第4話 飛来
「どうして、わかったの。」瑠奈の質問に真也は答えないでいた。いや、正確には答えられないでいたのだ。その出来事が起きた直後の今、真也は呆然とし、心はまだそこになかった。
真也と瑠奈の僅かな心のすれ違いはいつしか大きな亀裂へと成長していた。登校した教室で瑠奈が真也に「おはよう」と言えども、真也の態度は日に日にぶっきらぼうになった。講習が終わると彼は瑠奈になにも告げずに学校を後にする。そんな一週間だった。
実際の真也の心中は瑠奈が思っているような物ではなかった。彼女に冷たい態度を知らず知らずにとる一方で真也の受験への意欲は熱を帯びていた。あの日、不条理に覚えた瑠奈の優しさへの怒りは自分自身に嫌悪感を抱かせた。己の実力が伴っていたのならば彼女にそんな気を使わせる事もなかっただろうと自分を恥じた。夏期講習の後、寄り道もせず早々に帰宅すると彼はすぐさま机に向かった。それから深夜3時まで勉強を続け、瑠奈から届くメールにも一切の返事をしないでいた。夏休み最終日の学力テストで結果が出るまで彼女とは距離をとると勝手に決めて実行していた。またそれが、彼女にとっても良いのだと信じていた。
瑠奈の胸中は穏やかではなかった。自分の何が最愛の男性をそんなにも怒らせたのかわからないでいたからだ。基本的に内気な性格の瑠奈はその原因を自分へと求め、また自分を責め続けていた。夜な夜な彼に送信する携帯のメールに返事はなく、鳴らない電話の切なさにひたすら耐えた。きっといつか、またあの日々に戻れると信じて、思いを振り切り机に向かっては突っ伏して込み上げる恋しさを押し殺す。勉強は手に付かず、眠れない連夜を過ごしていた。
また一週間が過ぎて、ついに夏休み最後の日が来た。真也が目標としていた学力テストが終わり、彼は晴れ晴れとした気分でいた。結果の通知はまだだったがその出来は手応えのある物であった。放課後となった教室に真也は瑠奈の姿を探した。けれど、彼女の姿はもうない。帰り支度を整えて真也は瑠奈を探しに校舎を出ると、行った先の校庭の小道に彼女の姿を見つけた。急いで駆け寄ると息を切らして真也は瑠奈に声を掛けた。
振り向いた瑠奈の目は虚ろだった。だが、対照的に目的を遂げたばかりの真也は上機嫌でそんな彼女の様子を察する事は出来なかった。久しぶりに瑠奈と自由に会話を交わせる開放感から真也の話は止まらなかった。嬉しそうに話す無邪気な真也の顔を見て瑠奈の口元にはうっすらと笑みが漏れ、彼女はこぼれ落ちそうな涙をかみ殺した。
「兎神君、どうして。」楽しげに瑠奈に語り掛けてくる真也に彼女が口を開いた。「どうして、そんな様子で話かけるのよ。」悔しさを滲ませた瑠奈の姿に初めて真也が異変を感じ取った。瑠奈の心にくすぶり出した小さな怒りの火種はすぐに猛炎に変わり、その瞳は今まで見せた事のない鋭い眼差しとなっていた。だが、瑠奈はそれでも怒鳴り散らしたりはしなかった。溜まりに溜まった不満はその口からゆっくりと語られた。彼女の気迫に圧された真也は先ほどとは一転して黙ってしまう。瑠奈の弁は続く。冷静を保ち、話そうとする念は空しく、瑠奈の口調は厳しさを増していった。
「月上さん、待って。待ってよ。」真也は瑠奈を落ち着かせようと肩に手を当てた。「放してよ。」真也の手が触れた瞬間、瑠奈は強く振り払った。彼女に込み上げる涙は溢れ出しそうになり、激情に身を任せた瑠奈はついに言ってはいけない言葉を口にしようとしていた。「兎神君、私達、もう。」そう言いかけた所で瑠奈は陰った太陽に気が付いた。遮られた日差しを見上げると真也は右手に持った教科書の詰まったカバンを振りかざしている。瑠奈は真也の怒りの衝動を察知し、迫る殴打の時に身をすくめて備えた。
「兎神、君。」しばらくの時間が過ぎても頭上に掲げられたカバンが彼女に振り下ろされる事はなかった。不思議に思った瑠奈は真也の顔を覗き込むが逆光で表情は見えない。「兎神君、どうし。」瑠奈がそう言いかけると“バクン”という鈍い音がして真也の真後ろから飛来した硬球がカバンに当たり彼の後ろに転がり落ちた。その軌道はカバンがなければ恐らくは瑠奈の顔面に直撃したであろう物だった。
「兎神君、どうしてわかったの。」瑠奈の質問に真也は答えないでいた。いや、正確には答えられないでいたのだ。その出来事が起きた直後の今、真也は呆然とし、心はまだそこになかった。気を取り直した真也は突然起きた不可解な現象にその場を走り去ってしまった。走る最中、彼は瑠奈にまだ謝っていない事を思い出す。「いいさ、明日は始業式だ。明日会って瑠奈に謝れば良い。」無我夢中で家に辿り着いた真也は自室のベッドに横たわり眠りに着く。そして翌朝、目を覚ます事はなかった。
自作小説『Dime†sion』 =第4話=
つづく