四話
月子は父が北条家を滅ぼさせようとしていると聞いてひどく、落胆した。もう、遅いのだと思い知らされたような心地になる。
せめて、信秀に文を書き、警告しようとした。無理に関係を結ばされた相手とはいえ、このまま、見捨てる気持ちにはなれなかった。
侍女に文を書きたいと言えば、最初は止められたが。それでも、無理に頼み込み、月子は準備をさせた。
「…鈴音。無理を言って悪いわね。けど、信秀様がこのまま、お亡くなりになるのを見過ごす事はできなくて」
「姫様。おいたわしい。信秀様とこのまま、婚儀を挙げておいでだったら。父君様がうらめしゅうございます」
「鈴音。滅多な事は言わないでちょうだい。私は今は仕方ないと思っているの。ただ、信秀様には罪はないわ。拒みきれると思っていた私が愚かだったの。だから、もしもよ。私が死した後は信秀様にこうお伝えしてほしい。『あなたをお慕いしていました。けど、先に逝く私をお許しください』と」
そう静かに告げれば、鈴音は嗚咽をあげて泣き出した。月子はゆっくりと起き上がるとそっと鈴音の背をさすった。
薬の匂いが染み付いた部屋で鈴音のすすり泣く声だけがしていた。
あれから、一月が過ぎて月子の書いた文は信秀に既に届けられていた。内容はこうであった。
<信秀様。初めて、御文を書きます。どうして、このように御文を送ったのか、さぞや驚かれている事かと思います。どうしても、お知らせしたい事があったからです。我が父上は近いうちにそちらの北条家と戦をしようと画策しているようなのです。それを聞いて、いても立ってもいられずに筆を取りました。今、私は病の床につき、明日をも知れぬ命ではありますけど。でも、信秀様がご無事でいられることをお祈りしております。では、くれぐれもお気をつけくださいませ>
そのように綴られているのを読んで信秀は見舞いにも行けぬ我が身を恨んだ。あの、恋しい人は病の床についている。だというのに、会うこともままならないとは、何と因果な事だろうか。
信秀の父は出陣の準備を着々と進めていた。自分はこれから、月子姫と敵として相見えなけばいけない。
重い足を引きずりながらも信秀は立ち上がり、部下達に指示を出しに向かう。月子姫の津田家と北条家はこれから、戦を行う。
それが彼女を犯した代償か。乾いた笑みが浮かんだ。信秀は月子姫の文をぐしゃりと握り込んだ。
馬に跨り、信秀は津田家のある山を目指して軍を進ませていた。がちゃがちゃと鎧の鳴る音が辺りに響いた。月子姫だけでも助け出せれないものだろうか。
彼女は明日をも知れぬ状態になっていて亡くなるのも時間の問題だと侍女が代わりに文で知らせてきていた。信秀は苦い気持ちを無理に呑み込んだ。
「…姫。すまない」
あなたを不幸にするつもりはなかった。だが、巫女として誇り高い心を持っていた姫を汚したのは己だ。
だから、死なないでくれ。そう、願いながら。信秀は天を仰いだ。
天には満月が輝いていて、それに目にも鮮やかな白い虹が架かっている。驚きのあまり、信秀はそれを凝視した。
「…月虹か。不吉と見ていいのか、吉兆と見ればいいのか。わからぬな」
一人で呟くと信秀は再び、馬を進めたのであった。