五話
信秀の軍が津田家の領地内に入り込んだのは月虹が現れてから、二日後の事であった。津田勢が早速、待ち構えていたが。
信秀は兵達に閧の声をあげる。
「…敵は津田豊秀なり!!行くぞ!」
おおっと兵達の野太い声が重なる。そして、進撃は始まった。
馬に跨る信秀は足軽の者達などを上手く避けながら、将の豊秀を探した。その間にも津田勢の兵達が襲いかかるのを太刀で次々と斬り伏せていく。
返り血と土埃にまみれながら、馬を走らせる。豊秀はなかなか、見つからない。
それもそのはずで豊秀はこの場にはいなかった。彼は城にいて身代わりの替え玉を戦場に置いていたのだ。信秀はいち早く、それに気が付くと山にある城に目を向けた。月光の下で涙を流していた美しい月子姫の顔が脳裏に浮かび上がる。
信秀はぎゅっと瞼を閉じる。
(許せ、姫よ)
腹を括ると信秀は兵達に聞こえるようにと大声をあげた。
「…将の豊秀は城にいる!!ここにいるのは偽者だ!」
「…真でございますか。では、様子をただちに見に行かせます!」
「急げ。ただ、城には姫達がいるはずだ。彼女達には手を出すな」
わかりましたと頷いた家臣の男は部下の者に城の中を確かめさせるために走らせた。それを見送りながら、信秀も城に急いだ。
城では豊秀が姫達を集めて奥の部屋で息を潜めていた。特に体が弱っていた月子はただ、待つのでさえも辛そうだ。豊秀は以前よりも痩せて顔色も青白い姫を痛まし気に見る。あの男ー信秀が関わってから、娘の笑顔が無くなった。
今では幽鬼のようになってしまった彼女は生きているのが不思議なほどだ。豊秀は立ち上がると月子に近づいた。
「…月子や。そなたはもう、この部屋で待つ必要はない。自分の居所に戻っていいぞ」
「父上。ですけど」
「いいから。ここにはわしと姉上達しかいないが。病身のそなたまで巻き込みたくない。もし、落城する事があったら。そなたは自害せず、あの若者に助けてもらいなさい。信秀だったら、そなたを悪いようにはすまい」
豊秀はそういうと部屋にあつらえられた上座に戻った。月子は黙って立ち上がると背を向けたまま、障子を開けて部屋を出た。
自室に戻ると月子は褥に潜り込み、溢れ出てくる涙を袖で拭った。次から次へと流れる涙を出るに任せ、静かに泣いた。自分には何もできることはない。無力感に苛まれてしまう。
いっそ、泉の龍神にこの身を捧げてしまおうか。そんな考えが頭をもたげる。
月子は取り憑かれたように立ち上がるとある木箱の元に近寄った。蓋を開けると中から、一振りの懐刀を取り出した。それを胸元にしまい込むと月子は上掛けを羽織り、自室を後にした。