
「父上、いやお前たちにとってはお爺さまだな。お爺さまが私たちに言っておくことがあると仰っておる。最期の言葉と思って聞けとのことだ」
「ええっ!? お爺さまがですか!? ……はいっ、かしこまりました! 行くよ、松千代丸!」
兄上は驚いたもののどうにか立て直してすぐさま父上に俺の手をひいて速足で動きだした。
俺は頭がまだ動いてなかった。
前世と足せば22年以上は生きているはずなのに爺ちゃんが最期の言葉って聞いて頭が完全に固まっていた。
まだ6歳で気丈にふるまっている兄上が本当に立派に感じた。
兄上に手を引かれて走り出した俺だったが早々と力尽きていた。
しょうがないよね、まだ実年齢2歳ちょいなんだから。
冷静になった父上に抱き上げられて爺ちゃんの寝室へとたどり着いた。
寝室の中には北條家の一族と重臣の面々が勢ぞろいしていた。
いや、入り切れなかった面々が廊下に控えている。
「来たか、新九郎、西堂丸、松千代丸よ」
「はっ、ただいままかりこしましてございまする!」
俺は布団で寝ている爺ちゃんから目が離せなかった。
最近、風邪気味でうつしたらいけないということで遊びに来てくれ無かった爺ちゃんだが、風邪なんかじゃなかった。
見るからにわかるくらい痩せこけた爺ちゃんを見て、さっきの最期の言葉ってのが誇張でもなんでもないのを悟ってしまった。
医療の知識も何もない俺じゃ判断できないけど、軽い病気じゃないのは流石に理解できてしまった。
「新九郎よ、残念だが私ももう長くないのは明白だ。最後にそなたへ言い残しておきたいことがある、聞いてくれるか?」
「そっ、……ははっ、新九郎氏康謹んで拝聴させて頂きまする!」
父上もそんなことはありませんとかの気休め的なことを言いたかったんだと思う。
でも、そんなことを言っても何の気休めにもならないってことは今のやせ細った爺ちゃんを見ればはっきりしてる。
辛いけど、本当に辛いけどここで爺ちゃんの言葉をさえぎることこそ爺ちゃんの意に沿わない。
そう判断したんだと思う。
後の相模の獅子、北條氏康は。
「新九郎よ、そなたは万事について私よりも優れていると確信しておる。だが、それでも私からそなたに言い残しておきたいことが5つある」
「はっ、過分な御評価誠にありがとうございます。父上喜んでお教え賜りたくよろしくお願い致しまする!」
俺も西堂丸兄上も思わず背筋を伸ばし姿勢を整え直す。
一言一句聞き洩らすまいとそれまで以上に真剣に爺ちゃんの話を聞く態勢を整えた。
「まず一つ。大将によらず、諸将までも義を専らに守るべし。
身分に問わず、等しく義を重んずるように。
天運無く滅亡を迎えるようなことがあったとしても義を違えずの滅亡であれば、必ずや後世にて正しい評価を受けるであろう。
それと違い義を違えて1国や2国を切り取ることが出来たとて必ず後世に後ろ指をさされる恥辱を得てしまうだろう。
古い物語を読んでも義を守っての滅亡と、義を違えての反映は天と地ほどに差がある。
またそのような行いをせし家には必ずや天罰が下るであろう。
それゆえ、必ず義を違えぬように」
俺は前世知識で知っていた。
北條氏綱による北條氏康への遺言、五箇条の訓戒だ。
ただ、知識で知っているそれと本人から聞くそれの響きがなんて違うことか。
「はっ! 心得申した!」
「よろしい、ではもう一つ。武士に限らず地下人・百姓等に至るまで、全ての民を慈しみ全ての民を巧く用いよ。
必要ない者など本当はいないものである。
武に優れていないものであっても算術には長けておることもある。
あるいは弁舌で活躍するやもしれぬ。人柄良く名僧になるやもしれぬ。
大将がその者の役にたつところを使い、役にたたないところは使わぬことで一人たりとて捨てる者などいなくなるのである。
どのような者も上手く用いてこそ良き大将といえるのである。
この者は何の役にも立たぬうつけ者よ、などと言うような事があったとしては大将としては心が狭いという他無い。
良いか、どのような者であっても活用できないようでは立派な大将とは言えぬ。
まだ年少のもの達へはいくらか容赦して判断してやるが良い」
この時代、争いだらけの時代にこのような慈愛にあふれた事を言えるなんて本当に凄いことと思う。
適材適所、難しいことだけど上にたつものが正しくそれが出来れば間違いなく強い組織になるよな。
史実だと、北條家は早雲公の頃より民をいつくしんで戦国末期には2公8民(2割が税金、8割が民へ)という尋常じゃない低税率を一部達成しているんだよな。
「はっ、氏康。人を慈しみ人をよく使える立派な大将になってみせまする!」
「次に一つ。驕らずへつらわず、その身にあった分限(この場合は収入という意味と身の程という意味)を守るをよしとすべし。
例えば500貫の分限の者が1000貫の分限の真似をするようでは分限のやりくりが成り立たぬ。
侍の分限は天より降ってくるわけでもなければ、大地より湧いてくるわけでもない。
戦の多い年もあれば、火災が起こることもある。親族が多いものでは自分の分限で養う必要もあろう。
そういう事を考えると、たとえ1000貫の分限があったとしても900貫にも800貫にもなろうというもの。
そのような者となれば、次第に百姓らに無理な税を取りたてるか、町人らに迷惑をかけるか、博打などにうつつを抜かすやも知れぬ。
見栄の多いものばかりが増えてまいると内実が伴わなくなり民への税も多く、結果として兵が弱くなろう。
左様な者どもばかりで大将の軍はまともに動くこともできなくなろうというもの。
この頃の上杉殿の家中などは左様なものが多いと聞いておる。
よくよく心得よ。
かといって、貧なるものを真似せよと言っておるのではない。
自らの分限にあった生き方を心得よ」
この時代の人らはかなり私利私欲に走る人や場当たり主義な人が多かったんだろうな、と考えさせられる話だ。
「さらに一つ。万事、倹約を守るべし。きらびやかな派手好きの者は民を貪らねば出てくるはずがない。
倹約を守る時は民を傷めずに済む。
侍から民百姓までが富める時は大将の軍は精強となりて合戦の勝利は疑いの無いものとなろう。
今は亡きわが父、早雲様は小身の頃よりも天然の福人と世間に言われておられた。
その訳は第一に倹約を守り、派手なものを好まなかった故。
ゆえに侍たるものは古風なものが良い。
当世風を好む者は軽薄者であると常々仰っておった」
早雲公以降、こういう倹約を尊ぶ家風だからこそ低い税率でもやっていけたんだろう。
2つ目からこっち、民のことを思っての内容が目立つ。
この気質を史実の氏政も引き継いで、小田原の役の後に切腹前には関東を引き継ぐ家康に民の事をくれぐれも頼むと書状を書いてたくらいだもんな。
「……はっ、畏まりました!」
父上も目じりに涙が浮かんで、声がつまってきている。
俺?
大分前からまともに前も見れないくらい涙垂れ流しだよ、言わせんな恥ずかしいっ。
おっ、俺だけじゃなくて兄上もなんだからねっ。
などと、兄を巻き込むゲスな俺であった。
「最後に一つ。戦において手際よくおびただしい勝利を得てその後、驕る心が生まれ敵を侮ったり、無作法になってしまうことは度々あるものだ。
それを原因にして滅亡する家が古来より多いものだ。
慢心せず、勝って兜の緒を締めよという言葉をゆめゆめ忘れるものではない」
北條氏綱公の代名詞と言われる言葉、勝って兜の緒を締めよが最後に来ました。
単独で聞くよりも今回のように前文がある方が非常に理解しやすい。
「はっ、そのお言葉生涯胸に誓いまする! 自力でなしえないようであれば当家の優秀なる家臣団にも諫言もらうようにも致します」
「うむ、何事も自分一人で出来るとは思わぬように。家族や家臣、民を含め頼れるものには頼るべきだと心得よ。
長綱よ、お主が一族の長老として氏康を後見して盛り立ててやってくれ。私はもう長くないゆえ頼むぞ。
何故だかな、そなたは長生きしそうな気がしている」
爺ちゃんは、弟である長綱殿(将来の北條幻庵殿)に父上の後見を依頼している。
今年すでに49歳な長綱殿なのでこの当時の常識で考えればそこまでということは無いはずなのだけど……。
爺ちゃん、正解です。長綱殿、父上よりも長生きしますよ。
「ほっほっほ、氏康殿なら見事に北條の家を盛り立ててくださることでしょう。
私の後見など不要とは思いまするが、兄上の頼みとあれば謹んでお受けいたしましょう」
今までほとんど見かける機会も無かった長綱殿だが、人の気持ちを穏やかにさせる独特の間と雰囲気をもっていらっしゃる。
自分も将来何かとお世話になることだろう。
これでいて、戦も政治も謀もあげく芸術にモノづくりまで幅広い範囲で色々な特技をお持ちの方だ。
「長綱、ありがとう。そなたが氏康をみてくれるのであればわたしも安心して寝ていられる」
「ほっほ、礼など無用でございますよ。兄上、養生してくだされ」
長綱殿に礼を言うと爺ちゃんは改めて父上に呼びかけ直した。
長綱殿も平然としているようで、目じりにはうっすらと光るものが浮かんでいる。
自分が平然と振る舞わないと場がまとまらない、そう思い決めて耐え忍んでいるようだった。
「氏康よ! 本日より、わたしは隠居し北條の当主をそなたにゆずり渡す! しっかりと北條の家を盛り立ててみせよ!」
「はっ、ははーーーっ!! 本日より、北條家当主として全力をもって当家を盛り立てるべく努める所存です!
西堂丸っ、そなた本日より新九郎の名を名乗れ!
北條家の4代目として恥ずかしくないよう己を磨きあげよ!」
西堂丸兄上にも急な無茶ぶりが入った。
新九郎の名前を継ぐということは時代の北條家後継者として内定したということである。
俺ならテンパってまともに返事もできなさそうなところだが、デきる兄上すぐさま平伏しつつ応えていた。
「はっ! 北條西堂丸、本日より新九郎の名を名乗らせていただきまする! 皆々様、よろしくご指導の程をお願いいたしまする!!」
デきる男、西堂丸兄上あらため新九郎兄上は大きい声で周りに響く声で名乗りをあげた。
一族、家臣一同嗚咽を抑え涙をこらえる中、爺ちゃんの体調を配慮した父上よりこの日の解散が宣言され皆が爺ちゃんの寝室より出ていった。
こうしてこの日後の世に相模の獅子として周辺国から恐れられる北條家3代目当主が誕生した。
北條家の税率については、農地の作付け面積をどう解釈するかによるものによって影響はあるとか議論しつくすときりが無いかとは思います。
そこはこの作品ではこういう北條家だと割り切っていただく他ないかな?と
あるいは私の解釈としては、といったところでしょうか?
歴史は色んな人の数だけ解釈が分かれるものですしね、だからこそ面白いと思っています。
なお、私の解釈だと長尾景虎(上杉謙信)へはどうしても良い感情は抱けないです(^^;
ただ、明らかな間違いなどがあればご指摘頂ければ確認して修正していきたいと思っております。
私の無知による矛盾などのご指摘頂ける方は非常にありがたく感じております。
また、五箇条の訓戒については本作品の作風と私の解釈により本来より大幅にくだけた表現にさせて頂いております。
まぁ、私に本文の雰囲気を維持しつつ分かりやすく書くという技量がなかっただけでございます(^^;
原文については下記のサイト様などに詳しく記載されていらっしゃいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/ayumasa319/14321855.html
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11961345520.html




