第179話 俺、慎重に慎重を期する
ホテルの自室に戻り、小さく寝息を立てているエスカの側に行く。俺はクリーンを起動させ付いた汚れの一切を除去した。──筈なのだが、跡の要な物が見て取れる。
ほんのちょっぴりオレンジがかったどちらかと言えば明るめな褐色。そんな肌色をした彼女の谷間に真っ赤な血がべっとりと付着しているのだ。
気になるなぁ。拭いてやるか。でも女性の谷間に手を突っ込むのはなぁ。うーん、仕方ない。起きちゃった時はエスカなら謝れば許してくれるだろう。
俺はインベントリから濡れティッシュを取り出し、彼女の肌に傷を付けないよう細心の注意で以てできる限り優しめに、彼女の谷間目掛けて手を突っ込む。
我が右手に感じるは、ハリと弾力と柔らかさの完全調和と言った所だろうか。しかしこうやって見るとほんとデカイな。確かバストのサイズは120だったか。エスカの身長は172センチ。カップでいうとQカップ辺りになるんだろうか? その辺の知識がないからよくわからん。我ながらまるで変態みたいだ。しかしほんとデカイな。片方でエスカの顔2頭身半位ある。まぁこの子小顔だからなぁ。
しばらく谷間を往復し、俺は手を引っ込めた。
もう充分だろう。いつもの彼女に戻った。実に清々しい気分だ。
俺は赤くなった濡れティッシュを窓から放おった。
寝息をたてている彼女の隣に座る。
「おにいしゃまの匂い……」
寝言かぁ。どんな夢見てんのかな?
そんなことを思っていると、彼女の両手が伸びてきて俺の左手を抱き込む形で密着させてきた。
えっ? いやどうしようこれ? 無理やり引き剥がすと、彼女に危害が及ぶ可能性大だよ? よ……よし肌を傷付けない様に慎重に慎重を期して右手を外側から伸ばして、彼女の両手の指を外していこう。
「一本ずつ外せば大丈夫……匂いはしてないから発情していない……まずは左手の人差し指から──」
今までで最も緊張がいる作業だ。一瞬でも力の入れどころを間違えたら、指をへし折ったり握り潰して彼女の肌に一生消えない跡が残してしまう。
傷ができたらエクストラヒールで治せば瞬時にもとに戻るが、これはそういう問題じゃない。俺自身に消えない傷が増える。それはなんとしても避けたい。
ある意味で素面で良かった。もし、陽炎を着装したままこの状況に陥っていたら恐ろしい事になっていただろう。
彼女の指に手をかける。人差し指から外していこう。
呼吸を止め、全神経を集中し、親指と人差し指で彼女の指を摘んでは外していく。
これはまるで臨界直前の反ベリリウムを炭化タングステンの塊に近づける実験を、マイナスドライバー一本で調節していたというルイス・スローティンもかくやと云うべき緊張感。
彼女の指をデーモン・コアと同列に考えるのは自分でもどうかと思うが、俺にとってはそれ位難易度が高い作業なのだ。
俺は少しずつ、だが着実にエスカの指を俺の手から離してった。
そして無限にも思える緊張感の中で俺は遂にやり遂げた。
彼女の両手を懇切丁寧にお腹辺りに置いて一息ついた瞬間、ドアが乱暴に開かれ真っ白な毛並みの物体が俺に覆いかぶさってきた。
「わんわん!」
俺はそのまま彼女の胸にダイブする形となった。胸の谷間の顔をうずめ、頭の上では犬のよだれで俺の髪が生暖かく濡れているのがわかる。
細心の注意を払い。死ぬ程緊張しながら彼女の指を一切傷つける事なく、寝ているエスカを起こさずにここまで来たのに。どうしてこうなった。
「なんだ……うるさいな……? お兄様!?」
「あっおふぃた? ごふぇん。いまどふから」
俺はそのまま起き上がり、ベッドから離れた。
「手からお兄様の匂いがする……とても良い夢だった……」
恍惚とした表情のまま、エスカは自身の両手を顔に近づけてうわ言の様に何かを言っている。
「ケルベロス、良い子だから一旦離れてくれるかな?」
「わん!」
俺に覆いかぶさっている犬は俺から離れると顔を舐めた。
「兄貴〜、魔術師と変な格好した奴連れてきたニャ〜」
「ケルベ……ロスじゃなくて、マシュ……マロ」
「ゲイン君! まーた僕を忘れただろ!」
いつの間にかパルチとエルとアルジャ・岩本が俺の後ろにいた。
「ごめんね。マシュマロだったね」
「そ……」
アルジャ・岩本が俺の前にやってきた。
「なんで行く時呼んでくれないんだよ!」
「しょうがねぇだろ! 色々大変なんだよこっちは! で、パソコンの進捗状況はどうなんだよ?」
「どうやら裏で多形性タイプの防衛プログラムが走っているのがわかった。あれは破るには僕の使っている仮想ラップトップでは無理だ」
「じゃあどうすんだよ」
「さぁね、かなりのスペックを誇るデスクトップPCでもあれば何とかできるかも」
「そうか、んじゃあもういいや。んな事よりもこいつを見てくれ」
俺は蒸気兵の足裏を指差す。
「うっわぁこれは酷い。ん〜なるほど」
「このローラーじゃだめだな。もっと根本的な解決策を考える必要がある」
「色々あるよ。ローラー自体に破砕機能を持たせる?」
「それでも良いが、いっその事ローラーじゃなくてキャタピラにした方がいいんじゃないか? それかホバーにするとか」
「キャタピラでは改善を見込めない可能性が高いし、ホバーだとグリップがなくなるからスピードとコーナリングが犠牲になるよ」
「確かに……ではどうする?」
「やっぱりローラーに破砕機能を持たせるのが1番いいと思う」
「そうだな。下手にいじり過ぎるのも良くないだろうし、それで頼む」
「よしここは僕に任せたまえ」
彼の眼前に例の半透明の板が現れ、指をカチャカチャ動かしッターンとエンターキーを勢いよく打った姿を見て軽くイラつきを覚え、蒸気兵へ視線を下ろすと件のローラーのデザインが別物に変わっていた。
普通のローラーに見えるがよく見ると、ローラーの表面に非常に隙間があり、その中に回転式の刃の様なものが見て取れる。さながら2枚刃のカミソリローラーと言った所か。まぁあれの性能はそんな生易しい代物ではないのは明白だが。
「あーあれなんだったっけ?」
「二重螺旋破砕ローラーだ! これで仮に毛だろうが爪だろうが牙だろうが、ローラーに接触した瞬間に塵と化す!」
「んーなるほど? 流石天才だなー」
「もっと褒めて〜? もっと崇めて良いんだよ〜?」
「よし、じゃあもっかい行くか。レッツゴー」
「無視なの〜? まぁいいか。僕は寝る……そういえば大変だゲイン君!」
「なんだ? どうした? いきなり大声だして」
「布団がない! お布団じゃないと安眠できない!」
今まで普通に寝てただろ……。まさかずっと起きっぱなしだったのか?
俺は床に向かって手をかざし布団を生成してやると、アルジャ・岩本は布団にもぞもぞと入っていった。
「お休み!」
「私は……お留守番してる。マシュマロおいでー!」
エルは呼ばれて自分に元に近づいたマシュマロを引っ掴んで離さない。
マシュマロに猛烈な勢いで顔を舐め回されている。
「おっしゃイクゾー!」
「今度こそオレっちは戦うニャ!」
「私も参ります」
今度こそ蒸気兵のデモンストレーションを完遂すべく、俺達は闘技場へ向かうのだった。




