一話
これは龍に仕えるはずだったある巫女姫と若者の悲しい恋の物語である…。
美しい滝がある林の上、山の頂上に月子姫、月の姫と呼ばれる女性の住む城があった。現代のような天守閣のある立派なものではない。
大きな武家屋敷が広がっており、その西側に月子の御殿があった。
父は性格が生真面目で頑固ではあったが、同時に心優しい人物である。戦国大名にしては珍しい気質であった。
母は父より年が三つばかり下で当年取って四十歳になる。
性格は穏やかで温厚な人だったが父と考え方は違っていた。月子を城の下にある滝の水神に仕える巫女として父は育てようと考えていたが。母の伊代のお方は嫌がっていた。
伊代のお方は娘たちを嫁がせて他の大名たちと手を組むべきだと考えていたからだ。これが時代だといわれてしまえば、それまでだが。
父の津田信孝と伊代のお方はこの考え方の違いにより、夫婦仲は冷え切ったものになってしまっていた。
月子はそれを気に病みながらも滝に赴いては祈りを捧げる日々を送っていた。
「…姫様。また、母君様から縁談がきました」
「そう。適当にはぐらかしておいて」
侍女の鈴音が眉をしかめながら言うと月子は静かにそう答えた。鈴音は月子が赤子の頃から仕えている侍女である。
そのため、気心が知れた仲だ。
今年で月子は十六歳になる。鈴音は六歳上で二十二歳になっていた。
「鈴音。母上が来るだろうから、片づけましょう。散らかっていては見苦しいわ」
そう言って、月子は立ち上がった。
さらりと黒髪が肩に流れる。切れ長の漆黒の瞳と筋の通った鼻筋にほっそりとした顔の輪郭は繊細で月子を美しく見せていた。
かなりの美人だということは周囲が認めているが月子は頓着していない。
部屋の中には花嫁衣装にと縁談のあった北条家から贈られた反物や裁縫道具が置いてある。はさみや針山などの細々とした物が散らかっていて鈴音と月子は急いで片づけた。
「…お方様も強引な手を使われます。いくら何でも、あの北条家の若殿を選ばなくても」
「鈴音。他の者に聞かれたら面倒だから。今は片づけに専念しましょう」
「わかりました。他の姫様方は嫁がれていますからね。次は月子様ときましたか」
鈴音は手を止めないで愚痴を言い続ける。月子はやんわりと注意しながら、母の伊代のお方の来訪のために裁縫道具の片づけに手を動かした。
「…ああ、月子や。今日も綺麗だね」
伊代のお方が部屋に入って一言目でそう言う風にいった。
だが、月子はうれしくない。母であるこの人はいつもそう言うからだ。
「ありがとうございます。母上もおきれいですよ」
お世辞だとわかっていても答える。
伊代のお方は機嫌よく笑った。
「ほほ。月子には負けますよ。それより、北条家との縁談は考えてくれたかしら?」
来たかと月子は身構えた。後ろには機嫌悪く控えている鈴音がいた。
それにはお構いなく、伊代のお方は話を続ける。
「信秀殿はよき方ですよ。学問もできるし、武芸なども達者です。顔立ちもなかなかだし。性格も明るいからそなたにも良くしてくださるはずです」
「…はあ。でも、わたくしは結婚を考えてはいませんし」
月子が歯切れ悪く答えると伊代のお方は眉をつり上げた。
「まあ、そんなことを言うものではありませんよ。先方も承諾をしてくださっていますのに」
お方からいわれても月子は答えようがない。
その後も伊代のお方は長々と縁談のことをまくし立てて部屋を出て行った。
深いため息をついた月子であった。