私が感想を書かない理由
私は、物を読むのが大好きです。
WEBで自分の書いた文章を発表するという形を知ったのは中学生の頃でしたが、それから、色々な検索サイトなどの手を借りながら、様々な人の書いた文章を読んでいます。
私は、静かに読むことだけを楽しみたい読み手です。
読むことにおいて、閉じていることを楽しんでいます。
「なろう」という場に投下された文章をただ読みたいだけ。
ただ読みたいだけなので、ああしてほしい、ここはよくなかったと思っても、その考えを書き手さんに知ってもらうことに労力を費やそうとは思いません。
感想を書くような時間があれば、その時間を使って本などを読むことを選びます。
小説家になろうでは、読み手は書き手に感想を入れなければならないのでしょうか。
No。そんなルールは存在しません。少なくとも運営側から明示的に提示されてはいません。もしそんなルールがあれば、私は小説家になろう上の作品を読んでいなかったでしょう。
感想を送るも送らないも、読み手の自由だと思っています。
書き手が書きたくて書いているように、読み手の私は読みたくて読んでいます。
読んで、思う、考える。私の「読む」プロセスの中に、書き手の為に感想を書くことは入っていません。書くことがあったとしても、何を読んだかを自分の為にリスト化する程度でしょう。
ぶっちゃけて言えば、私は自分の感情を乗せた文章を書くのが大嫌いです。苦手です。
それは、人の目に触れてもいいと思えるまでに、かなりの時間がかかるからです。
傍からみればざっと書いたように見えるだろう、この長さの文章を書くのにも一般的な厚さの単行本が何冊か読める程度の時間をかけています。
そんな無駄な時間があれば私は読みたい。
気負わず、思ったままをパッと書けば、といわれるかもしれません。
自分の感情を乗せた文章である限り、私にはどうしても無理です(仕事上の文書なら幾らでもさらさらとかけるのですが、私の中で、文章の種類が違うのです)。
感想を切実に求めている書き手には、応じられないことへの申し訳なさを感じますが、それがいくら好きな作品の書き手さんの意見だとしても、好きに読ませてくれないことに不快感を覚えます。
私は、感想を書くために読んでいるのではなく、作品が面白くて読みたいから読んでいます。
書き手には申し訳ないとは思いますが、読むことを楽しむ中に感想を書くというエキストラな要素は入っていないのです。
私が、書き手のために感想を書くことに時間や手間を使わないこと、書いてほしいという願いに不快感を覚えることは、傲慢だと思われるでしょうか。
感想を書かないことは、書き手のかけた労力や時間を否定し、書き手や作品を否定することになるでしょうか。
いいえ、私はそうではないと考えます。
私は、拍手などは積極的に活用しますし、読み終わった作品の評価も入れます。
気に入った作品、続きが読みたい作品があれば、お気に入りにも登録します。
それが、私が書き手や作品に対して行う応援です。
感想を書かないからといって、作品を応援する気持ちがないわけではありません。
書くことが嫌いだから、感想を書くという作業に苦痛を覚えるから、その手段を通じた応援ができないだけです。
私は読むことが好きです。でも書くことは嫌い。
だから、これからも感想を書くことはないでしょう。
◇
以上は全て、この文章の書き手である私の個人的な考えです。
誰かの意見を否定し、批判することを意図するものではありません。
ただ、感じたままをお伝えしたく書いています。
書き手には「感想を受け取る権利」があります。
その対偶としての読み手の「感想を送らない権利」を理解してほしい、そんな気持ちでこの文章を書きました。
自分の文章の拙さ、まとまらなさに、やはり書くことは嫌いだという思いを強くしています。
どうか、こんな読み手もいるんだ、ということを書き手の方にも知っていただけますように。
※ 本文章の感想ページは閉じませんが、私からは返信いたしません。