三話
月子は驚きのあまり、身を固くした。信秀はお構いなしに月子を抱きすくめる。思ったよりも、ほっそりとして華奢な体に驚かされてしまう。花のような甘い香りが髪や体から立ち上る。
「…月子姫」
低い声でささやけば、月子の体がびくりと跳ね上がった。
「離してください。誰かに見られたら、何と言い訳すればよいのか…」
「いいわけなど不要です。このことは夢なのだと思えばいい」
信秀はそう言いながら月子を抱きしめる腕の力を強めた。二人はその後、一夜の逢瀬を遂げた。
あれから、一月が経った。月子の元に信秀が訪れては儚い逢瀬が続いている。
それは薄氷の上を歩くような危ういものであった。
信秀と一夜を過ごすたびに月子は良心の呵責に苦しめられた。今まで、恋を禁じていた父を裏切ってしまったのだ。しかも、これは正式な結婚ではない。
誰にも伏せられた関係だ。そう思うたびに月子の胸は痛んでいた。
もう、来ないでほしいと告げても信秀はやめてくれない。今日も彼は来るのだろうか。
ぼんやりと考えながら、月子は部屋の中から夕暮れの色に染まった空を見上げていた。
月子との関係が始まってから、さらに二月が経った。このごろは彼女はよりいっそう、痩せて色も白くなっている。
表情も冴えないでいた。
今日、会っている時でも思い詰めた顔をしている。
「…姫、どうした。顔色がよくない」
「…何でもありません。ただ、もうこんな事は終わりにしたい。どうか、聞き分けてください」
「それは聞けない。姫、私はあなたを正妻として迎えたいと思っている。聞き分けてほしいのはむしろ、こちらの方だ」
そう言いながら、月子の体を引き寄せる。さらに、抗議しようとする彼女を黙らせるため、長い接吻をしたのであった。
月子はその後で病に倒れる。ろくに、食事はおろか、睡眠もとっていなかったために心身共に衰弱してしまっていたからだった。
父の豊秀はひどく心配して医師を呼び、診させたりもしたが。月子の容態は芳しいものではなかった。
そして、月子付きの侍女から豊秀が信秀との噂を話すのも時間の問題であった。
そして、月子が信秀と密会していたのを偶然、目撃した侍女が父の豊秀に話してしまう。この事により、豊秀は怒り狂った。
月子が止めるのも聞かずに母の伊予の方と婚約話をまとめていた側近の三名を密かに呼び出して、城の近くの林で斬らせ、殺してしまう。この事が原因で月子はよりいっそう、体が弱ってしまった。
豊秀は妻の伊予の方を暗殺するだけでは飽きたらず、ついには月子の相手である信秀のいる北条家との戦に踏み切る。
月子は信秀を呼び寄せた。
「…父上、全てはわたくしに非があります。北条家と戦だけはおやめください」
「それは聞き入れられぬ。月子、そなたを犯した男がどうしても許せんのだ。待っておれ」
「…父上」
月子が呼び止めようとしたが豊秀は振り返ることなく、部屋を出て行ってしまった。
ただ、月子は信秀が殺されてしまうと涙を流したのであった。